<< February 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
         Page: 1/69   >>

またまた高田渡がテレビに

 さいきんの◯HKはおもしろい。高田渡の伝記のシリーズを放送したり(現在つづいている)、岡林信康を紹介したり、『東京漂流』の藤原新也が出てきたり。それにしても高田渡の「◯◯隊に入ろう」をまさか◯HK(日本国政府放送協会)から聞くことができたとは。

 そういえば井上陽水の特集みたいなのも◯HKで放送していたし。

 いま放送するということは、(すでに「転向?」したり亡くなったりして)それなりに「毒気」が抜けてしまったからなのか、それとも時代が彼らの「毒気」を欲しているからなのか。時代そのものに元気がないから、そのカンフル剤にでも、ということなのか。

 歌唄いの岡林、井上、高田の3人の、それぞれの人生の軌跡の、なんと違ってしまったことだろう。この中でメジャーではなかったのは高田だが、庶民としての感覚や生き方を貫いたのは高田ではなかったか。生涯草の根の民の歌を唄いつづけた。

 3人は、その人生の出発地点から違っている。教会、町の歯医者、地方の没落?篤志家。親や家から受けた影響もずいぶん違うだろう。3人とも100年のちまで残るかもしれないが、フォークとか演歌とかニューミュージックとか、そのような呼び名が失われた遙かな未来にも残る名はタカダワタルではないかとかってに思っている。だって老若男女の草の根のファンがいるでしょ。歌は世に連れ、世は歌に連れて流行り廃りがあるけれど、グラスソング(民草の歌)はしたたかに生きていくのでは?

 それにしても高田は谷川俊太郎をはじめ有名・無名の人々の詩を、なんでもかんでもかってに?唄っているのはすごい。高田の名は、山之口 貘、菅原克己、黒田三郎、ラングストン・ヒューズ、永山則夫の名とともに後世に残るか・・・な?少なくとも、これらの人々の詩を親しみやすく紹介してくれただけでもえらい。それと添田唖蝉坊。もっとも、わたしは「ヴァーボン・ストリート・ブルース」みたいなハイカラで明るい曲が好きだけれど。

JUGEMテーマ:音楽
mojabieda * 音楽 * 11:20 * comments(0) * trackbacks(0)

下の子のことば 10

◯ タオル、焼けたよ
  わたしが髪の毛を整えるのに、タオルを濡らして電子レンジでチンして温める。温まったよ、ということを知らせてくれるときにこう言う。「たけやぶ、やけたよ」みたいな感じ。

 ◯ さかまわり
  逆上がりことだろう。でも回っているから「さかまわり」の方が実態をよく表しているかも。

 ◯ トムとゼリー 
 「トムとジェリー」をテレビでよく観る。この米国アニメはわたしの子どものころにもよく観た。息が長いなあと思う。

 ◯ アルプス1万尺、子ヤギの上で〜
  ほんとうは「小槍の上で」。「小槍」は槍ヶ岳の山頂のことらしい。大人(親)も意味判らずに唄っていた。しかしさすがに「子ヤギ」の上では踊れない。

 ◯ ひゃくまんせんと ゆうき〜 
 たぶん「100%勇気」という歌の文句。「パーセント」が「万セント」に。

 ◯ むりょうかいすう
  無限の数という意味で使っているらしい。漢字で書けば無量回数ということだろうか。なにか仏教用語のようで荘厳なイメージ。「無量回数」ではなく、「無量大数」ということばなら存在する。なんと10の68乗のことだという。そういうことばを知っているはずはないが、似たようなことばを使うというのは不可思議。 

JUGEMテーマ:育児

mojabieda * 子育て * 07:19 * comments(0) * trackbacks(0)

おいしいお酒を飲む

 

 夜の部しか参加できなかったが、おいしいお酒を飲んだ。
  
 どうしておいしいのかというとたくさん理由がある。
 
◯ 集まった人々の半数以上が若者だった(2、30代) 
◯ その若者たちが戦争と平和に関心があった 
◯ その若者たちと食事をつくった
◯ いっしょにつくり・食べてほのぼのとした会話ができた 
◯ オトナ?(オヤジ?オバサン?4、50代)は基本的に気心が知れた人々の集まりだった 
◯ 材料代など1000円でよいということだった・・・(缶ビールを3缶ほど飲んだが・・・) 
◯ お餅、お雑煮、刺身、お好み焼き、おでんなどたらふく食べた
 
 味な平和ゼミナールというもの。もともとはさる労組の学習会だが、今回の主役はピースメーカーとエバーグリーンの若者たち。
  
 こういう「飲み会」に出ると、酒場で飲む気がしない。料理づくりのフィクサーの橋本氏は「主権者は主催者から」をモットーにしている。主催する側に立って楽しむというのがいちばんだという。 
 
 真冬の夜を風に吹かれて帰ったが、心は温かだった。

JUGEMテーマ:日記・一般
mojabieda * 学習会 * 22:26 * comments(0) * trackbacks(0)

映画『いのちの山河〜日本の青空II』

 映画『いのちの山河〜日本の青空II』を観た。

 たぶん観る人も少ないんじゃないかなあ、にぎやかしに行こうかな〜という軽い気持ちで会場へ行ったら、その途中の道から渋滞で、会場は超満員の立ち見。若い人は少なかったけれど観に来てよかったと思った。

 映画は敗戦後の日本の寒村で新憲法25条の生存権を実現すべく「いのちに格差はない」を信条に奮闘した一村長の生涯を描く。ドキュメンタリー風の映画で実話を元にしている。

 秋田との県境に位置する岩手の山の中の沢内村(現在西和賀町)。村長の名は深澤晟雄(まさお)。医者にかかることもできずに死亡する乳幼児や、家族に負担をかけることを憂いた老人の自殺など、さまざまな問題をかかえていた、豪雪によって孤立する山間部の貧しい村が、65歳以上の老人の医療費の無料化を実現させ、さらに乳児死亡率0を実現する。しかしその3年後に村長は病気で亡くなってしまう。たいへんな努力だったと思う。まさに「行脚と対話」によって新憲法による民主主義を実現させ、孤立と貧困とにあえいでいた村を経済的交流と精神的自立へとみちびき、村人の生命を守ることを何よりも村の最重要課題とした。そういう村をつくることに命をかけた人の半生を描いて感動的だった。日本にかつてそのような村があったことを広く世に伝える貴重な映画。

 「終末期」医療費を抑制するために後期高齢者医療制度をつくった役人や「『女性が生殖能力を失っても生きているっていうのは無駄な罪です』って」とか言ったという都の「地頭」など現代日本はどこで方向をまちがえたのか。

JUGEMテーマ:映画
mojabieda * 映画 * 22:45 * comments(0) * trackbacks(0)

宿題を犬に喰われる

 早朝、家でMacで仕事をしていると、とつぜんワードが書類作成途中でおちてしまい、バックアップされていた書類を仕事場に持っていったら、それは元にしていた去年の古い書類だった。

──(正月あけの仕事初日の)今日は、じつはまだ(わたしの宿題の)書類が出来ていない。パソコンがトラブって、新しい書類に古い去年の書類を上書きしてしまったらしい・・・とわたしが言うと、

──へんねえ、古い書類に新しいのを上書きする、っていうのはよく聞くけど・・・とだれかが言う。

──そりゃあ「宿題を犬に喰われた」って言い訳する高校生みたいだな、と口の悪い者が言う。

 この言い方がおもしろかったので、家で子どもたちに話すと、

──犬が紙を食べるの?と小さい方が言う。

──犬は食べないよ。紙を食べるのは山羊さんだよ、とわたしが言う。

 そう言って思い出したのは谷内六郎のレトロな絵。「おいしい宿題」という題。道端で花を摘んでいる女の子たちの横で、鞄からこぼれ落ちた宿題を山羊が食べている。これなら「(宿題を)忘れた」「だから明日持ってくる」という言い訳をしなくていい。証拠物件がシュレッダーにかける以上に完璧に消失してしまったから「宿題はきちんとやった」という言い訳も成り立つかもしれない。しかも山羊に喰われるというのは不可抗力の「事故」だ。こんなに都合の良い言い訳はないだろう。この絵は宿題を忘れた子どもたちの「初夢」だろうか、と思った。

 それにしても道端の犬が宿題を喰うというシーンはなかなかシュールでおもしろい。むかし「人間は犬に喰われるほど自由だ」といった写真家がいたが、犬に喰われるくらいが宿題の関の山だろうか。

JUGEMテーマ:日記・一般
mojabieda * 日記 * 08:17 * comments(0) * trackbacks(0)

正月で頭がとろける

 食卓で子どもたちが「そんなとろけたビームなんか効かないよ」とか言っている。なかなかおもしろい表現だなと思った。「とろけた」とは「溶ける」と「トロい」の両方の意味が掛けられているのだろうか。

 正月そうそういくつか失敗をする。というか、明日初仕事という間際になってその前にしなければならない準備をようやく夜中に思いだした。さらに仕事をしている昼間、ケータイに連絡があって、すっかり忘れていた別の仕事を思い出した。

 よなべはやめて、初仕事の朝はやく起きて仕事の準備をする。提出すべき書類を完成させてしまう。完璧だ。ところが、そのファイルを別のファイルと間違えて持って行ってしまった。結局なんにもならなかった。

 さらにケータイで指摘してもらった仕事は翌日でなければできなかったので、初日は一日元気がなかった。失敗ばかり。

 さらにその日の朝、子どもを保育園に連れて行ったときに、「弁当」と記すべき出欠表に「○」(給食)と記してしまった。それで弁当と給食とを食べることになって下の子はずいぶんとまどってしまったらしい。帰りのお迎えに行ったときに確認のために記す「○」と勘違いしてしまった。

 正月ぼけで頭がすっかりとろけていたようだ。

JUGEMテーマ:日記・一般
mojabieda * 日記 * 19:16 * comments(0) * trackbacks(0)

下の子のことば 9 など

 賤機山から静岡市街と富士山を望む

◯てんねんあけましておめでとう  元日の朝、お雑煮の食卓で開口一番「てんねんあけましておめでとう」と言う。根っからの「てんねん」かもしれない。ひさびさのヒットをかました。

◯まるみえこぞう  2日に初詣に行く。静岡市の浅間さん。安倍川を渡る手前で富士山がまるまる見える。それで「富士山が見えるよ」とわたしが言うと、「ほんとうだ、(富士山が)まるみえこぞうだ」と言う。「こぞうって何?」とたずねても、本人にもよく判らないみたい。おかしな語尾をくっつけているが、保育園児の強調語尾だろうか。

 今年も初詣は浅間さん(浅間神社)。いつもの年より道は込んでいなかった。天気もよく賤機山に登る。山頂から静岡市街が「まるみえこぞう」だった。

 山頂に静岡空襲のときの被害者を追悼する観音像が建つ。その横にその空襲を行ったB29爆撃機で墜落した搭乗員を追悼する碑が建っている。これらは地元の有志の方々が建立したもの。その手前には米国の関係者が2008年に寄贈した23名の搭乗員名を記銘した英語の銘板もある。

 それにしても思うのは、B29はどうして墜落したのだろうか。B29搭乗員数は1機で11名らしいから、墜落したのは2機だったようだ。英語の銘板には「killed」と記されていたが、敗戦濃い時期に迎撃する戦闘機もほとんどなかっただろうし(あったとしても高度がB29には届かないから迎撃できない)、高射砲による地上からの対空射撃などはるか上空を飛ぶB29にはまったく届かなかったはず。『静岡県の戦争遺跡を歩く』(静岡新聞社)を見ると「空中衝突した」とある。「killed(殺された)」と「空中衝突」(事故)とではまったく性格が違うように思うが、味方同士で空中衝突した事実をも関係者が「killed」と表現したのだとすれば、それは(敵・味方の別なく)戦争そのものによって「殺された」という意味なのだろうか。「軍功」とか「ぐんしん」とか「犠牲」などという美名で覆い隠そうとせず、(まっとうできたはずの人生を)「国家によるein sinnloser Kriegに駆り出されて、悔しくも中途で絶たれた」という思いをはっきりと伝えようとしたのだろうか。

 さてお正月はテレビにも読書にも縁がなくプラモデルづくりに終わりそう。上の子にはリモコンのロボットをつくった。プラモデルは指先が器用でないとつくれない。ボケ防止にはいいかもしれない。この平和な時代をいつまでも、と思う。

 今年もよろしくお願いします。

JUGEMテーマ:育児
mojabieda * 子育て * 09:53 * comments(0) * trackbacks(0)

久し振りにトランプを

 夕食はいつも年越しそばではなく年越しラーメン。正月用のビールは風呂上がりにとっておく。正月用にかろうじて蟹は買ったけれど、イクラはとりやめ。いくらなんでも高すぎるので。

 大掃除は風花舞う大晦日に終了。というか途中であきらめた。冷蔵庫の奥地とか雨樋の修理とかは、もういいにした。なまじ、徹底的に掃除をするから、目の前にほこりが見えたりすると気になったりする。

 久し振りにトランプを取り出す。下の保育園児に二桁の数字を理解させて「ダウト」をした。1年生の上の子はさいしょから「ごまかす」ことに習熟している。というか、最初から最後までうれしがってデタラメなカードを出している。デタラメでも通用すること、人の目をごまかすことがおもしろいらしい。だからカードを出すごとに、「ダウト」と言ってやると、すべて当たる。バカだなあと思う。人の裏の裏をかくことまではまだ思い至らないみたい。

 5歳の子のほうは、カードをひろげたり、後ろ向きになってコソコソしたりして、「(数字のカードが)ない・・・」と言いながら(どうしよう、という顔で)こちらを見ている。バレバレではないか。「でたらめな数字でもいいんだよ」と教えさとすと、ニヤニヤ照れ笑いしながらでたらめなカードを出す。「ダウト」と言ってやると、ひっくり返って泣いて怒る。ちょっといじわるかな。

 しかしこういう単純な時代が人生でいちばん良かったのだろう、ちょっとした遊びにも夢中になれるから。

 さて大晦日はとくに観るテレビ番組もないし、宝くじの当選番号を確認したらもう楽しみもなくなる。心残りはたくさんあるけれど、とりあえずビールがあればいいかな。

 とりあえずよいお年を。

JUGEMテーマ:育児
mojabieda * 子育て * 20:42 * comments(0) * trackbacks(0)

60過ぎてまた旬に

 テレビで岡林信康を観た。60歳を過ぎ21世紀になって今がまた旬になっている。かつて時代の先端を走っていたが、めぐりめぐって、また先端にいるようだ。いいなあと思う。中高年の希望の星。声もますます艶がでてきたような気がする。繊細な声になった。すごいなあと思う。「神さま」が人界に降りてきて、時代をまたリードしている。

 記憶にある「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」などの岡林信康は、若くしてひげもじゃもじゃの、ドロドロとしたエネルギーを発散する「教祖」のような風貌だった。その後のことはまったく知らない。いま、年を取った姿を見たらまったく別人のよう。穏やかな風貌の「普通」の人になっていた。フォークの神さまがスレンダーでしゃれたロマンスグレーの歌手に変貌していた。

 いまも現役バリバリだ。「あの時代(ころ)」がそのまま現役という、そういう人がいるだけで元気が湧いてくる。

JUGEMテーマ:音楽
mojabieda * 音楽 * 07:22 * comments(0) * trackbacks(0)

映画『宇宙戦艦ヤマト』とプラモデル

 以前夜中に放送していた『宇宙戦艦ヤマト』の再放送の録画を子どもたちに観せて以来、子どもたちは『宇宙戦艦ヤマト』に魅せられてしまったらしい。

 地元の映画館で『宇宙戦艦ヤマト 復活編』が上映されるという情報を子どもたちがどこかから得てしまったので観せに行かないわけにはゆかなくなった。

 わたしの子どものころ、東映の映画館が家の近くにあったため、(子守りとして)小さなころから戦争映画ばかり観せられつづけてきた。まあ、いいかと思って初日の12日に観に行く。

 その日、子どもたちは朝から宇宙戦艦ヤマトの歌を唄ってわくわくしていた。子どもたちは映画館にはじめて入る。宇宙戦艦ヤマトでも、かつてのイスカンダルをめざした松本零士の宇宙戦艦ヤマトではない。

 じっさいに映画を観てまずびっくりしたことがいくつか。

 一つは映画の冒頭のロゴ、一つは映画の最後のロゴ。

 冒頭のは「原案  石原◯太郎」とあった。うわさには聞いていたが、ほんとうだったのか。観なきゃよかったと思った。

 最後のは「・・・復活編  第1部」とあった。第2部があるのか!?小僧らがまた観に行きたがるぢゃないか、と思った。

 さらにいろいろ思ったこと。星間国家連合をたばね、力で抑えている敵の専制国家(星)をSUSと称しているけれど、なんとなく現在の「国際社会」をたばねているUSAを連想させる。敵の連合のなかで、その星だけがなぜかSUSとアルファベットになっている。

 さらにヤマトに積むミサイルのようなものの腹に「乾坤一擲(けんこんいってき)」などと記してある。なんだかなあと思った。

 内容は、ちょっとストーリーのつくりが雑なように感じたが・・・。敵はデスラーのような(同じニンゲンという古いタイプの)敵ではなかった。妖怪みたいなキッカイな敵。

 そのあと、あろうことか、わたしはプラモデルの宇宙戦艦ヤマトを買ってしまった。後日、接着剤などを購入して家で数時間かけて造った。プラモデルを作るのは小学校以来だった。子どもたちはその後、完全に「ヤマト症候群」に襲われて、(テレビで宣伝している)エンディングの曲を口ずさんだりしている。以前テレビで放映したのを録画した映画『男たちの大和』(DVDにしてある)をなんどもなんども観ている。戦争映画ばかり観せていいのだろうかと思う。

 といいながら、子どものころによく行ったプラモデル屋まで子どもたちと行って、戦艦大和のプラモデルまで買ってしまった。小学生のころ戦車のプラモデルばかり造っていたわたしは、思わずいっしょに1/48スケールのドイツ戦車のタイガー鵯初期生産型を買ってしまった。プラモデル屋に行くと、うちの保育園の小僧が、(外国の戦闘機なのに)「あっ、ゼロ戦がある!」とか、別の軍艦なのに「大和だ!」とか、「(日露戦争のときの旗艦だった)三笠はないの?」とか言う。「三笠」のプラモデルなどあろうはずがない(とはいえ、さいきんの司馬遼太郎原作のNHK番組の影響でまた有名になるかも)。こいつら数十年前のわたしのころの子どもみたいだ、と思った。いまはこういうプラモデルははやらないだろうな、と思った。

 それにしても、子どものころにあった戦車や戦艦のプラモデルなどいつでもどこでもあるものだと思っていた。しかし世の中はすっかり変わってしまったらしい。わたしが子どものころよく造ったドイツ戦車のプラモデルなどもうとっくに生産中止になってもいいような時代なのだろう。いまの子どもたちには売れそうもない。あのころの戦車は電池で動いた。壊れるまで遊んだ。いまは飾るだけみたい。

 いつでも変わらずにあるものだ、という思いが、年をとると、どんどん覆されていくのに気づかされる。ひどく大げさにいうと桑田変じて蒼海となる、というような思い。

JUGEMテーマ:映画
mojabieda * 映画 * 06:53 * comments(0) * trackbacks(0)
このページの先頭へ