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手元にヘッセの詩集がある。一冊は青春時代に買った文庫本、高橋健二訳(新潮文庫)。一冊はめぐりめぐって手に入れた図書館廃棄本の植村敏夫訳(旺文社文庫)。一冊は図書館(たぶん)廃棄本(昭和41年の印がある)のハードカバーの片山敏彦訳(みすず書房)。高橋健二・植村敏夫・片山敏彦という三者三様の訳。訳を比較するとずいぶん雰囲気が違う。
訳の比較ではなく、本の比較で、現在でも出版されていて安価で手に入れやすいのは高橋健二訳。あとのものは古本屋で探すしかない。
図書館廃棄本の植村訳だが、詩の一つ一つに訳者の注釈があり、詩についてより知ることができるのはありがたい。たとえば「春」という詩。注釈に「この詩はリヒアルト・シュトラウスによって作曲されている」とある。聞いてみたいと思った。そういう本だから貴重なのだが、なんと図書館廃棄ということで、本に押したいくつかの図書館の印や番号の一つ一つを赤いマジックで塗りつぶしてある。その数は6カ所あった。中には大きく×をつけているところもあり裏側ににじんでいる。しかし見逃した印や番号はまだ2ヶ所あった。図書館から除籍された本ではあっても、そのまま「ゴミ」箱に入れられて焼却されるわけではないだろう。逆にそのまま焼却される本なら、そのような作業は必要ない。除籍された本が人手に渡っていくから、わざわざ印を消して除籍したことを記したのだろう。
しかし赤いマジックはどうだろう。それよりも「除籍」という印をつくって、どこか一カ所にうてばよかったのではないか。ある市の除籍本などは表紙にシールが貼っているだけだ(はがそうと思えば剥がれる)。その方が労力が省かれるし、それで充分ではないか、と思う。
ある人にとって、その除籍本が宝になるかもしれない。
『うわの空──ドイツその日暮らし』(上野千鶴子/朝日文庫)読了。
電車の中で読んでしまった。ちょっと昔の、東西ドイツ統一のころの話だが、いつもの小気味のよい「ウエノ節」。東西統一のころの、過渡期の時代のドイツに飛び込み、時代の証言者となりながら、生きた時代のドイツをいつもの切り口で斬り、返す刀で当時の日本も斬る。
心に残るのは、ここだけ他の文章とは異質な「ひとつの『治癒』」の章。他の文章はまあいつものダイナミックな調子なのに対して、ここだけ違う印象。霜山徳爾が出てくる。ちょっと引用すると──
「霜山さんの謐(しず)かな〈叡智〉が照らす灯りが遠くの闇のなかに見えるので(彼はそれを自灯明と呼ぶ)、かれと同じ道は歩けないけれど、わたしもまた闇の波頭をただよっていられる、と日本を遠く離れた地で、かれはわたしにひとつの「治癒」をもたらしたのだった。」(p153)
昨年亡くなった霜山徳爾の『素足の心理療法』が言及されているけれど、未見。いずれじっくり読んでみたいと思う。
『ギリシア エーゲ海紀行』はふつうの旅の紀行文ではなく、アテネのケラメイコス(陶工区だったところらしい墓地)や墓碑について触れているところが、他の紀行文とはひと味違う。アオイドス(古代の楽人)らしい人の姿が彫られている墓碑を見て、それを連れの考古学者に著者がたずねると「アイドス(彼はこう発音した)のことですね」と答える場面がある。このアイドスで連想するのは古代ギリシア語の「アイドース」という語だ。澤柳大五郎の『ヘゲソの鼻』のなかにこうある。
「この少女の墓碑に細字16頁の解釈を献げたルートヴィッヒ クルツィウスは、アイドオスといふ現代欧語にも、まして日本語には到底訳しきれないギリシア語(恥、辱、羞、控へ目、丁寧、慇懃、礼譲、礼節、慎ましさ、鄭重、畏敬、等々、どれもぴたりとは行かないだらう)でこの少女の本性を頌してゐる。」(『ヘゲソの鼻』澤柳大五郎/みすず書房p89)
考古学者はもしかしたら「アオイドス」ではなく、この「アイドース」のことを言っていたのかもしれない、などと想像してみた。
さて、古代ギリシャの墓碑については、リルケの『ドゥイノの悲歌』に出てくる。リルケの詩は澤柳が引用している「アイドース」ということばに通うものがあるような気がする。
「おんみらはアッティカの墓標に刻まれた人間の姿態のつつしみに/驚歎したことはなかったか。そこでは愛と別離とは、/わたしたちのばあいとは別の素材で出来ているように、/かるやかに夫婦(めお)二人の肩の上に載せられているではないか。想起したまえ、あの二人の手を。/いずれの体躯も力にみちたものでありながら、いかにその手は強圧のけはいなくそっとたがいの上におかれているかを。/自己を制御していたひとびとは、この姿態によって知っていたのだ、これがわれら人間のなしうる限度であることを、/そのようにそっと触れあうことそのことがわれら人間のさだめであることを。」(『ドゥイノの悲歌』第二の悲歌/手塚富雄/岩波文庫p21)
ケラメイコスという場所を知ったのは、ついさいきんジャック・デリダの『留まれ、アテネ』(みすず書房)を立ち読みしてからだ(立ち読みしたのは値段が高いから。数年たって古本になってから買おうと思う)。この本に出てくるケラメイコスや墓標やアッタロスのストア(柱廊)の白黒写真などを見てなぜか「はっ」とした。いつかそこを訪れてみたいと思った。
ところで『ギリシア エーゲ海紀行』は神話の風土やギリシャ悲劇にも触れていておもしろい。有名だが読んだことがないエウリピデスの悲劇の王女メディアとアルゴー船の神話(アルゴナウティカ)とがひと続きのものであることを知った。この本は一般的な旅行案内書ではなく、著者の関心のある分野で、さまざまな角度から古代と現代のギリシャを切り取っている。
『深く「読む」技術』(今野雅方/ちくま学芸文庫)を一気に読んでしまう。一気に読まないと頭がついてゆかない。というよりむしろ書いてあることの半分以上分からないがなぜかどんどん惹かれて読み進んでしまう。
引用されている文章は内田樹、須賀敦子、色川大吉、竹内敏晴など。一語にこだわり、その解説だけで数十ページにも及ぶ。
このような文章に出会ったことがない。読むことが「自分で考えること」であり、自分で考えなければ読んだことにはならない、というしごく当たり前なことを思い起こさせる。ぐいぐいと引き寄せられて読んでいくが、それはちょうど、推理小説でさまざまな展開に引き込まれていくような感じ。そうして推理小説なら、最後あたりに犯人を明らかにしてつじつまが合うように説明してくれるが、この本では犯人(答え)は、全部を読んで自分で考えなさいという感じ。
文章の語句や一語に厳密に迫り、丹念にそれをたどっていくだけでなく、どこか読者には見えない「大伽藍」があって、そこから著者はことばを紡いでいるような感じで、どこからこのことばが出てくるのだろうという感想を持つばかりだ。もちろんじぶんが使っている一語にも厳密に迫り、定義づけしているから、大伽藍でいえばその窮隆(ヴォールト)部分から全体を眺め直して見るしかないのかもしれない。
もともとは分厚かった文章を縮めたものらしい。だからことばが凝縮されていて、一回読むだけでは何がなんだかよく分からない。じっさい象をその足で評しているような感想しかかけない。大伽藍に入る手前の入口の文様に見とれているような感じ。もう1度じっくり読んでみたい。
著者の評する須賀敦子の『トリエステの坂道』はわたしがさいしょに読んだ須賀敦子で印象が深い。その文章について記された箇所を読むだけでも十二分におもしろい。
それから思ったのは、著者はじぶんのこの『深く「読む」技術』という文章を、じぶんで『深く「読む」』ということをしながら書いているのだろうということ。そうしてある作家の文章を深く読む著者の文章を、読者が著者のように深く読むことを想定しながら書いているのだろうということ。でもわたしをふくめてたいていの人は 読む「素人」なのではないだろうか。
地中海が磯くさくない、というのを何で読んだのか、必死になって探してみたら、見つかった。探すときに、いろいろ考えた。
いつごろ読んだのか(さいきん。たぶん1ヶ月内外・・・結局4月11日読了だった)。著者は男か女か(なんとなく男のような気がした)。なんの本か(歴史解説か神話紀行か旅行記か──旅行記と見当をつけた)など。見つかったけれど、細かなところにひっかかってしまった。どうでもいいことなんだけれど。
◯ 地中海/磯くささがない 『エーゲ海の頂に立つ』(真保裕一/集英社文庫)
海辺の道を歩いているのに、ちっとも潮の香りがしてこない。日本だと、磯くささが鼻を突く浜辺である。/「なぜだと思います」/田井さんに問われて、私は崖を背負った浜辺をあらためて見回した。/まず気づくのは、日本の海と違って浜辺の見た目が綺麗なことだ。ゴミや漂流物が見当たらないのではない。日本の浜辺には、まずおおかた打ち上げられた海草がそこかしこに落ちている。波打ち際の岩場にはフジツボや海草が付着している。それらが、まったく見当たらないのだ。/「そのとおり。つまり海草がないってことは?」/「石灰岩の地質が何か関係しているとか・・・」/自信なく口にしたが正解とは言えなかった。/その答えは、海中にプランクトンが少ないため、だという。/言われても、すぐには頷けなかった。確かにプランクトンが少なければ、海草やフジツボも育ちにくい。ということは、日本はたまたま黒潮と親潮という暖寒ふたつの潮流が近くを流れているため、恵まれた環境にあるのだろうか。/確かにクレタは石灰岩の地層なので、雨水とともに海へそそぐ土壌に栄養分が少なく、島の周囲はプランクトンの繁殖に適した環境とはいいにくい。/実はもう一点、大きな理由があるというのだ。/「世界地図を思い浮かべてください。地中海は閉じた海なんです」/言われて、あっと声を上げそうになった。/地中海は、文字どおり大地の中の海だった。スペインとモロッコにはさまれたジブラルタル海峡で、かろうじて大西洋とつなかってはいる。だが、北をヨーロッパ大陸、南をアフリカ大陸、そして東をアジアの大地によって囲まれているのだ。/世界の海はつながっている、という常識に縛られ、地中海という言葉の意味をすっかり失念していた。/四方を陸地に囲われた地中海では、大西洋との水の混ざり合いが少なく、塩分濃度がやや高くなっているのだという。/あらゆる生物の故郷は海である。人間の血液の塩分濃度は、海に近いと言われている。ほかの動物たちも同じで、海の塩分濃度と生物の営みは切っても切れない関係にある。/ところが、地中海はジブラルタルという極めて狭い海峡でのみ大西洋とつなかっているだけだ。閉ざされたような状況になってからの長い歳月によって、ほんのわずかながら大海との塩分濃度に差が出てきた。浸透圧によって塩分の影響を受けやすいプランクトンには、生きにくい環境とになっていたのである。/日本の浜辺で嗅ぎなれた磯くささは、プランクトンの死骸が発生源だという。クレタの海では、さらに地中海性気候もあって、最も水分の蒸発しやすい夏には乾いた天候が続き、ただでさえ薄い潮の香りも強くなりようがない。・・・・・このプランクトンの少なさは、海の色とも関係しているのだろうか。・・・・・打ち寄せる波の下に、海水を透かしてコバルト・グリーンに染まった岩々が見える。沖へ向かうにしたがい、その色が深みを帯びて藍色から群青色へと変わっていく。絵はがきにでも残しておきたいような色の海が広がっている。/プランクトンの少ない海は透明度が高いので、光の屈折率を鮮やかに操り、海を緑色に変える技を持っているのだとしか思えなかった。p160-163
ということで、「なぜ磯くささがないのか・海草が少ないのか」の原因を著者が同行者から2点教えられる場面が出てくる。1点はプランクトンが少ないこと。2点は塩分濃度が大海よりやや高いこと。さらにこれら2つの点がつながっていることも同行者から示唆されたようだ。その塩分濃度の高さも地中海が「閉じた海」だから、ということを同行者から指摘される。
とはいえ、わたしはまったく知識がないので思うのだが、「閉じた海」だと、どうして塩分濃度が高くなるのだろう。ちょっと調べるとおなじような「閉じた海」である黒海は逆に濃度がかなり薄いらしい。こんどはプランクトンが豊富でそのため「黒く」見えるのだという。おそらく魚介類も豊富なのだろう。おなじ「閉じた海」(出口が一箇所)なのに、どうして地中海と黒海では違いが生まれるのか。そのあたりを少し調べてみると、黒海はもともと「湖」だったらしい。さらに、エーゲ海の海水が「湖」だった黒海へ「決壊」して押し寄せたのが「ノアの洪水」伝説などに残っている、という話もあるようだ。
それはそれとしても、もと「湖」らしい濃度の薄い黒海と海水を出入りさせているのだから地中海は大海よりも濃度が薄くなるのではないだろうか、など、いろいろなことを考えたりする。
どうしても思い出せない。ある本にこんなことが書かれていたように記憶する。
地中海はわれわれの知っている海とは印象が違うらしい。まず海が澄んでいるし磯臭さがないという。岸に打ち寄せられる海草も少ないらしい。そのことに気づいた筆者が、ふと、地中海が外の海からずいぶん離れ閉ざされていることから、たぶん塩分濃度が違うのだろうと推測する。実際塩分は濃いらしい。それでプランクトンが少なく、海草も少なくなるという。磯臭さの発生源はプランクトンの死骸の由。そんな話だった。
その本がどうしても思い出せない。メモしておけばよかった。
とはいえ、どうでもいい雑学はメモしている。
◯ ジーンズ/ジェノバ(須賀敦子『霧のむこうに住みたい』(ジェノワという町)──近年、海運がむかしほどさかんでなくなって、すこしさびれたという人もあるけれど、ブルージーンズは、ジェノワのフランス語読み、ジェーヌが語源で、「ジェノワ綿布」を意味し、むかし、ジェノワからアメリカに輸出された木綿地だった・・・p81。
◯ レスビアン/レスボス島(楠見千鶴子『ギリシャ神話の旅』)──レスボス島は、今日ウーマン・リヴの島として西欧世界ではよく知られている。現に真夏、8月の満月の夜に、島の古城では世界中から集まった女たちが大会を開く。それはおそらく、紀元前7世紀の女流詩人、サッポーが島に残した伝統によるものではないだろうか。偉大な抒情詩人であったばかりでなく、彼女自身一女の母でもあり、島の子女を集めてその教育に身を捧げた。女性の地位が極めて低かった古代ギリシァで、サッポーゆえにこの島は画期的、先進的な島となった。半面、熱心さの度がすぎ、その情熱は「レスビアン」の名の起こりを島にもたらした・・・。p54-55
◯ 名人(囲碁)/織田信長 『野垂れ死に』(藤沢秀行) ──「名人」という名称は、そもそも信長に由来する、とされていることをご存知だろうか。戦国時代末期、京都・寂光寺の塔頭の一つ「本因坊」に、日海という僧侶が住んでいた。この人が、とんでもなく強い打ち手で、「これからお前を名人と呼ぶことにする」という信長の鶴の一声によって、名人と言われた。これが碁界の「名人」の始まりなのである。p116-117
◯ タオルミナ/「太陽がいっぱい」で金持ち青年が行こうとするところ(辻 邦生『美しい夏の行方』) ──ルネ・クレマンの名作『太陽がいっぱい』の1シーン──郵便局で大金をおろしたモーリス・ロネの演じる金持の青年が、「どこに行くのですか」という郵便局員アラン・ドロンの質問に「タオルミナ!」と叫ぶ・・・。p186-187。
◯ キャンディ/クレタ島(『迷宮に死者は住む』(ヴンダーリヒ/新潮社))──ローマ法皇がカンディア(クレタ島のイラクリオン)司教区の(トルコによる)喪失を大いに嘆いたことが報告されている。重要な通商関係の喪失は、ヴェネチアにとって、それにも劣らず嘆かわしいことであったろう。クレタ島は古代にもう、ぶどう酒、オリーブ油、蜂蜜の産出で知られていたのである。クレタに産する他の甘味とともに、カンディス砂糖すなわち氷砂糖は、さとうきび、ないしはビート糖が普及するまで、ヨーロッパでは大いに珍重され、カンディス、キャンディという名前は今日なおカンディアという町と島の名(イタリア語ではクレタをカンディアという)を思い出させるほどである。p24。
「カフェの開店準備」(『屋上への誘惑』岩波書店)を読みました。
はじめにこの文章を読んで感じたことは、著者の小池さんの感覚の独特な鋭さでした。
ある朝のカフェの開店準備の様子をガラス越しに見ていたときに気づいたことから、どんどん思考が深まっていくのですが、その契機となった場面が次のように描かれています。
「窓を磨いて、窓の桟を吹く。額縁のほこりを払い、各テーブルに、砂糖壺を置いていく・・・むだがなく、やり慣れた事がらを次々こなしているといった印象です」。ここまでの描写はごくふつうの人の感覚で、そのまま見過ごしてしまうような情景だと思います。しかし、この先が非常に鋭いと思いました。続きはこうです。
「でも、どこかこの繰り返しに、耐えがたいというような抵抗感と、かすかなあきらめも感じられます」。
ここを読んで、若い女性の動作を細やかに観察しながら、その人の内面のどこか深い部分まで見通しているような感覚の鋭さを感じました。
明るい朝の、なにか新鮮な情景、光が満ちあふれたような清潔な店内、そんな情景の中に、かすかな「陰」のようなものを感じる鋭さ。これは小池さんの持つ独特な鋭い感覚なのではないかと思います。
さらに話がすすみ、カフェの開店準備の話からどんどん離れてしまい、人間の生のありようにまで話が拡大していきます。カフェの開店準備の動作の描写が非常に具体的なのに対して、対照的にこの部分はひどく抽象的で分かりにくいところでもあります。たとえば、
「別の言い方をすれば、未来も過去もなく、あるのは現在だけ。その現在という一点に、生も死も、何もかもがある」。
この部分だけを読むと、何か宗教書でも読むような、あるいは哲学書でも読むような難しさを感じました。カフェの開店準備の話とはまったく次元がかけ離れたような問題のような気がしたからです。小池さんの心のなかに、まずここに出てくるような哲学的、人生論的な問題意識がつねにあって、そこからカフェで働く若い女性の行為をながめていたのではないか、とも思いました。
特にその中でも「現在という一点に、生も死も、何もかもがある」という記述。そこからいくつかのことを考えました。たとえば、一つ考えることは、生というのは「いま」という時間の中でのみ成り立つ現象である以上、「きのう」も「あした」も、じつは何もないのだ、という時間の捉え方です。何にたとえたらよいか分かりませんが、海の波のようなものを考えると、波は海面のある一部だけが盛り上がったものです。そうして移動していく。海面が時間の総体だとすれば、その中でいま波が起こっている、その状態が「いま」という現在の一点を表すものと考えられます。そして、そこにのみ、生という現象が起こっている。波が起きていない他の海面は過去または未来ですが、波が起きていない以上、そこに「生」もない。そして「わたし」はいない。
そういう理解でよいのかどうかは分かりませんが、そんな意味に受け取りました。
さらにもう一つ、「現在という一点に・・・死も・・・ある」というのはどういうことでしょうか。死も「いま」という一点で起こるということでしょうか。
もしこのような捉え方だとしたら、なるほど、それは非常に新鮮な捉え方だ、と思いました。生に過去も未来もないように、死にもまた未来も過去もない、そう考えると、ふしぎな感覚に襲われます。つまり、死とは「いま」の消滅に外ならないのではないだろうか、という感覚です。そうして生とは「いま」そのもの。過去や未来は死と同じ。生を記憶する、残すとは「いま」を記憶し、残すこと。それは原理的に不可能。だからその痕跡のみを残すだけ。いわゆる「名残」というものでしょう。
それはともかく、このように、人が生きているというのは「いま」だと考えれば、過去を思い悩んだり、未来を不安に思ったりすることはあまり意味がないのかな、と思えます。人が悩むのは、たいてい過去や未来にかかわっています。苦しむのは「いま」を耐えるということだけでなくて、耐えることがこれからも続くという「未来」の重さのために苦しみを感じたりするのではないでしょうか。あるいは、「過去」のことをいつまでもひきずっているために苦々しさを感じたりするのではないでしょうか。だから、過去も未来もない、と断言できうれば、それだけでも救われるような気がします。そして「いま」だけに集中して生きればいい、と思い切ることで、居直って?生きられればいいなと思います。そういえば明日のことを思い煩うな、というのは新約聖書にもありました。
とはいえ、そう考える一方で、何か反論のようなものも浮かんできます。というのは「いま」だけに集中することによって、未来に対する広い視野も展望も持てなくなってしまうのではないか、という疑問が生じるからです。たしかに「いま」を充実させ、「常に喜びを発見する」というのはたいへんすばらしいことだし、それは「行為を習慣化」させないことになるかもしれません。しかし、それだけでいいのだろうか、という思いもします。人は未来に希望を感じたり、過去を振り返ったりして、そこから現在を生きる力を得たりすることもあるのではないでしょうか。未来のために現在を苦しむということも、ある程度必要なのではないでしょうか、と思うこともあります。
小池さんが一番言いたいことは、たぶん平凡な日常、平凡な日々の細部をどう積み重ねていったらいいのか、という課題でしょう。なされるそばから消えていく日常を人は積み重ねています。そうして、それらほとんど日の当たらない「陰」だけで構成される日常のくりかえしを、どのように人は生きたらいいのでしょうか。「しぶとい挑戦」を受けているだと小池さんは記していますが、昔のテレビゲームのように、こなしてもこなしても「敵」がつねに襲いかかってくるのを、ひたすら撃ち落としてゆくくりかえし、のような日常。「光」「陰」の区別なく、人はひたすらそれらに挑みつづけなければならない、生とはそれ以外にはない、という覚悟を迫られるような文章でした。
「子どもの本・九条の会」2周年イベント5日〜8日のご案内
──戦争と平和をめぐる子どもの本展──
◯5月5日(水)〜8日(金) 午後1時〜5時
◯場所:オリンピックセンターセンター棟 506・507号室
戦争と平和をめぐる本の展示を行います。 開催期間中、下記のイベントが決まっています。 この他にも、参加ご協力を申し出てくださった方は、ご自分のご都合のいいお時間にお越しになり、読み聞かせなど、どうぞドシドシお願いいたします。作家の方もどうぞ本を持ってご参加ください。 スケジュールは若干前後することがございます。
くわしくはこちらのホームページ「子どもの本・九条の会」をご覧ください。◆5月5日(水)
午後1時 平田景さん(絵本作家)による絵本読み聞かせ
午後1時半 高橋うらら・カンボジアの子どもたちの地雷被害報告
午後2時 西山利佳(評論家)と濱野京子(作家)が語る「児童文学者は社会にどうコミットするか」
午後3時〜作家たちが自作を語る会(何人作家が来てくれるかな?)
◆5月6日(木)
午後2時 坂本のこさん(作家)による「ビスケットと少年」朗読とスーダンのお話
◆5月7日(金)
午後2時 田畑精一さん(絵本作家)による朗読とお話「子どものころ戦争があった」
◆5月8日(土)
午後1時半 高橋うらら・カンボジアの子どもたちの地雷被害報告
午後2時 東京の被爆者団体の方によるお話
午後3時〜作家たちが自作を語る会(何人作家が来てくれるかな?PART2)
会議のため東京へ。電車の中で『エーゲ海の頂に立つ』(真保裕一/集英社文庫)読了。
この本はエーゲ海に浮かぶ名だたる古代文明の島・クレタ島の山々をトレッキングした紀行文。それと素朴でゆったりとしたクレタ島の人々の暮らしにも触れている。
古代文明ともトレッキングともほとんど関係のない以下の2ヶ所が気になった。
◯イラクリオンの裏町を歩いて気づいたのは、建設中の家や建物が多かったことだ。一階は完成ずみで住人がすでに生活している。二階にはコンクリートの柱だけが立っていたり、壁が作りかけのまま放置されていたりする。・・・この国では、時間の流れ方がゆるやかなのだという。・・・家は自分たちの世代だけのものではない。いつか子供たちが二階を整え、孫が壁を塗り直し、そのまた子供たちが庭を飾っていってくれればいい。自分は未来につながる土壌を踏み固めるだけでも、役割を果たしたことになる。p38-p40
対照的なのが日本。
◯採算を明らかに無視した日本の公共事業は、世界の非常識以外の何ものでもない。/先進七カ国の中で、日本の公共事業費は他の六カ国の総合計より30パーセント近くも多い、という統計すらある。国土面積で比較すると、その金額は六カ国の平均値の、驚くなかれ80倍にもなる。p156
この辺を読むと、クレタ島のトレッキングの話もふっとぶ。
この前富士山静岡空港を見に行った。茶畑や林が切り開かれていちめんのハゲ山のようになっていた。もう未来永劫に元の姿にはもどれないだろうな、と思った。
東京からの帰り道、四ッ谷で花見をしながら散歩した。桜ももう散ってしまう。
ひろさちやの『「狂い」のすすめ』読了。たぶん著者の念頭にあるのは福沢諭吉の『学問のすすめ』ではないかと思う。それをパロって『狂いのすすめ』だろうか。首尾一貫しているのは仏教者としての「出世間」。出世とは正反対の出「世間」。あるいは脱人生というか。
まず印象的なのは「弱者の自覚」を持てというところ。◯以下は引用。
◯ 強者にとっては世の中が味方になってくれます(から)・・・。
◯ 世間は弱者の味方はしてくれません。
◯ 強者に対しては、世間のほうが遠慮してくれます。強者を叩くなんてことはしない。/考えてみれば世間を維持しているのが強者です。いや、世間の甘い汁を吸って生きているのが強者であって、その甘い汁を吸っている連中の集合体を名づけて「世間」と読んでいるわけですから、世間イコール強者なんです。だから、世間は強者を叩かない。/叩かれるのは弱者です。そして、弱者は甘い汁を吸われる。
◯弱者は自分の思想・哲学を持っていません。持っていないのではなしに、正確にいえば持ってはいけないとされているのです。持つことを禁じられています。弱者が独自の思想・哲学を持てば、強者は甘い汁を吸えなくなり、利益が激減するから困るのです。・・・・一見、弱者が思想を持っているかのように思えることがあります。でも、それは思想ではありません。それは─常識─なんです。・・・赤提灯で得々として語っているサラリーマンおやじ・・・・・「まともな意見」に逆らう奴を、「なんて非常識な奴なんだ、おまえは・・・!?」と、蔑みの目で見ます。じつは、その人は奴隷でしかないのですよ。世間の奴隷、常識の奴隷になっているのです。/困るんです。この奴隷になった連中が。奴隷は、自分が弱者のくせに、ちっとも弱者と思っていません。権力者の太鼓持ちのくせに、自分が権力の一端を握っていると考えている。虎の威を借る狐です。・・・自分を弱者だと自覚した人は、まず第一に世間を信用しなくなります。世間に踊らされることはなくなるのです。
◯ともかく、世間を信用してはいけません。世間の常識は、世間そのものにとって都合のいいものを一般大衆に押し付けているだけのことです。
◯「自由」という言葉、いろんな意味に使われますが、ここでは「自分に由る」という意味です。・・・自由人は世間に楯突いている人間です。
さらに「狂者の自覚」を述べる。
◯「狂っているのは世間のほうですよ。世の中が狂っているのです。その狂った世の中にあって、わたしが『狂者の自覚』を持てば、わたしはまともになるのです。
また「人生は無意味」とも。
◯わたし自身が「人生の危機」といった言葉で、病気をしたり、会社を首になったり、大学受験に失敗したり、破産をするといったようなことを考えたのです。たぶん、ほとんどの人がそう考えるでしょう。でも、それらは「生活の危機」であって、「人生の危機」ではありません。
◯世の中の役に立つ人間になろうとする、その卑屈な意識がいけません。・・・わたしたちが「生き甲斐」を持とうとしたとき、わたしたちは世間の奴隷にされてしまうのです。・・・世間のほうからいえば、おまえたちは世の中で生かしてもらっているのだから、世の中に恩返しをしないといけない。そのために「生き甲斐」を持って生きなさい──と命令口調で言います。つまり、世間はわたしたちに「生き甲斐」を押し付けます。それに騙されてはいけません。
◯われわれはちゃんと税金を払っています。税金を払うことによって、共同体からの恩恵に対する個人の義務は完了しています。税金をまともに払っているわれわれが、脱税ばかりしている政治家にとやかく言われることはありません。わたしたちは世間、世の中の役に立つ人間になる必要はありません。いや、わざわざわれわれが世の中の役に立つ人間になろうとしないでも、人間は生きているだけで世の中の役に立っているのです。たとえば、われわれが病気をします。すると医師や薬剤師が儲かる。・・・
◯大部分の人間は、世間から押し付けられた「生き甲斐」を後生大事に守っています。その結果、会社人間になり、仕事人間になり、奴隷根性丸出しで生きています。そして挙句の果ては世間に裏切られて、会社をリストラされ、あるいは病気になって働けなくなり、それを「人生の危機」だと言っては騒いでいます。おかしいですよ。それは奴隷が遭遇する「生活の危機」でしかないのです。本当の「人生の危機」は、あなたが世間から「生き甲斐」を押し付けられたときなんです。
◯そして、わたしたちはついでに生きているのです。/意味のない人生だからこそ、わたしたちは生まれてきたついでにのんびりと自由に生きられる。
世の中の役立つ人間になろうとするな、生き甲斐を持とうとするな、という「逆説」的な教えはカゲキだ。さらに「希望や理想を持つな」「未来を願うな」、病気になれば病気のまま生きればいいと。ここまでいくと悟りみたいな達観になるのかもしれない。病気と闘うな、未来を決める権利は人にはない、病気と仲よく生きるだけだ、老・病・死を敵視ししない、自分と仲よくするためには老・病・死とも仲よくしなければならないと。
このような達観とともにあるのは何かというと「孤独」に対する向き合い方があるようだ。「孤独に生きる」のではなく「孤独を生きなければならない」と述べる。しかし人間の精神の存在が本質的に孤独であっても肉体的には孤独では生きられない。それで「ご縁」の世界をつくっているという。
ここでうなぎの稚魚の話が出てくる。空輸して運ばれるとき生き残るのは1、2割。そこへ稚魚を餌として生きるナマズを稚魚の中へ入れてやると、2割はそれに食べられてしまうが、8割は生き残るという。敵がいるおかげで長生きできるというのが「ご縁」の世界ということ。ここを牽強付会に引用して人間にはストレスや逆境が必要だと説教する人々もいるが、ひろさちやはそういうことを言おうとしているわけではない。
あえて言えば、8割生き残った「勝者」のうなぎも結局食用として人に食べられるだけなのだ。さらにナマズに食われて息絶える2割の「弱者」の稚魚がじぶんかもしれない。
うなぎの稚魚の話でひろさちやが言いたいのは、じぶんが「迷惑だ」と思う相手を否定・排斥するな、という教えだ。「迷惑だ」と思うものも受け容れなければならない。しかしそれはストレスになる。それでこれを述べる前に「人を裁くな」と述べる。
「縁もゆかりもない人間に向かって正しいことを言えば、ぶん殴られる危険」がある。「縁もゆかりもある人間に向かって正しいことを言えば、あなたは憎まれる危険」がある。「正しいことは言わずにおきましょう」という。ひろさちやはここで「正しい」という判断はどこから来るのかということを問題にしているのだろう。相手をこちらが勝手に判断している危険があるということだ(相手もこちらから言われなくても分かっているとも)。人は(手前勝手な)「ゴム紐のものさし」で他者を測っているという。伸びたり縮んだりするものさし。だから「目盛りのないものさし」を持て、という。つまり人を裁くなということだろう。もちろんここには「世間のものさし」などに騙されるなということも含まれる。
人はたまたまこの世にやってきた「客」にすぎない。他者も「相客」にすぎない。相身互い。あるいは世界劇場で神からシナリオを与えられた役者にすぎない。劇の意味は人にははじめから分からない。そういう意味では人も犬も猫も、アリもたんぼぼも同じということだろうか。与えられた役を演じる(つまり与えられた命を生きる)ということが「遊び(プレイ)」であって、まじめに力をこめて演技するのではなく、力まず、のびのびと「遊ぶ」のだという。この「遊び」の境地に達するのは容易なことではないだろう。
なるほどと思うところもある。こんなふうになかなか簡単には割り切れないが、読んでいると、肩の力が抜けていくのを感じる。『老子』には「報恨以徳」とか、聖書には『左の頬も差し出せ』とかあるが、そういうことにも通じるものを感じる。ささやかな人間関係づくりのハウツー的なものと、おそろしく深い世界観とがまぜごはんになっているところがおもしろい。