mojabieda Blog
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シュタイナーの『神秘学概論』学習会
2008.07.29 Tuesday
7月27日(日)に静岡市「あざれあ」で西川隆範氏を招き、ルドルフ・シュタイナーの『神秘学概論』を読んだ。イザラ書房の本でいうとp115からp152まで。
わたしがいちばん印象に残ったのは以下の箇所。
「精神科学が伝える超感覚的な事実によって、人生は論理的に理解可能なものとなる」(p127)。
ここまでは「わたし」の輪廻転生にかかわるような「生まれ変わり」の話が続くが、p135からいきなり「宇宙の進化と人間」の話になる。
どうしてそうなるのか。
ここでの「人生」は「Das Leben」。日本語で人生というと「我が生」という意味に受け取られる。ドイツ語でながめると(しかもシュタイナーが述べると)つきはなされた抽象名詞になる気がする。ダス・レーベンは人生のほか、生命、生涯、暮らし、活気という意味もある。
我が生ということだけでなく、「我が生」をつきはなして、人間すべての生、あるいは生きとし生けるものすべての生、あるいは(神も天使も悪魔もふくめた)すべての存在の生という意味にもなるのかもしれない。あるいは「存在」と呼び換えてもいいのではないか、とさえ思いながら、つらつらと「Das Leben」をながめてしまう。
わたしはいつも「我が生」にこだわる。しかし一方で、「我が生」にどうしてそれほどまでこだわるのか、と思うときもある。西川隆範氏は、いつまで人間(わたし)は輪廻転生をつづけるのかという参加者の質問に、人間としての課題が終わるまで、みたいな答え方をした。その人間としての課題とは何か。
さらに、ではその課題を果たしてしまったあとはどうなるのだろう、とふと思った。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の巻頭につぎのようなタルムードのことばがある。
「もしわたしが、わたしのために存在しているのではないとすれば
だれがわたしのために存在するのであろうか
もしわたしが、ただわたしのためにだけ存在するのであれば
わたしはなにものであろうか」
このタルムードの前半のことばは、「わたし」が唯一絶対無二の存在であることを表している。
後半のことばは、わたしがわたしのためだけに存在するのであればいったいわたしとは何者なのか、まったく意味のない存在になってしまうのではないか、ということを表しているようだ。この宇宙でただ一人わたしが存在してみたところで、いったいなんの意味があろうか、という恐ろしい問い。
タルムードのこのことばの前半と後半の間にある(永遠の)溝?はどのように埋まるのか。これがDas Lebenの最大のなぞだ。
ドイツ・フランス文学者の片山敏彦は『雲の旅』(みすず書房)のなかで次のように述べている。
「我に徹しようとすると我を超えるほかはないということは、我の形而上学的規定が愛であるからである」
ここまで言い切れる自信はわたしにはまったくないが、いつも心にもやもやしたものが残る。
で、シュタイナーの『神秘学概論』では、「わたし」の輪廻でウダウダなどしてはいない。いっきに宇宙の進化へとんでいってしまう。
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聖杯の探求──西川氏とシュタイナー研究会
2007.03.08 Thursday
ちょっと前の記録です。
1月28日(日)に静岡市の「あざれあ」で西川隆範氏を招いて「シュタイナー研究会」がひらかれました。
テキストは『聖杯の探求──キリストと神霊世界』(ルドルフ・シュタイナー/西川隆範訳/イザラ書房)。
この本はむずかしいです。シュタイナーの思想をかなり勉強してないと、いきなりでは何がなんだか分からないと思います。それで西川氏の言うには、さいしょの「人智学によるキリスト認識」と「キリスト精神は宗教を越える」という2章は、いきなり聖杯の探求へ入る前の、いわば導入のような文章を付けたとの由。
西川氏の「解説・あとがき」も本書をフォローする上で詳しいです。
研究会は本書の読書会でもありながら、質疑の中でずいぶん話題が飛んでしまいました。それはそれでおもしろいのですが。
シュタイナーは聖杯の探求の前段階として「グノーシス」をとりあげています。
西川氏は「グノーシス(思想)」と「キリスト教グノーシス派」とを区別すべきといいます。初期キリスト教で異端とされたグノーシス派が形成される以前に、すでにグノーシス思想がありました。いわばキリスト教以前のもの。このグノーシスのことは『ユングとキリスト教』(湯浅泰雄/講談社学術文庫)にくわしいようです。
シュタイナーの人智学とグノーシス思想とは近いようですが、シュタイナーはすでに時代が違っているので異なるものだと言っているようです。
後期グノーシスの最も完成された形態は古代マニ教であり、このマニの生まれ変わりがシュタイナーによれば中世ヨーロッパの円卓の騎士・パルツィヴァル(ペルスヴェル)であるといいます。
つぎにシュタイナーは古代の女予言者たち「シビュラ」に言及します。地上の四大元素(風地火水)の力を受け取って無意識的に熱狂的に予言をするシビュラたち。パウロの布教がオリーブの樹が生えている地域で上手くいくのは、パウロが自然界から叡智を汲み出したからで、このシビュラのような予言者だったからのようです。
このような大地の元素から叡智を汲み出すのをやめたのがユダヤの(男性の、内省的、思索的)預言者たちであり、近代のキリスト教であると西川氏は言います。この近代のキリスト教がやがて西洋近代の科学主義を用意してゆくのですが、それについては本書の「キリスト精神は宗教を越える」に言及されています。
なお、ルネサンスのミケランジェロはユダヤの男性預言者たちと対比するようにこのシビュラの絵を描いています。
西川氏は本当の思考とは精神界に属するもので、物質界に入ってしまった思考は死んだ思考だといいます。このことは本書の「人智学によるキリスト認識」の中でも述べられています。
死んだ思考とは頭の中だけでの思考、つまり生命のないものしか思考できないという思考です。いわば出来上がったもののみの思考であり、その最たるものは物理学でしょうか。佐高信のことばを借りれば「ヒモノ」の思考でしょう。
それに対する本当の思考とは、成長するものの思考。感情や意志にかかわる動きのある思考、イメージ化できる思考、精神界について考える思考。いわば「ナマモノ」の思考でしょうか。
たとえば、世界を解釈して「世界はこうだ」「世界はこうなる」と考えるのは「ヒモノ」の思考であり、世界を解釈するのでなく、「世界を(よりよき方へ)変えよう」と考えるのが「ナマモノ」の思考です。
「世界を解釈するのではなく、大切なのはそれを変えることである」といったのはたしかマルクスだったか。なぜかマルクスとシュタイナーがつながる(というより無理やりつなげて考えるのがナマモノの思考?)。
この項つづく(予定・・・予定は予告なく変更される場合があります)。
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シュタイナー小学校とやらせ教基法
2006.12.21 Thursday
12月20日のアサヒ・コムによると、これまでシュタイナー教育のフリースクールはいろいろあったけれど、日本ではじめて「シュタイナー小学校」が「承認」されたようです。千葉県長南町。「あしたの国ルドルフ・シュタイナー学園小学校」(仮称)。2008年4月開校の予定。設立代表はシュタイナー教育の研究で知られる早稲田大名誉教授の子安美知子さん(73)。
とはいえ、お上(政府や官僚)から「承認」をもらわないと小学校もつくれないっていうのは何か解せないのですが。
(政府の思惑は)学校教育とは(市民のためではなく)国家のためにあるということなのでしょう。このまえトコロテン式に成立した「やらせ教育基本法」によって、「国家のための学校教育」が名実ともに法制化されたわけですが。
テストをせず、学力を点数化しないシュタイナー教育。シュタイナーは表象は前世から来ると主張したれっきとした神秘学者。
いいんですか?文科省は?
教育基本法を「やらせ教基法」に改変し、新保守主義(国家主義・国粋主義)教育へといまこそ邁進しようとするときに、それらとはまったく相容れない学校をつくっちゃっても。
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人間という過剰の是非
2006.11.18 Saturday
われわれに直接的に与えられているもの(世界に対する感覚的な認識)以上に、われわれが物事において(その本質を)探求しようとする過剰が、われわれの全存在を二つの部分に切り裂いてしまう。つまりわれわれはわれわれが世界に対立しているという意識を持つようになるのである。われわれはわれわれを(世界とは)独立した存在として世界に対置させる。(こうして)宇宙はわれわれにとって二つの対立として現れる。つまり自我と世界である。
われわれが世界とわれわれとの間の壁を立てるやいなや、われわれの心の中で意識が明確に立ち現れる。とはいえ、われわれはわれわれが世界に属しているという感情、われわれと世界とを結びつけている絆が存在するという感情、われわれは宇宙の外ではなく内にある存在だという感情を失うことはない。
この感情が、(自我と世界との)対立を橋渡ししようという(われわれの)希求を生み出す。そしてこの対立の橋渡しのなかに、最終的には人間の全精神的努力の本質がある。精神生活の歴史はわれわれと世界との融合へのあくことなき探求である。宗教、文化そして学問は同じように、この目的を追究している。
以上の文はルドルフ・シュタイナーの『自由の哲学』第二章のはじめころの文章で、読んでいて「美しい」と思ったので、訳してみた。
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シュタイナー学習会
2006.07.09 Sunday
7月9日。朝5時から起きて読書。『エーテル界へのキリストの出現』(シュタイナー/アルテ)。
今日の午後に西川隆範氏の学習会があるのでそのテキストをあらかじめ読了した。
「心貧しい者は幸いである。天国はかれらのものである」というマタイ福音書の意味が本書を読んでよく分かった。心貧しい者とは、もはや自我においてしか精神(聖霊)と出逢えなくなった者。その自我を通してしか天国(精神の世界)へ行くことができないということ。
西川氏によると、神道はもともと天界についてはあまり詳しくはないらしい。江戸時代にはあの世に言及する仏教に対抗してこの世の道徳を説く儒教を神道にも取り入れ、本居宣長などは死や死後については特に言及がないらしい。平田篤胤はしかしあの世のことを以下のように捉えているという。神界、霊界、幽界、現界。
仏教には無色界、色界、欲界があるという。
仏教でいう極楽というのはもともと仏教以外の概念で、インドの宇宙観とは違うらしい。
西洋では天界の概念はギリシア哲学とユダヤ教の二つの源流があり、それらがキリスト教の天界の概念をつくっているという。ギリシア哲学には二つの大きな宇宙観があり、一つはグノーシス神話、一つは新プラトン主義。グノーシス神話は30以上の神々によって宇宙(天国)が創造され、その後デミウルゴスがこの宇宙(悪の世界)を作りあげた。だからこの宇宙を否定して最初の宇宙に帰ることを希求する宇宙観。新プラトン主義はこれと構造は同じだが、この宇宙を悪とは規定していない。この二つの宇宙観がキリスト教に取り入れられたという。
ヘレニズム時代のプトレマイオスの宇宙観は黄道十二宮、土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月、地球という構造の宇宙観。これは中世のトマス・アクィナスやダンテの『神曲』にもひきつがれていく。シュタイナーも基本的に同じ宇宙観である。しかしシュタイナーも60代からはその区別がおおざっぱになってゆく。
シュタイナーによれば、この区別を、
1 月から太陽までで一区切りした。これを英語ではsoul worldという(ドイツ語ではSeele Weltか)。また、
2 火星から上をspirit land(ドイツ語ではGeist Landか)という。
中国(台湾も)では1を「心霊の世界」、2を「精神の国」と訳しているという。1はいわゆるアストラル界である。さらに1と2の上にも世界があるが省略。
2の「精神の国」の一番下の世界を「天国の陸地」と呼ぶらしい。いわゆる物質界の元になる世界だという。しかし「国」とか「Land」とか呼んでいるのは、陸地のイメージがあるからだという。それに対して1の「心霊の世界」にはまだ不安定な大海を漂うイメージがあるらしい。
シュタイナーによれば、現在はカリ・ユガ(暗黒時代)である。『マハーバーラタ』によるクリシュナの死の紀元前3101年から続いたカリ・ユガの最悪の5000年は1899年に終わったという。しかしあと40万年はこのカリ・ユガの時代が続くらしい。
神霊とともに人間が生きていた黄金時代がクリタ・ユガ。それから白銀の時代、青銅の時代を経て、物質界へと完全に落ち込んだ暗黒時代カリ・ユガを迎えた。
カリ・ユガから3000年を過ぎ、霊がイエスという人の肉体に降り、人々と物質的に出逢い、しかも磔刑にあったことは、この暗黒世界を大きく転換する意味があるらしい。キリストの磔刑をゴルゴダの秘儀とシュタイナーは呼び、人がその意味の深さを理解するにはまだまだとうてい及び難いらしい。しかしゴルゴダの秘儀から2000年経ってからようやくその意味が現れてきたという。地上の物質的存在である人間が、民族や集団としてではなく、個としての自我を通してキリスト存在と(エーテル界で)出逢う契機をつくったのだという。
20世紀に入って、物質文明は転換期を迎え、物質的な宇宙観を変えるようなエーテル界への明視が人には可能になってきたという。
現在は、かつて自然科学に霊感を与えた大天使ガブリエルからミカエルの時代になったらしい。ガブリエルは仲間・集団・国・家族を人の意識の中心に据えたが、ミカエルは個人を中心に据える。個人であるということは自分で考え、自由に生きることである。
この自由の発端をつくったのは堕天使ルシファー(いわゆる悪魔)である。人間を誘惑するルシファーだが、いまはその自由を大天使ミカエルが後押ししている。
神の行いを真似るのは自由ということではない。考えや行動の根拠が個人にあることを自由という。具体的な行動を真似たら、そこに依存する気持ちがある以上自由ではない。たとえばイエスの語った(抽象的な)ことばをじぶんなりに想像して行動するなら、そこには自由がある。
秘儀参入のことを本書で「真夜中に太陽を見る」と表現している。いわば自分の自我がアストラル体、エーテル体、肉体を、太陽のように光を送って生かしているのが見えるということらしい。同時に神々が地上の生命を生かしているのも見えるという。
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