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このまえわたしが撮った講演会のビデオ映像で、その準備から講演後の交流会までを撮ったものを、ひさしぶりにMacのiMovieで編集してiDVDで焼いた。やり方を忘れてしまって、かなり適当にやったが、それなりにDVDが完成。マニュアルがなくてもできてしまう。ただ、iMovieで編集したものをiDVDへ書き出して、また編集しなおした。どこかでやり方をまちがえたかもしれない。iDVDではBGMが出なかった。
とりあえず完成品をパソコンでコピーしようとするとブンブンうなるのでやめた。で、ブルーレイ・レコーダーでコピー。簡単で、すぐにできた。
とはいえ、iDVDで焼くとき、エンコードするのにかなり時間がかかった。まずデジタル・ビデオ・テープに二本分あった映像を、iMovieで編集するのに外付けハードディスクを使って読み込む。つぎの晩に編集作業をはじめて、iDVDへ書き出し、再編集して焼く。あとはパソコンにまかせ、翌朝目が覚めると完成していた。こんなふうにど素人にもてきとうに動画を編集してDVDに焼けるというのはすごい。
ビデオを観て思ったこと。撮っている本人は出てこないから、あまり記念にはならない。しかし映っている人たちには記念になるだろう。そのとき、撮っている者の「視線=意識」のありようが「問わず語りに」映像そのものに表れてバレバレになるようだ。
これはテレビ映像でもいえる。天気予報で街角の様子を映しても、きれいな若い女性をフォーカスしていることがよくあるみたい。野球中継でスタンドを映すときも。
きっとテレビのカメラマンは男性なのだろう。観ている人へのサービスかもしれない。が、観ているのは男性ばかりではないはず。もし天気予報で街行くイケメンばかりが映っていたら、男性が観たら違和感があるにちがいない。わたしの撮ったビデオ映像も似たり寄ったりかな。
年度が替わると事務仕事の引き継ぎをしなければならない。
いつも思うのは、一太郎やワードの書類は基本的にそのアプリケーションがないと開けない。すると前年度の書類も使用できなくなる。なんという不便なことだろう。民間会社のつくったソフトを購入しないと、一般的な事務仕事に必須な書類さえ利用できないとは。ワードなど、さらにひどくて新しい書類は古いソフトでは開けなくなる。同じワードなのに、さらにお金を出してアップグレードしなければならない。
デジタルのテキストデータなど、空気みたいにその利用は人類共通の財産みたいなものだ。いつでも・どこでも・だれでも無料で利用できなければならない。それをいわばさまざまな民間会社が囲い込み、縄張りをつくって占有している。その書類を使用するためにはそれに対応したソフトを購入する金を払わなければならない。みみっちいしバカらしいし(ひろさちやではないが)狂っている。
企業にはもっと違う儲け方があるように思う。グーグルなど、たいへん便利な検索エンジンで、その使用は無料でありつつも、膨大な儲け方をしているではないか。
ほんとうに情けないが、大嫌いな(使いずらい)ワードも一太郎も仕方なく使っている。それらが普及しているからだ。良いものが普及しているのではなく、普及しているから仕方なく使っているにすぎない。
ちなみにMacのPagesというソフトはpdf書類にもワード書類にも簡単に書き出せるたいへん便利なソフトだ。
保存はテキストデータとしてしっかり保存している。それをどのように「加工」するかはさまざまなワードプロセッサーに任せればいいからだ。人に渡すときにはテキストデータ、ワード書類、一太郎書類、pdf書類にして渡せばいちばんいい。しかし面倒なことだ。
ユーザーにとってたいへん便利なソフト、かつ企業ももうかるソフトを、なぜつくらないのだろう。できるだけ互換性のある、どんなユーザーにも使えるソフト。そういう便利なワードプロセッサーをつくることで、どれほど儲かることだろう。便利であれば必ずじわじわと広く普及するはずだ。それによって徐々に儲かっていく。その儲けは恐竜の頭ではなくわずかな尻尾ぐらいの儲けだが、それが膨大に集まる、そういう戦略に立つ企業はないのだろうか。
DVDレコーダがとつぜんお釈迦になったので、しかたなくブルーレイ・レコーダーにした。一つ型が古い少しでも安いものを。SOかPAか迷ったが、なんとなくSOにしてしまう。で、実際にDVD-RとBD-Rとに録画してみた。DVDで録画するとその番組の放送時間分くらいの時間がかかる。これはあまり実用的ではない。しかもDVDの画像はかなり荒い。これも実用的ではない。
しかしブルーレイにダビングすると、ダビング時間はぐんと短くなり、LR、SR、DRの録画形式の差もあまりないほどのハイビジョンで録画される。容量も24ギガあるから、かなり入る。さすがだなあと思う。これではとてもDVD-Rにはもどれない。あとはディスク1枚の値段が下がればいい。
とはいえ、アナログ放送だったら、DVD-Rで充分にたくさん録画できる。わざわざデジタルもブルーレイも必要ないのに、と思う。デジタルの方がきれいだが、たかが電気紙芝居(=テレビ)、アナログ放送で充分だと思う。
それからダビングテンというのが気になった。録画したものをメディアにダビングするのに10回しかできないという。10回もダビングしないからいいけれど、1回プレイリストをつくると、ダビングしていないのに、残り9回となってしまう。だとすると、何回も編集しなおしてプレイリストばかりつくっていると、残り回数はどんどん減ってしまうのだろうか。10回も編集することはないけれど、なんだかなあと思う。
(これだけではないが)ダビングテンとか、こういうのを「せこい」とか「みみっちい」とか「了見が狭い」とかいうのだろう。発想がまず統制的。こういう発想で政府やメーカーがコトを決め、モノを造っているようではニホンはダメになるばかりではないだろうか。