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今関和子さんが静岡へ

 全生研の今関和子さんが静岡へ講演にきます。

◆著書『保護者と仲よくする5つの秘訣−子どもの生きづらさ、親の生きづらさに寄り添う』/出版社:高文研

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mojabieda * 教育 * 20:17 * comments(0) * trackbacks(0)

高校生クイズと古典

 高校生クイズの決勝戦をテレビで観た。

 わたしが分かったのは醍醐味とパノプティコンと論語の漢文だけで、後はちんぷんかんぷん。数学オリンピックの問題やらメンサとよばれるIQ140以上の集団から出された問題やら。ここまでくる高校生たちは最難関の大学も合格するくらいの人たちなのだろうと思う。しかし決勝の最後の最後の問題で、拍子抜けした。

 雌雄を決した最後の問題が孟浩然(もうこうねん)の漢詩「春暁」(しゅんぎょう)の承句(第二句)を(ひらがなでもいいので)書き下せという問題だった。で、ここまで勝ち抜いてきた優勝候補筆頭のチームが敗れた。何か異様な感じだった。

 この違和感は二つある。しかもつながっているところが困る。

 1 「春暁」は中学校レベルの漢詩。実業高校の教科書にも載っているし、漢詩の中では入門中の入門みたいな唐詩の代表、人口に膾炙したもの。これが分からないということは、昔の日本人が小さなころから学んできたような古典教養を、今の「エリート」高校生たちがどれほど身につけて来ていないのか、ということを浮き彫りにさせた。

 2 「春暁」は(漢詩という)日本の伝統的、入門的な古典だった。それをあえてこの場面で出題した。出題者の意図は、日本の古来からの「伝統」文化をいかに現在の高校生たちが身につけて来ていないのかを浮き彫りにさせ、かつその「伝統」文化を学校教育でどれほど教える必要性があるのかをアピールすることではなかったか。

 新しいガクシュウシドウヨウリョウには「神話」を教えろとまで明文化されている。テンソンコウリンもふくまれるのだなあ思った。

 神話からカミカゼまではあと一歩

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mojabieda * 教育 * 06:56 * comments(0) * trackbacks(0)

高生研の東海ブロックゼミに参加


 ホテルグランヴェール岐山

 先日、岐阜市で高生研の東海ブロックゼミが開かれました。

 以下はその「道中記」です。

■ 3月7日(土)うすい晴れ、岐阜で東海ブロックゼミへ。9時30分ころ長房さんの車が来る。来るたびに車が違う。プレマシーとはうらやましい。カーナビ付きのゆったりした車内。乗り込んでいるのはしかし4年前と同じめんめん。絹村、塚本、長房さんとわたし。

 12時すぎには岐阜に着いてしまう。街中をフィアットの(たぶん日本で発売したばかりの)新チンクエチェントが走っていた。うすい水色でかわいい。(50年くらい前の──その前の初代のものは古すぎて知らない)二代目のチンクエチェントと外観がほとんど変わっていない。日本でいうとスバル360みたいな体型。いまの車のデザインはつんけんつんけんしてかどかどしく、険しい体型や顔つきをしているものが多いので、チンクエチェントみたいな車をみるとほっとする。

 岐阜の街中。4年前には路面電車が走っていたが、もう廃止されたらしい。繁華街の柳ケ瀬通りの西の端にホテルがある。ホテルグランヴェール岐山。きれいな11階建ての高層のホテル。今はなき静岡のたちばな会館みたいな教職員共済のホテルだがずいぶん豪華。とうぜん参加費はちょっと高めだが仕方がないと思う。岐阜の現地の高生研の中心は親分肌の石田さん。フォローするのは若園さん。現地岐阜の人々もたくさん集まってくれてうれしい。

 静岡からは車三台。東部の鈴木車には小川、矢代、渡辺さん。西部の今田車には坂口さんがぞくぞく現地入り。計10名の参加。初参加は矢代さん。4年前には三好、江頭さんが参加。8年前は賢一さんのシトローエンで、12年前は高志さんのシビックシャトル4WDで来た。民間教育研究が下り坂の昨今、すでにそのころ10数名だった東海ブロックゼミ。しかし顔ぶれは変わっても現在もしぶとく続いている。むしろ12年前よりも参加人数が多い。高生研の全国会員は年々減少しても、高生研の意義はますます重要になってきているということだろうか。高生研をどこかでかならず必要に感じている人たちがいる。

 長房組はホテルに車を停めて昼食のため西柳ケ瀬へ。昼間の西のアーケードは閑散としてさびれている。4年前には昼間から客引きがあったが今日はない。大通りを越してにぎやかな東の柳ケ瀬通りのセルフサービスの大衆食堂で昼食。

 三重からは安藤、岡村、萩原さんたちが来る。愛知からはだれも見えなかったようだ。明日の講演者は茨城から磯山さん。

 それから今年特徴的なことは、なんと熊本から藤川さんなど3名の参加者があったこと。熊本では正月あけに県大会がひらかれ、そこへ絹村さんが講師として招かれた。しかもその記事が地元の熊本日日新聞に載ったという(熊本高生研の『会員通信』192号から)。

 2時からすぐに二つの分科会に入る。今年の東海ブロックゼミは変則的。静岡からは小川さんがレポーター。もう一つは岐阜のHR実践。鈴木さん。

 分科会が終了した5時30分からは「愛知・岐阜文化祭見て歩き」という岐阜の田山地さんのDVDを上映しながらの各地の文化祭報告。さまざまな学校のおどろくべき文化祭の様子をDVDに録りためたもの。

 岐阜の人々をバックアップしているのが三重の安藤さん。「主宰者」がいないときは、かれがどんどん進行役をつとめる。文化祭見てあるきの企画もかれがアレンジしたのだろうか。

 大会は愛知の名古屋でひらくような「都市型」大会のほうが現地実行委員は楽だが、肝心の愛知の人々がいない。むしろ名古屋開催より、「長良川大会」のほうが人が来やすいのではないか、とは翌日、絹村さんが「なまず屋」で語っていた。長良川なら鵜飼いや花火も観れるからいいかもしれないなあと思った。

 夜は7時から夕食。豪華な11階のラウンジはバイキング料理とお酒飲み放題。ここでは各自「悩み」や「ヘルプ」を自己紹介を兼ねて訴えるという趣向。翌日の講演「弱さで支え合ううんぬん」の主旨を踏まえているのだろうか。3月のこの時期なので、卒業式に号泣してしまった話とか、意に沿わない異動で悩んでいるとか、生々しいお話が多かった。

 ところで岐阜の石田さんは今年は教頭になったという。しかしクラスを持ちたいということでクラスを持ちながらの教頭職を願い出た。しかし来年度からは教頭一本に、ということで、三年生を送った卒業式のあと自宅で焼酎を飲みながら号泣したという。

 夜は、繁華街へ若い人、ベテランたちが繰り出して行った。一人では(こわくて)とても歩けないところだとか。わたしは10時には早々と寝てしまう。


 岐阜の夜景

■ 3月8日(日)くもり
 7時起床。ホテルの目覚ましが自然に鳴った。朝食はバイキングで洋食と和食の両方をいただく。9時から磯山さんの講演。これは今年の高生研の基調発題を兼ねるらしい。そのたたき台のようなレポート。かなり型破りな基調となるはず。題して『弱さで支え合う関係を学校に』。12時すぎに終了。

 帰りは車で列をつくって4年前に行った西のほうにある「なまずや県庁前店」でひつまぶしを食べに。一杯めはそのまま。二杯めは薬味をいれて。三杯めはお茶漬けにして食べるうなぎめし。量は多い。ビルの2階の和室。2500円(昨日はこの日のことを考えて昼食をセルフサービス大衆食堂にした?)。10数人。静岡と三重の人々を石田さんが接待。4年前はビルの窓から風花が舞っているのが見えた。そのあと船橋さんといっしょに川原町という古い町並みが残っているところへ観光に行ったが、今年はそのまま帰る。鈴木車は金華山をやめてそちらへ観光に行くらしい。

 帰りは岐阜駅で土産を買う。鮎の形の和菓子。5時ころ家につく。玄関近くまで送ってもらう。



 ひつまぶし


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mojabieda * 教育 * 19:55 * comments(0) * trackbacks(0)

4995人

 15年連続増加で07年は過去最高の4995人。何の数字かというと、公立小中高校教職員のうつ病などによる休職者数。生きる力が必要なのは子どもたちだけではないようだ。

 ただし、いわゆる「生きる力」をうんぬんするだけでいいわけがない。自己責任論と発想が似ている。「生きる力」を植えつけられるだけなら、ガレー船を漕ぐ奴隷とそうかわりはない。鞭打たれてひたすら船を漕がされる奴隷。船に鎖でしばられ、船が戦闘に巻き込まれれば運命をともにする奴隷。

 奴隷にはひたすら「生きる力」を注入しなければならない。が、力あまって鎖を断ち切らせて皆で反抗させてはならない。と考えるのはガレー船の「主」か。

 もし「生きる力」がじぶんだけ生き残る力、人をけ落とす力を意味するなら、やがて通常の神経の人間(奴隷ではないと自覚する人間)には堪えられなくなるにちがいない。じぶんだけ生き残ろうとする「奴隷」とじぶんだけ生き残ることを奴隷に強要する「船」とははたして生きるに値するものなのだろうか。この世は生きるに値する世の中だろうか。と考える人が出てきてもふしぎではない。大道廃れて「生きる力」あり。

 未来を担う次世代の人を育てるという教師にそのような「生きる力」が注入されつづけているがゆえの4995なのではないかと危惧する。



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mojabieda * 教育 * 17:34 * comments(0) * trackbacks(0)

夏の京都の教育のつどい

 8月21日から24日まで京都へ行きました。「教育のつどい」に参加するため。

 全体会は東山の「みやこめっせ」で。はじめは茂山あきら氏一門の「狂言ABC」。現代親子の教育談義を狂言で表現。京都は古典が現代に生きていると思いました。

 そのあとは井上ひさし氏による講演。日本国憲法が世界のさまざまな「平和」条約にどのような影響を与えつづけてきたのかということをはじめて知りました。「預言者故郷に容れられず」ではありませんが、憲法9条は故郷の日本では「まま子」扱いされつつも世界の平和にどれほど貢献してきたのかを知りました。



 会場の右側の一部。4000人ほどの全体会参加者

 全体会の狂言

 井上ひさし氏の講演

 帰り道での風景(東山)

 帰り道での風景 その2

 夜の町屋の灯り(提灯は地蔵盆の準備か)

 夜は飲み屋ではもなど食す

 次の晩も・・・

 次の朝、会場へいく途中みつけた大極殿跡。かつては雲上人が歩いていたところは今は下町の風情。地蔵盆を知らせる鉦の音を鳴らして路地を歩く人びとが・・
 分科会場には平安創生館が併設。入口には内裏の造酒司(みきのつかさ)という建物の地下の遺構をその真上に再現
 
 丸太町通りから高倉通りを歩いていたら地蔵盆の子どもたちが遊んでいた。ふと「ばったん」を見つけた。折りたたみ式の縁台


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mojabieda * 教育 * 19:25 * comments(0) * trackbacks(0)

高生研・東海ブロックゼミ案内







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mojabieda * 教育 * 08:20 * comments(0) * trackbacks(0)

荒野に呼ぶ声

 12月29日の各新聞によると、教職員の「心の病」の休職者が4675人だという。14年連続増加で過去最高。10年前は1000人台だった。前年度比で約500人増えた。うなぎのぼりだ。この傾向はこれからもずっと続くだろう。年末の明るくないニュース。

 地区のある高校では休職どころか3人目の中途退職者が出るという。ちょっと見は元気のよい「潜在的休職者」など現場にはごろごろいるに違いない。何かの拍子にそれが表に出て「心の病」になる。心根の優しい、無理や強制が性にあわない、そして真面目で良心的で責任感が強い(しかし生き方が下手で人との付き合いもうまくない)教職員ほど心の病に陥るのではないか。何も考えない人、いいかげんな人、力づくで押さえる人、手練手管に秀でた世渡りの上手い人、出世第一の人、オンとオフを上手に使い分ける人たちが教師として生き残るのかもしれない。

 夜中でも生徒から「先生、家出しちゃった・・・」と電話があれば、とるものもとりあえずすぐに飛び出して探しに行く・・・そんな教師の心性が日本の教師の心性だったのではないか。それはもう時代錯誤になったのかもしれない。ある意味で一匹狼的なところがあったように思う。現在ではすぐに管理職に連絡し指示をあおぐか、あるいは家庭に連絡して家庭から警察へ連絡させ自宅待機するか、たぶんそういう時代だろう。それはまったく正しい行為だが、以前は何より生徒との信頼関係を大事にし、生徒の秘密を守り、人間として1対1で向き合っていたように思う。そんな時代は遠くなったのかもしれない。教師も組織のなかの一人、昇給・昇進というエサを目の前にぶらさげられた一個の歯車になってしまったのかもしれない。そんな組織の歯車に矛盾を感じれば「心の病」まではあと一歩だ。

 政府はひそかに教職員のスクラップ・アンド・ビルドをはかっているのかもしれない。「富国強◯」が国家の教育目的だった時代に逆戻りしているような気がする。

 そもそも教職員の休職者がうなぎのぼりになる時代とは学校教育受難の時代ではないのか。現場にはさまざまな葛藤がある。そんな時代なのに、フォローすべき機関(管理職、教育委員会)が足をひっぱり、どこにも救いの手だてがなく、荒野に晒されるごとく孤立無援になっているのではないか。休職者の増加は「荒野に呼ぶ声」か。


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mojabieda * 教育 * 09:01 * comments(0) * trackbacks(0)

学力テストは今年限りに

 もう市長ではなかったとは知らなかった。しかもこういう記事が新聞に載っていたことも知らなかった。

 「全国学力テスト」を実施しなかった犬山市の前市長の「学力テストは今年限りに」という主張は以下のとおり。

 前市長は「真の学力とは、他者と比較するとか授業時間数を増やして詰め込むとかの外圧によって付けられるものでは決してない、ということによくよく気付く必要がある」という。ごくごく普通のこと、当たり前のことを述べていると思うのだが、それが新聞記事になる世の中になったということか。

(2007年11月27日 中日新聞 物見櫓(ものみやぐら))
 「全国学力テストは今年限りに 前犬山市長 石田芳弘」

 「文部科学省が今春実施した全国学力テストの結果が公表された。対象となった全国公立小中学校の中で唯一犬山市は、テストを実施しなかった。当時教育委員会と相談しつつ、テスト不参加を決定した犬山市の前市長としての感想を述べたい。
 問題の本質は、学力とは何か、ということだ。“真の学力”とはあのような正答率を求めるペーパーテストとはおよそ異質のものではないのか。真の学力とは、知識とは異質の、テストでは計ることのできないものである、ということをまず認識する必要がある。
 もちろん、漢字や語彙(ごい)とか算数の九九や公式といった、いわば基礎的知識が学力や学ぶ意欲に影響を与えていることは十分理解している。しかし、真の学力とは、他者と比較するとか授業時間数を増やして詰め込むとかの外圧によって付けられるものでは決してない、ということによくよく気付く必要がある。
 子どもたちの学ぼうとする意欲、学力を求めて向上していこうという生命力は、どこまでいっても、子どもたちの内にある潜在力を内発的に引き出してやることでしか達成できはしない。少人数授業を徹底するとか、教材を工夫するとか教師の作品とも言うべき授業をおもしろくし、学ぶ楽しさを引き出す努力は無限にある。
 そういった教育観に立つ時、全国学力テストのような学力評価は、何の意味も持たないどころか、むしろ知識偏重、受験戦争、学歴重視という日本社会のわなともいうべき優勝劣敗の価値観を助長するおそれすらあると考える。犬山市教育委員会の学力観はそこにあった。
 今回のテストの結果、わが国の子どもたちは「基礎的知識」に比べ「知識の活用」が劣るという。こんなことはもう何年も前から指摘され続けてきたことであり、今回の調査は、従来の懸念をさらにまた確かめたに過ぎない。問題はその対策を立て、実行することではないのか。
 学校教育は教師に始まり、教師に終わる、教師の存在がすべてだ。まず行うことは教師たちの持つ「教師魂」に火をつけること、そのために現場の教師たちに財源と権限を与え、主体性を持たすことだ。文科省が上意下達で授業時間数を増やすことでは決してない。
 私は犬山市以外にも教師、中には教育長の職にある人で今回の学力テストに批判的な人をたくさん知っている。一方、この件について、全国の首長の顔がほとんど見えない。
 国の言ってくることだから、文科省の考えだからということだろうが、全国学力テストは国会で議決された法律でも何でもなく、単なる文科省の行政事務と言ってよいものだ、。地域の子どもをあずかる一番の責任者たる首長は、もう少し、教育委員会や現場の教師の本音を聞くべきではないのか。全国学力テストは中央集権の最たるものだ。地方分権というデモクラシーのテーマはどこへ行ってしまったのか。
 一回のテストにかかる費用は七十億円前後と聞く。今後、継続的にテストを実施すれば、膨大な投資額になるが、私にはどう考えても学力向上とは何ら関係ないムダ遣いに思えて仕方ない。全国学力テストはせめて今年限りでやめてほしい。
 そろそろ来年度の政府の予算編成が始まるが、私は断固、この学力テストは、二十年度予算からはずすべきだと主張したい。」


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mojabieda * 教育 * 19:03 * comments(0) * trackbacks(0)

教育のつどい2007


 原爆ドームを橋から撮りました


 機動隊の警備


 フェンスのない会場


 三階までいっぱい


 渡辺えり子さん


 現代風路面電車


 昔風路面電車


 『夕凪の街 桜の国』

 8月16日。広島市で「教育のつどい」がひらかれました。いわゆる「全国教研」です。

 この日のヒロシマも暑かった。昼前に駅に着いて、広電の路面電車に乗りましたが、広島の路面電車はヨーロッパの都会を走っているような最新式のあか抜けたものから、えらく昔風のものまで、さまざまな種類がありました。

 で、電車を「原爆ドーム前」で降ります。原爆ドームが目の前です。外国からの観光客もたくさん見学に来ていました。「世界遺産」になっています。遠くから写真を撮ると、向こうに大きなビルが建っていました。現代のビルと比較するとドームは小ぶりです。現実世界のなかの小さな「廃墟」。まわりにビルが建ち並ぶと矮小化されてしまったような印象を受けました。

 全体集会は平和公園のなかの広島国際会議場。資料館のとなりの建物です。

 ここでまずびっくりしたことは二つ。

 一つは、いつものように機動隊がたくさん「警備」していましたが、会場をぐるっと取り囲む「いつもの金属の壁(3メートルくらいのフェンス)」はありませんでした。一般社会と会場とを遮断する「壁」がなかったのです。これは秋葉市長の「英断」のようです。

 ○翼の街宣車は200台以上だということですが、「壁」がなくて、普通の観光客も集会参加者も自由に公園に出入りしていましたが、とくにトラブルもなかったようです。

 もう一つは、広島市から会場を借りるときに、いつもならある「会場使用許可の取り消し」を行うことがなかったことです。これも「平和都市」の秋葉市長の意向によるものでしょう。

 また秋葉市長からは、平和都市の市長らしい、心のこもったメッセージが会場に寄せられました。

 講演は劇作家の渡辺えり子さん。じぶんで52歳だと言っていました。会場はいっぱい。今年の西暦の数人くらいは集まったようです。

 ユーモアをまじえた渡辺さんの講演でしたが、声をつまらせたときもありました。

 渡辺さんがどうして平和運動にかかわりはじめたのか、という話のときです。

 どうして平和運動にかかわりはじめたのか、というと、戦争(空襲)で九死に一生を得た父親が、その体験を(数十年も経ってからようやく)話したときからだそうです。その体験とは、かなり屈折した体験で、勤めていた工場が空襲されるときに、工場内でだれか一人を責任者として残すという話になり、醜い押し付け合いを見て、それに嫌気がさし、みずから居残りの「志願」をしたというのです。そうして死ぬ覚悟で空襲にあいましたが、「誤爆」によってかろうじて生き残ったといいます。そのときから父親の人生観が変わったというのですが、その話を聞いたときから、渡辺さんの「人生観」も変わったようです。

 もし父親がその空襲に遭っていれば、いまのじぶんはなかった。そのときから、戦争によって奪われた「未生の命の存在」を、じぶんの傍らに感じるようになったようです。実際に、親戚・知り合いの幾人もが「子孫」を残すことなく亡くなっているといいます。未来に残すべき子どもたちを「未生」のままに奪われ、亡くなった人たちの人生も「未完」のままです。

 先日の参議院選で戦争のときの首相の孫が立候補しているという事実にびっくりしたそうです。そういえば戦争のときの大臣の孫だっていま首相をしている。つまり、戦争を推し進める人たちの子孫は生き残るから戦争を推し進めることができる、という「事実」に気づいたそうです。

 講演を終わって、書籍売り場で本を2冊買いました。一冊は『夕凪の街 桜の国』(こうの史代/双葉社/800円+税)。映画化もしたマンガです。淡くしみじみとしたマンガです。ここ広島で読むことに意味があると思って。

 話題のそのマンガは広島の被爆作家・大田洋子の『夕凪の街と人と』(絶版)を下敷きにしているようです。大田さんの名前も知りませんでした。先日犬HKのETV特集で大田さんについて放映されていたようです。

 また会場でブックレット『大田洋子を語る──夕凪の街から』(広島に文学館を!市民の会/800円)も販売していましたが、買い忘れてしまいました。

 この「夕凪の街」の主人公・皆実(みなみ)さんの人生も、「未完」のままです。
mojabieda * 教育 * 08:16 * comments(0) * trackbacks(0)

死者が出る教員採用試験

 去る8月4日の午後2時25分ころ、埼玉県教員採用試験を受験していた女性(38)が亡くなった。

 新聞などによると、プールで水泳実技の試験中、50メートルを泳いだ直後に意識を失い、心臓が停止してそのまま死亡したという。

 クロールと平泳ぎとを25メートルずつ泳ぎ切ったあと、プールサイドに片腕をかけ、顔を水面近くに横たえたまま動かなくなったという。試験員らがすぐに引き揚げ、AEDを使って心肺蘇生を試みたがだめだったらしい。

 この女性は大卒後臨時教員となり、一時家庭に入ったが、05年から復帰し、採用試験を受けていたという。

 この事故(事件か?)について、埼玉県のコメントはない。
 
 その日、何が起こったのか。さまざまな情報をとりよせて以下に再現してみる。

 8月4日。
 8時。会場の小学校(春日部市立立野小学校)に入る。エアコンのない教室で3時間待機。その後ピアノの試験。待機教室は小学校の教室なので子ども用の椅子に座った。
 12時ごろ昼食。
 1時。体育館に移動する。体育館は満員で40度近い蒸し風呂のような状態だったという。その体育館で鉄棒試験受ける。そのあとプールで水泳の実技がつづく。

 体育館を出てプールへ。簡単な準備体操をし、25メートルを1本練習、そのまま本番。25メートルクロール、25メートル平泳ぎ計50メートルを女性は60秒以内に泳がなければならない。

 以下は同じ試験を受けた人たちの証言。

 「私もほぼ同じ頃、他の学校で同じ試験を受けていました。本当に暑くて、待ち時間も長く、待合室の教室は本当に蒸し風呂のようで、実技試験の前に、体力を失ってしまう状態でした」

 「私はまさに立野小で試験を受けていました。体育館で鉄棒試験を待っている時に事故が起こって・・・。騒然とした状況で私たち他の受験生は蒸し風呂の体育館でずっと待っていました。心停止と聞いて怖くなり、また暑さで気分が悪くなり、モチベが下がっていつもより実力を発揮できませんでした。無理するなとか気分が悪かったら申し出ろとか言われても、試験だしみんな我慢して頑張っちゃいますよね・・・。その方も頑張りすぎちゃったのかな?」

 とうぜん試験だからだれもが頑張る。多少体調がわるくても一生懸命になって無理をする。受験する者にとっては人生がかかっているのだから。

 8時から2時すぎまで続いた極度の緊張状態と蒸し風呂のような教室・体育館での長い待機と試験。その直後に野外の冷たいプールでのきびしい実技。そうして心停止。
 
 だとすれば、これは事故ではない。偶然の事故ではなく必然的な事件だ。少なくとも、このような悲劇的な結果が起きることが予測できる未必の故意として県に責任が問われるはずだ。「想定外」だったという弁明さえもない。これが「お上」のやり方である。
mojabieda * 教育 * 22:57 * comments(2) * trackbacks(0)
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