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3年に一度の島田大祭。地元では帯祭り。故郷の祭。久しぶりに行ってみた。
小さなころ、地踊りを踊った。大井神社で毎晩練習して、終わるとあめ玉を一つくれた。それがたとえようもなくおいしかった。大人たちはやさしかった。
小遣いをにぎりしめて、神社へよく遊びに行った。『泥の河』の子どもたちみたいに。
島田の街もすっかり変わった。ずいぶんこぎれいになった。しかし、過去はすべてがきれいに見える。
ヘッセの『放浪』という書物の中に出て来ることばを思い出す。
故郷はここにもむこうにもない
故郷はおまえの心の中にある でなければ どこにもない
Heimat ist nicht da oder dort.
Heimat ist in dir innen, oder nirgends.
猛暑のなかを東京へ行って日帰りでもどる。
東京で少し時間があったので、丸の内北口を出た丸善に立ち寄る。昔の丸ビルにゲーテ書房というのがあったけれど、いまはよく分からない。日比谷にもメクレンブルク商会という書店もあったが、もうずっと昔の話。丸善の4階には松岡正剛氏のつくった店舗があって、その本棚を観る。すごいなあという感じ。カテゴリー別になっていて、眼がくらくらするような多様さ。狭い井戸の底を通って大海へ出たいような衝動にかられる。
4階は洋書もあって、ドイツ語の棚を眺める。なんとなく音楽関係の本がちょっとだけ目立つような気がした。古今の文学書のほかは、その手の需要しか、もうドイツ語にかかわる需要はないのかな、と思った。文学書もじぶんの学生時代のそれとはかなり変わっているような気がした。
帰りは10時の新幹線に乗らなければその日じゅうには家に帰れないので、まず駅まで走る。それから池袋駅から「湘南新宿ライナー」とよばれる電車に乗れば品川に出る大崎まで4駅で最短だ(ネットで調べた)。その電車はきっと山手線と線路を共有しているにちがいないと踏んで、山手線のホームへ駆け上る。しかし違っていた。隣りの埼京線だったようだ。目の前をそれらしい電車が通り過ぎた。しかたなく山手線の各駅停車で品川駅までいく。それでもギリギリに新幹線に間に合ってよかった。
ネットで仕入れた知識を現実で展開し、失敗してまたネットで確認する。ネットの操作は手軽で慣れているが、心身を動かして現実に対応するのはいつも慣れないで試行錯誤だ(年をとると、どんどん現実に対応するのが困難になる)。現実はつねに変化していくし、ネットの操作と現実の対応の落差もどんどん広がっていくような気がする。しかしながら、ネットがなければ、さらに現実に対応するのも困難になるから、むしろ中高年にはネットはありがたいものかもしれない。
ドイツの水族館にパウルと呼ばれるタコがいて、ワールドカップのドイツとその対戦国との勝敗をことごとく当てているらしい。で、この前の準決勝のスペイン戦でもドイツの敗北を的中させた。しかもこの予想のシーンがテレビで中継されたので、極東にいるわたしも観ることができた。すごい。グループリーグの三戦から的中。決勝トーナメント三戦と合わせて六戦全勝。おそるべしタコ予言。あるニュースの見出しには「お墨つき」とあった。ほんとうにお墨つきなら世界のヘッジファンドが黙ってはいないかも。
さて、この連続的中の確率やいかに?ということで数学の大先生方にうかがうと2の6乗分の1とのたまう。つまり64分の1。
だけど、そうかなあ?と直観的に疑問に思う。一つの試合の勝敗を当てる確率は2分の1。当ててしまった後は、前の試合のことはすっかり忘れ、「いま」次の試合の勝敗を予言する。その予言が当たる確率は2分の1。するとやはり当たった。これが6回つづいた。それだけのこと?
そのつど当たる確率は2分の1だった。だから「いつも」2分の1の確率で当たっていたのだから、それらが連続していたとしても、それらを「まとめて」一つの事象と捉え、6回連続して当たる確率を64分の1とすることに実際的な意味があるのか?と思ってしまう。
これとは逆に、もう一つ思うことがある。ものごとの「連続」に意味を与えしまうのは人の世に棲んでいるからだろうということ。世の中にはたてつづけにクジに当たる人もいるし、いつまで経っても当たらない人もいる。数学的な(神の視点のような)視点からすれば、「たまたまそうなっただけ」にすぎない確率の問題だろう。しかし生身の人間には簡単には割り切れないものが残る。わたしなどは、朝、小さな不運がつづくとホッとする。なぜなら、そのあと1日は少なくとも大きな不幸はやってこないはずだからと勝手に信じてしまうからだ。頭の片隅で「ばかげている」と思う。しかしタコのパウルに占いをさせる人間の心理からして、数学の確率では割りきれない「意味」を人々が求めているような気がする。
「また運命の神様もご多忙であろうのに、かくのごとき微々たる片隅の生存まで、いちいち点検して与うべきものを与え、もしくはあればかりの猫の額から、もとあった物をことごとく取り除いて、かぼちゃの花などを咲かせようとなされる。だから誤解の癖ある人々がこれを評して、不当に、運命のいたずらなどと言うのである。」(柳田国男『清光館哀史』)
ここでの柳田は冷徹に確率的な視点で見ようとしているのかもしれない。大災害の絶えない地域に住む人々の不幸を不運ではなく峻厳な確率の問題として。
ところで、このタコはドイツ国中から「このタコめ!」と酷評され八つ当たりされているらしいが、八本の足ではね返してほしい。ドイツが負けたのはタコのせいではないし、タコは二つのうちの一つを選んでたまたま当たりつづけているだけなのだから。それにしても、日本で受験生が「置くとパス(Oktopus)」するというタコの霊験が、ますますあらたかになったかもしれない。
さて、タコのパウルは今度はワールドカップ決勝の勝者を予言したという。スペインとオランダの決勝はスペインの勝ちだという。ドイツに勝ったとき、スペイン首相は「パウルに護衛をつけろ」と言ったというがほんとうだろうか。そんなことがニュースになって世界中に広がっているのもおもしろい。さて、予言はまた当たるだろうか。
子どもたちが自転車に乗りに近くの公園へ行く。近所のオヤジさんが見かねて、サドルを高くしてくれた。わたしはまったく気づかなかったが、それぞれ二人の自転車のサドルがかなり低くなっていたらしい。子どもたちがどんどん大きくなっていることに、毎日顔を合わせていると気づかない。上の子にはもう新しい自転車が必要だし、下の子はいま上の子が乗っている自転車がちょうどいい。小二の上の子を大人用の自転車に無理やり乗せてみた。するとなんとか走ることができた。停まれなくて転んでしまうが。
さいきんはその公園へ、友だちと遊びに行くようになった。いまはまだ親といっしょにいろいろ遊んでくれるが、そのうちに子どもたちだけの世界へ大人は入れなくなるのだろう。
パソコンのなかにたまった画像をかなり捨てた。さいきんのデジカメは性能がよくて、パソコンに格納した写真がひどく重くなっていた。それを今日ある程度「処分」した。
新しいパソコンなどを買うと、ハードの容量の大きさに、まるで無限に余裕があるかのようにいつも感じていた。それがいつのまにかあっというまに少なくなってしまう。ああ、人生もこんなものかなあ、と思う。捨てることを覚えなければならない。
子どもたちや若者は新しいものをどんどん手に入れてゆくだろう。反対に、年を取ったら古いものをどんどん捨てなければならないのだろう。しかし捨てることが苦手で困る。なんでもかんでもいつまでも取っておきたがる。とはいえ、思い切って捨ててしまえば、きっと肩の荷がおりたように楽になるんだろうな、と思う。
藤枝市郷土博物館・文学館に軽便鉄道と小川国夫の文学の展示を観に行く。日曜日でも雨だったので訪れる人はあまり多くない。
小川国夫の作品と地元藤枝の軽便鉄道とをつなげた展示はおもしろいと思った。でもじっくり観て歩く時間はなかった。小川作品の背景にときどき軽便が出てくるけれど、作品の内容にどのようにかかわっていたのだろう。
この郷土博物館と文学館はつながっていて、いつまで観ていてもあきなかった。内容が濃い。また小川国夫を読みたくなった。藤枝市郷土博物館が発行している『軽便鉄道』も購入した。チラシの、青空のもと白い服の子どもたちが、やってきた軽便に向かって走っている写真がいい。この写真に惹かれて雨の中をここまでやってきてしまった。
軽便は日本一長かったという。ジオラマの大手駅などもある。昭和30年代ころの藤枝の「田舎」の田畑を走る軽便の写真にはなんだかたまらなく郷愁を感じる。
秋晴れの朝だった。子どもを保育園に送ったあと、車を街に走らせる。
ふと、じぶんが幼稚園に送られて、送ってくれた叔母がしばらくいっしょにいてくれたが、知らぬ間にいなくなって置いてけぼりにされていることに気づいたときの、あのなんともいえないもの寂しさを思い浮かべていた。
思い浮かべていた、というより懐かしんでいた。車のなかはバッハのリュートが聞こえていた。
(幼稚園の人と人とのあいだで=社会のなかで)孤独であることが強く感じられるほど、安心していられる家や家族に愛着を感じていたのだろうか。そうして純粋なじぶんのままでいられたことに。
いまは孤独であることも感じられないほど「鈍感」になっているのかもしれない。純粋なじぶんなどどこにもなくて、感受性のにぶく濁ったじぶんしか感じないのかもしれない。孤独を感じ、感覚がとぎすまされるとき、純粋なじぶんに立ち返るのかもしれない。
置き去りにされたときのもの寂しさは──。神社でみんなで隠れん坊をする。じぶんが鬼になって数をかぞえ、ふと振り返えると、神社の境内には誰もいない。今までみんな騒いでいたのに・・・。その空虚な空間を見渡したときに感じる、なんともいえないもの寂しさに似ている。
あるいは、幼稚園の電車の遠足の帰りに、じぶん一人だけ静岡の駅前の松坂屋の屋上にあった「遊園地」へ母親と立ち寄ったときのもの寂しさにも似ている。楽しみだったはずなのに、みんなから離れてじぶん一人だけ楽しもうとしていたとき、春のうららかな「遊園地」にいて、ふと、じぶん一人ということを強く感じて急にもの寂しさがこみ上げてきた。
当時のじぶんにとって家庭や家族(や仲間)はまだ自我の延長線上にあったのだろう。そのなかにいたときには自我を、孤独を強く感じることはなかったのかもしれない。あるいは自我の世界しか存在しなかったのかもしれない。その自我が外の世界へ放り出されたときに、自我の外に世界があることに気づき、つよく自我を感じ、孤独を感じたのかもしれない。しかも幼いころの自我は無防備で純粋だった。傷つきやすかったし、その時にその場で生きていた。そのことが懐かしかったのかもしれない。いまは・・・どうなのだろう。
そんなことを思い浮かべた。
ペタペタと上履きの音を鳴らして歩く人、影法師のようにスーッと音もなく通り過ぎる人、職場の椅子に座っていると、人それぞれにさまざまな「音」や「気配」があって、その「発信源」がだれなのかを見なくても分かるような気がする。人それぞれにそれぞれの人生を負っているような歩き方だ。
ちょうど頭のうしろが本人には直接見えないように、おのれの「歩き方」が醸し出す音や雰囲気についても、それがどのようなものなのか(人がどのように聞き、どのように感じているのか)をフィードバックして認識する方法を人は持たない。はたしてわたしはどのような歩き方をしているのだろうか。
地表の歩き方。いつごろ人類は地表を歩くようになったのか。5歳くらいの子どもの立ち方を見ていると、すくっと姿勢がいいし、じつにバランスがよくて美しい歩き方をするように思う。やがて「自我」の意識が強くなり、社会と己との軋轢がますます強くなると、そのバランスが崩れるようだ。
地表の上の歩き方を見、聞いていると、その人のこの世(地表)での生き方(歩き方)まで映し出されてくるような気がする。
いや、それどころか、太古の昔に海中で生まれた生命がやがて地表に現れ、立ち、やがて地表を離れて宇宙空間へと向かうだろう遙かな未来までの時間の流れのなかで、人類の、現地点でのありようの一端が浮かんで来るような気がする。5歳くらいがいちばん「進化した生命体」であっては困る。
風のように涼やかに、林のようにしっとりと、火のように果敢に、山のようにどっしりと、それでいて舞うように軽やかでしなやかな地表の歩き方(つまりは生き方)はできないものかと思う。そうして足元も星座も、地平線の向こうまでも見ながら、人は歩いてゆかなければならない。
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。」(須賀敦子『ユルスナールの靴』の冒頭部)
いま履いている靴は足にぴったり合う。だからいつでもどこでも履き続けてきた。このままではじきにぼろぼろになると思い、もう一つ似たような靴を買った。これもぴったり。しかし紐はきつめにした。
そうして1ヶ月ぐらい交互に履いてきた。
今朝、古い靴を履いたら、ゆるゆるに感じた。古い靴が一夜で「物理的」にゆるゆるに広がったのだろうか。それとも古い靴をゆるゆるに感じるほど、新しいきつめの靴に履き慣れてしまったのか。もしそうだとすれば、感じ方という「内面」が変わったのだろうか。
たぶんこういうことだと思う。きっちり足に合っていたものが、物理的にやがてゆるゆるになる。しかし内面はそれを認めない(気づかない)。いつまでもきっちり足に合っていると思っている。そうして新たな(はじめのころのような)靴を履き出すと、対照的に古い靴が(ゆるゆるになって)足に合わなくなっていることに気づかされるのかもしれない。
だとすれば「きっちり足に合った靴」そのものは常には存在しないのだろう。物理的に足に合うのは一時的なもので、そのうち足に合わなくなるからだ。
ではさらに考える。それなら、じぶんの足の方を「きっちり靴に合う足」にすればよいではないか。もちろん足を変形させるのではなく、足が靴になじむように履き慣れるのだ。物理的にゆるゆるに古くなったときも、内面ではゆるゆるには感じない、いつまでもきっちり足に合っていると感じつづけられればいい。わたしの古い靴が、今まできっちり足に合っていると感じていたように。
「進歩」派からすれば、これは「頽廃」かもしれない。しかし老子ならそれこそ上々というかもしれない。
上記の須賀敦子の文章でいうと、足が「わたし」(内面)で、靴が「この世」(外界)か。
日常の茶飯事に追いまくられて、その日その日の課題のみしか目に入らず、それを乗りこえることだけに囚われる。
そうして大きな目標も大きな課題も大きな希望も見えなくなってしまう。
やがて日々の課題が雲散霧消したあかつきには、霧が晴れたように、目の前に大きな壁が立っている、切り立った崖になっている、あるいは無の空間になっている、ということに気づく。
なんと視野が狭かったことか、なんとささいなことにこだわっていたことか。と、いまさら気づいても遅かった・・・。
こういう体験は何度もあった。だからできるだけ広い視野を持ちたい、大きな展望を持ちたい、忘れていたはるかな目標を思い出したい、とは思ってみるものの、日々を振り返ることのできる休みの日になると、こんどは日々の仕事の反動に追いまくられる。
つまらないテレビを観たり、娯楽の本を読んでみたり、ただショッピングのための買い物へ出たり。
それにも飽きると、なんだか虚しくなって仕事に追いまくられることが恋しくなったりする。
こうしていつの間にか年をとってしまう。
ではどうしたらいいか。老子なら、こう答えるかもしれない。なんでもない日常茶飯事を楽しめと。しかしなんだか『砂の女』の主人公みたいだ。
では、カフカの『掟の門前』風に考えてみる──
「大きな展望」へ入る門には門番がいた。その門のところへ一人の旅人がやってきた。そうして門の中へ入りたいと門番に言う。門番は答える「日々の課題を済ませてからだ」。旅人はそう言われて、日々の課題をこなすことに追われる。ときどき疲れては門番のほうへ振り向いて尋ねる「いつになったら門の中へ入れるんだ?」。門番「そのうちな」。旅人はしだいに些末的な日々の課題だけしか目に入らなくなる。そこに門があることも、門番がいることも忘れて、ひたすら課題をこなしてゆく。やがて月日が経ち、旅人の目はかすみ、力は衰え、ある冬の朝はやくに倒れたまま動かなくなった。最後の息をひきとるとき、大きな門のむこうから光がさし込んで旅人を照らす。旅人は目の前に大きな門があったことに改めて気づく。そうして門番を呼んで尋ねる「この門はひらかれたままだ。それなのに、今までどうして私以外の者がこの門を通らなかったんだ?」すると門番は答える「この門はおまえさんだけの門だから・・・さて、それでは閉めてくるか」。
カフカの『掟の門前』を読んで思うのは、どうして強行突破しなかったの?日々の課題なと放り投げて、いきなり門の中へ入ればよかったものを、ということ。
そこでまた老子「そう、それを楽しみつつ、それを放り投げて捨てればよい。」そんなことを言うかもしれない。