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確定深刻

 確定申告。例年ネットで申告書を作成している(それを税務署に出している)。しかし今年はネット作成の仕方が例年と変わった(ように思う)。わたしの場合は2ヶ所から給与支払いを受けている。そういう人は「申告書選択」ページで今年から(だと思うのだが)「左のいずれにも該当しない方」をクリックしなければならない。ここが入口で、ここで間違えると永久に申告書は作成できないから深刻だ。だから「シンコク」書というのだろう。入口さえ間違えなければ、あとは大丈夫(と思う)。

 去年までは「所得の申告書A」をふつうに選択してすぐに作成できたように思う。

 今年は2ヶ所から給与支払いを受けている人は「左のいずれにも該当しない方」に入るのだということで、このことはマニュアルにしか記していない。マニュアルを見てはじめて知った。だからまずマニュアルを読まなければならなかったし、マニュアルの存在があることを知らなければならない(しかも20ページある。わたしはちらっと見て入口を確かめただけ。入口さえ分かればもういい)。

 こうして申告書の作成の入口にたどり着くまでに、いろいろと試行錯誤をつづけ、けっきょく自宅でこの申告書を印刷するのに、夜9時からネットをはじめて夜中の1時までかかってしまった。なんという時間の浪費。

■ マニュアル(手引き 20ページ)の手に入れ方

◯1「国税庁」のホームページを開く、    
   「確定申告特集」をクリックする 
◯2「平成21年分 確定申告特集」のページの、    
   「確定申告書等作成コーナーへ」をクリックする   
   「国税庁 平成21年分 確定申告書等作成コーナー」のウインドウが現れ、その中の、    
    「次へ」をクリックする
 ◯3「平成21年分 確定申告書作成コーナー」のページが現れ、その中の、    
   「ご利用ガイド」の中の、    
    「申告書の作成方法・具体的な入力例」をクリックして、そのページのずっと下にある、     
     「作成コーナーの具体的な入力例」の中の、   
      「給与所得者(2ヶ所から給与の支払を受けている場合)編 [PDF/ 2.89MB]」をクリックして作成方法のマニュアルを手に入れる。 

■ 確定申告書の作成の仕方 

◯3「平成21年分 確定申告書作成コーナー」のページの中の、 
   「書面提出」をクリックする 
◯4「税務署への提出方法の選択」のページの、    
   「書面提出」をクリックする 
◯5「申告書等印刷を行う際の確認事項」のページで、
   四角にチェックを入れ「入力終了」をクリックする(OSはTiger、Safariは3.2でも大丈夫だった)。 
◯6「住所等入力」に入力し「入力終了」をクリックする 
◯7「申告書等作成開始」のページの中の、    
   「所得税の確定申告 作成コーナー」をクリックする
◯8「申告書選択」のページの中の、    
   「左のいずれにも該当しない方」をクリックする  

 ここまでが入口。今年よかったのはMacのSafariで印刷しても申告書のPDF書類の印刷がズレなかったことぐらいか。

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mojabieda * 暮らし * 01:50 * comments(0) * trackbacks(0)

目かくし落とし

 写真は上から目かくしを落とした窓。
 新しい目かくしを貼った窓(はがしやすいものにした)。
 ついでに階段の天井にけむり探知機を取り付けた。

 GW後半は雨だった。家の仕事とレポート二つがたまっている。草取りはできないので、とりあえず風呂場の窓の目かくしを落とした。

 10年以上も前に、風呂場の窓全体に目かくしのシールを貼った。塩化ビニール製。これが10年経つとどうなるか。シール全体に細かなひびが入り、その割れ目にカビが縦横に生える。見るからに無惨な姿となる。

 これをどう剥がすか。ホームセンターでアルコールやシール剥がし用のスプレーなどを買ったが、ぜんぜん歯が立たなかった。

 プラスチックのパテのようなものと、金属たわしとクレンザーを用意して、徹底的にこすり落とした。

 まずパテでシールの表面をこすり落とす。さらに残った接着剤の部分を金属たわしでこすり落とす。

 窓は二枚。この作業にまる2日かかった。あとは新しいシールを貼るだけ。こうして今年のGWは終わった。レポートの一つは今やっつけた。あと一つレポートが・・・。なまけ者は夕方になってから慌てるというが、わたしも夕方慌てるしかない。



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mojabieda * 暮らし * 12:34 * comments(0) * trackbacks(0)

焼け石に水(あるいは焼け跡に水)

 きのう預金通帳を見てびっくり。「絶対防衛線」が突破された。ここ数年みたこともない預金額になっていた。ショック。気落ちしてしまった。

 おかしい。このまえ定額給付金と子育て支援手当という名目で、納めた税金がわずかに還付されたはずなのに(こういうのを焼け石に水、あるいは焼け「跡」に水というのかもしれない)。

 今年に入ってから、さまざまな出費があったから仕方ないか。家計簿(100円ショップで買った)をつけているので、その詳細は把握している。特別支出が多かった。

 長男の小学校入学にともなうさまざまな出費(机とかランドセル)。さらに突然のパソコンの故障、ダイレクトメールのように勝手に「電気紙芝居」を送ってくる上映機の故障がつづいた。さらにプッツンと突然電源が切れてしまうデジタルビデオカメラ(昔オークションで手に入れた)をあきらめて新しいカメラを買ってしまった。で、車の定期点検も。

 しかしこれらは減価償却によるもの。この上に何か椿事でもあれば、家計は一気に破産へむかう。まさに「すべり台」(湯浅誠)のよう。



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mojabieda * 暮らし * 06:34 * comments(0) * trackbacks(0)

夏の終わり



 夏の終わりごろのことを晩夏というのだろうか、シュティフターの小説の名になっている。



 町内の防災訓練があった。天気がよい。空気がもう秋だ。田んぼの穂波にはトンボが舞い飛び、案山子もたくさん見える。ポンプの水に子どもたちが群れ集まった。



 百日草が庭に一輪咲いている。優雅に永く咲いてくれるが、この夏だけ。






 夕暮れに群青色の空を見た。その群青色を眺めていたら、なぜか妙に胸がわくわくした。誰かと待ち合わせているかのような思いだった。

 翌朝の夢に、むかしの懐かしい女性が出てきた。心に滲み入るような邂逅。目覚めたあとも、しんみりとした感情が残った。

 なにとなく君に待たるる心地して出でし花野の夕月夜かな

 これは与謝野晶子の歌だが、この歌のキーワードは「なにとなく」ではないかと思った。わたしなら、「なにとなく君を待ちたる心地して眺めし窓の群青色かな」。


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mojabieda * 暮らし * 19:00 * comments(0) * trackbacks(0)

四つ葉のクローバー

 世の中は知らないこと・分からないことばかりだ。ちょっとしたことでも気になってしまうのは性分か。

 通勤途中でときどき見かける車の「四つ葉マーク」と「車いすマーク」の違いも知らなかった。車いすマークは公共機関などで、身体障害者が利用できる建物、施設であることをあらわすマークらしい。個人の自家用車に付けるたぐいのものではないようだ。

 いっぽう車に貼られた四つ葉マークは身体障害者がその車を運転していることをあらわすマークだという。6年くらい前に設定されたという。

 で、ふと思う。「しかし、どうしてそのマークが四つ葉のクローバーなのだろうか」と。

 ネットで広報「けいしちょう」を見ると、次のように記されていた。「このマークは幸せの象徴である四つ葉のクローバーをモチーフに「愛情・優しさ」を4枚のハート形の葉で表現し、優しさや譲り合いによって、より良い交通社会の発展を願って図案化されたものです」。

 なるほど。しかし葉がハート型うんぬんというのは、とってつけたような理由だ。なぜならハート型の葉はシロツメクサではなくカタバミの方だから。それをあえて四つ葉のクローバーだというからには、それなりの意図があるのだろう。

 新幹線の一等車(グリーン車ともいう)の標識が「四つ葉のクローバー」なのは、なんとなく分かる。庶民にとっては高嶺の花ならぬ四つ葉のクローバーそのものだから。

 ともかく分からないこと・ふしぎなことが多い。

 クローバーはシロツメクサとも呼ばれているのでシロツメクサについてネットで調べてみた。

 シロツメクサの「ツメクサ(詰め草)」とは、弘化3 (1846)年にオランダから献上されたガラス製品の緩衝材として詰められていたから、とネットの百科事典などに見られる。

──弘化3(1846)年?
 
 どうしてこんなにも年代がはっきりしているのだろう、ふしぎだ。

 だとしたら、きっと確かな出典や由来があるはずだ。もしそうでないのなら、「一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」たぐいかもしれない。

 ネットによれば、「さつまあげ」も同じ弘化3年に琉球から伝わったという。シロツメクサと同じ年とはぐうぜんか?関係ないがアサヒビールのアサヒ飲料も弘化3年創業。これはぐうぜんだろう。

 さて、さまざまにネットで検索して調べてみると、次のことが分かった。

 江戸時代の駿河町奉行に貴志孫大夫忠義(きしまごだゆうただよし)(1800〜57)という旗本がいたらしく、好事家だったらしいかれが、シロツメクサのいきさつを本に書いている由。その書名は『竹園草木図譜』。
 
 その本について書かれた本があり、その書名は『こんな本があった!江戸珍奇本の世界』(塩村耕)。

 その中に次のような解説があるという。オランダから将軍家へ贈られたランプや花瓶などが壊れないように、箱の中に詰め物が入っていた。それを取り出したあと種が落ちているのを孫大夫が見つけ、ためしに栽培したのがはじまりだという。

 しかしネットの風説などは孫引きの孫引きみたいなものだ。一次資料の『竹園・・』に当たることはできそうもないので、とりあえずそれを引用している『こんな本があった!』という二次資料を確認しなければならないだろう。ネットに出典が記されていないのは孫引きだから?あるいはもしかしてトンデモ本?だから?

 また別のネット記事によれば、現在全国に帰化しているシロツメクサは(明治期に)牧草や芝生用に輸入されたものらしい。牧草として日本に輸入されたのは1874年に北海道開拓使が米国から導入したものが最初とされる。1886年には東京や札幌に帰化していたという。ともかく帰化して全国にひろまったのは1世紀半くらい前に遡るだけにすぎないということははっきりしたようだ。その間にすっかり全国に広まってしまうものなのだなあと思った。

 四つ葉のクローバーに関してはナゾだらけ。アイルランドとのかかわりが興味ぶかい。いずれじっくり調べてみたい。


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mojabieda * 暮らし * 07:19 * comments(0) * trackbacks(0)

旨し糧(うましかて)



 「回らない灯籠」の使い道がなく、夕べのご飯は野菜カレーをつくる。トマトの酸味がいい。

 それでダイニングのテーブルの上に「回らない灯籠」を置き、淡いセロハン紙の色に照らされたあやしいカレーを眺めると、なんとなくおいしそう。

 そうして『ハウルの動く城』の中のようにらんざつな台所をレストラン『回らない灯籠』と称して、みんなで淡い灯りのもと野菜カレーを食べる。「旨し糧(うましかて)」。夏は野菜カレーがいい。




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mojabieda * 暮らし * 06:50 * comments(0) * trackbacks(0)

正常化の偏見──心身の慣性の法則

 7月に入って急に暑くなった。それまでは過ごしやすかったのだ。いつ暑くなったかというと、7月4日(金)から。外気温が朝からすでに26度ほどあった。一日暑かった。

 こういうときに体調をくずす。心身がついてゆけない。年を取ると季節の変化にますますついてゆけない。若いときにはたぶんすぐに回復した、というよりも慣れた。暑くなった(寒くなった)当初はまいるが、だんだんと心身が慣れてゆき、耐性がついてくる。しかし年を取ると、慣れてゆく期間がだんだん長くなる、あるいは慣れないままになる。

 突然高校時代の同級生から電話があり、猛暑のころにみんなで集まって飲みたいという。30数年ぶり。みんなずいぶん変わっただろう。

 いままで同窓会のたぐいにはほとんど参加して来なかった義理欠き人間のわたしが、さいきんは心境が変わってきたようだ。その心境をちょっと振り返る。「生きている」うちは同窓会へ出ようとは考えなかった、ということばが浮かんだ。ということは、今は半分死んでいる?

 生きてバタバタして日々を格闘しているうちは同窓会へ出ようとは思わなかった。そう思う心のどこかに、いつか(いつでも)逢う機会がある、という思いがあったのだろう。しかし、そろそろ出ないともう今生では逢う機会もなくなる年齢に近づいてきた、という自覚が生まれつつある。

 いまのところみんな元気そうだが、わたしを含め、いつどんなことが起こるか分からないということが暮らしのなかで骨身にしみて感じられる年齢になった。

 「死後」まで見とおせたときに生の風景は変わってくるのだろうか。『死ぬまでにしたい10のこと』という映画の原題はたしか『My Life Without Me』(わたしのいないわたしの生活)だった。

 防災用語に「正常化の偏見」(normalcy bias)ということばがある。災害が起こる可能性があっても、自分だけは大丈夫と思い込んでいるふしが誰にもあるらしい。それを正常化の偏見と呼ぶ。宝くじに当たる確率と事故に遭う確率とをくらべれば、たぶん圧倒的に後者の確率の方が高いくせに、前者にばかり当たると思い込んでいる(わたしもそう)。
 
 すぐに連想するのが等速直線運動──慣性の法則だ。「今まで大丈夫だったから、このまま平穏な状態がいつまでも続く」という思い込みに心身が支配されている。わたしはこれを「心身の慣性の法則」と呼ぶ。ここからいわゆるヒューマン・エラーも発生するのだろう。慣れているはずのいつもの道路の方が事故を起こしやすいともいう。

 「わたしのいないわたしの生活」まで見通せたとき、はじめて人は「心身の慣性の法則」から自由になる、のかもしれない。

 さて、暑さになかなか慣れないまま日を暮らしている。



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mojabieda * 暮らし * 19:01 * comments(0) * trackbacks(0)

シュールな会話

 ■ 今朝の夫婦の会話

──きのう雨降ったっけね
──うん
──だから竹藪だった
──・・・???

 シュールな会話だ。雨が降ったから「竹藪」になったという・・・。

 くわしく言うと、雨が降って職場の駐車場が満車になったため、職場から離れた竹藪が生えている空き地(いちおう職場の駐車場らしい)に通勤の車を停めたという意味だ。これがいっしゅんのうちに理解できる人はこの世には本人しかいないだろう。

 独り言のようなことばを公に流通させることはできないのに、どうしてこのような「人の理解を求めることを前提にしない法外な話し方」ができるのか不思議だ。職場できちんとコミュニケーションがとれているのだろうかと心配になる。

 ■ 今朝の職場で同じ仕事をしている者同士の会話

──これはまだアレをアレしていないから(こんなに残金が残っているんだ)。
──ああ、まだアレがあったか。はやくアレをアレしなくちゃだねえ。

 端からはまったく理解できないだろう。しかし当人同士は通じてしまう。

 会話が成立する条件として、ことば以前に何かがありそうだ。共通の利害に共通の関心があるばあいは、符牒のようなことばでも通じてしまう。反対に、心の向き方がバラバラで共通の関心がないと、ことばはまったくかみ合わない。「人の理解を求めようとしない」ことばを発し、「人を理解する気がない」聞き方をするからだろう。お互い「空気のような存在」に感じている者同士の会話はしたがってシュールにならざるをえない。



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mojabieda * 暮らし * 22:29 * comments(0) * trackbacks(0)

走る凶器、走るカンオケ

 きのう東名を走ったが、80キロ平均でゆっくり走る。車間距離もかなり空けた。ほとんど走行車線を走る。ときどき前がいっぱいになる。

 と、このとき、後ろから車間距離を狭めて迫ってくるクルマやトラックがある。だったらさっさと追い越し車線を走れよと思う。

 一般道路でも同様。前がつまっているのに、どうしてキリキリまいして迫ってくるのだろう。あぶなくてしょうがない。だから余計にわたしは意地でも車間距離をキープする。ばかかこいつは?と思う。

 船乗りは「板子(いたご)一枚下は地獄」と言った。クルマは「鉄板一枚外は地獄」だ。走るカンオケに乗っていると思えばいい。ちょうどそのように内部をイミテーションのイリュージョンのデコレーションで飾っているクルマもある。

 ケーサツや893のクルマもこわいが、いちばんビビるのは霊◯車。しかしみんな実はソレに乗っていると思えばもっとゆったり走るのではないか。

 仕事と買い物と保育園の送り迎えで必要悪なのがクルマ。ローンは終わったが、車検、税金、ガソリン代、修理費、メンテナンス費など、途方もない金食い虫。

 たいてい通勤に使うのは一日一時間もかからないから23時間は野ざらし。そろそろ考えなければならない時期かもしれない。


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mojabieda * 暮らし * 06:35 * comments(0) * trackbacks(0)

レジ袋の有料化

 隣町のスーパーで買い物をした。するとビニールのレジ袋が有料だという。わずか5円だったが、バカ見たなあと気落ちしてしまった。それからはカバンの中にいつも折りたたみ式のレジ袋(缶ビールのパックのおまけ)をひそませるようになった。

 そこで5円のレジ袋の心理を分析してみた。5円でも10円でも金額にあまり違いはない。有料であることの心理的負荷は大きい。レジでビニール袋を「買う」ことが恥ずかしかった。というのはその場で買う人などいないかったから。みんながレジ袋を持っていたかどうかしらないが、「わたしだけ」奇異な印象を周りに与えたようだ、「あんた、今ごろになって、そんなことも知らなかったの?」

 そそくさとスーパーを出たけれど5円の効果はバツグンだった。べつの日にまた違うスーパーに入る。簡単な買い物で急いでいたからレジ袋も持ってこなかったけれど、ビニール袋がないことが「自然」に身に付いていて「自然」に両手でかかえて持ち帰った。これが「進歩」である。

 さいきんの通勤道路のようすを見ていると、ガソリンの高騰からどうも自転車通勤がわずかに増えたような気がする。自家用車から自転車へ。環境に対する負荷を考えるとこれも「進歩」である。

 かつて公共機関の鉄道を廃止して自家用車が走るハイウェイを全国にめぐらせることがあたかも「進歩」であるかのようにいわれていた。しかしこれからは逆のことが「進歩」になるはず。とはいえ、ドイツにもフランスにもイタリアにもある「国鉄」をつぶした(分割民営化ともいう)日本でそれは可能だろうかと疑問にも思う。


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mojabieda * 暮らし * 06:34 * comments(0) * trackbacks(0)
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