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開けられます

 満員電車にゆられながら、ドア近くを見ていた。

 目の前に「非常用」という赤い表示があった。その下には、
 「この下のハンドルを手前に引けば/ドアは手で開けられます」とあった。
 その下は英語で記されていて、
 「PULL THE HANDLE
  THE DOORS CAN THEN BE OPENED MANUALLY」
 とあった。

 「開けられます」は、「可能」の意味なのか「受動」の意味なのか、これだけ単独に取り出せば分からない。文脈から「可能」だと分かる。英語なら「CAN」という助動詞を使い「可能」という意味が明確だ。英語は「可能」と「受動」とはまったく違うことば(文法)で表現する。しかし日本語だと「可能」と「受動」が同じ「れる」「られる」いう助動詞で表現される。どうしてだろう?とふと思った。

 日本語の環境下(つまり日本の社会)では「可能」は「受動」的なものだったのだろうか。「受動」によって「可能」になるということ。「じぶんが〜する」ことによって何かが可能になるのではなく、「だれかによって〜される」ことによって何かが可能になってきたという歴史を物語っているのだろうか。とふと思った。

 さらに日本語では「れる」「られる」は「尊敬」をも意味する。つまり(◯◯様が)「〜られる」ことによって何かが受動的に「〜られる」ことになり、それによって何かが「〜られる」(「可能」)になってきた歴史があるということだろうか。とふと思った。

 しかし現在では「ら」抜きことばがはやっている。つまり「開けられます」ではなく「開けれます」という。これは「可能」「受動」「尊敬」の渾然一体状態からの「可能」の差別化だ。「可能」がようやく「受動」と「尊敬」から離れることができた、ということなのかもしれない。とふと思った。

 日本語は日本人の暮らしの歴史を物語るのかもしれない。と電車にゆられながら思った。


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mojabieda * 言語 * 19:22 * comments(0) * trackbacks(0)
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