<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
               Page: 1/2   >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク * - * * - * -

『白バラ』を読む 1

 20世紀のヒトラー・ドイツのファシズム体制のミュンヘンで、反戦と反ヒトラーを呼びかけた学生たちがいたが、かれらははじめ「白バラ」というビラをつくって配付した。特にショル兄妹(ハンスとゾフィー)は有名で、その姉インゲ・ショルが戦後に著した『白バラ(Die Weisse Rose)』(邦題は『白バラは散らず』未来社)は、現在もドイツで発行されているおそらく隠れたベストセラーだろう。

 しかもこのショル兄妹たちは、現在のドイツのテレビ局の調査によると、もっとも偉大なドイツ人の第4位に位置するという英国のFrank McDonoughの指摘もある(『ゾフィー・ショル(Sophie Scholl)』の第五章)。この兄妹を描いた映画もすでに三作つくられた。現在のドイツではショル兄妹たちはいわば伝説となり神話となった感もある。

 この人気の背景にあるものが何かはよく分からない。ヒトラー時代にもこのように平和と自由のために命を賭けた若者たちがいたことを証拠にして、ヒトラー・ドイツがまったく「特別な=否定すべき」ドイツ(=本当のドイツではない)であったことを内外に示そうとしているのだろうか。

 現在未来社で出版されているのは、この『白バラ』の初期の版の訳であり、現在入手できる最新版(ドイツ語)は初期の版とかなり違っている。こういうことが出版界ではよくあることなのかどうか知らない。ドイツではとっくに絶版となった最初の版の訳が日本では現在も出版されているが、ドイツ本国では(何度も?)新しい版へと改訂されているようだ。なぜそのようにたびたび改訂する必要があったのだろう。

 また戦後はじめて出版されたこの「白バラ」グループの基本的な研究書『処刑台の上の学生たち(Studenten aufs Schafott)』も『白バラ抵抗運動の記録』(ペトリ/未来社)として邦訳され現在も日本では出版されている。この書を著したペトリはこの学生たちの抵抗運動を、現実を少しも変革できなかった「挫折」「誤り」「幻想」として批判的に捉えているようだ。基本的な文献なのに現在のドイツでは絶版になっているらしい。山下公子『ある若者たちの生と死』(雑誌の連載)によれば、ペトリの書の絶版にはどうやら『白バラ』を著したインゲ・ショルたち遺族の(絶版)運動が大きくかかわっているらしい。つまりインゲたちが絶版にさせたということだ。これだけではなく、カトリックとプロテスタントとの間の宗教がらみもあって、ドイツ本国には白バラをめぐってさまざまな思惑が渦巻いているように思う。

 こういう確執がない遠い他国にいるわれわれの方が、もしかしたら白バラと白バラをめぐるドイツの状況とをより客観的に見れるかもしれない、と思うことがある。

 とはいえ実際にこの学生たちの運動を歴史的にはどう評価したらいいのか。現実をまったく変えられず、むしろ(非道な)現実を、結果的により悲惨な結果へとはからずも導いてしまい、多くの無益な命を落とさせてしまった若者たちの「若気の至り」だろうか。あるいは戦後(自らの罪を贖罪するため)ドイツ人がヒトラードイツと縁を切る「免罪符」として誉め称える格好の材料を提供したのだろうか。または戦後ドイツ人が国際社会へ復帰するための自信回復の拠り所となったのだろうか。あるいはこれらすべてなのか。

 あえて酷な言い方をすれば、ヒトラードイツ時代、数万人ともいわれる処刑された国家反逆者たちの中で、どうして「白バラ」だけが突出して現在人気があるのかは、かれらがただ戦後ドイツの(あるいは連合国の)政治的なプロパガンダに利用されたからだ、という見方もできるかもしれない。かれらは政治的にはおそらく「タブラ・ラサ」で、純粋な(しかも信仰心の篤い)若者たちであったし、古き良きドイツの教養ある市民層の出身だったようだ。そういう意味で「英雄」(=「犠牲」)として担ぎあげるにはちょうどいい「人材」であったのかもしれない。さいきん出版されたバーバラ・ライスナーの本(『Sophie Scholl und der Widerstand der Weissen Rose』)によると、白バラグループが作成した抵抗運動のビラが外国へもたらされ、外国でひろまり、戦時中のドイツへ逆輸入され、世界的にも知られるようになったことが、「白バラ」の突出の原因だという。

 こういう見方に対抗して、そうではない、かれらは英雄ではなく、ごく普通の若者たちであり、(政治的に利用されようとされまいと)ひたすら純粋に魂の自由を求めて生き、闘ったのだという見方もある。これこそ『白バラ』の著者インゲ・ショルの立場だろう。そういう立場をより鮮明にしていこうとしたために(つまり「白バラ」もみずからの著書『白バラ』も国家や政治勢力に利用されまいとして)『白バラ』改訂版を何度も?出していったのではないか、と思われるのだが、どうだろう。

 また、この『白バラ』を読んでまず感じたことは、姉インゲ・ショルは当時、同じ兄弟なのにみずからは「白バラ」の活動を知らなかったがために、(自己弁明をも含めた)かなり複雑な心情を負い続けているのではないか、ということだ。これが『白バラ』執筆のそもそもの動機の一つではないだろうか、と思われる。

 また歴史家でもなく作家でもない一般人の著者インゲの叙述は、ショル兄妹という家族を描く以上、とうぜん私情をまじえている(というか描く動機がすでに私情からだろう)。ゆえに、単なる史実を描くのではなくて複雑な叙述になっているはずだ。一見ドキュメンタリー風に見えながら、これは著者の想像ではないか、と思われる部分が多々ある。どこまで著者は現場に立ち会い、見、聞いていたのか。いつその情景に出会ったのか。インゲ・ショルの叙述は自分の見聞と想像と後で人から聞いた(知った)こととがまぜこぜになっているような部分がある。逆に、ただ史実のみを(あえて)記そうとしている部分もある。そういうところから、いわば「問わず語り」に、著者インゲの(本人は意識していないかもしれない)さまざまな思いや意図が読み取れるかもしれない。

 実際の文章をみてみる。

 まず『白バラ』の冒頭はインゲ・ショルの、当時のふとした見聞からはじまる。列車の中に居合わせたナチスらしい男たち二人のひそひそ話が聞こえてくるところから描かれている。二人は不安がっていた。ミュンヘンで反ヒトラーの落書きや抵抗を呼びかけるビラが出現した、これからわれわれはどうなるのか、戦争が終わったらもうわれわれはおしまいだという話(男たちがナチスとは記していないが、ピストルを所持しているらしい叙述からナチスであることを暗示しているようだ)。

 ここでインゲが述べたかったことは、まず白バラグループの活動の影響の大きさ(ナチスへ与えた打撃の大きさ)であろう。それを実際に見聞した事実を冒頭にインゲはもってきた。もし(自分は当時知らなかった)弟妹たちの活動が軌道に乗っていたならば、おそらくドイツを大きく変えたかもしれないという可能性を浮かびあがらせようとしているかのようだ(だとしたらしかし、これははっきりいって過大評価かもしれない)。白バラのショル兄妹たちは逮捕され数日取り調べられ、裁判にかけられた日にギロチンによって処刑された。これはナチスによる見せしめの処刑でもあった。それを知らせる「燃えるような赤い掲示」にどれほど先のナチスの男たちが安心したことか、とインゲは記述する(逆にいえば、どれほど学生たちに同調する者たちを震え上がらせたことか、ということになるが、それについて著者は何も言及していない)。そういう(インゲ自身の)想像に言及することで、それほどまでに住民をなだめ、反乱の火の手を鎮静化させるためにナチスが躍起だったことと、その反乱の可能性の大きさとをインゲは暗示しているようである。

 しかし、ここで注目しなければならないことは、ショル兄妹(ハンスとゾフィー)の死刑判決と処刑とに、姉のインゲ本人とその家族がどれほどの衝撃を受け、その後どれほどの辛酸をなめたのかはまったく記されていない、ということである。私的な状況(じぶんを含めた残されたショル家の人々の衝撃やその後の生活)がまったく──不自然といってもいいくらいに──欠落している。これは何を意味しているか。

 さらに12ページ(『白バラ(Die Weisse Rose)』)にこうある──

 「おそらく、実際の英雄性は次の中にある、すなわち、ひたすらねばり強く日常的なもの、小さなもの、身近なものを守り抜くこと。そうしてその後になって、(世間は)その偉大さについて過剰に述べ(讃え)るのだ」。ここの叙述は、戦後のドイツの、ナチス統治の当時とはうって変わった世相──愛する弟妹を直接的・間接的に死地へ追いやった者たち、あるいはそれを黙って見ていた者たちが、手のひらを返したように、こぞって弟妹を讃える──世相を皮肉っているのかもしれない。

 さらにインゲの文章の中でときどき出てくる気になることばがある。それは「unterstuetzen」(支援)ということば。弟妹たちの抵抗運動を、当時知らなかった(しかしその可能性は感じ取っていたかもしれない)その心残りあるいは慚愧の思いが、この単語に見え隠れするように思える、というのは深読みだろうか。

 この『白バラ』で(長女の)インゲがとくに感情移入しているのは末の妹のゾフィーだ。じぶんも同じ状況に立ったならば、おそらくこう思ったはず、というじぶんの思いをゾフィーの内面に投影して生々しく描写しているようだ。たとえば、大学で見た白バラのビラの文句を兄ハンスが読んでいる本の中にゾフィーがぐうぜん見つける場面(おそらくこれはインゲの想像であろう。このようなことがあったかどうかは当事者がすべて殺されてしまっているから永久に分からないはず)。ドキュメント風に記述しようと出発しながら、途中で肉親としての思いをストレートに表してしまっているようにも思う。これらは「つくりもの」として「史的な資料」にはなりえないのだろうが、肉親としての「内的真実」として記さねばならないところだったのだろうと思う。

 さらにインゲが描こうとしているのは、弟妹の生の密度の濃さである。これについてはまた後ほど。

JUGEMテーマ:読書
mojabieda * 白バラ * 22:52 * comments(1) * trackbacks(0)

「自由な民主主義は市民の責任と連帯を必要とする」 2

 ドイツの元大統領ヴァイツゼッカーの、白バラ記念演説「自由な民主主義は市民の責任と連帯を必要とする」のなかで印象深いことばに出逢った。

 このテキストは同学社の『Die freiheitliche Demokratie bedarf der Verantwortung und Solidariät ihrer Bürger』(大澤峯雄編)。ここに詳しい注釈があってたいへんに助かる。その注釈を利用させていただいた。

◯「すべての暴力に抗い立つこと(Allen Gewarten zum Trutz sich erhalten)」──ハンス・ショルは死刑執行人に身をゆだねる前に、このように独房の壁に書いた、とヴァイツゼッカー元大統領は演説する。

 この引用はおそらくインゲ・ショルの『白バラは散らず』(『Die Weiße Rose』)からだろう。調べてみると── 

◯ そのあと黙って壁にむかい、ちょろまかした鉛筆で何やら白い壁に書いた。監房のなかはなんとみいえないほど静かだった。彼が鉛筆を手ばなしたとたん、錠ががちゃがちゃして扉があいた。警吏たちが彼に手錠をはめて、裁判へつれて行った。

 壁に書いてあった文句は、『なべての力にあらがい立ちて』(ゲーテ『リーラ』より)だった」『白バラは散らず』(インゲ・ショル著/内垣啓一訳/未来社)p104

Darauf drehtte er sich still der Wand zu und schrieb mit einem eingeschmuggelten Bleistift etwas an die weiße Gefängnismauer. Es war eine unbeschreibliche Stille in der Zelle. Kaum hatte er(Hans Scholl) den Bleistift aus der Hand gelegt. da rasseltm die Schlüssel und de Tür ging auf. Die Kommissare legten ihm Fesseln an und führten ihn zur Verhandlung. Die Worte, die er noch an die Wand geschrieben hatte. hießen: "Allen Gewalten zum Trotz sich erhalten."

 さらに調べると──

◯「父親がよく口にしていたゲーテの一句を、勤労奉仕をしていた数ヶ月の間に、ゾフィーはよく思い出していた。「すべての権力に立ち向かうべし!」父親はよく大声で「すべての!」としか言わなかったが、家族の者にはこれで充分だった。ゾフィーの場合これは、自分自身に対する厳しさと、まわりの心地良さを捨て、良心の選択に従うということを意味していた。」『白バラが紅く散るとき』(ヘルマン・フィンケ著/若林ひとみ訳/講談社文庫)p87,88。

Eine Zeile von Goethe, die der Vater häufig zitierte, kam Sophie Scholl während der Monate beim Reichsarbeitsdienst oft in den Sinn : "Allen Gewalten zum Trutz sich erhalten!" wobei der Vater manchmal nur laut "Allen!" sagte, und dann wusste die Familie Bescheid. In ihrem Fall hieß das: Härte gegen sich selbst, Entscheidungen gegen sich treffen. Immer wieder musste sie sich diese Härte abverlangen.

◯「フランスと同じように、ときどき私も降参したくなっちゃうのね。でも、いかなる暴力にみまわれようとも!」『白バラの声 ショル兄妹の手紙』(1940年6月17日のゾフィーの手紙から)(インゲ・イェンス編/山下公子訳/新曜社)p161上。

Auch mir ist manchmal danach zu Mute, die Waffen zu strecken. Aber, allen Gewalten zum Trotz!

これらを読むと、「すべての暴力に抗い立つこと(Allen Gewarten zum Trutz sich erhalten)」は父親の教育方針(家訓?)だったらしい。

もともとはゲーテの「Lila」という歌劇の詩句らしい。ネットで調べてみると──

Feiger Gedanken (臆病な考えや)
Bängliches Schwanken, (不安な迷い)
Weibisches Zagen(女々しいためらいや),
Ängstliches Klagen (びくびくした訴えは)
Wendet kein Elend, (悲惨を変えられない)
Macht dich nicht frei. (おまえを自由にはしない)

Allen Gewalten (すべての暴力に)
Zum Trutz sich erhalten, (抗い立つこと)
Nimmer sich beugen, (屈服しないこと)
Kräftig sich zeigen, (雄々しさを示すこと)
Rufet die Arme (神々の力を)
Der Götter herbei!(こちらへ呼び寄せろ!)

 訳はテーゲー(適当)。

 ここでヴァイツゼッカー元大統領はいう──

 「かれ(ハンス)とかれの仲間たちがまったき生の肯定をどこから確信していたのか?かれらがナチの不正の政治体制に従う義務はないという信念をどのようにして得たのか?悪の政治をなすがままに行わせることは臆病なことだという深い内面からの自信はどこから生まれたのか?ゾフィー・ショル(ハンスの妹)は手紙の中でこう書いている──「わたしたちは政治的に教育された」。この政治的教育というのは抵抗の教育を意味するのではない。精神の自由への教育、自立的判断への教育、意志への教育、必要とあらば抵抗へと自己決定する教育だ。」

 ここを読むといろいろと考えてしまう。まずは政治教育ではなく政治的教育の必要性。ハンスやゾフィーはさいしょは父親が反対するのもかえりみず、ヒトラーユーゲントなどのナチスの活動に積極的にとび込んでいく。

 ヴァイツゼッカーはさらにつづける──

 「かれらには責任ある自由を本気で考えていた両親と精神的な教師がいたのである。両親たちは、若者たちがすべてを根底から新しく造り直そうとする一方で、古い世代が既成のものへ若者たちを順応させようとする世代間によこたわる根本的な矛盾を理解していた。その理解と精神と愛とをもって、両親たち古い世代は、若い人々がじぶん自身で経験を重ね、じぶんの目と感情と価値とに信頼を寄せてもよいのだという自信を持たせることに成功した。ここから「すべての暴力に抗い立つこと」という内的な力と確信とが育ったのである。

 それにしても、それほどまでに若者たちを自由にさせ独立させ誠実にさせるために、どれほどの時間と、思いやりと、揺るぎない態度とを古い世代は必要としたことだろうか!今日の若者たちに、白バラの学生たちが指針として用いたような精神的な基準を求める者は、われわれの時代においてはまず両親たちや教育者たちの基準を問いたださなければならない。」(訳はテーゲー)

 多感なハンスやゾフィーはやがてナチスの活動に幻滅し、みずからの判断と信念とを苦しみながら培っていった。そうして大学生となり、白バラというナチに対する抵抗組織をつくっていく。こういう道筋を父親たちも見とおしてはいなかっただろう。子どもたちが「英雄」とされることも望んではいなかっただろう。しかしかれらは自らの道を選んだ。それぞれの自立的判断と意志と信念とによって。子どもたちは親の足もとから羽ばたいて行く。逆縁だったが、それもまた運命として受け容れなければならなかったのだろうか。いろいろ考えさせられる。教育は政治よりも猛なるもの[激烈なるもの]かもしれない。

 ヴァイツゼッカーは演説のはじめにこう述べる──

 「『君たちの心にまとう無関心の外套を脱ぎ捨てよ。遅くなる前に決断せよ』。「白バラ」抵抗運動の人々が逮捕と死刑の直前に5番目のビラでこう呼びかけてから50年が過ぎた。いつの時代でも、とくにわれわれの時代でも、自分なりのやり方で、この呼びかけの受け取り人である自分を認めてきた。われわれはじぶんの内面に、白バラの合図に答えるこだまを、常に新しく感じ取っている。」

JUGEMテーマ:日記・一般
mojabieda * 白バラ * 10:16 * comments(0) * trackbacks(0)

われわれ一人一人の、おのが現在

 あるドイツ語の学習用教科書を読んでいた。その中に「ウンゼレ・アイゲネ・ゲーゲンヴァルト」ということばが出てきた。

 ドイツ語で「現在」はゲーゲンヴァルト(Gegemwart)だが、ウンゼレ・アイゲネ・ゲーゲンヴァルト(unsere eigene Gegenwart)というと「われわれ一人一人の、おのが現在」ということになる。

 ドイツ語ではこういう言い方をするのか、と思った。「現在」とは客観的、普遍的な「いま」という時間を表すものだと思っていたが、その考えが根底からくつがえされたような気がした。

 「現在」という時間でさえ、一人一人がおのれの「現在」を持っているのだとしたら、「世界」だってそうだろうし、もちろん「現実」も「真実」もそうだ。それぞれがおのれの「世界」「現実」「真実」を持っているはず。そう考えることで、忘れていた何かを取り戻したような気がした。

 時間も空間も現実も真実も、すべて「向こう側」にあるような思い込みを、無意識にでもして来たのではないか。というか、時間も空間も現実も真実も「向こう側」によって無意識のうちに搾取されて来たのかもしれない。

 じぶんが世界と向き合っている現在、この「現在」はわたしのものだ。そういう思いは意志に通じているように思う。世界に一人立つというような個(孤)の意志。「ウンゼレ・アイゲネ・ゲーゲンヴァルト」ということばに、ヨーロッパ人の精神に流れるダイナミックな意志を感じる。

 ちなみに何の教科書かというと、ドイツのリヒャルト・ヴァイツゼッカー元大統領が1993年2月15日にミュンヘン大学で行った「自由な民主主義は市民の責任と連帯を必要とする」という小さな演説集。50年前にここミュンヘンを舞台にした「白バラ」の抵抗運動の記念演説。

 第2章のさいしょのあたり。訳すと「われわれは当時の出来事を思い起こすために今日ここに集まっている。この催しは、公開の回想や結束の儀式であってはならないし、それではあり得ない。およそ思い起こしというものは『われわれ一人一人のおのれの現在』の行為である。」

 「われわれ一人一人のおのれの現在」の行為であって、現在の「われわれ一人一人のおのれの行為」ではない。日本語があいまいだから、人も国もあいまいになってしまうのだろうか。核密約など、なにをいまさらとUSAなどは思っているにちがいない。

 原文は「Jedes Gedenken ist ein Akt unserer eigenen Gegenwart.」

JUGEMテーマ:日記・一般
mojabieda * 白バラ * 22:24 * comments(0) * trackbacks(0)

『白バラの祈り』資料集が出版される

 未来社から待望の『白バラの祈り』資料集が出ました。

■ 「白バラ」尋問調書──『白バラの祈り』資料集
 定価は3,200円(税を含まず)

◇ 第1章 「白バラ」のビラ
◇ 第2章 「自由!」──「白バラ」小史、その最期から遡る
◇ 第3章 バイオグラフィー・メモ
◇ 第4章 「白バラ」メンバーの尋問調書

 昨年、未来社が出版した『白バラの祈り』(映画『白バラの祈り』の、カットされていないオリジナル・シナリオ)の姉妹編です。映画は新発見のこの尋問調書が基になってつくられています。
 
 1945年にソビエト軍がドイツを開放するときに、ベルリンにあった裁判所に残っていた取り調べ調書や議事録を押収してモスクワへ持っていかれました。やがてこれらの資料はソビエトから旧東ドイツ政府へ送られ、旧東ドイツの秘密警察の書庫に奥深くしまわれていました。その後、東西ドイツが統一され、秘密警察のもとから連邦公文書館に移され、ようやく(奇跡的に)陽の目を見ることができた資料です。

 原書はFischerから出版されている『SOPHIE SCHOLL DIE LETZTEN TAGE』です。原書では第4章がシナリオになり、第5章が尋問調書になっています。
mojabieda * 白バラ * 20:16 * comments(1) * trackbacks(0)

「良識派」

 1943年、ナチスドイツ下のミュンヘンで「ヒトラー打倒」「自由」と落書きをし、ビラを撒いた若者たち(「白バラ」)が捕まり、死刑になった。

 2003年4月17日、日本の東京都杉並区立西荻わかば公園のトイレの外壁に「戦争反対」「反戦」「スペクタクル社会」(なにこれ?)とスプレーで落書きした当時25歳の若者が逮捕され(44日勾留され)た。

 そして第1審判決で「懲役1年2ヶ月(執行猶予3年)」の判決を受けた。建造物損壊罪だという。

 今年、最高裁は被告の「上告」を棄却、1、2審の有罪判決が確定した(2月17日)。

 落書きには「軽犯罪法違反」や自治体の条例が適用されるのが普通だそうだ。それを懲役5年以下の建造物損壊罪として認めた最高裁判断は初めてらしい。

 基本的に、その若者がどんな思想を持っているのかということとは無関係だろう。犯罪は「〜する」という具体的な行為・行動に罪がある。

 政府高官が世間をさわがすカルト教団に心ひそかに好意を寄せていたとしても問題にはならないかもしれない。しかし内閣官房長官の名でそのカルト教団に祝電をおくるという行為はたいへんな問題になる、はずだ。

 なのに、ほとんどマス・メディアは問題にしていない。あとでとんでもないしっぺ返しがくるからだろう。テレビで(唯一?)「祝電事件」をとりあげたTBSはいまどういう状況になっているか。

 祝電事件については「たんぽぽのなみだ」さんがリストをつくっている。
 http://taraxacum.seesaa.net/article/20042369.html

 いっぽう一人の人間が公共施設に「反戦の落書きをした」という事実で懲役刑になる世の中が到来した。サラリーマンや公務員なら判決が出た時点でクビになる。アパートなども逐われて路頭に迷うだろう。

 トイレの壁の塗り直しに7万円かかったという。ふつう考えれば、厳重注意して弁償させることで充分ではないかと思う。

 思うに、「平和」で「自由」で「民主」の日本の現状は、ほんとうは戦後ずっと「平和」でも「自由」でも「民主」でもなかったのではないか。いったい今まで平和憲法は一度でも生かされてきたのか。生かそうとしてきたのか。

 戦後日本は他国の戦争で復興し、経済成長をとげ、今日に至っている。さらに戦後日本は他国の戦場へ(他国のだけでなく自国の)軍隊も兵器も資金も送っている。そう考えると、この国の「平和」などというのはうわべだけのものだろう。

 しかも福祉国家から弱者切り捨て(棄民)国家へと歪んできているから、ここ8年間つづけて自殺者3万人以上の国となっている。そう考えると「平和」であろうはずがない。

 では「自由」で「民主」的か?

 ふつうの市民が合法的に国会へデモ行進をすれば大勢の私服警官につきまとわれ、教員が教育研究の全国集会へ行こうとすれば必ず会場の取り消しにあい、◯翼街宣車が3桁ほどもかけつけて妨害する。これはもうずっと昔からのことだ。

 県民がいくら反対しても県民の税金で赤字必至のエアポートをむりやり造らされる。ある県では行政が裏金を数億円もつくり、隠しきれない500万円を焼いたという。なにそれ?7万円の比ではない。

 ある勢力にとって不利益な者をレッテル貼りすれば、自動的に社会から抹殺することができる。昔は「非国民」と「アカ」、少し前までは「過激派」、それがいまや「テロリスト」だ。

 権力をにぎる政治屋たちは国民にしきりに言い含める、押しつけられたものは「日米安保条約」と「米軍基地」なのに、なんと「平和憲法」と「教育基本法」だなどと。

 うそも千回言いつづけられると、「良識派」の国民はそんなものかと思うようになるようだが・・・。

 安部公房に「良識派」という短い小説がある。ニワトリと人間の話。

 「昔は、ニワトリたちもまだ、自由だった」から始まる。

 そこへ人間がやってきて、ネコから守るためにニワトリたちに「小屋」を建ててやるという。

 どうもあやしいと人間を警戒するニワトリに、人間は「そういう君こそ、ネコから金をもらったスパイではないのかね」と迫る。

 スパイの疑いをかけられたニワトリは仲間はずれにされる。

 ニワトリたちは話し合うが、ニワトリたちの「良識派」が勝って、自らオリの中に入ってしまう。

 おしまいは「その後のことは、もうだれもが知っているとおりのことだ」で終わる。

mojabieda * 白バラ * 22:57 * comments(2) * trackbacks(1)

白バラ対カギ十字とヴァルハラ神殿

 カール・ハインツ・ヤーンケ(Karl Heinz Jahnke)さんが著した『白バラ対カギ十字』(Weisse Rose contra Hakenkreuz)は、2003年の5月28日に、マリー=ルイーゼ・シュルツェ=ヤーンさんの85歳の誕生日を記念して出版されたもの。かの女の恋人のハンス・ライペルトはナチの裁判で死刑にされた「白バラ」の関係者である(この書物は69年にも一度出版されている)。
 
 この本のなかで、なんだか目にとまってしまったのは、2003年の2月22日の「白バラ」の処刑の日からちょうど60年めに、ゾフィー・ショルが白バラなどのドイツ抵抗運動の代表(象徴?)として、レーゲンスブルクの郊外にあるらしいヴァルハラ(Walhalla)というアテネのパルテノン神殿を模した「神殿」のなかに、その胸像が納められたという記事。

 このヴァルハラ「神殿」は、ドイツの文化・社会に功労のあった人を記念する「神殿」のようだ。90年はアインシュタイン、98年はアデナウアー、2000年はブラームスの像が納められたらしい。

 本には、姉のエリーザベト・ハルトナーゲル=ショルのあいさつ文が載っている。その中に出てきたことばが「ツィヴィール・クラージェ(Zivilcourage)」。辞書を見ると、「理不尽な事柄に対して市民として自己の信念を主張する勇気(ビスマルクの造語)」とある。

 ここまで祭り上げられると、さすがになんだかな〜という気がするのだが。しかし「ゾフィー・ショル」には成り得ずに、いまも埋もれたままで名誉回復もされない反ナチ・反戦で処刑された数え切れない人々がいるだろう。あるいはいまだに意図的に(政府が)埋もれさせて(政治的に)抹殺したままの人々もいるだろう。

 それにしても、この「神殿」ということで、短絡してしまうのは日本の・・・国神社。もしヒトラーの像がヴァルハラ「神殿」に納められていたとしたら、と想像すると、彼我の違いが見えてこないだろうか。しかも、そのヒトラーを納めた神殿に、毎年ドイツ首相が敗戦記念日にお参りしていたら、近隣諸国(および世界中)はどう思うだろう。




mojabieda * 白バラ * 21:47 * comments(0) * trackbacks(0)

映画『白バラは死なず』のテロップ事件 2

 以下はネットの『白バラは死なず』の解説資料──
http://www.kinderkinobuero.de/downloads/kino_ab_10/Online-Fassunge_WEISSE_ROSE.pdf
──の『戦後の司法』の後半の訳です。

社会の鏡としての映画

 フェアヘーフェンの『白バラ』の評価と受容の歴史へ目を投じてみると、はじめからこの映画は社会的な激しい抵抗を伴っていたことが分かる。
 助成機関(Foerderungsinstanz)が何度もこの扇動的な映画を拒否しただけでなく、レオ・キルシュという以前の共同制作者さえも、『白バラ』のような危険なテーマの映画から手を引いたほうがよいというある階層からの指示を受けてこのプロジェクトから降りてしまった。
 それによってフェアヘーフェンはただ独り戦うことになったが、かれは信念を失わず、映画による批判を、とくに連邦裁判所とその判決へとむけた。
 というのは「白バラ」に対する民族裁判所の判決そのものについて1982年の(映画)製作の年にはまだその無効が宣言されていなかったからである。
 ベルリン芸術祭における「白バラ」の初演にさいして、映画の(最後の)テロップには二つの短い、しかし批判をこめた文があった──

 「連邦裁判所の見解によれば、「白バラ」に対する判決は正当なものである。それは今なお有効である。」

 まがまがしい結果をもたらしたこの二つの文はフェアヘーフェンの作品だけでなく、映画制作者自身のためにもならなかった。
 映画制作者は連邦裁判所に対する「攻撃」のために不評を買った。
 外務省は「白バラ」をボイコットし、世界中のゲーテ・インスティテュートでこの映画を禁じた。
 高校でもフェアヘーフェンの作品を見せることは許されなかった。
 教員が生徒たちに事前準備を充分にするという条件で、ギムナジウムでのみ例外が許された。

 結局、「白バラ」が重要な戦後の政治的決定の一つを生み出したとは言わないまでも、それに影響を与えたということは確認できる。
 というのは、民族裁判所の判決を連邦裁判所が最終的に放棄し、ナチスの司法の被害者の名誉を回復したのは、フェアヘーフェンの映画が熱烈な議論を湧き起こしたからだ。
 また、その議論が1982年の時点で、ナチスの時代の、まだ見直されていない死刑判決というテーマに光を当てたのだ。
 この作品のボイコットや取り戻した名声や獲得された成果は、映画が政治的な表現手段へと前進しうることの例として役に立つ。
 もちろんそこには、勇気や意志やツィヴィール・コラージェ(市民として自分の信念を主張する勇気──ビスマルクの造語という)を奮い起こして、優勢な娯楽メディアの中で社会的・イデオロギー的な批判を呼び起こした映画制作者がいる。

mojabieda * 白バラ * 20:43 * comments(0) * trackbacks(0)

映画『白バラは死なず』のテロップ事件 1

 映画『白バラは死なず』(82年)の最後に出たテロップの文字がどのようなものだったかについて調べてみました。以下の二つの資料です。

1 映画『白バラは死なず』の脚本(『Der Film "Die weisse Rose" : Das Drehbuch』 Michael Verhoeven, Mario Krebs)

Nach Auffassung des Bundesgerichtshofs bestehen die Urteile gegen die Weisse Rose zurecht.
Sie gelten noch immer.

 (連邦裁判所の見解によれば、「白バラ」に対する判決は正当なものである。それは今なお有効である。)

2 ネットの映画『白バラは死なず』の解説資料──
http://www.kinderkinobuero.de/downloads/kino_ab_10/Online-Fassunge_WEISSE_ROSE.pdf
──の『戦後の司法』の章

 ながいので、ヤフーで「kinderkinobuero weisse rose」で検索してください(グーグルではなぜかヒットしません)。

 PDFの36ページの冊子で、映画『白バラは死なず』についての解説書です。この中で、1のテロップが論議を巻き起こしたあと、それを六ヶ条の詳しいテロップに訂正したようですが、その六ヶ条について記されています。訳はかなりテーゲー(適当)です。

1. Nach Auffassung des Bundesgerichthofs waren die Paragraphen, nach denen Widerstandskaempfer wie die Weisse Rose verurteilt wurden, kein Bestandteil des NSTerrorsystems, sondern geltendes Recht.

2. Nach Auffassungen des Bundesgerichtshofs haben Widerstandskaempfer wie die Weisse Rose objektiv gegen diese damals geltenden Gesetze verstossen.

3. Nach Auffassung des Bundesgerichtshofs war ein Richter am Volksgerichtshof, der Widerstandskaempfer wie die Weisse Rose verurteilt, diesen damals geltenden Gesetzen
unterworfen.

4. Nach Auffassung des Bundesgerichtshofs konnte Widerstandskaempfern wie der Weissen Rose dennoch strafrechtlich kein Vorwurf gemacht werden, wenn sie in der Absicht, ihrem Land zu helfen, gegen diese damals geltenden Gesetze verstossen haben.

5. Nach Auffassung des Bundesgerichtshofs kann aber "einem Richter, der damals einen Widerstandskaempfer in einem einwandfreien Verfahren fuer Ueberfuehrt erachtete, heute in strafrechtlicher Hinsicht kein Vorwurf gemacht werden, wenn er angesichts der damaligen Gesetze glaubte, ihn zum Tode verurteilen zu muessen.“

6. Bislang haben noch keine Bundesregierung und kein Bundestag sich dazu entschliessen koennen, saemtliche Urteile des Volksgerichtshofs per Gesetz zu annullieren.


1 連邦裁判所の見解によれば、白バラのような抵抗運動者を裁いた条項は、ナチスのテロ体制の構成要素ではなく、現行の法律である。

2 連邦裁判所の見解によれば、白バラのような抵抗運動者は当時有効だった法律に客観的に違反していた。

3 連邦裁判所の見解によれば、白バラのような抵抗運動者を裁いた民族裁判所の裁判官は、当時有効だった法律に支配されていた。

4 連邦裁判所の見解によれば、白バラのような抵抗運動者は、しかしながら、かれらがかれらの国を救う目的で当時有効だった法律に違反した場合、刑法上なんら非難をうけるはずのものではなかった。

5 連邦裁判所の見解によれば、しかし「当時、抵抗運動者を非の打ち所のない手続きによって有罪とみなした裁判官は、かれが抵抗運動者を死刑にしなければならなかった当時の法律を勘案すれば、今日刑法上の観点からなんら非難をうけるはずのものではない。」

6 これまで、連邦政府も連邦議会も民族裁判所の判決を全面的に法律で無効と宣言する決定をしてこなかった。

 また、げんざいドイツで発売されているDVD『DIE WEISSE ROSE』(邦題『白バラは死なず』)では、この六ヶ条がテロップで流れます。さらにさきの解説書(ダウンロードしたPDF書類)にはこのような説明があります。

 フェアヘーフェンは、学生たちの抵抗運動グループに対する死刑判決が1982年の現在においてもなお法律的に永続していたことを簡潔に確認した。それで「白バラ」を、社会の道徳的・倫理的ありようを映す鏡の役となる映画にした。

 フェアヘーフェンの映画は論議を引き起こし、なかでも「白バラ」の生存者の一団を動かし、かれらは一堂に会して首都のボンへ行き、当時のヘルムート・コール首相と外務大臣ドルックに圧力をかけるに至った。連邦議会はもう一度正確にこの件に関して取り組んだあと、この活動は85年1月25日にドイツ連邦議会のすべての政党の声明を導き出した。このなかで、ドイツ議会は、(ナチの)民族裁判所の決定・判決のドイツ連邦におけるあらゆる法的効力を否認した。そして次のような文言で政治的な価値づけをした──

 「『民族裁判所』と呼ばれた制度は、法治国家の主旨からいかなる裁判所でもなく、ナチスの横暴な専制の貫徹のためにつくられたテロの道具であることをドイツ連邦議会は認める」。

 1986年にベルリンの検事庁は最終的に捜査手続きを停止した。それによって、検事と570名の裁判官は、米国の裁判所で有罪判決を受けたものも含めて、一人として責任を問われることはなかった。
 
 1998年の5月28日に、ドイツの転換期の後はじめてドイツ連邦議会はナチ時代に下された不当な判決を最終的に破棄した。

 とはいえ今日では(連合軍の)占領地域のいくつかの州で──たとえばバイエルン州では1946年の5月28日に──「バラ」判決が1946と47年に同じように破棄されているということが知られている。







mojabieda * 白バラ * 19:52 * comments(0) * trackbacks(0)

ミュンヒェンの白いばら

 7月25日、『ミュンヒェンの白いばら』(山下公子・筑摩書房)を読了。この本が日本で最初の(翻訳ではない)「白バラ」関係書籍らしい。数年前にネット(日本の古本屋)で手に入れた。1000円ちょっと。ところどころ目を通したが、全部を最初から読んだのははじめて。ところで、現在、アマゾンで検索すると(古本で)9800円ぐらい。なんでだろう?

 この著者山下公子さんはアリス・ミラーの『魂の殺人』の訳者だろうか。と思って奧付を見たらそうだった。

 読みながら、いちばん気になったのは「白バラ」にかかわる戦後のドイツのありようだ。

 80年代に観た映画『白バラは死なず』のエンディングにはこの判決は現在においても有効であるというテロップが流れた。

 このテロップがドイツでずいぶん論議をかもしたらしい。『白バラは死なず』は戦後ドイツのありように一石を投じた映画だった。そのことが『ミュンヒェンの・・・』を読んでよく分かった。

 『赤旗』の7月15、16日の連載記事に「過去と向き合う──ドイツの場合」という記事があり、そこに「白バラ」支持者として投獄され生き残ったマリー=ルイーゼ・シュルツェ=ヤーンさんのインタヴューが写真つきで載っていた。

 シュルツェ=ヤーンさんはハンブルクの「白バラ」の後継者であるハンス・ライペルト(死刑)と親しく、また「白バラ」の一人のフーバー教授(死刑)の家族を支える活動をして秘密警察に逮捕された。

 ハンス・ライペルトについては『白バラを生きる──ナチに抗った七人の生涯』(M.C.シュナイダー・W.ズュース/未知谷)に詳しい。

 その『赤旗』記事によれば、「白バラ」支持者であるシュルツェ=ヤーンさんは戦後もよく「国家の裏切り者」といわれ、(ナチスの民族裁判所の判決が戦後も有効であったため)元の大学にも復学を拒否されたらしい。だから「白バラ」の体験を語るには、戦後30年以上もかかったという。

 68年の学生運動の高揚のときから、次第に「白バラ」抵抗運動が「認められ」はじめたらしい。

 82年に映画『白バラは死なず』が公開され、先のテロップで論議がわき起こった。

 85年に、レーガン米大統領がコール独首相とともにドイツ将兵の墓地を参拝した折り、そこにナチ親衛隊の墓があったため、さまざまな論議がわき起こり、改めて「白バラ」関係者のまともな記念碑などがないことが逆に認識されるようになったという。

 それで87年に「白バラ」生存者・家族などが集まり「白バラ」基金をつくり、89年に記念館を開いたらしい。

 そうしてようやく95年に「白バラ」判決は無効とされたという(『赤旗』)。

 このあたりの事情については詳しいことは分からない。『ミュンヒェンの・・・』にはこうある。

 「今(88年)となっては(ナチの)国民(=民族)法廷の判決そのものが時効にかかり、判決としては正当なものだったことになってしまっている。フェアヘーフェン(82年の映画『白バラは死なず』の監督)が問題にしたのは、まさにその判決が判決として正当であるという点だった。そしてその問題提起の裏には、それらの判決を下したかつての国民(=民族)法廷、特別裁判所判事たちが、戦後も何食わぬ顔をして裁判官の職を続行し、高額の年金を貰って優雅な引退生活を送っていることに対する怒りがある。」(p370)

 また「連邦議会という公けの場で、繰り返し『政府としては、すでにその判決は無効になっている以上、改めて立法措置を取る必要を認めない』と言明」していたドイツ政府が、95年にはきちんと法律で無効であることを認めたということなのだろう。

 とりあえずここに至るまでには、実にねばり強い市民運動が必要だったのだろう。

 ここで考えたのは、大多数の戦後ドイツ人は、戦中のナチスの時代とさほど変わらなかったのではないか、ということだ。つまり、ナチスドイツの時代には、ナチズムに「迎合」し、戦後に西側・東側に無理やり編入された時代には、西と東に「迎合」し続けた、という点では変わらなかったのだ。体制の中を上手に泳いで生きてきた点では何も変わらない。だからこそ「負い目」もあって、「白バラ」運動を(たてまえとして)「ドイツの良心」に祭り上げることで、じぶんたちの「迎合」主義の免罪符にせざるをえなかったのだろう。

 その「迎合」世代を乗り越えられるのは、「タブラ・ラサ(白紙)」のその息子たちの世代である。今年、日本で公開された映画『白バラの祈り』の監督マルク・ローテムントは68年生まれだ。

 さて、そのドイツを日本に置きかえてみると、「日本の良心」として祭り上げるべき「白バラ」さえもないばかりか、A級戦犯が祭られた神社を現職の総理大臣が参拝しつづけている。ある意味、日本は戦前も戦後もなく一貫している。政府首脳も「正直」だ。

 戦後のドイツは「ナチスドイツではない、もう一つのドイツ=『白バラ』のようなドイツの良心」を必要とした。そうして戦後ドイツはナチスドイツを否定し「もう一つのドイツ」と一体化することで国際社会に認められようとした。ドイツはヨーロッパ大陸のなかの陸続きの国家である。
 
 では日本は?「軍国主義日本ではない、もう一つの日本=『白バラ』のような日本の良心」というものがない。ないどころか、政府は必要とも感じていないだろう。つまり、島国根性そのもので、いまも侵略を正当化するような政府だから、近隣諸国からああも批判されるのだろう。これほどまでに隣人たちから嫌われつづけても、太平洋の向こうにある「帝国」の「番犬」(「忠犬」)であるかぎり身の保障はあるというわけである。その「帝国」が、みずからを「国際社会」と名のっているのも笑止だ。



 
mojabieda * 白バラ * 17:59 * comments(2) * trackbacks(0)

7月22日、ようやくアマゾンにもDVD『白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々-』が


 ◯ 価格 3、701円
        (25%オフらしい)
 ◯ リージョンコード2
 ◯ ディスク枚数2
 ◯ 販売元 レントラックジャパン
 ◯ 発売日 2006年9月22日
 ◯ 特典映像(合計約130分の映像)
   ・海外版予告篇  
   ・日本版予告篇
   ・生存者(証言者)インタビュー
   ・「白バラ映画祭」時のシンポジウム映像
   ・日本公開初日舞台挨拶
    &ドイツ映画祭2005舞台挨拶

 ということは、ドイツ発売のDVDの特典映像とはずいぶん違っています。
 ドイツのものは、一つは脚本にはあっても実際の映画にはカットされた場面が(たぶんすべて)収録されていました(ということは、脚本全部をいちおう映像化しているということでしょうか)。
 またもう一つは、「メイキング・オブ・白バラの祈り」ともいうべき撮影の様子やキャストや裏方(舞台や大道具)へのインタヴューをたくさん撮っています。
 ギロチンなども苦心しながら精巧に(かつ、にこやかに)製作している様子が撮られていました。
 映画の舞台裏のようすがよく分かる映像です。
 そして、現代を生きているキャストや現代の街にただよう雰囲気と、映画の中の時代の人物や町の雰囲気とが対照的に浮かび上がり、その「落差」のようなものも強く感じました。
 ナチの制服を着る現代ドイツの若者のとまどいにも似たぎごちなさのようなようすもうかがえました。
 シンポジウムや舞台挨拶などの映像も大事ですが、こちらもぜひ「日本語版」化してほしかったなと思いました。予告編はカットしてもよかったのに・・・まだ手にしていないので全容は分かりませんが。
 とはいえ、さっそく予約してしまいました。

mojabieda * 白バラ * 21:05 * comments(0) * trackbacks(0)
このページの先頭へ