秋へ 村野四郎
コスモスの向こうを
傷兵がとおる
あかい帽子と
白い衣服と
手を執るひとと
手を曳かれるひとと
あたたかく
きよらかに
冬へ傾く
秋の中を
今年の「教育のつどい」の国語分科会のレポートの中に見つけた。村野四郎の戦中詩のひとつだそうだ。
大昔、ある人に教えられた詩。詩のなかの秋の風景と「秋へ」という題名との齟齬から何が読み取れるかという主題に迫る授業実践を聴いた人から教えられた。印象ぶかくて覚えていた。
詩人の目にまず(病院の庭の)コスモスが映る。その向こうを傷兵が歩いていた。コスモスの花の間にその傷兵の赤い帽子が見える。ふと、横には白い衣服の人が見えた。よく見ると白い衣服の人は手を執る人で、傷兵はその人に手を曳かれて歩いているのだった。「傷兵がとおる//あかい帽子と」とつながり、「白い衣服と//手を執るひとと」とつながっていく。「あたたかく/きよらかに」はふたりの情景だ。しかし現実は「冬へ傾く/秋の中」だった。
題名の「秋へ」と「コスモスの向こうを」という冒頭の描写が淡く穏やかな調べとなって詩の通奏低音になっている。「手を執るひとと/手を曳かれるひとと」、「あたたかく/きよらかに」という情景はあきらかに男女の、つつましやかな仕草とそこに流れる淡い情を思わせる。コスモスの色は初恋の色ではないか。一時的な淡い出会い。
赤い帽子は陸軍の軍人を表しているのだろう。歩いている以上重症ではないが手を執られないと歩けない。看護婦に手を執られながら歩く練習をしているのだろうか。やがて完治すればふたたび戦場へ赴かなければならない。
戦時中に若い男女が公衆の面前で手をとりあう光景などありえなかっただろう。しかも相手は兵隊だ。だからここの光景は場違いな、この世ならぬ奇跡のような光景だったに違いない。傷兵と看護婦だからこそあり得た光景だが、あたかも恋人同士のように、病院の庭なのか、コスモスを前景にして端から見ていても「あたたかく/きよらかに」見えた。心温まるような、清らかで平和な一風景ではなかったか。
傷兵は傷が治れば再び戦場へ赴き、もうもどってくることはないかもしれない。その不安が「冬へ傾く」という語が表しているのではないか。戦況はますまず激しく、苛烈を極める。だから、いま・ここの出会いをいつまでも、という詩人の切ない思いが詩に込められているのではないか。ひとときの出会いと平和な一瞬。それを永遠にとどめたいという詩人の思いがあるのではないか。「冬へ(傾く)」ではなく、いつまでも「秋へ」むかって歩いていってほしいという思いが題名となって現れているのではないか。しかもコスモスの花──
コスモスの花。コスモスは遠くギリシャのことばだ。この宇宙(世界)と秩序を現わすことば。世界には秩序がなければならない。現実はカオス(混沌)だが、天上世界のような、永遠不変の秩序と平和とを求める詩人の思いがコスモスの花に込められているのではないか。
この詩は昭和17年の『抒情飛行』に収録されたという。作品成立が前年の昭和16年だとすれば、中国戦線で傷ついた傷兵は、この年の冬、つまり12月8日に、日本が米英を相手に太平洋戦争に突入する以上、「冬へ傾く」、苛烈を極める太平洋の戦場へと駆り出されていく運命にあった。