スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
さいきんの◯HKはおもしろい。高田渡の伝記のシリーズを放送したり(現在つづいている)、岡林信康を紹介したり、『東京漂流』の藤原新也が出てきたり。それにしても高田渡の「◯◯隊に入ろう」をまさか◯HK(日本国政府放送協会)から聞くことができたとは。
そういえば井上陽水の特集みたいなのも◯HKで放送していたし。
いま放送するということは、(すでに「転向?」したり亡くなったりして)それなりに「毒気」が抜けてしまったからなのか、それとも時代が彼らの「毒気」を欲しているからなのか。時代そのものに元気がないから、そのカンフル剤にでも、ということなのか。
歌唄いの岡林、井上、高田の3人の、それぞれの人生の軌跡の、なんと違ってしまったことだろう。この中でメジャーではなかったのは高田だが、庶民としての感覚や生き方を貫いたのは高田ではなかったか。生涯草の根の民の歌を唄いつづけた。
3人は、その人生の出発地点から違っている。教会、町の歯医者、地方の没落?篤志家。親や家から受けた影響もずいぶん違うだろう。3人とも100年のちまで残るかもしれないが、フォークとか演歌とかニューミュージックとか、そのような呼び名が失われた遙かな未来にも残る名はタカダワタルではないかとかってに思っている。だって老若男女の草の根のファンがいるでしょ。歌は世に連れ、世は歌に連れて流行り廃りがあるけれど、グラスソング(民草の歌)はしたたかに生きていくのでは?
それにしても高田は谷川俊太郎をはじめ有名・無名の人々の詩を、なんでもかんでもかってに?唄っているのはすごい。高田の名は、山之口 貘、菅原克己、黒田三郎、ラングストン・ヒューズ、永山則夫の名とともに後世に残るか・・・な?少なくとも、これらの人々の詩を親しみやすく紹介してくれただけでもえらい。それと添田唖蝉坊。もっとも、わたしは「ヴァーボン・ストリート・ブルース」みたいなハイカラで明るい曲が好きだけれど。
テレビで岡林信康を観た。60歳を過ぎ21世紀になって今がまた旬になっている。かつて時代の先端を走っていたが、めぐりめぐって、また先端にいるようだ。いいなあと思う。中高年の希望の星。声もますます艶がでてきたような気がする。繊細な声になった。すごいなあと思う。「神さま」が人界に降りてきて、時代をまたリードしている。
記憶にある「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」などの岡林信康は、若くしてひげもじゃもじゃの、ドロドロとしたエネルギーを発散する「教祖」のような風貌だった。その後のことはまったく知らない。いま、年を取った姿を見たらまったく別人のよう。穏やかな風貌の「普通」の人になっていた。フォークの神さまがスレンダーでしゃれたロマンスグレーの歌手に変貌していた。
いまも現役バリバリだ。「あの時代(ころ)」がそのまま現役という、そういう人がいるだけで元気が湧いてくる。
この前チューリップの球根を50個買ってきた。それに以前掘り出しておいた水仙の球根100個ぐらいをまとめて花壇に植えた。下の子が手伝ってくれた。金木犀は全盛を過ぎて花が散る。掃き出しの窓に露がかかってきた。どうも秋はもの悲しくなる。
『クレスコ』の10月号の「音楽と出会う」第30回はハインリッヒ・シュッツの「十字架上のイエス・キリストの七つの言葉」を紹介していた。
めったに、めったにCDなど買うことはないが、ここの文章を読んで注文してしまった。
というのは7つの言葉ってなんだろう?と思ったから。
紹介されていたCDのジャケットはルドルフ・マウエルスベルガー演奏のドレスデン聖十字架合唱団の演奏のジャケット。これはアマゾンにもタワー・レコードにもなかった。しょうがない、送料は高いがアマゾン・ドイツで買った。CDの表題は"Musikalische Exequien / 7 Worte"。Exequienって何?なんだかなあ〜と思うけれど。
四つの福音書から、イエスキリストの十字架上の7つの言葉をとりあげた宗教音楽らしい。キリスト教にもクラシック音楽にも縁無き衆生だけれど、なぜか買ってしまった。
秋の空を見ていると、ちょっとぐらいは魂を浄化してみたい気になるようだ。