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講演会が同じ日に静岡市で二つあります。一人は広瀬隆氏、一人は小出裕章氏。日時は4月16日(土)。場所は静岡市駅前。
■「広瀬隆講演会&浜ネット総会」
◯ 会 場:静岡労政会館6F大ホール
◯ 日 時:4月16日(土)13時30分〜 総会
14時30分〜 浜岡原発の今(白鳥会長報告)
14時50分〜 広瀬隆講演会
◯対 象:どなたでも参加できます
◯参加費 :500円
■「浜岡原発は大丈夫??!」小出 裕章さん講演会
◯主 催:生活クラブ生活協同組合・静岡
◯演 題:「浜岡原発は大丈夫??!」
◯会 場:静岡市AOI 7階講堂
◯日 時:4月16日(土)13時30分〜15時30分
◯参加対象:一般&組合員
◯定 員:100名
◯参加費 :無料
◯講 師:小出 裕章さん(京大助教/専門は放射線計測)
◯参加希望者は下記事務局へFAX申し込み
◯締 切:4月9日生活クラブ生活協同組合・静岡
◯本部FAX:055・922−6153
(しめきり過ぎてしまいましたが・・・)
「2010年教育のつどい」(和歌山市)に参加し、落合恵子さんの講演を聴いた。
演題は「いのちへの感受性──あなたへのメッセージ」。
まず、現在の社会の問題。たとえば、なぜ熱中症の独居老人が屋内で亡くなるのか、という話をしてくれた。さいきんは熱中症で亡くなる人たちの話がひきもきらない。そのことについて、ただ地球温暖化で暑くなったから、くらいの認識しか持てていなかったが、屋内でエアコンなどの電気代が払えず──というより電気を止められて、亡くなってしまう例をきく。そんな当たり前のことさえ思いつかない想像力の欠如を思った。
それから私的な話になっていく。落合さんが母親を介護してきた経験談。その母は60数年ほど前に、いわゆるシングルマザーとして落合さんを産み、育てたという。そのころはシングルマザーということばもなく、そのような生き方をした母がどれほどの辛酸を舐め、その生き方を選択するのにどれほどの覚悟が要ったか、ということを想像させるお話だった。落合さんも父のいない子ども(今も使われる当時のことばは「私生児」)として生まれ、ずいぶんつらい思いをしてきたようだ。それで15歳のあるとき、母にどうしてじぶんを産んだのか、と訊いたという。すると母は「あなたが欲しかったから」と一言答えたという。このことばの重みと温かさが印象的だった。
母は落合さんによれば、学歴はなかったが、知性を持った女性だったという。知性といい教養というのは、人の痛みに対する共感力・想像力・感受性なのだという。いわば「差別」される側でずっと生きてきた母と落合さん、「される側がやわらかく手をつなぐこと」が必要だという。「やわらかく」ということばも印象的だった。
最後は、その「される側がやわらかく手をつなぐ」ような、長田弘の詩を読み、英語の(従順な母に対する娘の反戦)歌を流しながら、歌詞の意味を滔々と話してくれたが、感動的な詩、歌だった。
(じぶんの)想像力の欠如、ということで思ったことが一つ。
やなせたかしの「それいけ!アンパンマン」は昔から子どもに人気のアニメで現在もテレビで放映されている。なぜそれほど人気が続くのか。思うに、アンパンマンにはいわゆる「家族」、たとえば「親子」とか「父親」とか「母親」とかが出て来ないことがその理由の一つではないか、と思った(出て来るのは「姉妹」のみか)。
世の中には、いわゆる「家族」(親子、父、母)が「タブー」の子どもたちが大勢いる。そういう「家族」は出てこないが、友情や愛情、人間愛(愛と勇気)はたくさん出て来る。「家族」より普遍的な愛情を描いている(あるいは描かなければならない)のではないか、と思った。だから人気が続くのではないかと。
「インゲン豆とうなぎ」が出てくる講話を聴いた。
インゲン豆のつるは右巻きに伸びるのだそうな。それを無理して左巻きにさせて育てると収穫量が2倍になる由。さらにうなぎの稚魚をカナダから空輸させると8割がた死んでしまうが、そのなかに天敵のなまずを入れてやると、2割は食べられてしまうが、残りの8割はいきいきとして日本に届く由。
それでその人は何を言いたかったのかというと、人間もストレスや逆境があってこそ強くたくましく生き延びるということらしい。宗教家とか学校の先生がいかにも好きそうな話だった。
わたしはまずこの話の発信源に興味をもった。
このインゲン豆の話の出典をたどってゆくと、名古屋大学大学院の手塚修文(人間情報学研究科環境情報論講座教授)氏の研究によるものらしく、2001年の8月8日のY新聞の朝刊にその記事が載っているらしい。
さらになまずの話はたどってゆくと、その発信源はひろちさや氏の本や講演にあるらしい。さらなる源があるのかもしれない。
2001年8月8日のY新聞には<インゲンのツル、逆巻きにしたら緊張感で収穫2倍> という記事が、2004年9月10日のY新聞にはひろさちや氏の講演のなかのうなぎとなまずの話が朝刊に載っているという。いずれも大新聞のY紙。いかにもという話。
この2つの話を1つにセットにした話もお寺さんのホームページでみかける。このセットにもどこかに発信源があるのだろうか。
それはともかく、うなぎと人間は同類ではない。ましてや、人間とインゲンとを同列に扱うことはできない。似ているところは「ニンゲン」と「インゲン」とが脚韻を踏んでいるところぐらいか。それにつる性の植物はインゲン豆だけではない。少なくとも科学的・論理的な話ではない。
しかし、このような講話がなんとなく説得力をもってしまうのはなぜだろう。「スピーチとスカートは短いほどよい」みたいなレトリックの力によるものなのだろうか。それともその場の雰囲気や話の前後の文脈によるものなのだろうか。
今日はエバーグリーン講演会がひらかれました。百人ぐらいの聴衆が四ノ宮浩監督の話を聴きました。
四ノ宮監督はフィリピンのゴミ捨て場の「山」に暮らす人々や子どもたちをドキュメント映画にしています。監督はまさにこの世の「地獄」と呼んでいましたが、DVDの映像を観せてもらい、そのとおりの状況だと思いました。とくに乳幼児が亡くなっていくのは、救いようのない悲惨な情景でした。
とはいえ、あとの(実行委員会の)座談会の話を聴きながら思ったことは、それでもこの子たちにとって、たとえゴミの山であろうと、そこで生まれ、そこで家族とともに過ごし、貧乏のなかでも強い愛情で家族がむすばれていた以上、そこに生きられたアドレッセンスがあったのではないか、ということでした。
監督の話で一つ記憶にあるのは、そこに住むようになった人が、(さまざまな不運を)「人のせい」にすることがなくなった、ということ。これはパブリック・イシュー(公に論ずべき問題)をプライベート・トラブル(すべてを自分のせいにして個人の問題として一人で苦しむこと)に回収して押しとどめる、ということではなく、おそらく従容として「いま・ここ」をあるがままに受け容れる生き方をするようになった、ということを意味するのではないかと思いました。
しかしながら、ここには政府の最低のセーフティネット(命綱)さえないようです。いわばその国の(あるいは、その国にかかわる世界の)矛盾やしわ寄せを一身に背負った人々や子どもが暮らしているようです。排除され排斥された無道な「地図にない村」。
見田宗介の『現代社会の理論』(岩波新書)の中に次のような叙述があります──南アメリカのドミニカでは、先進資本主義国による世界最大級の砂糖工場と砂糖キビ農園があるが、その契約地の農民は土地の全部に砂糖キビを作付けすることを義務づけられ、その結果、自分たちの食料を作る土地は無くなっている。飢えた農民が土地の一部に自分たちの食料となるものを作付けした時は、軍隊が動員されて、作物は根こそぎ引き抜かれてしまった──
このような無道な「つくられた貧困」はおそらくフィリピンにもあてはまるように思います。フィリピンですぐに連想するのは、スーパーにあるフィリピン産のバナナ。バナナだけではありませんが、これらはフィリピンではなく先進資本主義国の大企業(多国籍企業)の「生産品」。その多国籍企業がフィリピンの土地と農民とを利用するだけ利用して生産し、先進資本主義国へ輸出したもの。いわば先進資本主義国の、先進資本主義国による、先進資本主義国のための農作物でしょう(土地と労働力だけ現地調達して搾取するだけ搾取するようです)。詳細は岩波新書『バナナと日本人』(1982)にありますが、あとに残されるものは疲弊し使い捨てられたフィリピンの貧しい土地と農民・・・でしょうか、あたかも「ゴミ」のごとくに?・・・
そうしてみると、ゴミ捨て場から見えてくるものはフィリピンの国情だけではないようです。
ともかく、エバーグリーンの若者たち、講演会の準備と運営と片付け、おつかれさまでした。
会場にかわいい赤ちゃんがいて、おもわず写してしまいました。
2月20日(土)は終日、静岡市で「組織労働者」の集会があって、それが5時に終了してすぐに三重の津市の高田へ、高生研東海ブロックゼミナールに行く。着いたのは夜の交流会のまっさい中の8時51分ころ。
高田の青少年会館に泊まった翌朝、食事後に高田の「一身田(いっしんでん)」という町を歩く。昔懐かしいような町並。真宗の町。寺内町(じないまち)の典型といわれる。わたしはただの縁無き衆生。ここへは数年前も泊まったことがある。いや、正確に言うと、この「高田青少年会館」という名の宿舎に泊まって勉強会をしたが、そのときの建物とちょっと違っていたような気がした。同行のN氏もそう言っていた。
で、後でいろいろ調べていたら、91年に同じ(高生研)東海ブロックゼミとして泊まった(らしい)。19年前になる。そのときはわたしは静岡のレポーターだった。建物は80年に建てられ、01年に改築したようだ。
2月21日の講演は熊沢誠氏。三重の人。主催者のAさんのご近所らしい。
熊沢誠氏がどういう「お人」か、ということについて、講演後、家にかえってからはじめて知って驚いた。書庫にはなんと──
◯『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫/1996/翻訳・熊沢誠)
◯『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫/1993/著・熊沢誠)
があった。まえまえから読もうと思って積んだままだった。しっかり著書を読んで著者の名前くらい覚えておけばよかったといまさらながら後悔した。
『民主主義は・・・』はたしか佐高信氏がよく言及していたような気がする。『ハマータウン・・・』は竹内常一氏が言及していた。
あいにく以下に記した3冊の岩波新書の著書は目に触れたこともなく、熊沢さんがどのような「お人」なのか、まったく知らないまま講演に望んだことがくやまれる。あとで三重のAさんに「上の2冊の本」についてあらかじめ紹介されていたら、おそらく参加者は100名をとっくに越えていたであろう(というのは大げさか)というメールを送った。
風貌と声がわたしの家の近所に住む元校長先生にそっくりなので親しみがあった。司会は三重のAさん、参加者は中学の先生から大学の先生まで。地元三重・静岡・岐阜の先生方ほか、滋賀のFさん、京都のHさんもみえた。
熊沢さんは現在は甲南大学名誉教授。岩波新書の著書は、
◯『女性労働と企業社会』 (2000)
◯『能力主義と企業社会』(1997)
◯『リストラとワークシェアリング』 (2003)
また最近の著書は『働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史』 (岩波書店、 2010、3360円)など、著書は多数にわたる。
以下は熊沢講演のだいたいの内容の紹介だが、わたしの勝手な解釈がまじっている。( )内はわたしの勝手な補足である。
前半を一言でいえば「教師は働きすぎの労働者である」ということ。さらに印象に残ったのは「いま教師は未組織労働者である。みずから組織労働者的な職業生活の守り方を示すことが、労働に赴く若者にとって大きな示唆となる」こと(未組織労働者の生き方と末路とは『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』の冒頭に描かれている)。このあたりからどんどん引き込まれる。正規労働者の働き過ぎと非正規の劣悪条件は相互補完の関係にある、両方をともに問題にしなければならないこと、などなど。
後半は職業教育の重視をせよという話。本田由紀さんの話とつながるが、これまでの民主主義教育の理念は「単線コース延長論」(ゼネラリスト〔総合職〕育成論?)であったという。過労死するメンタリティの人を会社は望んでいるが、これは学校で成績がよい人であり、戦後民主主義教育に対応していたという。いまは幸か不幸か、企業のほうで複線コースを分け始めた。ゼネラリスト以外は非正規でまかなおうとしている。そういう流れのなかで、まず職業教育の総論を教えるべきである。という。
「一定の職業、一定の職場で生きてゆける力を」と熊沢さんは主張する。たいていの労働者は地味な仕事につく。きちんとじぶんたちの生活を守り、(逃げないで)発言権をもって状況を変える、そういう考え方を身につけてほしいというのが職業教育の眼目だという。社会の職業構成をまず若者に教えるべきであり、好きなことではなく、他人が喜んでくれることを仕事にすべきだ。という。さいきんの若い(ベンチャー企業などの)経営者は(きちんとした)労使関係も知らず「なんでもあり」で働かせる経営者だ。そこへ仕事や労働について何も学んでいない若者が働かされるから、まるで赤子の手をひねるようなものだ。「単線コース延長論」では労働者は無力であって、抵抗力・発言力を持たせられない。という。
職業教育とは総論として3つの柱を持つ。1「仕事の意義を教える」──仕事の歴史を教える、仕事の誇りや文化を教える。2「仕事の実態を教える」──楽しさと同時にしんどさもきちんと教える。3(しんどさを緩和できるための)「生活と権利を守るすべを教える」。
ここで、架空の「平等主義」にまどわされてはならない(つまり、仕事はしんどい、ということか)。職業には貴賎はないが、恵まれない仕事・恵まれた仕事はある。世の中の多くの仕事は地味だ。そのなかで、「使い捨てられもせず燃え尽きもせず」その場でやってゆけるようにその場を変えよ。「ゆとり」と「仲間」と「仕事の中身(仕方や手順など)の決定権」という3つを獲得せよ。余暇を充実させるすべも教えるべきだ。黒澤明の映画を観て感動した人で「七人の侍」を知らない人がいるとしたら不幸だ。かつての公害反対闘争で立ち上がった人たちは老人ばかり目だった。この人たちはいわば「その土地で死のう」という人たちだったのだろう。若い人たちは別の土地へいって住む。その場に立って「逃げないでいる」人たちこそ発言することが可能だ。という。
それから印象に残ったことは、大学では教員と事務員の比率が6:4だという話(小中高校では教員と事務員の比率は10:1くらいではないだろうか)。どれだけ小中高では教員が教育以外の仕事を強いられているかという文脈での話。小学校の先生は学級の生徒の給食費まで集めている(これがなかなか大変で大きな心労の1つらしい)。しかし現在の新しい大学では事務員が小中高校なみに少なくなっていて、教員が多忙に陥っているらしい。
(さいきんの教員の仕事のたいへんさについて。文科省の資料によると、病気休職者が95年では0.38%だったのが、06年では0.83%に上がり、その中の精神性疾患による比率が34%だったのが、61%に跳ね上がっている。10年間で在職者総数は減っているのに、病気休職者は2倍以上、精神性疾患による休職者は約4倍近くまではね上がっている)。
教師が職業教育を自信を持って教えることができるためには、じぶんたちも仕事に生きる労働者だという自信と自覚なしには不可能だろう。若者がしんどいから、若者に力を与えねばならないというだけではだめだろう。そういう意味で、教員の労働条件を語るのは教育にとっても大切であり、いい教育が語れない、という。
また教師の「孤立」についての話。いま、教師相互の助け合いが衰退し、管理体制が強化されているのは査定昇給・評価制度によるもの。自己申告の評価だ。民間の評価の面談では上司が部下をほめちぎってノルマをひきあげるというマインドコントロールを行う(目の前のニンジンに跳びつくために、みずから意欲を生み出さなければならない)。
学校では、査定による20万円の年収差はさすがに労働組合が(さいしょは)反発した。成績主義は教育になじまないと。大阪では06年に1年先送りということで組合と折り合いをつけた。導入は団塊世代の大量退職後となった。学生運動などで民主主義にうるさい人たちが大量退職したあとは従順な批判精神のない人たちが続く(から導入できると踏んだらしい)。という。
(ざんねんながらその通りに導入された。さらにそういう査定に馴れた先生たちが、競争によってそれぞれ賃金が違って当然と受け取る労働者を再生産することになるのだろうか?つまり自己責任論を教師みずからが体現し学校で再生産している?しかも自己評価というマインドコントロールに後押しされて?)
繰り返しになるが、この文脈のなかで「いま教師は(孤立させられ)未組織労働者となっている。みずから組織労働者的な職業生活の守り方を示すことが、労働に赴く若者にとって大きな示唆となる」いうことばが印象に残ったのだった。
さらに家で『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』を読む。労働者の人生を左右するのは賃金ばかりではなく、A「労働そのもの」とB「仲間相互の関係のあり方」であり、ここに組合の存在意義があるという。だから、(査定昇給によって生まれる)仲間同士の競争関係はABの双方を破壊するものだろう。だから労働組合の原点は、仲間と「けっして競争するな、競争することは奴らに利用されることだ」(イギリスの労働者の好みの言葉)ということらしい。「労働者は助け合う、苦楽(の生活)をともにする」、これが原点だろう。
この講演のあと、静岡の高生研の一行は組織労働者としての「仲間づくり」と「余暇の使い方」の模範をしめすために?みんなでそろって真宗・高田派の総本山のお参りにでかけた。ただの物見遊山の縁無き衆生だったが。またK氏が地元名物のおたふくまんじゅうを買ったので、それをお土産に買っていくものが続出するという付和雷同の一行でもあった。