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学力テストは今年限りに

 もう市長ではなかったとは知らなかった。しかもこういう記事が新聞に載っていたことも知らなかった。

 「全国学力テスト」を実施しなかった犬山市の前市長の「学力テストは今年限りに」という主張は以下のとおり。

 前市長は「真の学力とは、他者と比較するとか授業時間数を増やして詰め込むとかの外圧によって付けられるものでは決してない、ということによくよく気付く必要がある」という。ごくごく普通のこと、当たり前のことを述べていると思うのだが、それが新聞記事になる世の中になったということか。

(2007年11月27日 中日新聞 物見櫓(ものみやぐら))
 「全国学力テストは今年限りに 前犬山市長 石田芳弘」

 「文部科学省が今春実施した全国学力テストの結果が公表された。対象となった全国公立小中学校の中で唯一犬山市は、テストを実施しなかった。当時教育委員会と相談しつつ、テスト不参加を決定した犬山市の前市長としての感想を述べたい。
 問題の本質は、学力とは何か、ということだ。“真の学力”とはあのような正答率を求めるペーパーテストとはおよそ異質のものではないのか。真の学力とは、知識とは異質の、テストでは計ることのできないものである、ということをまず認識する必要がある。
 もちろん、漢字や語彙(ごい)とか算数の九九や公式といった、いわば基礎的知識が学力や学ぶ意欲に影響を与えていることは十分理解している。しかし、真の学力とは、他者と比較するとか授業時間数を増やして詰め込むとかの外圧によって付けられるものでは決してない、ということによくよく気付く必要がある。
 子どもたちの学ぼうとする意欲、学力を求めて向上していこうという生命力は、どこまでいっても、子どもたちの内にある潜在力を内発的に引き出してやることでしか達成できはしない。少人数授業を徹底するとか、教材を工夫するとか教師の作品とも言うべき授業をおもしろくし、学ぶ楽しさを引き出す努力は無限にある。
 そういった教育観に立つ時、全国学力テストのような学力評価は、何の意味も持たないどころか、むしろ知識偏重、受験戦争、学歴重視という日本社会のわなともいうべき優勝劣敗の価値観を助長するおそれすらあると考える。犬山市教育委員会の学力観はそこにあった。
 今回のテストの結果、わが国の子どもたちは「基礎的知識」に比べ「知識の活用」が劣るという。こんなことはもう何年も前から指摘され続けてきたことであり、今回の調査は、従来の懸念をさらにまた確かめたに過ぎない。問題はその対策を立て、実行することではないのか。
 学校教育は教師に始まり、教師に終わる、教師の存在がすべてだ。まず行うことは教師たちの持つ「教師魂」に火をつけること、そのために現場の教師たちに財源と権限を与え、主体性を持たすことだ。文科省が上意下達で授業時間数を増やすことでは決してない。
 私は犬山市以外にも教師、中には教育長の職にある人で今回の学力テストに批判的な人をたくさん知っている。一方、この件について、全国の首長の顔がほとんど見えない。
 国の言ってくることだから、文科省の考えだからということだろうが、全国学力テストは国会で議決された法律でも何でもなく、単なる文科省の行政事務と言ってよいものだ、。地域の子どもをあずかる一番の責任者たる首長は、もう少し、教育委員会や現場の教師の本音を聞くべきではないのか。全国学力テストは中央集権の最たるものだ。地方分権というデモクラシーのテーマはどこへ行ってしまったのか。
 一回のテストにかかる費用は七十億円前後と聞く。今後、継続的にテストを実施すれば、膨大な投資額になるが、私にはどう考えても学力向上とは何ら関係ないムダ遣いに思えて仕方ない。全国学力テストはせめて今年限りでやめてほしい。
 そろそろ来年度の政府の予算編成が始まるが、私は断固、この学力テストは、二十年度予算からはずすべきだと主張したい。」


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mojabieda * 教育 * 19:03 * comments(0) * trackbacks(0)

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