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『白バラ』を読む 1

 20世紀のヒトラー・ドイツのファシズム体制のミュンヘンで、反戦と反ヒトラーを呼びかけた学生たちがいたが、かれらははじめ「白バラ」というビラをつくって配付した。特にショル兄妹(ハンスとゾフィー)は有名で、その姉インゲ・ショルが戦後に著した『白バラ(Die Weisse Rose)』(邦題は『白バラは散らず』未来社)は、現在もドイツで発行されているおそらく隠れたベストセラーだろう。

 しかもこのショル兄妹たちは、現在のドイツのテレビ局の調査によると、もっとも偉大なドイツ人の第4位に位置するという英国のFrank McDonoughの指摘もある(『ゾフィー・ショル(Sophie Scholl)』の第五章)。この兄妹を描いた映画もすでに三作つくられた。現在のドイツではショル兄妹たちはいわば伝説となり神話となった感もある。

 この人気の背景にあるものが何かはよく分からない。ヒトラー時代にもこのように平和と自由のために命を賭けた若者たちがいたことを証拠にして、ヒトラー・ドイツがまったく「特別な=否定すべき」ドイツ(=本当のドイツではない)であったことを内外に示そうとしているのだろうか。

 現在未来社で出版されているのは、この『白バラ』の初期の版の訳であり、現在入手できる最新版(ドイツ語)は初期の版とかなり違っている。こういうことが出版界ではよくあることなのかどうか知らない。ドイツではとっくに絶版となった最初の版の訳が日本では現在も出版されているが、ドイツ本国では(何度も?)新しい版へと改訂されているようだ。なぜそのようにたびたび改訂する必要があったのだろう。

 また戦後はじめて出版されたこの「白バラ」グループの基本的な研究書『処刑台の上の学生たち(Studenten aufs Schafott)』も『白バラ抵抗運動の記録』(ペトリ/未来社)として邦訳され現在も日本では出版されている。この書を著したペトリはこの学生たちの抵抗運動を、現実を少しも変革できなかった「挫折」「誤り」「幻想」として批判的に捉えているようだ。基本的な文献なのに現在のドイツでは絶版になっているらしい。山下公子『ある若者たちの生と死』(雑誌の連載)によれば、ペトリの書の絶版にはどうやら『白バラ』を著したインゲ・ショルたち遺族の(絶版)運動が大きくかかわっているらしい。つまりインゲたちが絶版にさせたということだ。これだけではなく、カトリックとプロテスタントとの間の宗教がらみもあって、ドイツ本国には白バラをめぐってさまざまな思惑が渦巻いているように思う。

 こういう確執がない遠い他国にいるわれわれの方が、もしかしたら白バラと白バラをめぐるドイツの状況とをより客観的に見れるかもしれない、と思うことがある。

 とはいえ実際にこの学生たちの運動を歴史的にはどう評価したらいいのか。現実をまったく変えられず、むしろ(非道な)現実を、結果的により悲惨な結果へとはからずも導いてしまい、多くの無益な命を落とさせてしまった若者たちの「若気の至り」だろうか。あるいは戦後(自らの罪を贖罪するため)ドイツ人がヒトラードイツと縁を切る「免罪符」として誉め称える格好の材料を提供したのだろうか。または戦後ドイツ人が国際社会へ復帰するための自信回復の拠り所となったのだろうか。あるいはこれらすべてなのか。

 あえて酷な言い方をすれば、ヒトラードイツ時代、数万人ともいわれる処刑された国家反逆者たちの中で、どうして「白バラ」だけが突出して現在人気があるのかは、かれらがただ戦後ドイツの(あるいは連合国の)政治的なプロパガンダに利用されたからだ、という見方もできるかもしれない。かれらは政治的にはおそらく「タブラ・ラサ」で、純粋な(しかも信仰心の篤い)若者たちであったし、古き良きドイツの教養ある市民層の出身だったようだ。そういう意味で「英雄」(=「犠牲」)として担ぎあげるにはちょうどいい「人材」であったのかもしれない。さいきん出版されたバーバラ・ライスナーの本(『Sophie Scholl und der Widerstand der Weissen Rose』)によると、白バラグループが作成した抵抗運動のビラが外国へもたらされ、外国でひろまり、戦時中のドイツへ逆輸入され、世界的にも知られるようになったことが、「白バラ」の突出の原因だという。

 こういう見方に対抗して、そうではない、かれらは英雄ではなく、ごく普通の若者たちであり、(政治的に利用されようとされまいと)ひたすら純粋に魂の自由を求めて生き、闘ったのだという見方もある。これこそ『白バラ』の著者インゲ・ショルの立場だろう。そういう立場をより鮮明にしていこうとしたために(つまり「白バラ」もみずからの著書『白バラ』も国家や政治勢力に利用されまいとして)『白バラ』改訂版を何度も?出していったのではないか、と思われるのだが、どうだろう。

 また、この『白バラ』を読んでまず感じたことは、姉インゲ・ショルは当時、同じ兄弟なのにみずからは「白バラ」の活動を知らなかったがために、(自己弁明をも含めた)かなり複雑な心情を負い続けているのではないか、ということだ。これが『白バラ』執筆のそもそもの動機の一つではないだろうか、と思われる。

 また歴史家でもなく作家でもない一般人の著者インゲの叙述は、ショル兄妹という家族を描く以上、とうぜん私情をまじえている(というか描く動機がすでに私情からだろう)。ゆえに、単なる史実を描くのではなくて複雑な叙述になっているはずだ。一見ドキュメンタリー風に見えながら、これは著者の想像ではないか、と思われる部分が多々ある。どこまで著者は現場に立ち会い、見、聞いていたのか。いつその情景に出会ったのか。インゲ・ショルの叙述は自分の見聞と想像と後で人から聞いた(知った)こととがまぜこぜになっているような部分がある。逆に、ただ史実のみを(あえて)記そうとしている部分もある。そういうところから、いわば「問わず語り」に、著者インゲの(本人は意識していないかもしれない)さまざまな思いや意図が読み取れるかもしれない。

 実際の文章をみてみる。

 まず『白バラ』の冒頭はインゲ・ショルの、当時のふとした見聞からはじまる。列車の中に居合わせたナチスらしい男たち二人のひそひそ話が聞こえてくるところから描かれている。二人は不安がっていた。ミュンヘンで反ヒトラーの落書きや抵抗を呼びかけるビラが出現した、これからわれわれはどうなるのか、戦争が終わったらもうわれわれはおしまいだという話(男たちがナチスとは記していないが、ピストルを所持しているらしい叙述からナチスであることを暗示しているようだ)。

 ここでインゲが述べたかったことは、まず白バラグループの活動の影響の大きさ(ナチスへ与えた打撃の大きさ)であろう。それを実際に見聞した事実を冒頭にインゲはもってきた。もし(自分は当時知らなかった)弟妹たちの活動が軌道に乗っていたならば、おそらくドイツを大きく変えたかもしれないという可能性を浮かびあがらせようとしているかのようだ(だとしたらしかし、これははっきりいって過大評価かもしれない)。白バラのショル兄妹たちは逮捕され数日取り調べられ、裁判にかけられた日にギロチンによって処刑された。これはナチスによる見せしめの処刑でもあった。それを知らせる「燃えるような赤い掲示」にどれほど先のナチスの男たちが安心したことか、とインゲは記述する(逆にいえば、どれほど学生たちに同調する者たちを震え上がらせたことか、ということになるが、それについて著者は何も言及していない)。そういう(インゲ自身の)想像に言及することで、それほどまでに住民をなだめ、反乱の火の手を鎮静化させるためにナチスが躍起だったことと、その反乱の可能性の大きさとをインゲは暗示しているようである。

 しかし、ここで注目しなければならないことは、ショル兄妹(ハンスとゾフィー)の死刑判決と処刑とに、姉のインゲ本人とその家族がどれほどの衝撃を受け、その後どれほどの辛酸をなめたのかはまったく記されていない、ということである。私的な状況(じぶんを含めた残されたショル家の人々の衝撃やその後の生活)がまったく──不自然といってもいいくらいに──欠落している。これは何を意味しているか。

 さらに12ページ(『白バラ(Die Weisse Rose)』)にこうある──

 「おそらく、実際の英雄性は次の中にある、すなわち、ひたすらねばり強く日常的なもの、小さなもの、身近なものを守り抜くこと。そうしてその後になって、(世間は)その偉大さについて過剰に述べ(讃え)るのだ」。ここの叙述は、戦後のドイツの、ナチス統治の当時とはうって変わった世相──愛する弟妹を直接的・間接的に死地へ追いやった者たち、あるいはそれを黙って見ていた者たちが、手のひらを返したように、こぞって弟妹を讃える──世相を皮肉っているのかもしれない。

 さらにインゲの文章の中でときどき出てくる気になることばがある。それは「unterstuetzen」(支援)ということば。弟妹たちの抵抗運動を、当時知らなかった(しかしその可能性は感じ取っていたかもしれない)その心残りあるいは慚愧の思いが、この単語に見え隠れするように思える、というのは深読みだろうか。

 この『白バラ』で(長女の)インゲがとくに感情移入しているのは末の妹のゾフィーだ。じぶんも同じ状況に立ったならば、おそらくこう思ったはず、というじぶんの思いをゾフィーの内面に投影して生々しく描写しているようだ。たとえば、大学で見た白バラのビラの文句を兄ハンスが読んでいる本の中にゾフィーがぐうぜん見つける場面(おそらくこれはインゲの想像であろう。このようなことがあったかどうかは当事者がすべて殺されてしまっているから永久に分からないはず)。ドキュメント風に記述しようと出発しながら、途中で肉親としての思いをストレートに表してしまっているようにも思う。これらは「つくりもの」として「史的な資料」にはなりえないのだろうが、肉親としての「内的真実」として記さねばならないところだったのだろうと思う。

 さらにインゲが描こうとしているのは、弟妹の生の密度の濃さである。これについてはまた後ほど。

JUGEMテーマ:読書
mojabieda * 白バラ * 22:52 * comments(1) * trackbacks(0)

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コメント

ドイツの学校で、「ヒトラー・ユーゲントと国民突撃隊」は無罪と言った生徒を、担任の教師が射殺するという事件発生。↓
https://youtu.be/LC1pBq1UevU
Comment by 芋田治虫 @ 2018/04/01 4:36 PM
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