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連休の最後に、ということで、ちょっと遠くまで行く。磐田(旧豊田町)の熊野(ゆや)の長藤まで。池田というところの行興寺にある。牧之原市の静波にある東光寺の長藤は、大正期ここの藤を接木して育てたものらしい。前々から行きたかったが、カーナビにも「熊野(ゆや)」がなくて困った。いろいろさまよって、国道1号線の北、バイパスの南、天竜川のすぐ東岸にあるのを見つける。
熊野と書いて「ゆや」と読む。平安の末、池田荘の藤原某が子授けのため紀州熊野権現に願をかけ、才色兼備の女の子を授かる。それで「熊野(ゆや)」と名づけたらしい。長じて平宗盛に仕えて京にのぼり、平家の寵愛を受けたとされる。母の病を憂いやがて池田にもどり、平家はほろぶ。熊野も33歳で亡くなったという。生前、藤の花を愛し、そのお手植えとされる藤が今もある。樹齢800年。国の天然記念物らしい。広い広い藤棚と舞台があった。
近くには天竜川の渡し場もあり、河川敷が駐車場になっている。
そのあと、旧見付学校を見学。木造5階建て。現存する日本最古の木造小学校らしい。明治の創建。
閉館ぎりぎりに受付に行くと、「どちらから?」と聞かれ、遠くからだと言うと入れてくれた。大阪などから来た親子連れもいた。子どもが「きゅうこうしゃ?」ときく。テレビアニメの学校の怪談などでよく出てくるらしい「旧校舎」。「そうだよ」とわたしが言う。子どもが言うには、薪を背負った子どもが両手で本を読みながら歩いている石像が、じっさいに夜中にグランドを10周回るという話があるらしい。それはきっと二宮金次郎の像だろう、と思って見てみると、やっぱりここにも展示されていた。今の子どもたちがこの像を見ると、ちょっと不気味なのかもしれない。
教室の机の上にあるのは、ノート代わりの「石盤」。紙が貴重だったようだ。林芙美子の『風琴と魚の町』に大正末期か昭和初期のころの小学校の教室の様子が描かれるが、そこにも石盤が出てくる。
隣りにあるのは淡海国玉(おおみくにたま)神社。というより、ここの境内に小学校がつくられたのではないだろうろか。大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭神としているようだ。丸い鏡がご神体だろうか、お参りするこちらの姿が映っていた。境内に入ると旧見付学校の裏側と磐田文庫が見える。狛犬ではなく、かわいらしい兎が社を守っている。境内は鯉のぼりがはためき、少年たちがサッカーボールを蹴っていた。
近くにある見付天神にも行く。草の香。こちらは牛が社を守っている。祭神は矢奈比賣命(やなひめのみこと)。それで矢奈比賣神社という。学業成就の神社だからこちらはお参りする人も多いみたい。この神社と見付学校のある通りは旧東海道か。町おこしで、きれいに整備された通りになっている。地元の予備校や銀行なども旧街道のお屋敷の姿になっている。