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半熟フォーラム

  写真は調味料を塩梅するあやしい中年理科教員
 
 2月25日(土)、高教組青年部主催の「半熟フォーラム」という学習会に参加。いつも組合の会議に出るときの顔ぶれとはまったく違う、若い人々が集まってくる。

 講師は橋本純氏。横断幕の文字は近ごろ多いパソコンの文字ではなく、ちゃんとした書で、しかも力強い。この会に参加した若い女性教員の文字だという。書道の専門家なのだろう。

 子連れが4組、夫婦、親子ともに教員の参加もあり、老若男女が集まって、調理室でLHR用の「巻きずし」と、デザートの「ピザ」を実際につくって食べる。5、6人の班に分かれて、作って食べて楽しんだ。

 わたしは抱っこ紐で龍を抱っこしながらの参加で、ほとんど「見ているだけ」だった。中年男性が多い班はあやしい巻きずしをつくっていた。が、よく見ると理科教員が「(酢や砂糖や塩の量が)計算通り」と言いながら料理をしていておかしかった。食べるとこれがなかなかおいしかった。

 さいごに橋本氏のあいさつとまとめ。LHRがあるから担任をしているという。「楽しむ」ことさえ「与えられている」子どもたちの現状に対して、楽しみを自らつくり、組織し、分かち合い、人をも楽しませることを通して、自治がはぐくまれるのではないかという話だった。

 「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」という言葉があるが、自治や民主主義も、それを楽しむのがいちばんいい。



 
mojabieda * 講演 * 07:40 * comments(0) * trackbacks(0)

高遠菜穂子さん講演会

 










 今日、藤枝で高遠菜穂子さんの講演会がありました。

 高遠菜穂子さんは2年ほどまえにイラクで人質になって無事に解放された人です。

 午後の2時からの講演で、わたしは実行委員でした。一般市民から高校生まで、さまざまな人たちがまざった「混ぜご飯」実行委員会です。

 わたしは午前中は高生研(民間の教育研究団体)の県の常任委員会に出ました。今年も『静岡の高校生活指導』という冊子をつくることになり、わたしはその企画を練って特集案を提出したのですが、体よく却下され、別の特集になってしまいました。しかし自分が作成した企画案をたたき台にして、みんながさまざまな観点から思いもつかないような意見を言い合うことそのものはたいへんに楽しいものでした。それはそうと、同じ会場で講演会があるため、参加した常任委員の何人かは午後そのまま講演会になだれ込みました。

 さて、わたしは常任委員会が終了するとすぐに、午後からはじまるその講演会の準備に参加しました。

 高遠さんは1時まえに会場にきてくれました。写真で見た雰囲気と違っていました。ともかく一人で遠く外国に出かけて現地の民衆への支援を今も続けている人ですから、冷静で分別があり、実務的・行動的・前進的な感じの人でした。

 講演会には約240人の方が参加してくれました。予想以上でした。当日券でみえた人たちも多くて、あまり広報活動はしていなかったのですが、どのようにして講演会があることが伝わったのか、あとでみんなでふしぎに思ったりしました。

 さて、人質事件で国内でさまざまな非難を浴びた高遠さんが落ち込んで「ひきこもり」ぎみになったとき、勇気づけてくれたのは母親だったそうです。勇気づけたというよりも、きびしく叱責したそうです。そうしてまた支援活動をつづけるようになったといいます。この母にしてこの子あり、ということでしょうか。

 話は非常に具体的でした。iBookを使ってプロジェクターから現地の写真やビデオ映像を見せてくれました。

 立て板に水のように滑らかで、簡にして要、感情に流されず、抑制された、明晰な話し方でした。

 しかし、同年代の人と話すときは「若者ことば」で話していました。

 さて、講演の内容ですが、さまざまに印象に残ったことがありました。

 特にイラクの都市・ファルージャでの米軍による住民「虐殺」の実態を、ビデオに撮された死体の映像から理解することができました。米軍は死体を運ぶ黒い袋を10万袋用意していたそうですが、死体入りの袋をファルージャ郊外で難民生活をしている住民たちにトラックで引き渡します。住民たちはトラックから運び出される黒い袋を見るたびに口々に「アラーは偉大なり!」というような宗教的な叫びをあげていましたが、その場面だけを観れば「過激派か」と思われてしまいます。しかし、これは何か怒りや驚きなどに英語で「オウ・マイ・ゴッド」とか「ジーザーズ・クライスト」とかいう英語の叫びと同じようなものだと高遠さんはいいます。その場面にいた民衆は、過激派でもなんでもなく、ごく普通の庶民なのだということでした。それを聞いて「なるぼど」と思いました。

 米軍は住民「虐殺」に化学兵器も使ったようで、服は残っていても中の死体が焼けただれていたり、外傷がなく、奇妙に青ぶくれした死体があったりしました。このことについては英国のBBCなどが特集を組んでテレビで報道したといいます。日本ではほとんど報道されなかったといいます。

 また、イラクは比較的宗教的に寛大な国だったそうです。スンニー派とシーア派というイスラム教がするどく対立していたわけではなく、キリスト教信者も含めて、宗派のちがう信者同士で結婚することもあるといいます。

 現在、イラクには三つの勢力があるといいます。一つは(家族を米軍に殺された)住民による反米武装勢力、外国からイラクに入ってきた武装勢力(これは住民とはまったく逆に、イラクを戦場にし国際社会の耳目を集めるためにイラクを利用する過激な勢力)、さらにイランの影響をうけたイラク人勢力(いわゆるイスラム原理主義勢力であぶない人々ということでしょうか)の三つだ、と言います。この三つがいわば混ぜご飯状態になっているということですが、それらを十把一絡げに「武装勢力」などと見てしまうのは誤りなのだということでしょう。

 また、イラクでは米軍がいちばんこわいともいいます。自衛隊「派遣」の前に、民間人になりすました日本の外交官が秘かに乗る四輪駆動車がイラクで待ち伏せされて襲撃され、日本人外交官が二人虐殺されましたが、あれはまだイラクにいわゆる「武装勢力」が出現する前でした。そのときの運転手だったイラク人の父親に偶然、高遠さんが出逢ったといいます。その父親は「あれは米軍のしわざだ」と言ったそうです。もしそうだとすれば、たんなる誤射なのか、それとも自衛隊「出兵」を強要するための「脅し」だったのかと「深読み」してしまいました。

 4時すぎに終了し、片づけをしてから実行委員で夕食を食べに行きました。近くの中華料理店。いちばん豪華な食事をしたのは高校生。分厚いチャーシューなどの具材がそれぞれ別の小皿に盛りつけてある豪華特製ラーメン。家族持ちの中年は650円のなんとか麺のみ。

 そのあと、わたしは別の会場に移動し、ルドルフ・シュタイナーの『自由の哲学』の原書を読む会に参加しました。

 参加者は9名。ドイツ語の原書を読むのですが、英語訳が二つか三つ、日本語訳が二つほど、それぞれの参加者が持ちよって、みんなでああだこうだと解釈しあうのです。

 参加者は普通のサラリーマン、「電気屋」さん、教育関係者、主婦などなど。一人がホワイト・ボードに原文を書いて訳していくと、だれかが「それはどういう意味?」と質問を出し、一人が英語訳を参照すれば、べつの人が違う英語訳を持ち出し、ある人は文法的にここはこうだとホワイト・ボードに線を引き、別の人は文章の流れはこうなっているとホワイト・ボードで解釈するという、大学の講義とは対照的な「井戸端会議」的勉強会でした。日本語訳もあるのですが、実はあまり参考になりません(訳してあっても意味が分からないのです)。やはり原文を丹念に解釈してゆくしかありません。するとまた思いかげない質問が出ます。「Hertz(心)とGemuet(心情)」と、どうしてペアになって記されているのか。この二つはどう違うのか。どうしてここでSeele(魂)ではなくてHertz(心)なのか。感情(Gefuehl)と心情(Gemuet)とはどう違うのか。などなど。

 本文に「思考(デンケン)が、動物にも備わっている魂(ゼーレ)をはじめて精神(ガイスト)に変える」(ヘーゲル)ということばが出てきますが、今日はいっぱいデンケンした一日でした。それにしても、考え合う仲間がいるというのは大切なことだと思いました。



 
mojabieda * 講演 * 01:47 * comments(2) * trackbacks(0)

山崎えり子さんへの判決

 東京地裁が、山崎えり子さんとその「夫」氏の判決を16日に言い渡した。公正証書原本不実記載・同行使の罪に問われて、両者とも懲役1年6カ月。執行猶予3年という判決。控訴せずに刑が確定すれば、禁固以上なので、「夫」氏は地方公務員法によって失職となる。と2月17日の静岡新聞に載っていた。

 山崎さんについては知らないが、「夫」氏については、きちょうめんなくらいに潔癖なところがあったらしい。たとえばパソコンの「違法」コピーソフトについてはたいへん神経質だったそうだ。職場のいくつかのパソコンの中に「違法」そうなコピーソフトがあると、たいせつなデータなどもひっくるめて、だれにも相談せずに一人で消してしまったことがあるという。これは本能的な自己防御の作用だろうか。

 かれはプライベートなことを語ったことがなかった。あえて隠そうとする意識が働いていたためかもしれないと今にして思う。

 しかし、そのように「私」をとざしてしまった暮らしは、果たしてどうなのだろうと思う。だれか心を許しあう友はいなかったのだろうかと。

 「うそ」が「うそ」を呼び、さらに塗り重ねられていく。そこに見られる心情はわたしにもよく分かる気がする。

 はじめにちょっとした「うそ」があった。このくらい、大なり小なり世間のみんながしていることだ、とじぶんに言い訳する。その動機は、きちんと処理することが「面倒くさいから」だったり、「うまくしのげばスルーできる」だったり、そのような「軽い」程度のものだったかもしれない。

 しかし、その「うそ」が暴かれるとなると、「重い」結果が待ち受けていることがひしひしと分かる。

 ことの暴露を懼れ、暴かれることがないように、さら「うそ」の上に「うそ」を塗り重ねていく。しかし「うそ」がしだいに大きくなるにしたがって不安も雪だるま式に大きくなってゆくだろう。

 だから、その不安を打ち消すように大胆に振るまい、さらに大胆に「大うそ」を重ねて・・・

 いや、「うそ」をつく、というより、何かを隠したかったのだ。追突した原因を「前の車が止まらないと思った」というより、「前の車が止まるとは思わなかった」という言い訳の方が自然であるのと同じように。

 さいしょは「本当のこと」を隠そうとした。やがて「うそ」を隠そうとすることになる。

 はじめは「本名」を隠した。そして「恥」を隠し、「戸籍」を隠し、「偽り」を隠し、「違法」を隠し、隠していることも隠そうとするうちに、やがて「みずから」を隠してしまったのではないか。

 2月25日の毎日新聞によれば(裁判所での求刑のあと、山崎さんは)「今後は『内山江里子』(本名)としてしっかりと生きていきたい」と語ったという。

 隠していたものはいつかは明るみに出るかもしれない。そういう漠然とした悪い予感や重い不安を常に胸に抱きながら日々を暮らしていたのではなかったか。ときおりの華やかな生活はほんの表面的なもので、心の奥底は晴れることがなかったろうと思う。毎日まいにち「明朝の不安」(柳田国男『清光館哀史』)をかかえていたのかもしれない。世間にうそをついていたが、もっとも重いうそをじぶんにつくことになった。

 これでは一寸先は闇の世界だ。だからこそ、かれには優しいところが見られたのだろう。ささやかな思いやりを大事にし、人によく気をつかっていた。逆に、それとは対照的に妙にいらいらしたところも見られたという。そのような心のありようがなんとなく分かる気がした。

 「隠していたものが明るみに出る」不安。この不安を(その大小は問わず)まったく感じたことがない人はおそらくいまい。人は大なり小なり「ちょっとした」うそをつきながら、あるいは何かを隠しながら生きているからだ。うそとはいわないまでも、「法」という明々とした大通りではなく、うす暗い小道のほうが歩きやすいと感じるのは、人の存在そのものがちょっとした「闇」だからではないだろうか。

 懲役1年半、執行猶予3年(と失職)。この判決は軽いのだろうか、重いのだろうか。
mojabieda * 時事 * 17:25 * comments(0) * trackbacks(0)

旧PowerBookG4の不具合

 いま妻のMの数年前のPowerBookG4を臨時に使っている。MacOSXの3.9。

 なぜか分からないが、このマックには不具合がいろいろある。これらはさいきんわたしが購入した新 PowerBookG4の MacOSXのタイガー(ただいま故障中)では見られなかったものだ。

  その不具合を一つ一つ取り上げてみる。

 1、テキスト・エディタを使っている( Jedit4)が、とつぜんカーソルが飛ぶ。あらぬところへ飛んで、そこまでの文字が消えてしまう(ほとんど使い物にならない)。そこで「システム環境設定」の「キーボードとマウス」の「トラックパッド」の「ドラック維持」のチェックをはずしてみた。いまのところカーソルは飛ばなくなったような気がする(だけか?)。

 2、 「シフト・英数」でふつうは全角英数になるはずなのに、半角英数になる。ときたま思い出したように全角英数になる。なんなんだ(ほとんど使い物にならない)。

 3、 Safariで infoseekにログインできない(使い物にならない)。まず、さいしょにサファリを開くとすぐに「落ちる」。二回めに開く。しかしログインしようとすると「ページを開けません」と出てくる。しょうがないからエクスプローラをいやいやながら使っている。

 4、消えないフォルダーがある。はじめ、何かのファイルが入っていたと思う。そのファイルはどうなったか分からない。外側のフォルダだけ残り、なぜかゴミ箱から消えないので、しょうがない「書類」の中に入れて気にしないでいる(が気になる)。

 5、 OS9のファイルが入った USBフラッシュ・メモリを読み込めない(まったく使い物にならない)。

 6、立ち上がりで「はてなマーク」が1、2秒でる。 ROMをまともに読み込めないのだろうか。ちょっと気持ち悪い。

 7、とつぜん「落ちる」。これにはまいる。とくに立ち上がりまもなく。だから再起動を強要される。データは消える。最低だ(まったく使い物にならない)。
 
 8、OS9が立ち上がらないときがある。リセットすると立ち上がる。「システム環境設定」のなかの「省エネルギー」「共有」「アカウント」「起動ディスク」の項目が灰色になって選択できないときがある。リセットすると正常にもどる。などなど。

 どうしてこうなったのか、よく分からないが妻の使い方がおかしかったのだろう(と人のせいにしているが、わたしもときどき使っていた)。こういうトラブルは一度ハードディスクをフォーマットした方がよいのだろうか。それとももはや致命傷か。
mojabieda * PowerBookG4 * 22:36 * comments(0) * trackbacks(0)

同一文化圏の狭さ

 

 夜は私的な勉強会。梅澤氏が万葉集を持ってくる。駿河にかかわる歌を数首。
 
 巻一四の「相聞」、三三五五番の歌など、なかなかいいなあと思った。
 
  天の原富士の柴山このくれの時ゆつりなば逢はずかもあらむ
 
 (天空にそびえる富士の麓の柴山の、この木の下の薄暗い夕暮れの逢瀬の時が過ぎてゆけば、もう逢うこともないのだろうか)
 
 そのつぎの三三五六番の歌を見て、ふと考えたことがあった。
 
  富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ
 
 (富士のいよいよ遠く長い山路も、お前のところへ行くというので、呻吟もせずに来てしまったことだ)
 
 この歌の「によぶ」という言葉はたしか貧窮問答歌にも出てくると思う。
 
 東国の駿河のことばも奈良の都のことばも、古代なのにほとんど変わらずに通じるということだろう。そう思うとふしぎでならない。
 
 1、古代なのに、どうして多少の方言はあっても、地方(東国)と都と、ほぼ同じことばが(話され)記されるのか。
 
 2、万葉集という最古の歌集に現れる民衆の歌のようなものの幅の広さ、地域の広さが、時代が経つにつれて、だんだんと都の一部の(世襲の)貴族の文化になってしまうのはなぜか。
 文化の伝播や伝承を考えれば、都の華やかな文化が地方に伝播し、民衆にも拡がるのではないかと思うのだが、(和)歌の場合はまったく逆だ。
 最初に最大の広がりを持つ万葉集という歌集が生まれたのはなぜだろうか。
 
 わたしは、東国のことばも都のことばもほとんど同じという現象に、同一文化圏、同一言語圏の狭さを感じた。
 
 それで幻想のような一つのイメージが湧いてきた。古代の歌の文化やヤマトコトバが、他の種々の文化や言葉の大海のなかにあって、一つの列島のようにつづき、東国に拡がりつつあったが、やがてその文化と言葉を持つ者たちが最大の権力を持つようになり、文字に記され、それだけが生き残って今日に伝えられてきたのではないか、というイメージである。
 
 ヤマトことばを話す者たちの「離れ小島」のまわりに、いわゆるバルバロイたちの「広い海」があったのではないか。
 
 同一文化圏の確保は、同一権力圏の確保(つまり中央集権化)でもある。バルバロイたちの文化やコトバはほとんど切り捨てられたことだろう。いや、切り捨てるために万葉集が成立したのかもしれない。
 
 駿河(スルガ)ということばはもともとアイヌ語だったという説がある。しかし詳しいことは分からない。
 
 そんなとりとめもない幻想を思い浮かべた。

mojabieda * 日記 * 12:51 * comments(0) * trackbacks(0)

不幸は続くよ、どこまでも〜

 2月6日(月)。
 職場で新 PowerBookG4をコンセントにつなぐ。おかしい。バッテリが充電しない。47%ほどになっている。延長コードのコンセントに ACアダプタをつないでいるのにどうしたことか。

 コードがどこかで抜けているのか。それでコードをたどっていく。机の下でしっかりつながっている。

 ではコードがどこかで断線しているのか。それで別のコンセントにアダプタをつなげるが電源供給ができない。

 これはおおごとだと思った。たぶん本体の電源部分がおかしくなったのだと直感した。電源ポートがいかれたか。

 そこですぐにアップルに電話した。するとメールでパワーマネージャをリセットせよという。それでリセットしてみたが治らない。

 では予備の ACアダプタでもう一度試せとアップルが言うので試したがだめ。

 さらに付属 CDでたちあげてハードディスク・テストをしろという。

 それでなくてもバッテリがあまりもたないのに、 CDから立ち上げてのハードティスク・テストなどしたら、バッテリが無くなってしまうと危惧したが、しょうがない、テストをした。ロジック・ボードにおかしな点はなかった。

 さらにテストは続いたが、もうバッテリがなくなると思って途中でやめた。

 それでアップルにテストをしたが特に異常はなかったと報告。

 職場からケータイでの東京への長電話になった。かなり待ったあと、ようやくアップルからの返事がくる。「たぶん本体の電源ポートの不具合でしょう(そんなことはとっくに分かっていたよ)。修理部品の在庫がなく、修理に時間もかかるため、新しい PowerBookG4を送ります。手持ちのものをこちらまで送ってください」という。それは困る。新しいデータがいっぱい詰まっているし、全データの転送に数時間かかるし、さまざまな設定にかなりの時間と手間をかけて使えるようにしたのだから。しかもバッテリがほとんどないし、バックアップもとっていない。だが、ほかに選択肢がない。

 そこでその晩に、できるだけバックアップをとった。だが、肝心かなめの「日記」のバックアップが欠け落ちてしまった。1月17日(火)から1月26日(木)までの分の日記である。

 新しい PowerBookになったときに、新しいパソコンにトラブルが生じるとは思えなかった。初期ロットではない。充分に時間がたって(成熟して)いるはずのパソコンにトラブルなど生じるはずがないと高をくくっていた。それでパックアップをとっていなかった。

 その晩にパックアップをとったのはほんの10日間ぐらいの日記であった。このくらいバックアップをとれば充分だろうと思っていた。旧 PowerBooKのときは当然いつもバックアップしているので、ちょっとだけでよいと思い込んでいたのだ。

 6日の晩はバックアップをしたと思って箱に詰め、翌日の7日の晩にやってきた福山通運に箱をあずけた。

 それで、日記の欠落に気づいたのは2月8日(水)である。その日に1月17日から26日までの10日間ぶんの日記を「復元」しなければならなくなった。

 わたしはブログを読み直し、手帳を振り返り、職場の日記も読み直した。そうして数行を書いた。しかし一度失われた日記の復元などできない。すでに記憶はない。この間の日記は永久に失われてしまったのだ。

 毎日日記をパソコンに打ち込み始めてから六年になる。その前はとびとびの日記だった。とびとびの日記のときは、具体的な事実や冠婚葬祭などの細々した現実的なことを書かずに、思念的なことばかり書いていた。

 毎日日記を書くようになってから、日々のなんでもないこと、天気、体調、食事の内容、外気温その他の具体的な事実のこまごましたことを記し、冠婚葬祭などの場合は、こまごました事実を備忘録として記録してきた。

 そういうものが実はたいへんに貴重なことなのだとさいきん分かり始めた。こまごました事実の大切さ。日々のなんでもない暮らし、ことばのやりとり、人との交流など、そういうものが人生なのだということが日記を読むと分かる。

 数日間の日記を失ってみてさらにその意味と重要さを理解したように思う。

 日々の断片をクリップボードにピンで留める。それは断片であるとともに物語にもなっている。じぶんでしか描けない、じぶんの物語である。事実もまた物語なのだということ。

mojabieda * PowerBookG4 * 09:45 * comments(0) * trackbacks(0)

DVD−Rを焼く

 1月25日の夜、先日の失敗に懲りて、まずDVD−RWというものにテレビ番組を録画することにした。これならたとえ録画に失敗しても撮り直すことができる。

 録画は成功。ファイナライズもする。ところが、このDVD−RWはMacでは再生できなかった。とはいえDVDプレーヤでは再生不可能でもフリーソフトで再生は可能だった。

 次は、ずっと昔にVHSに録画してあった、アーノルド・ウエスカーの『橋』(地人会)をDVD−Rにダビングしようと考えた。

 1月29日の日曜日の朝、子どもたちがまだ寝ている早朝に、VHSからまずHDDにダビングした。劇なのでこれが2時間以上かかるが成功する。さいしょは音声に雑音が入った。それをサウンドの設定を変えて解決する。

 1月31日、火曜日の朝、HDDに録画した『橋』を高速ダビングではじめてDVD−Rに焼くことに成功した。

 また、29日の日曜日の夜のテレビ映画『HERO』をHDDに録画する。これも高速ダビングでDVD−Rに焼いた。

 2月1日の水曜日、あるテレビ番組をHDDに録画せず、直接DVD−Rに焼くことにも成功する。

 こうして焼いたDVD−Rが2月3日の時点で5枚になった。ところが、テレビ番組を録画した画面が妙だ。薄い横線が画面全体に走る。薄い影ができる。気にしなければ気にならないが、どうしてだろうか。

 VHSに録画したと思っている木下順二の『子午線の祀り』が見つからない。たしか前半・後半合わせて4時間以上の劇だ。その後半を録画したのは92年の3月8日だったかと思う。しかしいくら捜してもそのビデオカセットが見つからない。録画したのは現実の話なのか、それとも夢だったのか、すでにさだかではない。

 見つからないものは仕方がない。それではDVDで『子午線の祀り』は出ないのだろうかと捜してみる。が、まだ出ていないらしい。どこかで出さないかなと思う。ついでにブレヒトの『三文オペラ』もDVDが出ないだろうか。映画はDVDになるけれども、劇はなかなか出ない。生の劇を観るにこしたことはない。しかし現実に観ることが出来なかった者にはDVDでもありがたい。

 先日の『白バラ映画祭』のシンポジウムには参加できなかったので、どこかでこれもDVDにしてくれたらありがたいと思った。

 
mojabieda * 日記 * 13:11 * comments(0) * trackbacks(0)
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