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2011.05.04 Wednesday
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メイド国家日本
2006.03.29 Wednesday
さいきんのイラク情勢は、民放の地上波テレビなどでも少し放映していて、ちょっと観ることができます。
現地はもう混乱状態、米国も音をあげていて、泥沼から手を引こうとしているのか、メディア規制どころではなくなってきているのかもしれません。しかし米国のイラク侵略と人民虐殺は歴史に残る犯罪です。
イラクの現状に焦点をあてれば、かならず、イラクへ米国軍隊を派遣しているアジア最大の米軍基地・不沈空母「沖縄」の現状と対米追随の日本の現状とが浮き彫りにされます。
以下、『シバレイのblog 新イラク取材日記』から勝手に転載させてもらいました。
【掲載誌情報】SPA! 米軍再編[メイド国家ニッポン]のトホホな現実
掲載誌のお知らせです。本日発売の週刊SPA! 06年4/4号に私も取材・原稿執筆した特集が掲載されます。テーマは米軍再編。ご主人様(米国)にカネも土地も人もささげ、ご奉仕する「メイド国家ニッポン」のトホホな状況をお伝えいたします。
↓SPA!のホームページから転載。
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六本木ほか意外な場所にも軍事施設を提供のうえ、有事には
民間施設も転用可??基地移転では莫大な費用負担を求められノノ
米軍再編[メイド国家ニッポン]のトホホな現実
米海兵隊のグアム移転に8800億円の費用を日本に要求したり、国内の移転先では激しい反対運動が起きたりと、最近各地で話題になっている「米軍再編」。3月末に日米間で合意することを目標としていましたが、各方面で交渉が難航しているようです。いま防衛庁と名護市が協議を続けている、普天間基地のキャンプ・シュワブ移設計画もその枠組みの一つ。結局、米軍は「再編」で何をどうしようとしているのか? 日本は一体米軍にいくら支払っているのか? 米国にNOといえず、押しつけられている負担を徹底検証しました。
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よかったら、是非お読み下さい。
by rei_shiva | 2006-03-28 02:15
とのことです。
教員評価とは
2006.03.23 Thursday
22日、新聞発表で教員の人事異動を調べる。紙面を見ながらさまざまな思いがよぎる。数年前には高校時代の友人の初恋の同級生がとつぜん県会議員になり、わたしももうそういう歳になったかとしみじみ思った。去年は高校時代にいっしょにフォークギターを弾いた級友が進学校の教頭になり、今年はまた数人の知り合いが教頭になった。
しかし学校の管理職がやりがいのある仕事とはとても思えない。さいきん増えたさまざまな制度変革にともなう雑事、複雑奇っ怪で神経を使う入試、上(県教委)と下(現場)にはさまれた宿命的いたばさみ、さらにこれに教員評価が加わる。教員評価は管理職にとって、理想的な学校づくりなど吹き飛ばすような、神経と時間とをすりへらす最大の労苦となるにちがいない。
教育的な力量をアップするための教育評価という目標ならわかる。しかし生徒なら定期試験で学力を評価できるだろうが、管理職はどうやって客観的に教員(の何)を評価するのだろう。しかもその評価が給与や出世などに直接つながるようになったら、まともにじっくりと(卒業後ずいぶん経ってから成果が出てくるような)理想的な(人格形成のための)教育に取り組むような教員は激減するにちがいない。てっとりばやく(在学中に)成果があがるもの(数値に出る成績など)にのみ教員が殺到するようになるだろう。その時教員はきっと、じぶんが何をしているのかという自覚さえなくしてしまう。
たとえば国家の教育目標が知らぬまに「帝国軍人」の卵づくりになっても、その目標をめざして教員は血道をあげるようになるだろう。教員評価とはつまり教員のロボトミー化の完成であり、国家による教員統制、つまり教育統制の完成である。「兵士」という製品(生徒)を生産する教育「工場」(学校)のロボット(教員)づくり。管理職はその「工場」主となって、生産性の向上だけが至上命令となるのだろう。ああ、これは悪夢だろうか。それとも現実だろうか。
「いまだかつて不良少年が国を滅ぼしたためしはない」とは、昔、都教組の委員長かだれかが言ったことばだ。日本はかつてみずから国を滅ぼしたことがある。60年以上も前のことだ。不良少年が滅ぼしたのではない。国家の「エリート」が国を滅ぼしたのである。
非行や不良を取り締まることに日々追われている教育現場だが、一方せっせと戦争を準備するような勤勉な「エリート」もつくりだす。「エリート」だからといってほんとうに頭がいいとはかぎらない。頭の悪い勤勉ほどしまつにおえないものはない。そういう「エリート」が原爆を完成させ、戦争を遂行し、人間のクローンを完成させ、借金数百兆円もの破産国家を作りあげるのだろう。公害も環境破壊も戦争も破産国家も、不良少年がつく出すことは不可能である。すべて「エリート」による未必の故意、あるいはただの故意だ。
新教育会館に入る
2006.03.22 Wednesday
教育会館が新しくなった。玄関も一階のエントランスもきれいだ。中央に吹き抜けがあり、明るく解放感がある。奥には軽食堂があるようだが、今日はまだ「開店」していない。
二階に組合本部がある。引っ越ししたばかりで雑然としていながら、ビフォアー・アフターほどではないが、なんだか会社のオフィスのようにきれいになった。ガラス張りだから外から丸見えで、これはいいのか悪いのか。
フロアには給湯室がなく、ロビーの中央にしゃれた流しがある。一階にも最上階の会議室のフロアにもカウンターがあって、なんだかバーのようだ(コーヒーくらいしか出ないだろうけれど)。これもしゃれている。
昼食は近くの中華料理店。カウンターしかない狭い店内で、夫婦(?)二人の経営。組合のひとびと8人が、てんでバラバラな注文をする(ラーメン、にらレバ定食、かた焼きそば、マーボー丼、その他)が、さっと料理ができあがるのはさすがにプロだ。
それにしても本部の仕事はたいへんそう。山のような量の仕事をみんな抱えているようだ。
ビルの半地下から最上階まであちこちを見てまわる。落成記念なのか、いろんな部署に胡蝶蘭が飾られていた。
絹村実践について その1
2006.03.20 Monday
右の写真は高生研・東海ブロックゼミが開かれた湯の山ロッジ。
高生研の実践家・絹村俊明氏の最近のレポート「夜の教室で『つながり』を求めて」は『高校生活指導』168号(春号)にその前半が、169号(夏号)にその後半が掲載されることになっている。
夏の滋賀県での全国大会でも分科会が持たれるという。
3月19日(日)の東海ブロックゼミの分科会の一つはこの絹村実践の分科会であった。参加者には、船橋、夏原、照本氏などそうそうたるメンバーが参加した。
絹村氏の実践は、◯◯◯高校定時制の平成16年度1年生から2年生現在に至るまでの2年間のHR実践で、特に二人の女子生徒をめぐる「対話と討論を軸にした『つながり』をどうつくるか」をテーマに分科会が開かれた。討論の柱は2時間つづきのLHRで討論する「しゃべり場」(二人の女子生徒をめぐる討論会)の意味を考え、それが「対話」となっているかどうかを分析した。
レポートの最初の書き出しが「担任、泣く」となっているが、「クールな」絹村氏が生徒の前で泣いたことは、おそらく最初にして最後なのだろう、氏じしん相当「想定外」のできごとだったものと思われる。
絹村氏は、生徒から「熱血教師」と言われると、そうではないと答えるらしい。ただしつこいだけだと。それからじぶんは「冷たい人間だ」と称している。人と適度な距離を置いていると言う。「友だちは女房しかいない」と冗談のようにも言う。「生徒に対しては人間として好きも嫌いもない。でも、根本的には人間が好きなんだろう」とも言う。彼の後ろ姿を見るとき、昔、超人ハルクというテレビ番組があったが、あの後ろ姿を思い出してしまう。
教師は指導の構想を立てるが、現実はその構想をいい意味でも悪い意味でも裏切って、思いがけないストーリーが紡ぎ出される。その象徴が「担任、泣く」なのかもしれない。
具体的なレポートの内容にはあまりふれないが、絹村氏の実践のスタイルだけ記す。
たとえば絹村氏はクラス全体に一人の生徒の問題行動について投げかける。「・・・の行動は目に余るものがある。このままの状態では学校に置くことはできない」。これを絹村氏は「相談する」というが、かなり強烈な「相談」で、担任にそんな懲戒権がないのはもちろんである。
この「なげかけ」には複雑な意味合いがある。
まず、授業妨害などの被害を受けている級友の利益を守り、教室を管理するという組織の管理者の顔が見える。クラス全体に「なげかける」ことは、その管理者としての姿をあえて生徒たちに見せているということである。これはせっぱつまった担任の「真情の吐露」であり、結果を計算をして言っていることではない。しかし、じぶんの思いとはまったく違った反応や意見が出てくる可能性を否定しているわけでもない。問題生徒のまったく否定的な姿ではなく、(担任が知らない)もっと違う肯定的な姿やストーリーを生徒たちが(公的な意見の応答の中で)見せてくれるかもしれないという可能性を期待している。だから、絹村氏はこの「投げかけ」を「相談する」と呼んでいる。ここには自立した(じぶんの考えとはまったく違う他者としての)生徒を認め受け容れる絹村氏の姿勢が見える。さらに、計算づくではない真情の吐露というなげかけから、公的な「対話」「討論」がつむぎだされる道筋を見とおす実践家の感覚が見える。
さらに深読みすれば(これは照本氏の見解の受け売りだが)、絹村氏の心の底に、無意識にも「コミュニティー(共同体)としてのクラス空間」をつくることも期待しているのかもしれない。
「公」という空間は、「私」と「私」の間の個人的な親密さ(好き嫌い)を排除し、組織全体の利益の存続・発展を求める「冷たい」論理に貫徹されているかもしれない。それはそれで一つの現実である。絹村氏はその「現実」の顔を見せながら、しかし、もう一つの顔をもかいま見せているのではないか。いわゆる「親分・子分」的な指導(つまり「私」的な親密さに依って立つウエットな個人指導)を徹底的に否定し、あくまでドライな「集団づくり」を媒介にした指導、集団の教育力を引き出す冷静で緻密な指導を行う一方で、個人の真情にできるだけ寄り添い、あるいはそれらをからませて個人の(人間的な)力を立ち上げようともしているように思われる。
「私」の空間としての「親密圏」に依って立ち、そこから「公」の空間を創り出そうという実践の道筋を「つながり」と呼ぶのかもしれないが、一方逆に、「公」の空間としての集団や組織に依って立ち、そこから「私」の空間を広げ、励まし、豊かにする実践の道筋をも「つながり」と呼ぶのだとすれば、絹村氏の実践スタイルは後者の「つながり」の実践スタイルである。しかし、だとすれば後者の「つながり」は従来の「かかわり」と同じになってしまうのかもしれない。高生研も揺れうごいているのか。(つづく、かもしれない)
高生研の東海ブロックゼミ
2006.03.19 Sunday
高生研の東海ブロックゼミに行ってきました。3月18日と19日です。
場所は三重県と岐阜県の境、鈴鹿山脈の麓の湯の山温泉。近鉄でも行くことができます。寅さんの映画のロケ地にもなったといいます。第3作目とか。しかし現在は寂れてしまったような感じがします。
会場は湯の山ロッジ(国民宿舎)でした。
まず講演は中京大学の照本祥敬氏。「つながり」論から高校生活指導実践を考える、という演題。
静岡の高生研からは参加者が11名。30代の若い先生が3、4人いました。滋賀は今年大会なので夏原氏、それから船橋氏はなんと自転車を持参してきました。
印象に残った講演のことばを記してみます。
「仲がいい悪いにかかわらず、ともに生活していくことが公共である」。
「同質性ではなく、異質性が大事。親密さがなくても生きてゆける社会が公共社会だ」。
「教師の指導構想とは教師のストーリーで、それを肉付けしていくのが実践のストーリーといわれる。が、教師のストーリーはそのまま実践のストーリーとはならず、むしろ構想が間違っていたという発見を迫られるのが実践のストーリーではないか。学校の外にいる他者、家族の外にいる他者との出逢いによって、自分を発見する、教師の指導構想の修正を迫られる。読み解く、読み開くということは、そういうことであり、教師のストーリーが書き換えられていくことだ」。
「相手に対してこういう力をつけてほしいと「かかわる」とは、望ましい方向への成長・変容を期待することだ。それに対して(先が)見えない現実をいっしょに眺める。(相手のことが)分からないまでもいっしょに向き合おうとするのが「つながり」ではないか」。
「対話や応答の中で、等身大の自前の社会がつくられていくのではないか。システムのとしての社会は客観的に存在しているが、そうではなく、いろんな人と応答しながら(現実の)枠を突破して、生活空間・意識を広げていく、そのプロセスそのものが自分が生きている社会の発見につながる」。
「合意とか契約とかは市民社会的関係をさすことばで、親密さとは共同体的な関係をさすことばだ」。
「若者が(自己中になって公共)社会を大事にしていないと言われるが、それは逆ではないか。社会が若者が大切にしていない。(若者たちは社会から)温かく見守られているという実感がほとんどない。粗末に扱われている。現在の社会は後期中等教育を終えた若い者に対して行き場がない社会だ。そうして若者から行き場を剥奪している社会がフリーターやニートと呼んで若者を非難する。若者たちは疎外感を持たざるを得ない」。
「つながりとは公共性だと話したことがあるが、身内とか身近な人にしか見守られていないという不幸なことではなく、この社会の中でしっかり生きているのだという関係性をどう創り出すかが問題だ。他者と出会うことによって自分を変える。自分の多様性に気づく。そうした形で他者とか社会とか自分自身と出会う直す、そういう生活空間をどうつくっていくか。つくる主体として集団をどう育てるか。自治とはそういう視点で考えるべきである。対立する者たちと平和的に生きていくということだ」。
大逆罪?ちょっと待って
2006.03.17 Friday
『白バラの祈り』の脚本を読んでみて、「大逆罪」ということばにひっかかった。映画でも大逆罪としゃべっているのだろうか。
大逆事件が戦前にあった。天皇暗殺などの罪を大逆罪という。戦後の新憲法によって大逆罪・不敬罪は廃止された。大逆ということば自体は英語の「high treason」を翻訳したものだろうか。あるいはドイツ語の訳か。ドイツ語で「Hochverrat」だが、この語を『白バラの祈り』では「大逆罪」と訳している。たしかにそう訳したい。なんの先入観も持たなければ、大逆罪がほんらいの訳語だろう。
しかし、この死語となっている「大逆」ということばそのものを、戦後は否定した。そのことばそのものを使ってはならないとわたしは思う。過去の重く苦しい歴史(身分制社会・軍国主義・敗戦)をひきずっているこのことばを復活させてはならない。古い亡霊を閉じ込めたはずの壺の蓋がさいきんはずれかかってきている。そういうご時世だからこそ、ようやく葬ったはずのこのことばは人の口に再びのせるべきではない。
「反逆罪」でいいではないか。大逆などという「きなくさい」概念を、無意識のうちに若者のまっさらな白紙の脳に滑り込ませないでほしい。ことばで人は生きている。ことばは生きている。力を持つ。このことばには戦前のゾンビがつきまとっているのだ。
産婦人科医の講演
2006.03.17 Friday
写真は九州博多の吉井の町の三連水車。
3月16日(木)。ある産婦人科医の講演を聴く。演題は「若者に蔓延する性感染症の実態と予防」。以下はその概要。
性感染症を(STD)と呼ぶ。Sexally Transmitted Diseases。
性感染症は特別なものではない。現在10〜20代において、とくにクラミジアが爆発的に増えている。淋病も古い病気だが増えている。
◯ クラミジア
昔はトラホーム(トラコーマ)といった眼の病気で有名だった細菌(「荒れた」というギリシア語が語源らしい)。10年前から15歳から19歳で爆発的に増えている。統計グラフを見ると女子に多いが、男子は病院になかなかかからないので統計に出てこないだけである。また、男子が尿道の検査を受けても陽性に出ないことが多い。
症状については男女とも無自覚なことが多い。女子に感染すると子宮から腹部全体に入り、新生児に対して疾患をもたらし、さらに流産・不妊症の原因にもなる。
さらにHIVもクラミジアに感染した者に感染するという複合感染として拡がっている。
◯ ヘルペス
DNAウイルス。1型(自然感染)と2型(性感染)があったが、いまは区別していない。口にぶつぶつができる。小さな水ぶくれから潰瘍になる。ウイルスなので細胞にすみつき、脊髄などに潜伏する。潜伏ウイルスには治療が効かないので生涯にわたってウイルスと共存しなければならない。女性が罹患したあと新生児はヘルペス脳炎にかかることもある。
◯ コンジローマ
DNAウイルス。子宮頸ガンの原因となる。性交歴のある女性の10%がこのウイルスを持っている。大部分は無自覚。イボイボができる。これも対処療法のみでウイルスの退治はできない。
◯ 梅毒
古い病気だが、最近は年間数千人が罹患している。ちょっとブツブツができる。自然に菌は死ぬが、神経や血管、体が崩れてしまう。ペニシリンは初期にしか効かない。
◯ 淋病
これも古い病気。細菌性。尿をするときに痛い。女性は無自覚。治療をしっかりしないと耐性がつき、抗生物質が効かなくなる。男性が風俗のオーラルで移されることが全体の5割である。
◯ HIV
かつては血液製剤で移ったが、いまではSTDになっている。RNAウイルス。細胞の中に取り込まれ、取り除くことが不可能。クラミジアの感染によって複合感染することがある。HIVにかかったら、AIDとして発病する前に、その発病を食い止めることしかできない。おっぱいからも感染する。現在、世界に4200万人のHIV保有者がいる。米国や西ヨーロッパでは抑えることに成功し、これからは減る方向にある。しかしアフリカや東ヨーロッパでは増えている。先進国の中では日本は抑えることができていない。中部アジアが増えている。クラミジアとセットで10代〜20代で増加している。
医師はSTDを量的な問題として語った。市民や患者個々には個別の問題である。個別の問題がどう全体の問題にかかわるのか。あるいは全体の問題がどう個別の問題にかかわるのか。ここまでの氏の講演はそんな量的な問題として講演をしていたが、このあと、カミングアウトの問題として具体的な対策、心構えを語った。心理学的・カウンセリング的な話になった。ここでは量的な問題は後退し、個別の対処の話となった。
左巻健男氏の講演
2006.03.17 Friday
右の写真はハイデルベルクのシュランゲン小路。
3月17日に左巻健男氏の講演を聴いた。左巻氏はブルーバックスで『新しい高校化学の教科書』などを執筆している。
さいしょの自己紹介で、1年前に旧東海道を東京から歩いたのだという。13日間で京都まで歩くつもりでいたが、16日かかったらしい。後でじぶんのお歳を表明したが、現在57歳だという。
栃木の生まれで高校は東京の工業高校出身。
高校入試のときには理科だけ3で、あとは1と2の成績だったという。それで一念発起し、目標を立て、数学を独学で勉強し、苦労して東京工業大学に入った。高校時代、テスト前に同級生に数学のポイントをガリ刷りでプリントして分けていたら、喜ばれて、人に役に立つ仕事に就きたいと思ったという。
講演テーマは環境について。
まず生物の話。地球上の生き物の基礎は植物で、その植物はどうやって有機物を手に入れるのか、という質問をする。1、光合成で100%つくる。2、光合成で有機物を手に入れるが、根からも多少吸収する。3、ほとんど根から吸収する。これを選択させたが、答えは1。
それで植物は「生産者」と生態学では呼ばれている。植物は地上で唯一、有機物をつくる存在である。
人(動物)は植物を食べたとき、その10%を体内の有機物にするという。したがって、牛を人が食べたら、もともとの植物の1%を体内の有機物にすることになる。そう考えると、肉食が増えることは、そのための植物が厖大に増えることになる。
現在、北と南と世界を分けている。北は先進国、南は発展途上国だ。途上国は先進国なみに豊かになろうとしている。だから世界は持続的な発展が必要だ(「持続」と「発展」とは対立する概念ではないかとわたしは思う。だからオルタナティブな「持続可能な社会」と表現すべきではないか)。
ここで、チリにあるイースター島のことを考えてみたい。この島はいわば宇宙船地球号の未来を暗示しているかもしれない。
1300年前、人がはじめてイースター島に移住してきたときには、島は椰子の樹などの森林で覆われていた。最盛期、人口は1〜2万人。椰子の実とその樹を切ってつくったカヌーで漁をし、芋を植えて食べていた。豊かに暮らすようになると、宗教的な意味合いなのか、モアイ像をつくるようになった。それに明け暮れ、競争するようになり、巨大化していく。そのために森林を切り倒して運んだ。
1722年にオランダ人がやってきたときには、人口は3000人に減り、土地は荒廃し、樹はまったく生えていなかったという。それまでは椰子の木でつくった家に住んでいたらしいが、そのときは洞窟で暮らしていたらしい。
どうして土地が荒廃してしまったのか。モアイ像づくりに明け暮れて森林を切り倒していくうち、(森林という緑のダムが消え)水がなくなり、土地は荒廃し、食料危機が来たらしい。やがて部族間の戦争が起き、人肉を食料とするようになり、西洋人によって奴隷狩りにもあって、人口は111人になってしまったという。
もしかしたら、これが地球の未来像かもしれない。そうならないためにはどうしたらいいのか。たとえばなしをしよう。
アマゾンの森林で山火事があった。動物たちが逃げ出すなかで、ハチドリだけが火事場を行ったり来たりしていた。どうしたのか?と動物たちが尋ねると、水場で水をくちばしですくい、それを運んで火にかけているのだという。そんなことをしても仕方がないじゃないかと動物たちが言うと、「自分にできることはこれだけだ」とハチドリは答えたという。
以上が左巻氏の講演であった。
たとえささやかな行為でも、じぶんがいまできることをする、ということだろう。そのハチドリの行為を見て、周りの動物たちも影響されて、それで(それぞれが自分にできることを)何かするのだとすれば、その行為の意味は失われないだろう。
そのことを考えたとき、白バラのゾフィーたちの行為を思い起こした。かの女たちの行為は、強大なナチスに対して、ちょうどアマゾンの山火事にむかってハチドリがくちばしにためた水をかけるような、そんな行為だろうか。結果?結果を想定して起こす行為ではない。「是非におよばず」ということだろうか。
新たな戦前のための布石
2006.03.11 Saturday
3月10日(金)、DVDで『白バラの祈り』(ドイツ語。字幕もあるがほとんど分からなかった)を観た。脚本も未来社から出版されているので読んだ。ナチスドイツで反ナチ・反戦ビラを撒いたゾフィー・ハンス兄妹など大学生たちが逮捕され、最後は死刑にされる数日間を描いた映画である。逮捕されたあとの調書や判決文など、さまざまな裁判関係の書類が現在もきちんと残され、本となって出版されている。大学には兄妹たちの名を記念した広場もあり、かれらの行為を描いた映画もすでに3本目になる。
映画を観ると、ゲシュタポ(秘密警察)の取り調べのなんと紳士的なことか。あくまで映画だから、というわけでもないだろう。ここには、少なくともことばによる対等な応答がある。それを思うにつけ、日本の戦前の特高(特別高等警察)による拷問と比較してしまう。ここにはことば以前の暴力しかないようだ。ことばそのものを否定する非人間性が潜んでいる。
2月9日(木)、戦時下最大の言論弾圧事件「横浜事件」で、治安維持法違反で有罪が確定した元「中央公論」出版部員の故・木村亨さんら5人(全員死亡)に対する再審の判決公判が横浜地裁で開かれ、松尾昭一裁判長は、裁判手続きを打ち切る「免訴」を言い渡した。
免訴とは無罪か有罪かの判断をしないということである。これは司法による完全な責任放棄である。司法のでっちあげによって殺された人々の霊に対するこれが司法当局者の返答か。
戦後60年以上も経ち、すでに被害者たちは全員死亡してしまった。戦時に被害者たちを拷問死させ、そして平和時に被害者たちをもう一度「殺し」ている。
横浜事件は治安維持法によって引き起こされた、戦時国家による最大の言論弾圧事件という許しがたい犯罪である。これを現在の司法は免訴した。ということは、同じように国家による言論弾圧がこの先も「予定されている」ということか。新たな戦前として、そのための布石を敷いているのか。
それにしても、このことはマスメディアにとって、その息の根をとめかねない怖るべき判決であるはずなのに、ほとんどのメディアはさらっと流しているだけだ。
横浜事件は、裁判関係資料がほとんど失われているらしい。「敗戦」直後、横浜地裁の庭で山のような書類が焼かれているのが目撃されているという。この中に横浜事件の書類もあったとみられている。司法は、少なくとも法律で保存期間が定められた書類を焼却・廃棄した経緯を明らかにする責任があるのは当然だ。それさえもうやむやにされている。
桃源郷の小路
2006.03.06 Monday
4日、横浜の駅前のホテルに泊まった。11階。都会のビルの窓から外を見ると、そこもビルの窓である。そのビルの上も下も見えない大きな壁だ。縦に積もったその重量は、そこに棲むものの孤独となってはね返ってくるようだ。ここでは「個」は「孤独」の「孤」になる。
部屋でぼんやりと一人物思いにふける。もし、老人ホームに入ったら、オレはどう生きるのだろう。都会に一人生きることとだぶってくる。
日頃は仕事と家庭に追われている生活だが、ふと、一人きりになって、何もすることがないという状態になれば、オレはどうなってしまうのか。
日頃忘れていることが、どっと押し寄せる。日頃かぶっていた仮面がすべてはがれ落ちる。
人は一人で生きてゆくしかない。そういう覚悟はいいが、その事実こそ、何と孤独なことだろう。
人は人生において何をなしうるのか。何もなしえないのではないか。たとえ手に入れたものがあるにせよ、手に入れなかったもの、手に入れてはいけないもの、手に入れたら重荷にしかならないものがある・・・人生とは何か、などと考えてしまった。
それで一昨晩の通夜で和尚さんが話してくれた法話を思い出す。95歳で亡くなった親戚の通夜。年をとればとるほど背中に背負っている重荷の荷が降りて、軽くなってゆくのだそうだ。
もしそうなら理想的だ。しかし逆に重くなっていくのではないだろうかとあやぶんでしまう。仕事や家庭の重みではない。日頃は目を閉ざしていた人生そのものの重さに、耐えてゆけるのだろうか。
そんなことをしばらく考えた後、同僚と新横浜のラーメン博物館にラーメンを食べに行く。なんという転換の速さ。
ラーメン博物館はなんと入場料300円を取られた(近くのパーキングの駐車料金300円はしょうがないとしても)。建物の地下に入った底に昭和30年ぐらいの町が再現されている。
「車社会」になる前の共同体だった煤けたような商店街の再現である。現在の横浜の街とは好対照だ。
現在の横浜の駅前を歩くと旧東海道があった。いまはどこにでもある幹線道路となっている。戦後社会最大の(いや近代日本社会最大の)変化はモータリゼーションによってもたらされた。現在の北京市の胡同(フートン)の取り壊しとイメージがだぶる。ここで失われた幻の「桃源郷?」が新横浜のラーメン博物館の地下にイミテーションとして飾られている。わたしが最初に観たテレビのホームドラマは「バス通り裏」だった。
ラーメンは「ふくちゃん」のワンタン麺。850円。とんこつスープ。独特な風味。わたしにはちょっとこってりしている感じがした。ワンタンの中にニンニクが入っているもよう。
わたしはそのあと「桃源郷」の小路をしばらく歩き回る。