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事件の矮小化と責任回避

 やっとマス・メディアも動いた。朝日、秋田魁新報、TBSなどに、A倍晋三官房長官氏が次のようなコメントを出していることを報じている。

 「私人としての立場で、地元事務所から『官房長官』の肩書きで祝電を送付したとの報告を受けている。誤解を招きかねないので担当者にはよく注意した」。

 これ、日本語か?わかりにくい。つまりこういうことだろう。

 私人としての立場で祝電を送りました。でも担当者がまちがえて『官房長官』の肩書きで出してしまいました。なので、「肩書きを間違えてはだめじゃないか」とよく注意しました。

 その担当者はものすごい無神経な担当者だったのだ。肩書きを間違えるなどと。あるいはものすごい正直者だったのかもしれぬ。

 事件の矮小化、責任回避の言説。こういうのはたぶん「(メディア対策)マニュアル」に載っているのだろう。メディア・リテラシー教育の教材にはもってこいだ。
mojabieda * 時事 * 07:06 * comments(0) * trackbacks(0)

メデイアの盛り上げ方

 ワールド・カップ。日本中が湧いている。初戦の日本チームの対オーストラリア戦をTVで観たが、前半の日本の戦いぶりを観て、わたしはさっさと寝てしまった。まったく生彩のない試合だったからだ。観ていて迫力がない。えげつなさもない。ワールド・カップに出場が決まっただけで力尽きてしまったのだろうか。

 クロアチア戦も前半20分くらいできりあげた。

 これでブラジルに対して2、3点以上の差をつけて勝とうという?まったく絶望的、夢物語だ。いまの日本のままでもし勝ったとしたら、「神国」日本に「カミカゼ」が吹いたか、ブラジルが主力を温存して手を抜いたか、八百長か、のいずれかだろう。

 決勝トーナメント進出は「絶望的」「ありえない」「幻想」とは日本のマス・メディアは書かないだろう。まだまだ国民に夢を見させて、ワールド・カップを盛り上げて商売したい・もうけたい、という魂胆が丸見えだ。そのえげつなさが丸見えになっている。

 子安潤氏はブログのなかで「新聞等のジャーナリズムと政治の世界は、ファルス・リテラシーに溢れた人々の世界」と述べている。ファルスとは嘘っぱちのこと。マス・メディアの「国民に夢を見させる」盛り上げ方(持ち上げ方)と、政治のそれとは、その手法をまったく同じくして、なるほど、リテラシー教育にはもってこいかもしれない。

 ああ、今日も「撃ちてし止まん」と新聞は書き立てるのだろうか。
 
mojabieda * 時事 * 23:43 * comments(0) * trackbacks(0)

どういう世の中なのか

 国民から自由と民主を奪うために「自由」と「民主」という看板をかかげる政党の大物で、日本の内閣官房長官・A倍晋三(A級戦犯、岸信介の孫)氏は、政治屋一家であり、財界との姻戚関係も深い日本「新階級社会」のトップエリート。

 Wikipediaによれば「002年2月、大学の講演で『小型であれば原子爆弾の保有も問題ない』、講演終了後の懇談会で『北朝鮮など核攻撃で焦土にしてやる』と発言」しているという。日本のポスト小泉、首相候補ナンバー・ワンの人物。

 霊感商法で有名になった反共カルト集団・「統◯教会」の福岡での合同結婚へ祝電を送ったということで、多くのブロガーが話題にしている(「薫のハムニダ日記」「たんぽぽのなみだ〜運営日誌」など)。

 祝電はしかも「内閣官房長官」の名前で送っているという。カルト新聞「世界日報」の韓国版の5月14日の記事から判明したそうである(http://hamnidak.exblog.jp/d2006-06-05)。

 この祝電ニュースがもし明らかならば、マス・メディアはとうぜん知っているだろうが、マス・メディアにはまったく出てこない。デマなのか、それともことわざにいう「金持ち喧嘩せず」か、ジャーナリズムの死か。

 もし明らかならば、つまり強い者には「なんでもあり」、弱い者には「共謀罪」(継続審議)の時代ということか。

 もちろん統一なんとかは、共謀罪や教育基本法改悪に賛成しているそうだ。

mojabieda * 時事 * 06:52 * comments(0) * trackbacks(1)

書評『地中海──人と町の肖像』を読む

 6月3日(土)。電車の中で『地中海──人と町の肖像』(樺山紘一/岩波新書)を読了。まずまずおもしろかった。

 わたしがいちばんおもしろかったのは第4章の「真理」。イブン・ルシッドとマイモニデスの章。古代ギリシアのアリストテレスの合理精神が、流れ流れて辺境(コルドバ)のイスラム教とおなじく辺境のユダヤ教のなかに生きていた。やがてそれがキリスト教ヨーロッパへと伝播してゆく。そうしてキリスト教の中でもまれてヨーロッパの学芸・哲学を生み、やがて近・現代のヨーロッパを用意していく。そのダイナミズムがおもしろかった。

 しかしコルドバのマイモニデスがなぜヨーロッパ大陸のキリスト教圏ではなく地中海のイスラム教圏へと逃れていったのだろうなどと考えてみた。ユダヤ教とイスラム教、かつては共存していた宗教勢力が、現在のパレスチナではどうなっているか。

 ずっと昔、コルドバに行ったことがある。メスキータの近くの日だまりの中の小さな軽食堂に入ったら、東洋人が珍しかったのだろう、近所のおばさんたちが「チーノ、チーノ(中国人、中国人)」とささやきあっていた。町中をさまよい、狭い小路の奥でぐうぜんに小さな広場に出て、そこにマイモニデスの座像を見つけたときの喜びを思い出す。コルドバはふしぎな街だった。懐かしかった。

 たぶんそれで『美しい夏の行方──イタリア・シチリアの旅』(辻 邦生・中公文庫)を読み始めたのだと思う。以前に古本屋で買ったまま書棚に忘れられていた文庫本だったのだが、どういうわけか取り出して読み始めたのだ(文章そのものがいいというわけではない)。これもまた「地中海」である。
mojabieda * 読書 * 22:02 * comments(0) * trackbacks(0)

金儲けでも遊びでもないもの

 写真は愛知大学の古い木造の記念館の給湯室

 さいきんは、ときどき電車通勤(?)をしている。それで、電車のなかでつらつら考えごとをする。

 ある日、隣りに若い、きちっとした身なりのサラリーマンが座った。さっそくバッグの中から日経新聞を取り出して上手に小さく折って読み始めた。

 見るからにサラリーマン然としている。あたかもそのスタイルに嵌めないとじぶんが表現できないかのようだ。その様子を横目で見ながら隣で感じたことは、次のようなことだ。

 若い、はつらつとした身体と頭と心を持つものが、朝からずっと「金儲け」しか考えないような社会になったら、そういう社会はどうなるのだ?ということ。

 サラリーマンとは結局、人生のなかで身体・精神の力がもっとも充実している年月を、仕事という「金儲け」に身命を賭している。考えてみると異常だ。そうして年寄りや子どもたちが、地域社会に尽くしたり、ボランティアなどをしたりして、金儲けには繋がらないことをしている。

 仕事の対極にあるものは遊びではない。仕事も遊びも(じぶん自身のためという次元では)同じことである。その対立概念にあるものは何か。

 それが見えなくなっていることが現代の病ではないか。金儲けでも遊びでもない何かが見えない。

mojabieda * 時事 * 23:04 * comments(0) * trackbacks(0)

夕べの歌

 未公開の1982年の映画『ゾフィー・ショル 最後の5日間(Fuenf letzte Tage)』(レナ・シュトルツェ出演)のなかで、獄中の(死刑直前の)ゾフィーがエルゼと唱和してマティアス・クラウディウスの「夕べの歌」を口ずさむのですが、その雰囲気がよかった。それで訳してみました。


     Abendlied
     夕べの歌

  Der Mond ist aufgegangen,
  月がのぼり
  Die goldnen Sternlein prangen
  金色の星が光りかがやく
  Am Himmel hell und klar;
  夜空に明るくきよらかに
  Der Wald steht schwarz und schweiget,
  森は黒々として沈黙する
  Und aus den Wiesen steiget
  そして草原から奇蹟のように
  Der weisse Nebel wunderbar.
  白い霧がたちのぼる

  Wie ist die Welt so stille
  なんと世界は静謐で
  Und in der Daemmrung Huelle
  夕闇のヴェールの下
  So traulich und so hold!
  居心地よくやさしいことか!
  Als eine stille Kammer,
  あたかも静かな小部屋のように
  Wo ihr des Tages Jammer
  お前たちの一日の苦難を
  Verschlafen und vergessen sollt.
  癒し忘れさせるのだ

  Seht ihr den Mond dort stehen?──
  見なさいあそこにある月を──
  Er ist nur halb zu sehen,
  月は半分しか見えない
  Und ist doch rund und schoen!
  しかし丸く美しい!
  So sind wohl manche Sachen,
  おそらく多くのこともそうだ
  Die wir getrost belachen,
  われわれは安心してあざけり笑う、
  Weil unsre Augen sie nicht sehn.
  それがわれらの目に映じないゆえに

  Sind eitel arme Suender,
  空しく哀れな罪人だ
  Und wissen gar nicht viel;
  しかも多くを知らない
  Wir spinnen Luftgespinste
  われらは中空の糸を紡ぎ
  Und suchen viele Kuenste
  数多の技巧を求める
  Und kommen weiter von dem Ziel.
  やがてますます目的から離れたところへ来てしまう

  Gott, lass uns dein Heil schauen,
  主よ、われらにあなたの救いをお見せください
  Auf nichts Vergaenglichs trauen,
  過ぎ去らぬものを信じさせたまえ
  Nicht Eitelkeit uns freun!
  空しくはないものでわれらを喜ばせたまえ
  Lass uns einfaeltig werden,
  われらを純朴にさせたまえ
  Und vor dir hier auf Erden
  そしてあなたの御前のこの地の上に
  Wie Kinder fromm und froelich sein!
  子どものように無邪気で楽しくいられますように!

  Wollst endlich sonder Graemen
  願わくばなんの悲痛もなく
  Aus dieser Welt uns nehmen
  この世からわれわれを引き取ってください
  Durch einen sanften Tod!
  安らかな死をもって
  Und, wenn du uns genommen,
  そうして我らを引き取ったならば
  Lass uns in Himmel kommen,
  われらを天へと昇らせたまえ
  Du lieber treuer frommer Gott!
  寛大な情け深い主よ

  So legt euch denn, ihr Brueder,
  さあ、兄弟たちよ
  In Gottes Namen nieder;
  主の御名の中に横たわりなさい
  Kalt ist der Abendhauch.
  夕べの吐息は冷たいから

  Verschon uns, Gott, mit Strafen,
  主よ、罪過からわれらを免れさせたまえ
  Und lass uns ruhig schlafen!
  そうしてわれらを安らかに眠らせたまえ
  Und unsern kranken Nachbar auch!
  われらの病める隣人をも

mojabieda * 白バラ * 22:04 * comments(3) * trackbacks(0)

キョウボウ罪

 「共謀罪」という名の治安維持法は成立か、継続審議か、廃案か。いま瀬戸際だ。

 A級戦犯だったのに戦後は首相になった男の孫で次期首相候補のA某が、教育基本法は占領時代の残滓(のこりかす)だと言ったという。ばかも休み休み言え。占領時代の残りかすとは「進駐軍=駐留外国軍=在日米軍」であり「対米追随軍事条約=日米安保条約」だ。それをそのまま今の今まで政府・政権政党が維持・発展させてきて、さらに未来永劫にまで占領時代の「残滓(のこりかす)」として国民に押しつけようとしている。沖縄の基地など、ずっと金網で囲まれてきたのが、この前行ったら頑丈なコンクリートの壁になっていた。「残りかす」を固めてきたのだ。

 そうして彼ら政治屋と官僚には都合の悪い(国民には都合の良い)「憲法」と「教育基本法」とを「占領時代の残りかすだ」とのたまう。国民(民衆)のための憲法も教育基本法も、戦後ずっと目の上のコブだったのだ。いまこそ変えてしまう絶好のチャンスだと思っているのだろう。「国=国民のもの」ではなく、「国=政治屋・官僚のくいもの」という発想。そしてめざすのは日本という国の米国属州化の完成だ。

 戦後の米国にとって占領したはずの日本の「行きすぎた」戦後民主主義(つまり、国民に自由と民主主義を与えすぎたこと)がずっと目に余ってきた。戦後与党と米国との昔からの密約が「改憲」と「改基本法」。政府首脳は日本の国民向けにはヤスクニ参拝のパフォーマンスをしながら、対外的にはすぐに米国へ飛び(主人の)お伺いをする戦後のならわし。ヤスクニ参拝は国民をおだて、国民の目をごまかすための拙いパフォーマンスの一つ。

 自由と民主主義とを国民から奪う政党として「自由」と「民主主義」という看板をかかげる政党がもっともふさわしい。こうして某政党は巧妙に民衆をコントロールして政治屋と官僚のための国家をつくりつづけ、その典型である米国の属州化を謀ってきた。

 政治屋とは、ここまで国民を愚弄し、だますものか。安部公房の「プルートーのわな」を思い出す。

 そうして国民が文句を言うどころか、「国=政治屋・官僚」を愛せよと「愛国心」を法制化し、内心までコントロールしようとする。さらに文句を言う輩同士が「めくばせ」するだけで逮捕できてしまう「共謀罪」の成立を謀っている。

 戦前の悪法であった治安維持法は、行為・行動をとがめる刑法ではなく、行為しよう・行動しようと「思う」段階で人を逮捕できるから悪法であった。なぜならいくらでも警察が犯罪をでっちあげることができるからだ。「こいつはそう思っていた」ということにすればいくらでも逮捕できる。そうしてどんどんエスカレートした特高警察は、政府に同調しない者たちを手当たり次第、逮捕・監禁・拉致・虐殺してきたではないか。

 こうして戦前の「一望監視」社会が完成したのだ。その悪法・治安維持法の再建が共謀罪だ。それを与党・政府が今国会で成立させようとしている。

mojabieda * 時事 * 08:11 * comments(0) * trackbacks(1)

『白バラ展』に行きました

 全国で巡回している『白バラ展』が初めて中部地区に来ました。静岡でもぜひ『白バラ展』開きたいと思い、愛知大学(豊橋)のドイツ語ドイツ文学研究室主催『白バラ展』に行ってきました。

 国鉄・豊橋駅を降りて駅を出て右手にゆき、すぐに豊橋鉄道があります。そこから三つめぐらいの駅が愛知大学前。降りるとすぐに目の前が愛知大学の正門でした。

 構内に入って(ちょうどオープンキャンパスだったようです)、右手にゆき、突き当たりの大きなビル(本部かな)の向こう側に出ます。目的地の記念館は古い木造の建物の方ではなく、隣りの3階建てのビルの方でした。

 受付は愛大の独文の方々だったようです。いろいろと親切に教えてくださいました。

 パネルは約50枚ほど。ゾフィー兄弟やその他白バラ関係のさまざまな人たちの写真や説明を展示しています。一つ一つ読んでいくと奥が深く、ずいぶん時間がかかってしまいました。土曜日でしたが、それほど混んでいなかったため、ゆっくり見ることができました。

 昼食は学食へ。正門の隣りの丸いガラスのビルの二階にありました。311円(レシートなしで確認できず)でラーメンと冷や奴を食べました。『白バラ展』の冊子代が200円。あと一階の生協の本屋で6月6日号の『SPA!』を買いました。ジャーナリストの志葉 玲氏が「新聞・テレビが報じない『共謀罪』トンデモ議事録」という記事を書いているので。これがいちばん高く370円。運賃以外にかかったものはそれだけ。
 
 午後は『ゾフィー・ショル 最後の5日間』を観ました。この映画は最近の映画『白バラの祈り』の元になったものだと観て分かりました。同房の囚人であるエルゼという女性から見たゾフィーの姿を描いています。

 商業的な映画ではなく、かといってまったくドキュメンタリータッチでもなく、出演しているゾフィーとハンスはあの『白バラは死なず』の二人がそのまま出演していて、はじまりは処刑された三人がほどろほどろの雪の野を駆ける幻想的なシーンでした。『白バラは死なず』の映画の続編というか、違う角度から描いたもののようです。BGMもほとんどなく、淡々と牢獄の中を舞台にした映画でした。

 それにしてもあのゾフィー役のレナ・シュトルツェは19年前に自主上映した『白バラは死なず』の当時そのままでした(というのは当たり前か)。

 愛大の『白バラ展』は2週間くらいですが、この展示を1、2日ぐらい開催してもあまり意味がないだろうと思いました。もしできるなら長い時間をかけて展示したいものだと思いました。

 映画の『ゾフィー・ショル 最後の5日間』は淡々として地味な映画ですが、わたしにはこの映画はおもしろかった。特に獄中でゾフィーとエルゼが二人でマティアス・クラウディウスの「夕べの歌」を口ずさむところ。これを全部歌っていました。夜の雰囲気がよかった。

   Abendlied 夕べの歌
  Der Mond ist aufgegangen,
  月がのぼる
  Die goldnen Sternlein prangen
  金色の星が光りかがやく
  Am Himmel hell und klar;
  夜空に明るくきよらかに
  Der Wald steht schwarz und schweiget,
  森は黒々として沈黙する
   以下長いので略。
 
 それにしても、昔(82年)、池田浩士氏が以下のように述べていました。
 「かれらの行為に感動し、かれらを殺したものを憎むのは、たやすい。だが、それでは、感動し憎悪するわれわれ自身は、どういう『国民』の一員なのか。『ナチズム』を支えていたドイツ国民は、はたして『自由』と『民主』の名のもとに侵略を正当化し、これに反対する少数者を今も昔も『非国民』に仕立てていく体制を支持しているわれわれにとって、他人事だろうか。『複写して他の人に渡してください!』──最後の『白バラ通信』は、この言葉で結ばれていた。この小さなメッセージは、この国の『国民』であるわれわれにも向けられているのである(82年8月1日)。」『ゾフィー21歳』(「ヘルマン・フィンケ/若林ひとみ訳/草風館」にあった「草風館だより」より)


mojabieda * 白バラ * 23:07 * comments(0) * trackbacks(0)

日独親善サッカー試合のドイツ記事

 先日の日独親善のサッカーの試合のもようをドイツのオンライン記事から(ボケ防止のため)訳してみました。てきとーな訳です。

『デァ・ターゲスシュピーゲル』 5月31日(水)

 希望は最後にやってきた

 ドイツチームは日本に対して0:2とリードされたが、ようやく2:2にもどす

 レーバークーゼンのベイ・アリーナ競技場の5月末の夜は、スタジアムの屋根下のヒーターのスイッチを最高に上げたほど寒かった。2万2千500人の観客が観たものは、最後にやっと少しだけ彼らを温かくしただけだった。6月9日の対コスタ・リカ戦というワールドカップの公式試合前のテスト試合として、ドイツナショナルチームはワールドカップに参加する日本に対して0対2の劣勢を2対2にして引き分けた。

 レーバークーゼンのムードは、先日のフライブルクの土曜日とはまったく違って、長い時間沈んだままだった。先日はルクセンブルクに対して7対0で勝ったドイツチームをファンが祝ったのだが、昨晩はまるでワールドカップの最後の試合へ引き込まれたかのようだった。ワールドカップまでは、まだまだ(課題がある)と見なければならなかった。ドイツチームはよく組織された日本チームに苦戦した。ユルゲン・クリンスマン監督ひきいるチームは当初からすばやく前衛で勝負をいどもうとした。しかし日本チームは高い運動量と高度な戦略的訓練によって(守備)空間をせばめたため、フォワードのルーカス・ポドルスキとミロスラフ・クローゼへのパスが届かなかった。クローゼはまた、試合時刻ギリギリにやってきた。月曜日にとつぜん個人的な理由で一日家族のところへ戻っていたのだ。試合の中で彼について見るべきものは少なかった。

 最初のシュートチャンスはゲスト(日本)にあった。ドイツが攻撃しているとき、二度ボールをとられ、そのあと、ナカタ・ヒデトシとアツシ・ヤナギサワがドイツのゴールキーパーであるイェンス・レーマンの前で自由になり、シュートしたが、キーパーが早期の失点を防いだ。日本はつねにドイツの右サイドに攻撃をかけた。そこにはヘルタ・ベルリンのアルネ・フリードリヒから昨日変わったばかりのベルント・シュナイダーがいた。シュナイダー起用は攻撃に弱い最近のフリードリッヒに変わって新たな方向性を求めたものだったが、同じ守備のクリストフ・メッツェルダーとペア・メルテザッカーとの調整の不備は目に余るものがあった。中盤にはテーピングをしたキャプテンのミヒャエル・バラックが最初から入り、それにトールシュテン・フリングス、ティム・ボロウスキとバスティアン・シュヴァインシュタイガーが加わった布陣だった。

 ドイツチームは20分も優勢にたちながらも、あまり多くのシュートチャンスはつくれなかった。ハーフタイムの直前にシュナイダーとひどく強情なポドルスキが最初のシュートチャンスを逃した。

 ユルゲン・クリンスマンは休憩のときに選手交代させなかったが、後半10分にようやくクリストフ・メッツェルダーに替わってノボトニィを入れた。そのノボトニィは数分後にかわいそうな男になった。かれはナオヒコ・タカハラのオフサイド位置を放棄してしまい、タカハラは(キーパーの)レーマンの前に難なく一人になって、ジーコ監督ひきいるチームがシュートを決めてリードしたのだ。ノボトニィは「この位置をとったのは残念ながら失敗だった」と言った。

 さらに10分後、またもやタカハラだった。全ブンデス・リーガーのシーズン中、たった1ゴールしか決めていない、世界選手権のあとはハンブルガーSVからアイントラクト・フランクフルトに移籍したタカハラだった。以下略。

 ということで、信じられないことには、主力のクローゼが試合前日にとつぜん個人的理由で家に帰っていたということ。公私をきっちり分けているのだろうか。
mojabieda * 時事 * 17:31 * comments(0) * trackbacks(0)

小1児童の殺害事件

 教育雑誌『クレスコ』の最新号を見たら、「安全」を特集にしていました。そこで少し「事件」をネットで調べると・・・

◯ 2004年 3月11日、群馬県高崎市で小1女児殺害。下校時に行方不明。犯人逮捕。26歳男性。同じ団地の住人。無期懲役。
◯ 2004年11月17日、奈良県奈良市で小1女児殺害。下校時に行方不明。容疑者逮捕。36歳男性。公判中。過去に小さな子どもへの犯罪歴あり。新聞販売員として土地勘あり。
◯ 2005年11月22日、広島県広島市で小1の女児殺害。下校時に行方不明。容疑者逮捕。日系ペール人男性33歳。被害者の近所に住む。公判中。
◯ 2005年12月 1日、栃木県今市市(現在、日光市)で小1の女児殺害。下校時に行方不明。犯人不明。
◯ 2006年 5月18日、秋田県藤里町の小1の男児殺害。下校時に行方不明。犯人不明。

 以上、ざっと取り上げてみると、「小1の下校途中での殺害事件」が毎年つづいているのが分かります。(殺害まではいかなくても)小学校児童の誘拐・略取は年間で約80件ほどあるようです(神戸新聞2004年12月17日 小学女児を狙った略取事件が今年1―11月に80件発生、下校時間に当たる午後4時から6時が最も狙われやすい時間帯になっていた)。

 わたしの幼稚園のころは一人で通ったものでした。今は保育園の送り迎えをしています。しかし小学校になれば送り迎えはふつうはしないでしょう。行きは集団登校でも帰りは一人になります。親は気が気ではないでしょう。

 うちの場合はまだ数年先に小学校ですが、小学校から家までほぼ一直線にしろ、途中に信号あり、田舎道ありで、それだけですでに心配です。まして共働きだから鍵っ子になるのか学童保育に預けるのか、まったく先の見とおしはありません。その上にこんな不安な社会になりました。全国の小1の子どもを持つお父さん・お母さんはどうしているのだろうと思う今日このごろ・・・。

mojabieda * 子育て * 12:49 * comments(0) * trackbacks(0)
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