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『四十九日』を読む

 蔭山昌弘氏の『四十九日』(静岡新聞社)は、登場人物はすべて仮名だが、次男を亡くされたときのようすをそのまま日記風に記録したものだ。

 氏は教師の鑑のような人格者で、多くの教え子がいる。若き日にフィアンセを結婚式直前に亡くされるという劇的な運命に出会う。そしてまた教職の定年間近に、今度はご次男をパラグライダーの事故で亡くされるという、さらにまた劇的な運命に出会う。

 氏はカウンセラーの専門家なので、心の糧としてユングのヨブ記に関する書物に救いを求めようとする。

 わたしは『論語』の中の、「この人にしてこの病あるや」という孔子の嘆きを思い出した。「伯牛(はくぎゅう)疾(やまひ)有り」のところ。

 どうしてこのような人にこのような運命が訪れるのだろう。

 氏は、その運命を事実としてありのままに書き記し、向き合うことで、その運命を乗り越えようとしたのかもしれない。それはあまりに苛酷な運命なので、わたしの想像をはるかに越える。わたしだったら何をする気にもなれないだろう。

 しかし、シュタイナーの研究者の西川隆範氏が「試練は乗り越えられるようにやって来る」と言ったことばも同時に思い出す。氏の実りある人生の豊かさの中に、その試練もやがて静かに受け容れられてゆく日が来るのかもしれない。

 劇的な人に、劇的な運命が待ちかまえている、のだろうか。

 去年の日記を見たら、11月7日に訃報を耳にしている。
mojabieda * 読書 * 20:49 * comments(0) * trackbacks(0)

いじめ問題と文科省

 いじめによる生徒の自殺がニュースにたびたび出てくる。そして非難はいじめと自殺の因果関係を認めない学校の姿勢に集中する。で、学校側がいじめの事実と因果関係とを認めてメディアに校長などが謝罪すると、まるでいじめ問題が解決したかのような雰囲気にさえなる。

 しかし問題は、だれがなぜいじめをし、いじめを助長し、いじめを傍観していたのか、という生徒たちの陰湿な仲間関係の問題だ。この問題が解決しないかぎり、いじめはなくならないだろう。

 いや、人間関係を結ぶ社会のなかで、いじめが存在しない社会などはないだろう。特に人間関係の密度が濃くなればなるほど、いじめは不可避的に発生するだろう。

 しかし、そのいじめが単なる通過儀礼的ないじめではなく、人を死へと追いやる集団的で陰湿な、存在の全面否定や迫害や脅迫に変わるとき、そこには、なんらかの集団的な原因があるにちがいないと思う。その解決のためには社会や集団の質を変えなければならないだろう。社会や集団の力関係を変えなければならないだろう。

 社会がバラバラな個人の「群れ」になり、弱肉強食のみが社会を成立させる基盤となるとすれば、いじめというよりも「迫害」(もしくは「生き残り」)の問題が引き起こるのは必定だ。自分が生き残るためには、他人は「犠牲」になってもらわねばならぬという論理だ。だから、強者による弱者の差別や迫害や全面否定があっても、我が身の生き残りのためには、見て見ぬふりをし、傍観し、見ざる言わざる聞かざるにならねばならぬ。パワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントはこうして起きる。

 大人がもしこういう社会や集団を現実につくっているのならば、子どもたちの世界にだけ「愛と正義と共同」の世界を夢見ようとしても、それは甘い考えだ。

 履修不足の問題で自殺した高校の校長がいる。県教委はおそらく履修不足の問題に対して、前からうすうす知ってはいても見て見ぬふりをしてきたに違いない。県下の高校の雰囲気も、履修不足の問題について、受験競争を「生き残る」ためには仕方のない必要悪だということは暗黙の了解だったにちがいない。どの受験校もトップになろう、トップに追いつこうと必死だったろうから、まずいことだとは分かっていても文科省の「掟」から逸脱せざるをえなかった(ある意味で、下からの「新自由主義」と上からの「新保守主義」との間にはさまれて、下に従ったのかもしれない)。

 その文科省たるや、やれ、ゆとりの教育だの、やれ、少子化対策だの、やれ、総合学習だのと、さまざまな上意下達の教育行政によって(高校)現場を統括し、苦しめてきた。そのひずみの一つが履修不足という問題にはね返ってきたのだ。いわば文科省のおのれの蒔いた種なのだ、この問題は。

 上が腐れば下が腐る。大人社会が腐れば子ども社会が腐るのは当然だ。

 にもかかわらず、文科省は責任を県教委に求め、県教委は現場の校長に責任を求めて圧力をかける。これはまったくいじめ(というより迫害)の構図そのものだ。

 この迫害と校長の自殺との因果関係は明確だ。校長を自殺に追い込んだ県教委は謝罪したのかもしれないが、真犯人は謝罪するどころか、おのれが蒔いた問題を「ネタ」に、(教育基本)法を思いどおりに変え、動かし、ますます肥え太り、ますますその悪辣な権力を固めようとしている。これをこれ「盗人(ぬすっと)猛々しい」という。
mojabieda * 教育 * 20:23 * comments(0) * trackbacks(1)

剽窃と改竄

 あるドイツ文学作家についてドイツ人の書いた評伝の翻訳と、日本の写真家が著したその作家の人生の軌跡を旅する本とを同時に読んでいたら、なんと、いくつかの箇所はまったく「同じ」だった。写真家は文学研究者ではないから、ドイツ人の評伝の訳をそのまま使ってしまったのだろう。しかし、その作家の息子のことばを別の息子のことばとして使っている箇所は全くの虚偽になる。つまり「いかさま」だ。事実を勝手にねじまげている。週刊誌やブログではあるまいし、単行本にも、このような本があるとはおどろきだった。

 この写真家の本の方が売れ行きはいいだろう。しかし、その作家のファンとしては日本語で発行されているその作家に関する書籍はたいてい読むだろうから、両者の記述が「同じ」だということは、見てすぐに分かる。その剽窃(ひょうせつ)、改竄(かいざん)はすぐに分かり、がっかりするばかりか、その写真家にも出版社にも裏切られたような気持ちになるだろう。もはや二度とその写真家の名前も出版社も見たくないだろうから、その出版社と写真家とは別の「えじき」を捜すしかない。

 なんだかな〜と思う。せっかくその作家の、めったにお目にかかることのできない、終焉の地・最後の住まいの写真を載せているので、たいへん貴重な本のはずなのだが。

 その作家とはヘルマン・ヘッセだ。

mojabieda * 読書 * 18:31 * comments(0) * trackbacks(1)

竹内氏の講演

 10月21日に、県の教育研究集会が開かれた。
 
 竹内常一氏の講演が集会の目玉の一つだったので、予想以上の参加者があつまったようだ。会場にはいっぱいの参加者。だれもが熱心に竹内氏の講演を聴いていた。そのあとの質疑応答も中身が濃かったと思う。

 竹内氏の講演は、「改正」案が「第2条」の完全な撤廃を謀っているという指摘からはじまった。第2条の「教育の方針」を削除して、それに代わるものとして「教育の目標」をかかげ、国民の教育権から国家の教育権への転換を謀ろうとしているという。

 現在の教育基本法の第2条の「教育の方針」は、第1条の「教育の目的」を達成するための道筋をあきらかにしたものである。その道筋の一つは「学問の自由」である。ここに「教育の自由」も含まれる。学問と教育とを別物とし、教育から学問(真理)を引き離す教育政策は戦前の「神話」教育に見ることができる。あくまで学問と教育とは別物ではなく、その自由を保障しなければならない。

 二つめは「実生活に即し」である。事実にもとづいて物事を考えなければならないということ。実生活に即せば、世の中には性差別などさまざまな差別や矛盾があるが、それを指摘すると教室でも学校でも社会でもバッシングにあってしまうのが現状だ。だからこそ、実生活と教育とは結合しなければならない。

 三つめは「自発的精神を養い」、四つめは「自他の敬愛と協力によって」である。つまり、一人一人が「教育とは何か」を考え、共同しながら文化を創造することで教育の目的を達成せよということである。

 この一から四の道筋をとおして第1条の「教育の目的」である「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者」を育てよということである。

 本来、「教育の価値」を法律で定めるべきではないと竹内氏は言う。そもそも法律や多数決では「価値」は決定できないからである。

 国家が法律として「教育の価値」に介入するとき、教師は「教育の価値」について考えなくてよくなる。つまり「考えない」教師をつくり、上から法律で規定された「教育の価値」を現場で注入するだけの「官吏」となるわけだ。

 学習指導要領ではすでにこの「教育の価値」が記されているが、これまで学習指導要領に記されてきた「教育の価値」を、教育基本法「改正」案では「第2条・教育の目標」として掲げている。

 こうして、国民による国民のための教育ではなく、国家による国家のための教育をすすめようとしているということだろう。

 さらに、竹内氏が指摘するのは、教育基本法の「第1条・教育の目的」にある「平和的な国家及び社会の形成者として」について、「改正」案は「平和で民主的な国家及び社会の形成者として(必要な資質を備えた)・・」の改変している点である。

 わずかな違いに見えるが、実はたいへんな違いがあるということを竹内氏は指摘する。

 これはあとで、参加者から「竹内講演の要約」のような発言があったため、参加者みんなによく理解できたことだが、基本法の「平和的な」というものの対極にあるものは「暴力」である。この暴力の中には、教室や家庭内の迫害・虐待・いじめ・性暴力から、マクロな暴力、つまり国家による暴力としての戦争までふくまれている。自己責任という名で弱者切り捨てをする棄民政策なども国家による暴力だろう。

 基本法のこの「平和的な」ということばの意味は「非武装平和主義」であると竹内氏は指摘する。広い意味での暴力の否定である。

 これに対して、「改正」案の「平和で(民主的な)」は、「改正」案の第2条の「国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と連動して、「武装平和主義」を表していると竹内氏は指摘する。

 国際社会の「平和」のためには、軍事的発動(暴力=戦争)も辞さず、ということだ。ちょうど米国のイラク侵攻のように、「平和」のための暴力、「平和」のための戦争に「寄与する態度を養う」のが教育の目標だと掲げているのである。

 この一点だけでも、「改正」案はとんでもないものをつくろうとしていることが分かる。政府与党はこの「改正」と連動させて平和憲法の「改正」を謀っている。いわば教育基本法と憲法とは表裏一体であり、どちらかを変えることは自動的にどちらかを変えざるをえないことになるだろう。
mojabieda * 講演 * 06:32 * comments(0) * trackbacks(0)

AB氏の訪中

 首相になったばかりのAB氏が、どうして最初の外遊に中国を選んだのか。
 
 田中宇(さかい)氏によれば、米国がAB氏を訪中させたという。

 しかもその直後にどうして北朝鮮の核実験なのかを田中氏は分析している。

 中国は日中関係の改善をはかり、すでに知らされていた北朝鮮の核実験に対して、AB氏が中国を離れた時点で胡錦涛が北にゴーサインを出したのではないかという。

 米国は北をめぐって日中の接近を期待したらしい。米国の戦略はアジアのことはアジアに任せる「隠れ多極化戦略」だという。ほんとうかな。

 米国の「隠れ多極化戦略」というのは、なんとなく田中氏の「願望」のように思われる。そんなに米国は甘くはないだろう。米国のあからさまな一極化戦略は巨大な軍事費に見て取れる。

 米国は、なったばかりで使いやすいAB首相に中国への「ぱしり」をさせたのか。胡錦涛氏に逢って、ともかく早めに日中関係を改善させておけということだろう。東アジアの軍拡競争が現在の米国にはプラスにはならないと踏んだのか。

 しかし、北の核実験そのものがほんとうなのだろうか。米国情報機関によれば、大気標本分析で放射能を検出したというが、情報機関が「秘かに集めた情報」を公表するのにはそれなりの意図があるだろう。隣の韓国や中国での大気の分析結果はないのだろうか。

 さらにその情報機関がプルトニウム型の爆弾だと結論づけた。

 さて、この米国情報機関なるものは、先のイラクへの米国侵攻の大義となっていた「イラクに大量破壊兵器がある」というでたらめな情報を流したところだ。この情報が誤りであったことは今になって米政府が認めている(はじめから仕組まれていたのだろう)。

 あの自己顕示欲の強そうな北朝鮮が自国の「歴史的な」核実験を世界へと公表するのなら、核実験の映像を堂々と誇らしげに内外に公開しそうなものだ。
mojabieda * 時事 * 07:05 * comments(0) * trackbacks(0)

10.9の県民のつどい

 10月9日の静岡市のグランシップ。「憲法・教育基本法の改悪を許さない県民のつどい」が開かれました。

 はじめは保育園児のダンスや子どもたちの太鼓の演奏、増野さんのメゾ・ソプラノの独唱。とくに谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」は、その6番まである長い反戦歌をぜんぶ歌ってくれました。

 ベトナム反戦のころの歌だったと思います。谷川俊太郎という日本を代表する詩人と、武満徹という世界的な作曲家とが反戦フォークソングをつくった時代があったのですね。たしか森山良子やデューク・エイセス、高石ともやが歌っていたかと思います。  

 この谷川の詩はいまの高校の国語の教科書に載っています。「大道廃れて仁義あり」をもじれば、「平和廃れて反戦歌あり」でしょうか。この反戦歌が「過去の歌」ではなく、ふたたび「現代の歌」として甦らなければならない時代となってしまったと思いながら増野さんの歌を聴いていました。歌声はたいへんにきれいな、感動的な歌声でした。

 反戦歌をききながら、ベトナム戦争のころとくらべて、現在は戦争がなくならないどころか、核戦争の危機がおさまらないどころか、ますます軍拡の泥沼のような国際情勢になってきているように思いました。そして日本も──

 18世紀は「科学の世紀」、19世紀は「歴史の世紀」、そして20世紀は「戦争の世紀」だといわれますが、21世紀は「(人類)存亡の世紀」になるかもしれない。そんな思いにとらわれるときがあります。子どもたちの未来はどうなるのだろうと。

 そのあとの肝心な講演は、子守のために中座してしまいました。ロビーに出たり、エスカレーターに乗ったり、窓から電車や新幹線を眺めたりしていました。

 子どもをつれて3階に上がってみたら、ここに大勢人がいて、このホール全体がたくさんの人で埋まっているのが見えました。当初1000人を集めようということでしたが、1000人以上の人々が集まったのではないかと思います。これには勇気づけられました。

mojabieda * 時事 * 06:50 * comments(0) * trackbacks(0)

東京日帰り写真日記


 今日もすばらしい天気だった。
 駅まで自転車。途中でコスモスを撮る。稲刈りのあとの田んぼにシラサギたちがいる。
 新幹線の中で、どっぶりドイツ語の読本を読んだ。家ではとても読めないから。Werner von Siemensの「私の最初の勝利」を読んだが、なんというか、きちきちした文。
 東京で会議と研究交流集会に出席。

 まず永田町の国立国会図書館のとなりにある社会文化会館へ行く。永田町で降りる人は少ない。真昼でも通りにめったに人影を見ない。ちょうど、キリコの『街の神秘と憂愁』のようだ。
 全国からの参加者がすでに集まっていて、わたしは30分くらい遅れて行き、たまたま座った席で隣を見たら知り合いの静岡県人。後ろを見たらこの前名古屋港の会議で見た岐阜県人。あとで入口ですれ違ったのはこの夏の滋賀で出会い、9月に埼玉で出会い、名古屋港でも出会った青森県人。行く先々で金太郎飴のように同じ人たちと出会う。

 午後、山手線のお茶の水駅。目の前の釣り堀に大勢の人たちがいた。
 この駅は昔からあまり変わらないようだ。




 明治大学のリバティ・タワーのホールで集会。そこまで行くのに、明治大学のキャンパスを歩くが、ビルの谷間を吹き抜ける風がものすごい。風を写真に撮りたかった。




 途中で、ぐうぜん「山の上ホテル」に出る。ここが文士の逗留した有名なホテルだったか。




 休憩時間に広い前庭のベンチで通り過ぎる人たちを眺める。明大通り。東京もどんどん変わっていくようだ。





 帰りの新幹線の中で、まだ東京なのに富士山が大きくくっきりと見えた。どこかの川を渡るときに写真を撮ったが、ネオンで隠れた。







mojabieda * 日記 * 21:33 * comments(0) * trackbacks(0)

過ごしやすい気鬱の季節

 暑くもなく寒くもなく、ようやく季節としてはもっとも過ごしやすい季節になった。待ちに待った季節なのに、なぜか気鬱になる。そう日記に記したら、去年の10月5日にも、まったく同じ「気鬱」という記述があるのを発見した。

 ついでにネットで日本の自殺者の統計を調べた。1978年からの統計で1997年まで、ずっと横ばいの2万人台だった。しかもほとんど2万5千人以下だった。ところが1998年から一挙に跳ね上がって3万人をかるく越すことになる。そしてそれ以降ほぼ横ばいで8年が過ぎた。いったい1998年から何が変わったのか。

 02年8月に横浜市で開かれた第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位だという。このことから1998年は自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に当たるという。

 自殺者の70%は男性で、そのうち40〜50代だけで1万人を超えている。

 これもたまたまだと思うが、去年の10月5日もネットで自殺者の統計を調べていたことを日記で発見した。

 はてさて、気が滅入ってきたのでもう休もうと思う。
mojabieda * 日記 * 05:33 * comments(0) * trackbacks(0)

早朝の三つの夢

 写真は名古屋港で見た大型客船



 10月5日の早朝、夢を三つ見た。

 一つめは天空(飛翔)委員会。内容は忘れてしまった。ふしぎな委員会だったことは確かだ。

 二つめはロマンチックな逢い引き。夜、ある若い女性の家の近くまで行くが、その場所が分からなくなる。昔なじみなのか、なにかしっとりした慕情を覚えている。生け垣で囲まれた狭い小路からその女性が顔を出すだろうと思っていた。が、来なかった。仕方なくきびすを返して帰ろうとすると、どこかから父親らしい人が背後からやってきて、かの女に貸してあった本を返してくれた。また別の男性もやってきて本を返す。なんだかへんに気恥ずかしくなる。やがてわたしは近くの旧家の広い座敷に座っていた。欄間が大きくて立派で古い。どうやら妻の実家らしい。妻の親父さんがやってきた。近所だから、たった今のわたしの不行跡を聞きとがめにきたのかなと思う。恐縮する。親父さんが「根っこの会に入ってもらう」と言う。なんだろう?と思っていると、「まあ、職業訓練みたいなものだ」と言う。なんのことかさっぱり分からなかった。

 三つめは我が家。夜、女性客を何人も引き連れて家に帰ってくる。なぜか古い家だ。土間を通って中庭に出るが、とちゅう風呂場などを通っていく。土間の戸の下に埃が山のようにたまっている。中庭に出ると、大きな井戸には板を敷き、上には何か物を載せてきれいに飾ってある。子どもたちが間違って井戸に落ちないように気をつけているらしい。
 妻に問う「どうして埃が山のようにたまってるの?」
 妻曰く「一日でどのくらいたまるのか、試してる」
 そんなにたくさん埃がたまるもんかなあと思う。見上げると夜空の星がきれいだった。

mojabieda * 夢日記 * 22:07 * comments(0) * trackbacks(0)

新たなるアパルトヘイトの創出

 ただでさえ面倒な(現在は3分類の)敬語を5分類にしようという面妖な指針案を、文化庁の文化審議会の国語分科会の敬語小委員会が出した(10月2日)。

 一方では「バイト敬語」という「安直な」ことばが流行っている。この二極化をどう考えればいいのか。

 敬語の3分類とは「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」だが、これをさらに「尊敬語」「謙譲語1」「謙譲語2」「丁寧語」「美化語」に分けようという。なんぢゃ、そりゃあ。受験産業がよろこぶだろう、受験「業界」用語が増えて。

 ちまたでは「よろしかったでしょうか」「〜のほうは(いかがでしょうか)」というバイト語がはやる。なんだかな〜と思う。

 晦渋は「かいじゅう」と読むが、できるだけ「晦渋な」(わけの分からん)ことばを使う(使わせる)ことで、目くらましの煙幕を焚いて、司法・立法・行政の「壁」を築き、民衆から政治を遠ざけようとしてきたのが古今東西の権力のひそかな施策だろう。

 はじめて「国家」と出会う「学校」というところで、民衆は「国家語(国語ともいう)」を習う。習わなければ「国家」の下僕にもなりえないからだ。

 一方では民衆は平易な生きたことばを使って暮らしている。「母語」というものだ。

 この両者の二極化をはかり、この両者の溝をできるだけ深めることが権力の常套手段かもしれない。

 「新階級社会」にふさわしい施策だ。ことばの分断は新たなアパルトヘイトの創出である。
mojabieda * 時事 * 19:18 * comments(0) * trackbacks(0)
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