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「自決」という名の強制





 国家(自国の軍隊)はいったいだれを殺しているのか。これまでの歴史の中で最大の被害者はその国家の「国民」なのだということをダグラス・ラミスは述べている。

 ほんとうにそうなのかどうかはわたしも分からない。もしかしたらそれは極論かもしれないが、ラミスがそのように警告している意味は分かる。国家権力というものが「諸刃の剣」をもつ危険な本質を警告しているのだ。盲目的に信じるなということ。自国の軍隊がいかに人民を裏切るか。これは隣の軍事政権時の韓国や中国だけのことではないということ。

 その事実を国家が隠蔽しようとするとき、その国家はどこへ突き進もうとするのか。

 きのう、高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」とさせた。これは国家による「検閲」である。

 教科書の内容は次のように変わったという。

 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した

 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた

 ということは、民衆が勝手におのおのじぶんで悲観して死んだのだということになる。詩人の石垣りんの詩につぎのような「崖」という詩がある。

   崖

 戦争の終わり、
 サイパン島の崖の上から
 次々に身を投げた女たち

 美徳やら義理やら体裁やら
 何やら。
 火だの男だのに追いつめられて。
 とばなければならないからとびこんだ。
 ゆき場のないゆき場所。
 (崖はいつも女をまっさかさまにする)

 それがねぇ
 まだ一人も海にとどかないのだ。
 十五年もたつというのに
 どうしたんだろう。
 あの、
 女。

 この詩について詩人の石垣りんじしんが次のように説明している。

 「先ほど、私は兵営のある町で生まれたと申し上げましたが、子供のころ靖国神社例大祭の日には、朝、参拝に行く兵隊の長い長い行列を見送ったものです。汗と革と若い男たちのムーンとする匂いを今も思い出します。ザック、ザック、ザック、ザックという足音が兵営の門から出て靖国神社のほうへ向かう、本当に、見ても見ても続く長い行列でございました。いまになって、あの行列はどこまで行ったろうということを考えます。あのまま、あの兵隊さんたちは戦場を越えて、やがて本当に靖国神社へ送られていったのではないか、そういうことを思うわけです。その同じ戦争の末期、サイパン島の崖の上から飛び降りて自決していった女性の、いま落ちて行くという途中の瞬間を、アメリカ側から写しとった一枚の写真。それをはじめて目にしたときは、いつだったよく覚えていないんですけれども、終戦後何年もたってからのことです。見たときから目のなかに焼きついてしまいました。高い処から飛び降り、落ちて行く中途にあり、立ったままのそれは姿でした。

 その先、女の人は死んだにちがいありません。けれど、写真のなかの女の人はまだ死んでいないのです。ですが、生きているとも言えない、もう崖を飛び降りてしまっているのですから。では、なぜ女の人は崖から飛び降りなければならなかったろう。追いつめられたから、何に?私はそのことを自分に問いました。戦前、婦人は参政権もなかった。そういう状態で戦争に巻き込まれ、ついには自決というところまで追いつめられてしまったのはいったいなぜか。詩の中で「美徳やら義理やら体裁やら何やら。火だの男だのに追いつめられて。」と書きました。あそこには死んでも死にきれない女の姿がある。戦争が終わって十五年もたつというのに、まだ私たちのなかには、追いつめられたような状態で、不本意な立場で生き続けているものがあるのではないか、と考えたのです。死にきれないでいる女の姿と、現在の女というものを重ね合わせてみました。それはまだ海にとどいていない、と言いたかったのです。」

 「火だの男だのに追いつめられて」と詩にはある。敵軍に追いつめられただけではない。この詩は戦争が終わって15年後につくられたという。そのとき「自決」した死者たちはまだ「飛び降り」ている「崖」の途中にあって浮かばれてはいなかった。死んでも死にきれなかったのだ。そうして60年以上経った現在、途中どころか、フラッシュバックのように再び「崖」の上にまいもどされ、再びあの「崖」が繰り返されようとしているのだろうか。

 ここに「『集団自決』を心に刻んで」という本がある。「一沖縄キリスト者の絶望からの精神史」という副題がついている。著者は金城重明氏。高文研1995年刊。
 
 氏は当時16歳の青年だった。沖縄の渡嘉敷島の島民の一人。時は1945年3月28日。前日には米軍が島に上陸し、その一週間ほど前に軍隊が村役場の男性たちに手榴弾を配っていた。一個は敵に投げ込み、他の一個で自決しなさいという「指示」を受けていた。

 住民は軍隊によって安全な場所へ避難させられたのではなく、軍隊の陣地の近くに移動させられた。これを著者は「永久に拭い去れない」疑問だったと述べる。つまり軍隊の「捨て石」にされたのだ。沖縄が日本のそれにされたように。

 氏は述べる、「軍隊が、住民に武器を手渡すということは、たとえそれが小銃弾のような小さなものでも、通常あり得ないことでした。したがって、日本軍が戦争中、大切な武器である手榴弾を住民に手渡したということは、軍が重大な決断をしていたということです。つまり、敵軍との戦闘状態に入ることが必至であることを想定しながら、非戦闘員に重要な武器を配ったのは、軍との『共死』を強制していたということです」。

 28日のその日、村役場の青壮年に配られた手榴弾が、陣地にいた住民たちに一個ずつ手渡された。その周りに家族が集まる。しかし、すべての家族に手榴弾が行き渡るわけではなかった。

 「どれほど時間がたったかわかりません。突然、私の目に一つの異様な光景が飛び込んできました。一人の中年の男性が、一本の小木をへし折っているのです。・・・彼は、自分の愛する妻子を狂ったように殴殺し始めました。この世で目撃したことのない、いや想像したことさえない惨劇」を氏は目にする。やがて「母親に手をかした時、私は悲痛のあまり号泣しました」「私たちは『生き残る』ことが恐ろしかったのです。わが家は両親弟妹の四人が命を断ちました」。

 男たちがつぎつぎと家族のうちの「幼い者・女性・老人など」を先に殺した。なぜなら、自らは死ねない者を先に殺してからでないと男たちは死ねないからだ。男たちは「死の虜」となっていった。こうして氏の住んでいた集落の329人が残酷な死を遂げた。

 「敵」国の当時の「ニューヨーク・タイムズ」がその惨劇を報じているという。氏の著書につぎのように引用されている。

 一人の米兵が「小川に近い狭い谷間に入った。すると『オーマイガッド』何ということだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。・・・小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。軍医は『この子は助かる見込みはない』と言った。まったく狂気の沙汰だ。・・・生き残った人々は、アメリカ兵から食糧を施されたり、医療救護を受けたりすると驚きの目で感謝を示し、何度も何度も頭を下げた。・・・自殺行為を指導した指揮者への怒りが生まれた。そして70人の生存者のうち、数人が一緒に食事をしている所に、日本兵が割り込んできた時、彼らはその日本兵に向かって激しい罵声を浴びせ、殴りかかろうとしたので、アメリカ兵がその日本兵を保護してやらねばならぬほどだった」。

 いったい国家(自国の軍隊)はだれを殺しているのか。
mojabieda * 時事 * 09:04 * comments(0) * trackbacks(0)

イラクのカーシムさんの話









写真は高遠菜穂子さんとカーシムさん

 3月28日の夜、静岡市のあざれあで、「イラクの空には何が見える?」と題するイラク青年の講演がありました。通訳は高遠菜穂子さん。主催は県評(女性部)。

 来日したのは30歳になるイラク青年カーシム・トゥルキさん。精悍な顔ですが、目はおだやかで意志が強そうな知性的な青年です。

■ 恨みに報いるに徳をもってす

 かれの来日を支援したのは高遠さんら「ファルージャ再建プロジェクト」の人々。カーシムさんはそのプロジェクトで現場の指揮をとっています。

 高遠さんやカーシム青年が、どうして命がけで「再建プロジェクト」を立ち上げたのかは、あとで高遠さんから直接お聞きしました。講演のあとで料理店で飲みながら話をしていたときのことです。

 イラクではたくさんの民衆が殺されている。その「敵」は米軍であったり、他宗派であったりするが、その「敵」を倒すことを考えていた恨みを持つ人々を、敵を倒すことではなく、人々を助けることを選び、学校や診療所建設など平和な社会を再建する人間に変えようとするプロジェクトだ、ということです。実際にカーシム青年の兄も殺されたと高遠さんから聞きました。

 高遠さんは、これがわたしの「テロとの戦い」だと言っていました。イラク人に人質にされ、あげくに日本でバッシングにあったかの女は、その「戦い」ということばに激しい熱情を込めていました。

 わたしにぶつけたその激情的なものを取り去り、その行為の本源をたずねれば、おそらく「恨みに報いるに徳を以てす」という『老子』につながるものがあるのではないか、と思いました。

■ 9条の逆輸入

 そのほかに、よく9条の会の人たちから講演を頼まれるけれど、9条を守るということだけでは守ることにはならない。海外へ出て、9条の理念を実践し、その海外での成果を日本に逆輸入させることでしか守ることはできない、という話もしてくれました。なるほど、たしかに国内でいくらお経のようにお題目を唱えているだけではだめかもしれないと思いました。

■ アラビア語で書いてどうするの?

 カーシム青年が英語でブログを書いてイラクの惨状を海外に発信したために米軍に逮捕される事件があったのですが、わたしがどうして(危険な)英語で書くのかと高遠さんに訊いたら、かの女はあきれた顔でわたしを見つめて、アラビア語で書いてどうするの?世界に発信しないでどうするの?とたしなめられてしまいました。危険は承知ということでしょう。

 カーシム青年を日本に連れてきたのも、あえて海外のメディアに知られるようにしたとの由。それが最善の保身術でもあるということのようです。今のままでも命をねらわれる危険があり、それならばいっそ、海外のメディアに知られるようになれば、米軍もうかつには手を出せなくなる、ということだそうです。

■ 最初で最後の来日になるかもしれない

 カーシム青年の講演のさいごに「再建プロジェクトよりも(空爆などによる)破壊のほうがすごい。みなさんに事実を知ってほしい。近々診療所をつくりたい。もしかしてこれが最初で最後の来日になるかもしれない(!)。どうかイラクの情勢を気にかけてほしい。世界の平和のため。」と言っていたことばが胸に残ります。

■ グーグル・アースを使って

 講演のはじめは高遠さんのイラクの現状についての説明がありました。パソコンからグーグル・アースにアクセスしてイラクとイラクの都市ラマディを上空から拡大して見せながら説明してくれました。

 あとでカーシムさんが英語を自由にあやつると米軍にあやしまれて逮捕されて刑務所に入れられ、尋問されたという話をしたときも、ちょうど同じようにグーグル・アースによってラマディの町を地図として壁に映し、米軍の情報将校が、米軍による掃討作戦を地図で示しながら、わざとカーシムさんの家のあたりを指さして「ここを攻撃する」といい、「君の家の甥っ子は青いプラスチックのプールを持っているね」と言われて恐怖を感じたという話をしてくれました。おまえの情報はすべて握っている、家族がどうなるかわからないぞという脅しです。

■ スンニー派の人々の変死体

 現在のイラクの治安状態は三つに分かれているといいます。一つはクルド人自治区。ここは比較的安定している。建設ラッシュだそうだ。一つはバグダッド以南。ここは地獄のようです。それからアンバール州を中心とする西部。カーシム青年の家はラマディという人口40万人のアンバール州の州都にあります。

 高遠さんはバグダッドとそれ以南の状況について語りました。ここではスンニー派の民衆が生きられない状態だそうです。スンニー派を目の敵にするシーア派の(元)民兵たちによる虐殺が続いているからです。

 米軍の掃討作戦によってスンニー派が選挙できないなかで、シーア派が選挙に勝ち、政権をにぎり、シーア派の民兵が新政府の正規の警察や軍隊になって、異変が起きたようです。すなわち、スンニー派の人たちが大量に変死体として発見されるようになります。

 その遺体をパソコン画面から動画で見たのですが、手首には手錠がはめられたまま、喉もとからへその下まで切り裂かれ、笞の跡や電気ショックの跡、脳天や肩にはドリルで穴を開けられた跡などがあり、さまざまな残虐な拷問をされたことがうかがわれました。あとで高遠さんに聞くと、魚の腹を割くように二つに体を切り裂いているのは、臓器を全部取り出してしまうからだそうです。どうやら売買されているようです。

 このようにしてすでに、少なくとも4万人、おおく見積もると12万人のスンニー派の人々が拷問で殺されているが、カウントされない殺人(こっそりと埋葬されてしまう)もあって、実数はつかめないようです。

■ だれが共存を破壊したか

 高遠さんによると、もともとイラクは共存社会で、夫婦・親子で宗派が違うこともありました。あるいは子どもに「アリ」と「オマル」という二つの名前を持つ子どももあり、「アリ」はシーア派の名前、「オマル」はスンニー派の名前で、いわば一人の人間に二つの宗派が共存している場合もありました。宗派間同士での結婚も自由でした。
 
 サダム・フセインに恨みを持つイラクのシーア派の一部が、国外のイランで民兵を組織し、その民兵組織のリーダーがやがてイラクにまいもどり、内務省(警察・軍隊)のトップになりました。その元シーア派民兵である正規の軍隊を訓練しているのは米軍です。米軍は治安の権限を正規のイラク警察や軍に委譲してから撤退するというシナリオを持っているからです。

 世界のメディアは(あるいはイラク本国でも)、スンニー派による自爆テロによってシーア派の市民が多数亡くなるニュースを世界に伝えていますが、高遠さんはあえて「報道されない」スンニー派の人々の悲惨な状態を伝えてくれました。

 そのあとカーシムさんが話をしてくれました。通訳は高遠さんです。

■ ラマディの破壊と惨状

 ラマディは戦前、平和な町だった。(来日記念の冊子『イラクからの手紙』の口絵で、戦前の平和なラマディの繁華街が現在は廃墟になり、米軍の狙撃兵によってもっとも危険な通りになっている写真を上下に並べています)

 ラマディ市内には40万人が住んでいる。町の90%近くは米軍によって破壊され、たくさんの家屋が占拠されている。メインストリートには米軍の狙撃兵がいる。

 ある朝、7歳の小学生が登校途中に米軍の狙撃兵に撃たれた。頭を撃ち抜かれた。4時間そのままに道に捨てて置かれた。家族も近づけなかった。いたるところに狙撃兵がいる。毎日、あちこちで同じような事件が起きている。なぜ小学生が撃たれるのか。狙撃兵は目がわるいのか、という質問に対して、カーシムさん、何か動くものがあれば撃つように命令されている。一人を殺して見せしめにして誰も表に出ないようにする。そのあと戦車などを通すのだ。これが掃討作戦なのだという。

■ 平和実現のためにはどうすればいい?

 平和実現のためにはどうすればいい?という質問に対して、カーシムさん、「まず米軍が出て行くこと。イラク政府はにせものの政府になっている。米軍はイラクを混乱させた。米軍が民衆を殺す民兵を生み出した」。

 米軍に協力している日本に対してはどう思うか?「いかなる人道支援も武器を持ってはなされない。むしろ妨げられる」。

■ タイラーメン

 あとの飲み会のタイ料理店で高遠さんと話をしましたが、その熱気にあてられつつも、かの女のこまやかな心遣いを感じました。おいしいタイラーメンが出ましたが、かの女は話に熱中しながらも何回も小皿にラーメンを分けてくれました。

 写真はグーグル・アースの地図を示すカーシム青年とタイ料理店でくつろぐカーシム青年







mojabieda * 講演 * 16:50 * comments(0) * trackbacks(0)

高生研の春ゼミ









 3月21日(水)の春分の日は静岡市のアイセル21で高生研(静岡支部)の「春ゼミ」がありました。

 浜松の相談室の先生によるカウンセリングのワークショップと、単位制と学年制とがまぜごはんになった高校の担任はじめての先生の実践分科会がひらかれました。

 ワークショップでは、
 1 バースデーチェーン
 2 ペアーで肩たたき。はじめは黙って、次は叩かれる方が要求を出しての肩たたき
 3 自己紹介
 4 ジャンケンインタビュー
 5 他己紹介
 6 ほめる練習
 7 聞き方の演習
 8 ロールプレイ
 をやりました。

 1のバースデーチェーンとは、参加者が、無言のまま、ぐるっと輪になった椅子に、時計まわりに誕生日順に並びなおすというゲーム?です。この無言のまま、というのがおもしろいです。それでちょうど誕生日が8月15日の人が複数いて混乱しましたが、たとえば10を手で表すにしても、人それぞれいろいろなジェスチャーがあって、それを相手に理解させなければ(理解しなければ)ならない、というのはなかなかの苦労でした。

 2のペアーで肩たたきでは、初対面ではない相手でも、叩かれる方はなかなか気をつかいます。恥ずかしさや警戒するような気持ちがありました。さいしょは黙っていなければならず苦労しました。「痛い」とか「くすぐったい」とかいう声すら出すことができません。つぎに声を出して要求・お願いをしました。「もうちょっと軽く」とか。それでも気をつかいますが、さっきのような無言よりはましです。やがてなれてくると、いろいろ要求を出すようになります。ここからコミュニケーションがはじまるのだな、ということを思いました。

 6の「ほめる練習」では、なかなか人をほめるのに苦労しました。わたしはつくづく心にもないことを言うのは苦手で、お世辞などはぜんぜんダメ、しかも相手を批判的に見る傾向が強いことがよく分かりました。

 7の「聞き方の演習」では、二人でペアをつくり、話し手と聞き手とに分かれます。話し手は、じぶん(の誇るところ)をアピールしてもらい、聞き手はさいしょは心をこめて相づちをうったりときちんと聞きますが、コーディネーターからある合図を受けたあとは、わざと無視するような聞き方(聞かない方)をして、さいしょと後との印象の違いを、話し手に指摘してもらいました。じぶんの誇り、と言われて、改めて考えると何もないなあと思いながら話をしました。

 そのあと、聞き手はディロール(derole=役割を降りる)の宣言をしました。そうしないと、わざと無視したような聞き方をされて、話し手はそれが聞き手の「演技」であることを後から教えられても、感情的に反発してしまうからだそうです。

 わたしも相手の聞き手役にとつぜん「無視」されて、「あ〜ん?」とむかつきました。このように子どもの話を大人はまともに聞かないときがあるなあ、とつくづく思いました。

 8のロールプレイは、わたしが不登校の子ども、Sさんが母親、Nさんが父親、Iさんがカウンセラー役になり、それぞれの立場で演じました。

 わたしが両親につれられてカウンセリングに来るという設定です。父親は体面をつくろい、ひたすら怒るだけ。母親はほとんど不干渉で、じぶんを守ることに精一杯というか、かかわりたくないという感じが出ていました。カウンセラーの「これからどうしたいの?」という問いに対して「分からない」とわたしが答えると、「分からないと思うのは、真剣に悩んでいるからだ。それはいいことだよ。悩むことが一歩前へ歩むことになるんだ」というカウンセラー役のIさんのことばを聞いて、ただ否定されたり、怒られたりするのではなく、受容され、励まされ、評価されていると感じて、何か心が少し開くような気がしました。

 そのあと、「天使のねんど」というものを使い、それぞれの役の人の心をねんどで形に表現しました。ベタベタとつかない軽い、画期的な粘土です。わたしはいそぎんちゃくのような触手がいっぱい出ているグロテスクな形をつくりました。不定形でこの先どうなるか分からない不安定さと不安さを表現してみました。母親はひたすら丸い球。父親は恐竜。カウンセラーはお皿。父親の恐竜も背びれがするどくとがった恐竜で、これはつよがりを表しているように見えました。皿は受容しようという心を、球は自己完結でかかわりを持たない心を表現しているように見えました。

 こんなふうにそれぞれの心を形に表現するというのはおもしろい試みだと思いました。

 この「天使のねんど」は子どもたちのお土産にもらい家に持って帰りました。

 この項つづく予定です(予定は予告なく変更される場合があります)。

 写真は「天使のねんど」とわたしの「心」


mojabieda * 教育 * 06:38 * comments(0) * trackbacks(0)

日本の青空




















 明治の自由民権憲法につながる、民間人が作成した憲法草案がGHQ案の手本になったいきさつを明らかにするドラマ(123分)です。

 主演/高橋和也、藤谷美紀、田丸麻紀、加藤剛
 監督/大澤 豊

◯ 3月27日(火)  13:00〜 16:00〜 19:00〜
◯ 静岡市民文化会館 中ホール
◯ 当日料金  1、200円
◯ 主催    映画『日本の青空』を支援する静岡の会
◯ 問い合わせ シネマ・ワン (054-208-2474)
        静岡教育映画社(054-251-4330)

mojabieda * 映画 * 18:43 * comments(0) * trackbacks(1)

イラクの空には何が見える?


緊急開催!イラク開戦から4年 
戦闘地域ラマディからの報告


イラクの空には何が見える?  
─あるイラク青年の体験─


「テロとの戦い」の最大拠点と
名指しされたイラク西部
アンバール州ラマディ
先月22日 ラマディ上空に
米軍の戦闘機が飛来
4軒の民家に爆撃 死者26名 負傷者多数
家屋は潰され 学校は占拠された
食料配給なし 医療配給なし
空が恐怖に染まって4年
増えていくのは民間人死者数とその遺族
そして 報復を誓う抵抗勢力
なぜ ラマディは「テロとの戦い」の最大拠点となったのか?
なぜ 彼は米軍に拘束されたのか?
世界中のメディアが近づけない戦闘地域ラマディから
1人の青年が自分の体験を語るために来日した

<プロフィール>カーシム・トゥルキ(30歳)
1976年11月27日生まれ。エイドワーカー。
イラクアンバール州ラマディ在住。
アンバール大学機械工学部卒業。
イラク戦争中は共和国防衛隊に所属。
イラク戦争直後4月28日に
ファルージャで起きた米兵によるデモ参加者乱射事件を
バグダッドのメディアに報せに来たことをきっかけに、
フリーのガイド兼通訳として米テレビCNN や
日本人ジャーナリストに同行。
同年6月、日本人と同行取材中に
米軍に不当逮捕され9日間拘束。
釈放後、「イラク青年再建グループ」を主宰。
これまでに学校などの修繕工事、診療所開設、
避難民への緊急支援などを行っている。
2004年からは日本の民間支援
「ファルージャ再建プロジェクト」と協同し
現場の指揮を執っている。
昨年はラマディの様子を英語で記したブログが
アメリカを中心に話題となるが、
それを理由に再度米軍に拘束された。

日時:3 月28 日(水)午後6 時30 分(開場6 時)
会場:静岡県男女共同参画センターあざれあ 資料代:500 円

★「ファルージャ再建プロジェクト」の
 高遠菜穂子さんが進行役をおこないます★


<主催>静岡県労働組合評議会女性部
<後援>静岡県労働組合評議会
<お問い合わせ>054-287-1293
mojabieda * 講演 * 06:39 * comments(0) * trackbacks(1)

東海ブロックゼミのあれこれ




 写真は日本福祉大学付属高校

■ 柴田先生の講演
 3月10、11日にひらかれた東海ブロックゼミの開会集会では、はじめに会場となっている日本福祉大学付属高校の柴田順三先生の講演が行われた。愛知の高生研の重鎮である。

 講演の題は『高生研と私──36年半の高校教師生活を振り返って』。恩師・飯島久二先生からさまざまなことを教わったという。「霜を踏んで堅氷に至る」(から問題が取り返しつかなくなる前にその予兆をつかめ)、「下駄は手にも履くものだ」(ちょっとこの比喩分かりません。少しのことでもさまざまなところへ影響を与えるということか。あるいはどんなことが起こるか分からないから準備万端しなさいということか)、「One-set Over」(物事は一対になって進むから、厳しい指導とともにフォローを忘れない)など。

 さらに、教育活動とは民主的な主権者を育てることであり、竹内常一氏が39歳のときの著書『生活指導の理論』にたいへんなインパクトを受けたという。また「教師の指導性とは何か」「要求とは何か」「生徒をまるごとつかむ」という話をされた。

 先生の退官記念も兼ね、多数の同校の先生方も参加され、最後に卒業生から花束を贈呈された。


■ K氏分科会
 10、11日にひらかれた分科会2は静岡のK氏の『M子とクラスと私』。機関誌『高校生活指導』171号所収。この題名からもK氏の指導のありようがうかがわれる。あくまでまん中に「クラス(の生徒)」があり、「クラス」を通したかかわり、指導ということだ。

 K実践の「対話づくり」には3種類ある。担任としてLHRで生徒へ「相談」するという形で一人の問題生徒との関わり方をクラスに要求するやり方と、さらにLHRや授業という時間を使って「しゃべり場」という、机を後ろへ持ってゆき椅子だけ持って丸い形にした生徒主体の討論会をするというやり方がある。さらに、喫茶店をつかっての有志の「愚痴をこぼす会」(ここではK氏は「お客さん」という形)。これはフォーマルな形ではないが、テーマはすべてクラスの(公共の)紛争という一人の生徒にかかわることをざっくばらんに「対話する」以上は、表面的には「共同性」を開いていく実践に近いが、あくまで「公共性」を開いていく実践であるように思われる。

 あくまでクラスという枠組みの中で、その枠を通して立ち上がってくる(公共の)紛争を解決するための「対話」づくりだからである。

 K氏がつくってきたものは共同ではなく公共の場づくりだったのではないか。氏が一人の生徒のことでクラス全体に語りかけ働きかけられるのは、あくまで公共性を開いていくためだからだろうし、一人の生徒の人格ではなく行為・行動のみを窓口にするからだろう。

 討論の中で浮かび上がってきたのは、問題生徒のM子じしんのことばが浮かび上がって来ないことだった。かの女のことばを引き出せなかったことがK実践のネックになっていたかもしれない。


■ その他
 おみやげは岩のりの佃煮を買う。

 静岡勢は帰りに昼食のために浜通りに出て、灯台とかなんとかいうレストランに入る。混んでいた。わたしは名古屋定食を頼む。980円。みそかつとエビフライときしめん。N氏はどてめし定食(ホルモンの味噌煮みたいなもの)を食べたが、甘くてダメだったという。

 ここで食事をしながら歓談。5月に結婚する若き活動家の事務局長T氏から子細をみんなが聞き出し、T氏のことばを引きだす。というより、自分から話したがっていた?

 相手の看護師さんは年上の女性。わたしは何度も出逢っているから知っているがきれいでやさしくて知的な人だ。「年上女房は楽だろう?」とみんながはやし立てる。

 「年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」ということわざがある。金の草鞋ならどんなに遠くまで行っても、どんなに歩き回ってもすり減らない。そんな草鞋を履いて、全国津々浦々探し回ってでも見つけなさい、そのくらいの価値があるよ、という意味だろう。目端のきく、ありがたい女房ということか。

 プロポーズはどちらから?ときくと、「わたし(から)です」とうれしそうに言う。だれかが「泣き落としか?」と言っていたが、本人はただ黙って笑っていた。

 写真は「浜への小路」「浜近くの朝の通り」「屋根が低い家」「赤と黒」








mojabieda * 教育 * 20:36 * comments(2) * trackbacks(0)

東海ブロックゼミ報告















 写真は南知多郡の美浜の小路

 3月10、11日と、高生研・東海ブロックゼミに参加しました。会場は南知多の日本福祉大学付属高校です。

 02年にも同じ場所でしたので、日本福祉大学がどんな場所にあるのか、よく分かっているつもりでしたが、いざ車で行くと、どこまで行っても人家がないので不安になってきました。カーナビではここが目的地となっていてすでに着いているはずなのに、人影どころか、建物すら見えなくて、さいしょ戸惑いました。

 しかし電車の駅はあるし、すぐ先に行けば比較的にぎやかな(?)浜通りがあり、信号もコンビニも食堂もあります(当たり前か)。

 この付属高校では、昔から班・核・討議づくりという高生研の「集団づくり」の生活指導の伝統がまだ多少生き残っている(?)ような印象を受けました。

 また、高校ではたいへん親切な歓待を受け、1日目のゼミの終了後(といっても、名にし負う『高生研』なので、ホテルに帰っても夜も勉強会があります)、体育館で『楽鼓』とよばれる和太鼓部の演奏を聴きました。

 地元の和太鼓の伝統を受け継ぐ部ということでした。

 さいしょに顧問の先生のお話をうかがったのですが、この大規模な太鼓の集団は私費で創設したようで、この和太鼓部について話す先生のことばには、まるでじぶんの子どものことを話すような慈愛が籠もっていることをひしひしと感じました。

 人にはどうしてもこれだけは絶対に守らなければならないものがある、というのを感じました。

 生徒たちの演奏の高さ・迫力にも感動しましたが、表情が生き生き、きびきびとしていて、見ているだけでも心が洗われました。

 そのあと、夜は基調発題として「討論空間づくり」を三重の岡村氏がレポートしてくれました。集団づくりの伝統が色濃く残るこの地で、その集団づくりを乗り越えようという「討論空間づくり」を発題するというのも、奇妙な縁だと思いました。

 翌朝、わたしはホテルから歩いて外を散歩しました。浜へ通じる小路には黒い板壁の家がみえます。こういう小路を歩くのが昔から好きです。浜から吹いてくる風はもの凄く、飛ばされるかと思うような強さでした。夏場は海水浴場になりますが、今は海苔の養殖場になっているようです。波の荒い海辺には人っ子一人いません。だれも乗っていない小舟が揺れていました。

 写真は美浜の海岸。はるか向こうは名古屋港か。


mojabieda * 教育 * 06:21 * comments(0) * trackbacks(0)

ミリオンダラー・ベイビー



 なんの気なしに録画した『ミリオンダラー・ベイビー』をなんの気なしに観てしまった。
 なんの気なしに観るものではない。

 何を感じたのかといえば人生。

 若いときは人生とは山あり谷ありと思っていて、捲土重来、禍福はあざなえる縄のごとし、などと、ある意味では悠長に思っていた。今は、そんなふうにも思えなくなっている。

 人生は短いのだ。
 この映画を観て感じたのは、そういうこと。

 人はたいていじぶんというものの1割も出し切れないまま人生の幕を閉じるのではないか。
 若いときに不運な者は不運なまま、性悪な者は性悪なまま、貧乏な者は貧乏なまま、不幸なものは不幸なまま、虐げられた者は虐げられたまま。

 人はときどき夢を見る。やがていつかは・・・と。しかしたいていは実現しないまま静かに年をとる。
 いや、一瞬はその夢が実現するかもしれない。しかし一瞬だ。

 その後は空虚な重荷を背負って生きるのだろう。

 こういう感情をなんというのか。「あきらめ」というのだろうか。

 しかしそれでもいい。その自覚があるからこそ、人はその一瞬一瞬を大事に生きることができるのではないか、と思った。

 だれだったか「求道すでに道である」と言ったが、いつだって道の途中で人生は終わる。それでいいという「あきらめ」があればこそ、逆説的だが、「いまを生きる」のだろうと思う。

 「その日を摘め」という「カルペ・ディエム」(carpe  diem)を「いまを生きる」と訳すらしい。
 おしゃべりをしている間にも、意地悪な時は足早に過ぎて行ってしまうという。明日があるとあてにしてはならないということらしい。

 あてにはしない。しかしどこかで信じている。
mojabieda * 映画 * 22:08 * comments(0) * trackbacks(0)

「Times」の井上英作さんの記事

 英国の『Times』のオンライン記事に空港建設に反対して焼身自殺した井上英作さんの記事が載っています。『残照』さんのブログに紹介されています。残照さんのブログもぜひ読んでいただきたいと思います。リンクをはらせてもらいます。

友人の英語教師KT氏に逐語訳をしてもらいました(ダンケ)。以下は原文と逐語訳です。

 それにしてもずっと遠い海の向こうの英国のメディアがこんなにきちんと長く詳しく報道しているのに、足もとの地元のしんぶんやメディアはほとんど伝えていません。これは「駿府城」の「将軍」さまのご威光を畏れてでしょうか。


From The Times
『ザ・タイムズ』から
February 08, 2007
2007年、2月 8日

Suicide protest over ?800m airport
900億円の空港に抗議して自殺

Richard Lloyd Parry in Shizuoka
リチャード・ロイド・パリィ──静岡

A nature lover burnt himself to death yesterday in protest at the construction of an airport that many in Japan believe to be a destructive white elephant in a region of beautiful hills, woods and farms.
ひとりの自然愛好家が、昨日空港建設に抗議して焼身自殺した。その空港は、多くの日本人が、美しい山々や木々、田畑のある地域においては非常に有害な「無用の長物」だと強く思っているものである。

Eisaku Inoue set fire to himself outside the offices of the governor of Shizuoka prefecture, the region where the 90 billion yen (?800 million) airport is being built.
井上栄作さんは、900億円の巨費をかけて空港が建設されている、静岡県の県庁の外で自らに火を放った。

In his final letter, found by police near his body, the 58-year-old electrical engineer told the governor:
遺体の傍で警察が発見した遺書と思われる手紙にの中で、この58歳の電気技師は県知事にこう訴えた。

“You pushed the construction of Shizuoka airport against the will of the people.
「あなたは、住民の意思に反して静岡空港建設を推し進めてきた。

You expropriated the land from farmers by force . . . You fabricated the lie that the airport was useful and cheated the people . . .
あなたは農家から土地を強制収用し・・・空港が有用であるとうそをでっち上げ、住民をだました・・・

Therefore, I give up my life, and charge you with acts of evil.”
したがって、私は、この身を呈して、あなたの悪行を告発する。」

Supporters of the evocatively named Mount Fuji Shizuoka airport insist that it will bring investment, jobs and prosperity to a sleepy corner of Japan.
世間の注目を集めるべく富士山静岡空港と名づけられたこの空港を推し進める側は、それが、日本の静かな一角に、投資や職、富をもたらすものであると主張している。

Mr Inoue, however, was not the only one to believe that it is a destructive project that will leave a burden of debt for generations.
しかし、この空港が、子孫代々にまで借金を背負わせる有害な事業であると考えているのは井上さんだけではない。

Bulldozers are flattening the top of Shizuoka’s forested hills and filling valleys to clear a 2,500metre runway.
ブルドーザが、静岡の木が豊かに多い茂った山を崩し谷を埋め立て、2500mもの滑走路を拓いている。

The habitats of rare goshawks and endangered orchids are being destroyed.
希少種のオオタカや絶滅があやぶまれているランの生息地が破壊されようとしている。

Opponents say that Shizuoka is already well served by bullet trains and expressways, which whisk travellers to Tokyo or Osaka cheaply and conveniently.
空港反対者たちは、静岡には、もうすでに新幹線や東名高速道路が完備していて、東京へ行くのも大阪へ行くのも安くて便利である、と言う。

Since the airport was proposed in 1987 at the height of Japan’s economic “bubble”, estimates of passenger numbers have slumped.
空港が、1987年の日本のバブル経済絶頂期に計画立案されて以来、乗客数の見積もりは、がた落ちしている。

A few hours after Mr Inoue’s death Japan Airlines announced a huge programme of cost-cutting, including redundancies and, ominously for Shizuoka, the closure of domestic routes.
井上さんの死後、数時間後、日本航空は、余剰人員削減と、静岡にとっては不吉なことながら、国内線の便削減を含む大規模なコスト削減計画を発表した。

For all its prosperity as the world’s second-biggest economy, Japan’s natural beauty as been blighted by thoughtless and unnecessary construction.
日本は、世界で2番目の経済大国としての富を持っていながら、思慮を欠いた不必要な開発で日本の自然が損なわれていっている。

River banks are covered in cement in the name of “antierosion”, and the rivers themselves are reduced to feeble trickles by dams and sluice gates.
川の土手は「侵食対策」の名の下にセメントで覆われ、川そのものもダムや水門によって、ほんのわずかの水しか流れていない。

In remote and rural places, extravagant sports stadiums struggle to fill their seats and pay off their debts.
人里はなれた田舎では、莫大な浪費物であるスポーツスタジアムが、なんとか観客席を埋めて借金を返済しようと苦闘している。

For decades this is how money has been pumped through the Japanese economy, with the complicity of politicians, bureaucrats and construction companies.
もう何十年もの間、このようにして、政治家・官僚・建設会社が共謀してお金を日本経済に湯水のように注ぎ込んできたのである。

“Our tax will be wasted for ever for that airport, employing construction companies who are no better than criminals,” the unmarried Mr Inoue wrote in his suicide note.
「我々の税金が、犯罪者同然の建設会社を雇って、その空港のために未来永劫無駄に使われ行くだろう」と独身である井上さんは、彼の遺書の中で書いている。

“Your acts are unforgivable, leading to problems for the people for hundreds of years.”
「あなた方の行為は決して許されるべきものではなく、今後何百年もの間、人々を苦しめるものとなるだろう。」

Mr Inoue and his colleagues had bought shares in land at the site and refused to sell it to the Government.
井上さんと彼と行動をともにする人たちは、空港建設地に土地の一部を購入し、それを県に売却することを拒否していた。

They demonstrated and organised petitions.
彼らは、デモをしたり請願を行ったりした。

When a survey was carried out last year Mr Inoue was there, shouting slogans and rugby-tackling the engineers.
昨年、現地調査が行われたときには、井上さんは、現場にいて、シュプレヒコールしたり、調査技師にラグビー式のタックルをしたりした。

This year it became obvious that the battle was lost.
今年に入り、闘いが敗北に終わることが明らかとなった。

The compulsory purchases were completed; the airport is due to open in 2009.
強制収用が終わり、空港は2009年に開港することになっている。

“He wanted to fight to the end, by physical means if necessary,” his friend and fellow activist, Tateo Sakurai, said yesterday.
「彼は最後まで戦いたかったんでしょう。必要とあらば、物理的手段を使ってでも」と彼の友人であり仲間の活動家である桜井健夫は昨日述べた。

“He would always say, ‘The Earth can’t take this anymore’.”
「彼はよくこう言っていました。『地球はもうこれ以上耐えられない』」。

Only 30 minutes before his death Mr Inoue posted an anguished poem online.
死ぬほんの30分まえに井上さんはネット上に苦悩を表す詩を載せていた。

“If I don’t, who will send a message to the people half-asleep?” he wrote. A few lines later he added: “But why must it be me?”
「もし自分がやらなかったら、いったい誰が、まだちゃんと気がついていない人たちにメッセージを送るのか?」と書いた。数行後に彼はこう付け加えた。「でも、どうしてぼくでなきゃいけないのだろう?」


Big problems
大きな問題

World Cup Stadiums. Ten were built, below, but since the end of the tournament in 2002 have struggled to draw crowds.
ワールドカップスタジアム。10個建設されたが、2002年ワールドカップが終わってから集客に苦心している。

Isahaya Bay. A massive project to reclaim farmland from the waters of Ariake Bay in the island of Kyushu. Fishermen claim it is devastating their catches of shellfish and seaweed.  
諫早湾。九州の有明海における農業用地のための大規模干拓事業。猟師たちは、貝や海苔の収穫に壊滅的な打撃を与えていると主張している。

Kawabe river. For 40 years the Government has been pushing for the construction of a dam, bitterly opposed by fishermen and farmers.
川辺川。40年間政府がダム建設を押し進め、地元猟師や農民の激しい反対を受けている。

Second Tomei expressway between Tokyo and Nagoya. Mired in corruption scandals and budget overruns. Critics say that one highway is enough.
第2東名。汚職事件と予算超過で泥沼化。 評論家たちは、高速道路はひとつで十分と言っている。
mojabieda * 時事 * 07:33 * comments(2) * trackbacks(1)

離陸はハード

 録画した「しずおか2007『徹底討論 静岡空港 離陸へのハードル』」を人から借りて観た。

 去る2月16日(金)の午後7時30分から8時50分に放送したものだ。犬HK静岡放送局。
 
 スタジオの出演者は静岡県知事・石川嘉延、静岡経済同友会次期代表幹事・神野一成、静岡文化芸術大学教授・坂本光司、慶応大学教授・中条潮の各氏。

 いちばんたくさん話をしたのは知事。

 まず県下から無作為に抽出したアンケートの円グラフが出た。

◯ 「(あなたは)空港は必要だと思いますか?」
 必要ない─────63%
 あった方がよい──35%

◯ 「(あなたは静岡空港を)利用すると思いますか?」
 利用しない────77.9%(あまり利用しない、を含む)
 利用する─────20.4%

 これが県民の考えだ。大多数は必要ないと思い、大多数は利用しない。

 航空の専門家である中条氏の発言がするどかった。以下はその主旨(他の発言者の発言も主旨のみ)。

 空港は80年代の終わりから計画されてきたが、浜松基地を利用すればいいと当初からわたしは主張してきた。(それがもう今では「箱」ができてしまった、ばかだなあ、とでも言いたげ)。

 500億円を(わたしを含めた)県民以外の者が(補助金を出して)負担している。今後は赤字が出ないようにしてもらいたい。赤字が出た場合は県民が負担するという覚悟でこの空港を開港してほしい。

 ほんらいなら石川知事さんに赤字になったら責任とってくださいよなんてことを言えばいいのかもしれないが、結果が出るころには知事は替わっている。だれが負担をするか。県民がするしかない。(だから)その覚悟で決断してほしい。

 県外の者の負担は(交通不便で採算などはじめから考慮しない)離島ならしかたがない、しかしこの(経済的にも、交通の便にも)豊かな県の人たちへ(県外の関係のないわたしたちがどうして)500億円を負担しなければならないのか。


 (はじめからすでに赤字になることが分かり切っているばかげたプロジェクトだったのだ、だから県民が知事を選んだ以上はきちんと県民が責任取りなさい、とでもいわんばかりだった。県外の、石川知事に直接利害関係のない人なのだろう、ずけずけものを言うなあという印象を受けた)。

 さらに、県知事がボロッとしゃべってしまった次の発言にもクレームをつけた。

 石川県知事「まるまる赤字となっても5億2千万円の赤字だからグランシップの赤字よりは少ない」

 その負担は県民の負担、わるくすれば国(の負担)だ。毎年5億円だからたいした額ではないでしょうというのは知事さん(の発言)としてはわたしは納得できない。わたしは県民ではないから結構ですけどね。かなり高いリスクを持っているプロジェクトだと思っています。

(わたしゃあこの知事を知事として持つ県民じゃないし、もう知らんけんね〜、あきれかえるねえ、赤字のとばっちりを県外の者にもおっかぶせるなよ、とでもいいたげ)。

 さらに、県の経済同友会の神野氏もはっきり次のように言う。

◯ 新幹線のあるところ(静岡県)に(はたして福岡などへの国内便の)利便性があるのかはなはだ疑問だ。どなたが運営なさるのか分からないが、その方が仮説を立てて、それを一生懸命実行し、その結果を検証していくというビジネスの、このサイクルが県の場合はできてないんじゃないか。

 (県内の経済界ではとうぜん東京との物流・交流を考えているようだ。しかし東京へは静岡空港からははじめから飛ばない!飛ばせない!東名や東海道線、新幹線があるのに東京への航空機での輸送など航空会社がそんなアホな路線を設定できない。せいぜい考えられるのは北海道、九州、沖縄へのみ。それでどれだけの物流・交流が見込めるのか?ということだろうか)

 県内の経済界も、すでに「見切っている」という感じに見えた。

 日本航空もこの4月から採算のとれない国内線10路線を廃止するという。たとえば名古屋(小牧、中部)=北九州とか長崎。大阪(伊丹)=石垣、などなど。名古屋や大阪という大都会の路線さえ廃止されるご時世。ましていわんや静岡をや、だ。

 県内10社で構成する民間会社がターミナルビルの建設、運営、管理にあたるという。「なんだかえらい出向になったものだ」と、そこで働く人たちの顔がひきつって見えたのはわたしだけか。

 笛を吹いているのは「駿府城」の「将軍さま」だけ。しかしいくら県(知事)が音頭をとってもビジネスの世界では成功するわけがないことを経済の専門家は見切っていた。ではビジネス界に任せられるかといえば、ビジネス界の方でも「県の方できちんと責任とってよ」とでも(つっぱねて)いわんばかりのように見えた。

 石川知事がさいきん富士山をしきりに世界遺産にしたがっている「わけ」も充分に分かった。観光資源として富士山を、東南アジアなど海外へ売り出したいのだ。「富士山」静岡空港の需要を高めるために。空港名にわざわざ「富士山」の冠をつけたのもそういう意味だろう。

 しかし駿府城(県)がいくら海外へ富士山を宣伝しても(つまりいくら殿様商法しても)、シビアな海外のビジネス界のことだから、海外からの需要はそれほど期待できない(海外はそんなに甘くはない)ことを中条氏が語っていた。

 赤字空港建設を許してしまった地元の人民は「将軍さま」のご威光を畏れるかもしれないが、(ご威光が届かない)外国は甘くはないぞ、ということだろう。

 完全にできあがりつつあって、完全に後戻りできないときになってはじめて、地元の犬HK放送局は「離陸へのハードル」などという特集を組んだ。しないよりはまだましかもしれないが、むしろ「離陸はハード」と題すべきだろう。

 そういえば、番組の冒頭、専門家の中条氏が紹介されたとき、(県民の視聴者にむけて)ほんのわずか微笑したかのような表情を見せたが、あれは冷笑だったか、憐憫の情だったか。

 ちなみに、
 県の需要予測(開港年)は
  国内 106万人
  海外  32万人


mojabieda * 時事 * 23:11 * comments(4) * trackbacks(0)
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