mojabieda Blog
子育て・教育・高生研・読書・夢・世情・PowerBook・シュタイナー・神秘学などにかかわる身辺雑記の日記です
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ひやかす会
2007.06.18 Monday
日曜日、さる有名な?トトロハウスという古民家を再生したお宅で、さる新婚夫婦の門出を祝う(ひやかす)会をひらきました。
三線で「花」を歌ったり、プロジェクターで二人の写真を見たり。
ところで、だれかが質問をして、それに対して「けんかしてないもん」と、しゃーしゃーと答えるので、「けんかもしないで大丈夫?」と逆に心配になってしまった。
しかしインドでプロポーズした、というのはすごい。インダスかガンジスの朝明けを眺めながら、悠久の大地の上で誓ったという。
ちょうど父の日だったが、わたしにはだれもなにも祝いをしてくれない。そういえば、ちょっと前に保育園で作ったかわいらしい絵や飾りをもらったっけ。人から祝ってもらう、というのは気持ちがいい。人を祝うというのもまた。
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辺境への郷愁
2007.06.17 Sunday
6月4日、『作家の生きかた』(池内紀/集英社文庫)読了。
池内の好きなさまざまな作家を取りあげている。
林芙美子の章には『風琴と魚の町』の引用があって、あんまり懐かしい。短編でしみじみと味わいの深い自伝的な小説だ。両親の手にひかれて西国各地を放浪していた貧しく幼いころの話である。たまたま立ち寄ったのが「風琴と魚の町」の瀬戸内海の尾道である。背景には光かがやく波しずかな瀬戸内海がある。この小説にはたまらない郷愁を覚える。
感性の豊かさと貧しさとはたぶん兄弟なのだ。「林芙美子は貧乏の豊かさを、この上なくたのしく描いた。・・・そして今日、おそろしく物量豊かな時代、かぎりなく豊かで、そしてこの上なく貧しい時代の到来とともに、この作家はおおかたの書棚から捨てられた」と池内はいう。
著者の池内紀の章が『作家の生きかた』中にないので、ぜひ最後にわたしが付け加えたくなった。ドイツ文学者だが旅と温泉が好きな風流人。『風琴と魚の町』も幼い林芙美子と両親がたまたま放浪の途中に立ち寄った尾道での暮らしの話であったが、この話だけでなく、池内の関心は放浪と郷愁にあるのではないかと思った。
池内の著書でわたしが好きなのは『ハプスブルクの旗のもとに』(NTT出版)。すでに絶版の本。売れなかったのだろう。この本にはハプスブルク帝国の「辺境」が描かれる。池内も辺境にはたまらない郷愁をおぼえるのだろう。池内がとりあげる作家はカネッティとヨーゼフ・ロート。辺境といえば、わたしの好きなイタリアのトリエステなど、ハプスブルク帝国の辺境中の辺境。イタリアなのにドイツ的で地域的はユーゴに隣接するふしぎな街。
本屋でたまたま見つけた一冊が池内のこの『ハプスブルクの旗のもとに』だった。ハプスブルク帝国というものの周辺をさまざまな文学者などの伝記を中心にしてオムニバス的に描く。
まず惹かれたのは哲学者カネッティの故郷ルスチュク。ブルガリアとルーマニアとの境。ドナウ河岸。池内はこう述べる。
──カネッティはドイツ語で著作活動をつづけたが、それは彼の本来のことばではない。ルスチュクの思い出に述べているとおり、そこは「七ヵ国語ないし八ヵ国語」の町であって、カネッティの子守り嬢はブルガリア語を話していた。太った乳母はルーマニア女で、そのころはまだ橋のなかった川向こうからやってきた。祖父と父は古風なスペイン語を話していた(先祖は十五世紀にスペインを追われたユダヤ人である)。土曜日の安息日にはヘブライ語でお祈りをする。父は店から帰ってくると、母と「特別な言語」で話した。二人がそこで知り合い、そして幸福な学校生活を過ごしたウィーンのことば、ドイツ語である。
この箇所を読むと、わたしは頭がクラクラした。遠い都に対するあこがれ、「辺境」を生きてゆく民衆(というか人はつねに辺境を生きるしかない)、さまざまな歴史と生活をおりまぜた故郷・・・。わたしの想像力は羽ばたいてゆく。
それからわたしはなぜか作家のヨーゼフ・ロートという人物に惹かれる。まず東ガリシアのブロディという町に生まれたとある。わたしはさっそく地図でガリシアをさがす。よく分からない。ようやくポーランドとウクライナの境あたりに見つけた。同じ地名はスペインにもあった。古代ローマ帝国の時代、ローマ人からヨーロッパがガリアと呼ばれていたことと関係あるのだろうか。その呼び名がいまも二つの辺境に残っているのだろう。ブロディは地図にはなかった。カルパチア山脈の北、寒々しい内陸部の小さな町であろう。ユダヤ人ロートはこの地の生まれ。かれはここから出発するがここへはもどらない。ドイツ語で仕事をし、世界を流浪したのだ。この町にはロートを記念する何物もないらしい。ドイツ語を話す人さえほとんどいないらしい。
──このブロディでロートを知る者など、ひとりだっていやしない。図書館に本もない。
ロートはウィーンで美しいユダヤ娘と結婚する。1922年。ロート28歳、花嫁は20歳。かの女がウィーンの街を歩くと、男たちがいっせいに振り向いたという。その花嫁はやがて気が狂ってしまう。時代はヒトラーの時代になる。ユダヤ人ロートはパリに逃走する。酒におぼれ、亡命地パリで死ぬ。死後『聖なる酔っぱらいの伝説』という小説が出版される。飲んだくれの風来坊がパリの街でふしぎな体験をしながら飲んだくれて斃れる話。かれ自身が小説の主人公だ。この『聖なる酔っぱらいの伝説』はわたしの大好きな映画『木靴の樹』のエルマンノ・オルミ監督が映画にしている。
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五足の靴
2007.06.13 Wednesday
『五足の靴』(五人づれ/岩波文庫)。出たばかりの文庫。
100年まえの、明治時代の若くデモーニッシュなDichterたち、すなわち北原白秋、平野萬里、木下杢太郎、吉井勇、与謝野寛の五人づれの九州旅行記。
6月3日、新幹線の中で読了。おもしろかった。特に柳川(北原白秋の実家)に二度立ち寄るのだが、柳川とその周辺の風情がいい。それから京都。京都で「草の雨祭の車過ぎてのち」という句が出てきた。調べると蕪村の句だった。葵祭のときの句らしい。
京都まで帰ってきて、木下杢太郎がとつぜんテオドール・シュトルムの『みずうみ』のなかの詩を歌う。祇園の夜と北ドイツの詩と、それがつながってしまう明治という時代がおもしろい。
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市民こそ監視しなければならない
2007.06.09 Saturday
ある市民の存在が政治権力(政府)にとって都合が悪くなったら、その市民は政治権力によってさまざまなかたちで「処分」される危険性がある。たとえばひそかに「事故」とか「自殺」という形で闇から闇へと葬り去られる場合もあろう。
あなたが「生きている」のは、たまたま政治権力にとって「都合が悪い」とみなされていないだけである、というふうにわたしは政治権力というものを見ている。
その人の思想信条にかかわらず、なんらかの形で政治権力にとってマイナスを与えるとみなされた人物は、直接的・間接的な形で葬り去られる危険性がある。しかも本人の意志にかかわらず、たまたまそのような状況(政治権力にマイナスを与える状況)に陥ってしまった場合も例外ではない。たとえばミクロな例としては、沖縄戦のときに洞窟に日◯軍と住民とが隠れていて、赤ん坊が泣いて見つかってしまうのを恐れた◯がその赤ん坊を殺した(殺させた)例など、その典型だろう。
世間に影響を与えていた渦中の人が、「事故」とか「自殺」とか殺人事件にまきこまれるとかによって、その真相が闇から闇へと葬り去られた事件は山のようにある。渦中の人が政府要人(大臣)であっても、ライブドア関連の幹部であっても、オウムの幹部であっても、みんな同じである。
「自殺」がみずからの意志であろうとなかろうと、そこへと追い込んで「してやったり」と安堵している者(政治権力者)たちがいるかぎり、その者たちによって「処分」されたも同じである。かれが自殺したのは、おそらく妻子の安全のためだろう。
わたしが当事者なら、妻子の安全のためなら、思想信条もなにもかも全て捨てて政治権力におもねるだろう(このブログもいざとなったら消してしまうので、もしとつぜん消えたら何かあったということになります)。
政府が警察や「軍隊」の力をもってすれば、丸腰の一市民を、闇から闇へと葬り去るのは赤子の手をひねるよりも簡単だ。
市民の目からは相手(権力)の姿がなかなか見えない。しかし、相手からは市民の姿が丸見えになっていている。なぜなら、権力がつねに市民を監視しているからだ。
「軍隊」の目が市民を監視している社会とはなんと恐ろしい社会だろう。いや、その事実が判っていても騒がない社会とは、なんと恐ろしい社会だろう。
何度もいうが、軍事力を持つ組織が、シュプレヒコールやデモしかできない丸腰の者たちを、どうしてそこまで執念深く組織的に監視しなければならないのか。
逆だろう。軍事力・武力を持つ組織だからこそ、それを市民の方が監視し、コントロールしなければならない。
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◯衛隊による市民◯視
2007.06.09 Saturday
警察のみならず、自◯隊が自国民を監◯していることが文書によってあきらかになった。
以下は、その報告書にあるもので、陸◯自◯隊情◯保◯隊が掌握する反戦運◯団体のおもなものを取りあげてみた。
◯ 革新政党
・P(プロレタリアートのP?)──日本共◯党系
・S(ソーシャルのS?)──社会民◯党系
◯ 新左翼(NL──これはNew Leftの頭文字だな)
・N11
・N12
・N14(N13が見あたらない、どうしたんだろう)
・諸派および反戦市◯(反戦◯民という名で、みんな新左翼に分類している!)
◯ 労組(連合系)
連合系だけが労組か?全労連はPに入ってしまうのだろう、連合・全労連ばかりが労組ではない。これもすごい分類だ。
デモなどの動員数もことこまかく記録されている。
しかも反戦運動だけではなく年金や消費税の問題を扱う運動さえ監視されている。
また個人の動向なども詳しく調べられている。
たとえば、「『人間の盾』経験者・男性(28)は、東京新聞現地特派員として、2.12(木)以降以降(ママ)、バグダッドを拠点に取材を行っており、取材記事が東京新聞に掲載された。また、2.20(金)にサマーワを取材で訪れる予定であることが、本人個人のHPで認められた」とある。
個人のWebまで監視されていることがわかる。
こういうことは全体主義国家にもなかったのではないか。市民運動を監視・弾圧した戦前の特高は警察だったし、ナチスドイツのゲシュタポ(国家秘密警察)も警察だ。軍人のすることではないのだろう。ドイツ国防軍はドイツ市民をスパイ、監視したのだろうか。
市民によるイラク反戦運動ばかりではなく、年金改悪、消費税値上げなどに対する市民の反対運動さえもが、治安警察ではなく「軍隊」を動かさなければならないほどの重大事件なのか。
逆に考えれば、それほど政府は市民を警戒し、おびえなければならないのだろう。
それほど政府のしていることは一般市民に対して「後ろめたい」ことばかりなのだろう。
いったいなんのための自◯隊の情報収集か、といえば、政府の政策に異議を唱えるものたちを「そのとき」の前にひそかに「処分」するための下準備ではないのか。
「そのとき」とは参戦のとき、あるいは参戦への体制をつくるときだ。そのときに反戦運動が全国で盛り上がってしまっては困るのだ。
参戦という言い方は、どんな政府もぜったいにしない。祖国防衛のための「戦い」(戦争という言い方もしない。「テロとの
戦い
」を見よ)であるとする。あのドイツ国防軍でさえ「国防軍は武器を執って防衛するものである」と法律ではうたわれた。その「防衛のための戦い」が第二次世界大戦である。満州事変のときも「満州は日本の生命線である」と喧伝され、防衛と称して侵略のかぎりを尽くした国家が、戦後は満州なしで高度成長を迎えた。
戦争への参加を、国民投票にかけた国はいまだかつてない。戦争へは、(国民ではなく)つねに政府の意志が決定するのだ。参戦への政府の意志をとどめているのが日本憲法第9条。だから政府は邪魔な9条を葬り去るために改憲をして、参戦できるようにしたい。米国のように自由に海外へ軍事行動したい。
改憲をめざす国民投票法というのは、ひらたくいえば、「国民にとって最初にして最後の」「戦争への参加・不参加を決める」投票
ということになる。
その国民投票を使い政府が改憲をするためには、それ以前に、あめとむちの政策、また膨大な資金をつかったメディア対策によって国民の心を改憲へと向けさせねばならないだろう。
そのために公務員・教職員に対して、かれらが政府のいいなりになるような体制をあらかじめつくらなければならない。これまでの公務員・教職員に関わるかずかずの法案が持つ目的がここにある。
さらに、陰に陽に、あらゆる邪魔な勢力・運動を「排除」しなければならない。警察ではなく自衛隊が直接に行動することによって。そのための下準備が陸◯自◯隊の情報保◯隊のこの情報収集だろう。
これらの情報活動は、やがて日本のジャーナリズムそのものの息の根を止めるだろう。にもかかわらず、地方新聞や日がつく新聞以外のマス・メディアはあまり騒がない。すでにマス・メディアは死んでいるのか、それとも時代と添い寝して「亡国への走狗」となっているのか。末期的だ。
それにしても、「そのとき」には政府や軍隊はネットなどの情報産業を統制しなければならなくなるから、ヤフーとかグーグルとかいうIT企業はどうするのか。やはり政府と結託して軍事産業化するのだろう(もうしているのかもしれない)。そうなると政府は個人情報をすべて掌握できるだろう(もうしているのかもしれない)。IDとかパスワードとか、どこの何者で、どんな思想信条を持っていて、アマゾンで何を買い、ヤフオクで何を売ったか、今日はどこへ行って何をしたか、そんなことまで政府につつぬけで判ってしまうのかもしれない。「そういう時代でしょ」って、いまの時代のスローガンか。一望監視社会、オーウェルの『1984年』が思い浮かぶ。
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眠ることのふしぎ
2007.06.05 Tuesday
子どもの寝顔ほどかわいいものはない。
子どものように、なんらの憂いもなく、つまり不安も心配も懸念もいらだちもなく眠ることができる夜は、なんと幸福なことだろう。もしかして、この幸福のために昼間はせっせと働いているのかもしれない。
人はなぜ眠るのだろうか。そして一度眠ってしまった人間はどうしてまた起きることができるのか。さらに眠っている間にどうして生命は生命を保つことができるのか。なんのために睡眠があるのか。じつに「眠る」ことの周囲にはふしぎなことが多い。
昆虫は眠るのだろうか。
母が目をしまし離(か)れ来て目守(まも)りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり
斎藤茂吉の歌だ。蚕がバリバリと桑の葉を食べなくなり、脱皮する前に静かに眠っているような様子をしているのを「ねむり」と詠んだ。
とはいえ、たとえば蚕は繭のなかで眠っているのだろうか。睡眠は、なんとなく、さなぎの状態に似ているではないか。
セミは永く数年間も幼虫として地中に棲息する。成虫となって木の上で鳴くのは数週間だ。だとすれば、地中に眠っているような幼虫時代がほんらいの姿か?
起きている状態がほんらいの姿で、起きている昼が「生きている時間」の基準になっているはずなのだが、もしかりに、人間の生活は「眠っている時間」を中心に動いているのかもしれない、と考えてみるとふしぎな気分になる。
眠っているじぶんが主人公で、起きているじぶんはその「おまけ」に過ぎず、「主人」である「眠っているじぶん」のために、昼間けんめいに動き回って働いて栄養などを摂取してせっせと奴隷のように仕えているだけなのだ、と考えてみる。
そう考えると、昼間の「わたし」という自我の意識も、「眠っている植物状態のような無意識のじぶん」のためのたんなる道具に過ぎなくなる。
喜びや悲しみも、善いことも悪いことも、夜の眠りのなかではすべてがすっかり消え去ってしまっている。自我はより大きな存在のなかへ埋没し、愛も孤独もそこには存在しない。昼間にささくれだって傷ついた「自我」をそのなかへ回収し、また明日の朝のために再生させるそこはいわば「癒しの海」だ。だからだれもが「眠るが好きだ」というのだし、人間にとってぐっすりと眠ることほど最大の幸福なことはないのかもしれない。自我を越えた無意識の「眠っているじぶん」こそが「ほんらいのじぶん」なのかもしれない。
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ZARD事件
2007.06.03 Sunday
さいきん、みょうに過去にこだわるようになった。
ZARDの「転落」事件にもこだわる。腑に落ちないことばかりだから。
それで考えてみた。
「転落」事件をウル(ur)事件と呼んでおく。その事件を対象化した新たな事件をメタ事件と呼んでおく。
はじめから事件と呼び、事故と呼んでいないことは、これはまちがいなく事故ではないと思っているから。
ウル事件はかの女が病院のどこかから「転落」して亡くなった事件。何者かがその重大性を考えて、その真相をどのように隠蔽したかがメタ事件だ。
それで、結論からいうと、ウル事件は自殺だった。場所は病院の3メートルの非常用スロープではなく、おそらくどこかもっと高いところからの自殺だろう。
しかし、この事件をそのまま自殺と発表することは、後追い自殺など、世間に多大な影響を及ぼすことが考えられる。警察のメディア対策の中に、おそらくマニュアルがあるかもしれない。ウル事件をある程度隠蔽してまでも、第二次自殺事件を引き起こさないためには、「あいまい」なままにしておく必要がある。警察は真実を暴く機関ではなく治安維持のための機関だから。これまでどれだけさまざまな事件の真相を隠蔽してきたことか。
また、所属事務所にとってもウル事件をそのまま発表することは多大なダメージを受ける。だから悲劇的な「事故」にして、その後の追悼イベント、追悼特注その他という「最後の商機」をうかがいたい。そのためにはどうしても事故にしたい。
さらに遺族の思いは、ウル事件をできるだけ公にはしたくない。メディアにさらしたくない。触れられたくない。
マスメディアはどうか。事故よりも自殺の方がニュースバリューがあるだろう。とはいえ、真実があいまいなままの方がニュースとして「永く保つ」。ちょうどダイアナ紀の「事故」のように。
病院にとってはどうか。自殺でも事故でも責任は問われる。とはいえ、経営者にとって、事故の方が自殺よりも多少とも責任を問われるかもしれない。ただし、(「談合」によって)遺族から訴えられることがないとすれば、芸能界に「貸し」を与えることの方がメリットがあるだろう。今後も当病院を芸能関係者に「ご利用」いただかねばならない。ウル事件について口をはさむ立場にはないし、その後の「談合」にも口をはさまない。
こうしてさまざまな者たちの思惑が一致した。
それで、ウル事件から発表までの2日間に、警察が中心となって所属事務所と遺族と病院と(おそらくマスメディアと)の秘かな「談合」があり、主に警察のメディア対策と所属事務所の思惑から、この事件の真相、つまりウル事件(自殺)を隠蔽することにしたのだろう。これがメタ事件だ。
メタ事件の「犯人」たちが、ウル事件を暴く役目・立場の者たちによって構成されている以上、ウル事件の真相は永遠に闇の中だ。これがメタ事件をメタ化したメタ事件の真相だ。なんだかメタメタになってきた。
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