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「思い出の記」読了




 新幹線の中で『思い出の記』(小泉節子)をiPodで読了。青空文庫でダウンロードしたものを、ボイジャー社のazurを使って写真としてiPodに入れた。400ページに近いかなりの枚数になった。使い勝手がよいかどうか分からないが、大きな字で縦書き、ホイールを回してページを繰ることができる。書籍を手に持って読むよりは簡便だ。もちろん好きな音楽を聴きながら。

 iPod読書は活字の魔法からは解放されるという印象がある。書籍や活字にはなにやら魔法があるように思う。活字など実際の筆写を模したもので、実際の筆写には及ばない擬似的なものにすぎないのに。実際の書写にはたぶんいちばん魔法がかっているから書道という芸術が生まれる。サインには効力がある。

 活字にもやはりちょっと魔法が残っている。その魔法には書籍という権威、インクの匂い、紙の匂い、紙の手触り、装丁、活字の書体、活版印刷かどうか、など、さまざまな要素がからみあっている。

 いっぽうiPod読書はそういう「媒介」をほとんどすっ飛ばしている。これはプラスかマイナスか。抽象的な「文字」、記号そのものになっている。文字が目的ではなく手段そのものになっている。

 読んでいて、ラフカディオ・ハーンをほんとうにふしぎな人だと思った。そうして明治時代の士族の奥さん(小泉節子)をもらって所帯を持つという縁も摩訶不思議な縁だ。

 ハーンは(西インド諸島の)マルティニークと松江が好きで、東京と欧米が嫌いだった。ひなびた宿が大好きで、親父たちが大勢で酒を飲んでさわぐような宿はだいきらい。この世の権威が大嫌い。弱い者に対する異常なほどの潔癖な共感。この世ならぬものに対する憧れ。寂しい静かな寺に住みたいと言っていたという。「蛙だの、蝶だの、蟻、蜘蛛、蝉、筍、夕焼けなどはパパの一番のお友達でした」。

 (ちんちん)電車が嫌いらしい。一度も乗ったことがないという。汽車も嫌い。東京から焼津へ来るのも、歩きと車(人力車)で行きたいと言っていたらしい。電話も嫌い。取り付けさせなかったようだ。

 亡くなったのはとつぜんだったらしい。もともと体は丈夫。世界中を渡り歩いてきた。亡くなる前に、虫の知らせか、庭に桜が(まるでいとま乞いのように)返り咲き、遠い旅の夢を見、飼っている松虫に心を動かされる。そのようすがしっとりと描かれている。

 「松虫を飼っていました。九月の末の事ですから、松虫が夕方近く切れ切れに、少し声を枯らして鳴いていますのが、いつになく物哀れに感じさせました。私は『あの音を何と聞きますか』と、ヘルンに尋ねますと『あの小さい虫、よき音して、鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、段々寒くなって来ました。知っていますか、知っていませんか、直に死なねばならぬと云う事を。気の毒ですね、可哀相な虫』と淋しそうに申しまして『この頃の温い日に、草むらの中にそっと放してやりましょう』と私共は約束致しました」。

 1904年の9月26日、狭心症のため急死。

 「夕食をたべました時には常よりも機嫌がよく、常談など云いながら大笑など致していました。『パパ、グッドパパ』『スウイト・チキン』と申し合って、子供等と別れて、いつのように書斎の廊下を散歩していましたが、小一時間程して私の側に淋しそうな顔して参りまして、小さい声で『ママさん、先日の病気また帰りました』と申しました。私は一緒に参りました。暫らくの間、胸に手をあてて、室内を歩いていましたが、そっと寝床に休むように勧めまして、静かに横にならせました。間もなく、もうこの世の人ではありませんでした。少しも苦痛のないように、口のほとりに少し笑を含んで居りました。天命ならば致し方もありませんが、少しく長く看病をしたりして、愈々《いよいよ》駄目とあきらめのつくまで、いてほしかったと思います。余りあっけのない死に方だと今に思われます」。

 ハーンと『逝きし世の面影』(渡辺京二/平凡社ライブラリー)がきっちりと重なってくる。こちらは大部の本なのでまだ読了していない。
mojabieda * 読書 * 09:08 * comments(0) * trackbacks(0)

教育のつどい2007


 原爆ドームを橋から撮りました


 機動隊の警備


 フェンスのない会場


 三階までいっぱい


 渡辺えり子さん


 現代風路面電車


 昔風路面電車


 『夕凪の街 桜の国』

 8月16日。広島市で「教育のつどい」がひらかれました。いわゆる「全国教研」です。

 この日のヒロシマも暑かった。昼前に駅に着いて、広電の路面電車に乗りましたが、広島の路面電車はヨーロッパの都会を走っているような最新式のあか抜けたものから、えらく昔風のものまで、さまざまな種類がありました。

 で、電車を「原爆ドーム前」で降ります。原爆ドームが目の前です。外国からの観光客もたくさん見学に来ていました。「世界遺産」になっています。遠くから写真を撮ると、向こうに大きなビルが建っていました。現代のビルと比較するとドームは小ぶりです。現実世界のなかの小さな「廃墟」。まわりにビルが建ち並ぶと矮小化されてしまったような印象を受けました。

 全体集会は平和公園のなかの広島国際会議場。資料館のとなりの建物です。

 ここでまずびっくりしたことは二つ。

 一つは、いつものように機動隊がたくさん「警備」していましたが、会場をぐるっと取り囲む「いつもの金属の壁(3メートルくらいのフェンス)」はありませんでした。一般社会と会場とを遮断する「壁」がなかったのです。これは秋葉市長の「英断」のようです。

 ○翼の街宣車は200台以上だということですが、「壁」がなくて、普通の観光客も集会参加者も自由に公園に出入りしていましたが、とくにトラブルもなかったようです。

 もう一つは、広島市から会場を借りるときに、いつもならある「会場使用許可の取り消し」を行うことがなかったことです。これも「平和都市」の秋葉市長の意向によるものでしょう。

 また秋葉市長からは、平和都市の市長らしい、心のこもったメッセージが会場に寄せられました。

 講演は劇作家の渡辺えり子さん。じぶんで52歳だと言っていました。会場はいっぱい。今年の西暦の数人くらいは集まったようです。

 ユーモアをまじえた渡辺さんの講演でしたが、声をつまらせたときもありました。

 渡辺さんがどうして平和運動にかかわりはじめたのか、という話のときです。

 どうして平和運動にかかわりはじめたのか、というと、戦争(空襲)で九死に一生を得た父親が、その体験を(数十年も経ってからようやく)話したときからだそうです。その体験とは、かなり屈折した体験で、勤めていた工場が空襲されるときに、工場内でだれか一人を責任者として残すという話になり、醜い押し付け合いを見て、それに嫌気がさし、みずから居残りの「志願」をしたというのです。そうして死ぬ覚悟で空襲にあいましたが、「誤爆」によってかろうじて生き残ったといいます。そのときから父親の人生観が変わったというのですが、その話を聞いたときから、渡辺さんの「人生観」も変わったようです。

 もし父親がその空襲に遭っていれば、いまのじぶんはなかった。そのときから、戦争によって奪われた「未生の命の存在」を、じぶんの傍らに感じるようになったようです。実際に、親戚・知り合いの幾人もが「子孫」を残すことなく亡くなっているといいます。未来に残すべき子どもたちを「未生」のままに奪われ、亡くなった人たちの人生も「未完」のままです。

 先日の参議院選で戦争のときの首相の孫が立候補しているという事実にびっくりしたそうです。そういえば戦争のときの大臣の孫だっていま首相をしている。つまり、戦争を推し進める人たちの子孫は生き残るから戦争を推し進めることができる、という「事実」に気づいたそうです。

 講演を終わって、書籍売り場で本を2冊買いました。一冊は『夕凪の街 桜の国』(こうの史代/双葉社/800円+税)。映画化もしたマンガです。淡くしみじみとしたマンガです。ここ広島で読むことに意味があると思って。

 話題のそのマンガは広島の被爆作家・大田洋子の『夕凪の街と人と』(絶版)を下敷きにしているようです。大田さんの名前も知りませんでした。先日犬HKのETV特集で大田さんについて放映されていたようです。

 また会場でブックレット『大田洋子を語る──夕凪の街から』(広島に文学館を!市民の会/800円)も販売していましたが、買い忘れてしまいました。

 この「夕凪の街」の主人公・皆実(みなみ)さんの人生も、「未完」のままです。
mojabieda * 教育 * 08:16 * comments(0) * trackbacks(0)

映画「日本の青空」上映案内

 日本国憲法誕生の真相。60年を経て今明らかに。ーー鈴木安蔵(元静大教授)、高野岩三郎ら民間人による「憲法研究会」が作成した憲法草案がGHQ案のお手本になっていた。ーー

8月11日(土)〜24日(金)静岡市サールナートホール 1F 
 11:10  
 14:00 
 18:20


 公開初日には、鈴木氏の長女、鹿島理智子さん(79)が舞台あいさつする予定。
 当日入場料は一般1800円。高校生・大学生は1500円。60歳以上と小中学生は1200円。
 毎日新聞に紹介の記事あり。

○ 映画「日本の青空」が『静岡県優良推奨映画』になりました
 5月に選定試写を行って以来、審査が長引いておりましたが、ようやく「優良推奨映画」になりました。
  
○ 藤枝・沼津では盛況のうちに一般上映終了
 藤枝では客席(380席)が奇跡的に午前・午後・夜と満遍なく埋まり、合計853名でした。沼津では1回目と、2、3回の合計がほぼ同じで、合計678名でした。
※ どちらも大人向けの上映では過去最高の入場者数ということで、主催者は喜んでいます。

○ テレビ各社のニュースや新聞で取り上げられています
 NHKで2時間にわたり憲法特集が放送された後、TBS「ニュース23」でも「日本の青空」が取り上げられ、さらに7月19日の夕方、静岡朝日テレビでは「支援する会」代表世話人の佐藤博明さんと事務局長の上田克巳さんが出演され、鈴木安蔵さんの当時の姿など貴重な映像も紹介されました。
 放送された内容をビデオ・DVDに録画して事務局に保管しているそうです。無料でお貸しできますので、会合などでぜひご活用くださいということです。
 また、その後、朝日新聞静岡版や毎日新聞全国版・静岡版、静岡新聞でも記事が掲載されています。

○ 今後の上映日程(製作協力券は今年末までどの会場でもご使用できます)
8月11日(土)〜24日(金)静岡市サールナートホール 1F 
    11:10   14:00   18:20
8月17日(金) 浜松市浜北文化センター大ホール
    19:00
8月18日(土) 伊東市ひぐらし会館 ホール
    14:00  18:30
8月19日(日) 御殿場市玉穂報徳会館 区民ホール
    13:30
8月25日(土) 静岡市清水文化センター 中ホール
    14:00  18:30
9月 1日(土) 浜松市福祉交流センター
    14:00  16:30  19:00
9月14日(金) 富士市ラ・ホール富士 多目的ホール
    10:00  14:00  18:30
9月15日(土) 浜松市天竜壬生ホール
    19:00
9月29日(土) 掛川市生涯学習センター
    14:00  18:30
10月19日(金) 裾野市民文化センター 多目的ホール
    14:00  18:30
10月21日(日) 富士宮市民文化会館 大ホール
    14:00  18:30
11月 3日(祝) 浜松市雄踏文化センター 大ホール
     14:00  16:30  19:00
12月 6日(木) 焼津市文化センター 小ホール
    14:00  18:30
※ 三島市(11月)でも、上映会が検討されています

☆ 上映会についてのご意見・ご質問などございましたら、下記までお問い合わせください
○ シネマ・ワン〒422-8007 静岡市駿河区聖一色419―1 コーポヒデオ102号 TEL 054−208−2474/FAX 054-208-2476
○ 静岡教育映画社 〒420-0858 静岡市葵区伝馬町19−2 萩原ビル5F TEL 054−251−4330/FAX 054-251-4350

──『映画「日本の青空」NEWS 特別版 No.2』より( 2007.8.7発行)[発行/映画『日本の青空』を支援する静岡の会 事務局(シネマ・ワン、静岡教育映画社)]
mojabieda * 映画 * 07:36 * comments(0) * trackbacks(0)

アメリカ弱者革命

■ 『アメリカ弱者革命』(堤未果/海鳴社/1600ブラス税)

 8月10日読了。11日にあざれあで堤未果さんの講演会があり、その前に読んでしまおうと思って8日にアマゾンに注文したら10日の朝に来たので、さっそく読んでしまった。

 「会話文」がそのまま地の文になったような文章で読みやすい。

 米国という国家がどのような国家なのかということがよく分かる。いろいろな面で米国は「極端」だ。

 若者を戦場に駆り出すために、軍隊が高校生をリクルートする。高校生たちのケータイの番号まで軍隊によってすっかり調べられている。

 2002年にブッシュ政権による新しい教育改革法案が可決された。「落ちこぼれゼロ法案」というもの。その条項のなかの一つが、
 「すべての高校は、生徒の親から特別な申請書が提出されないかぎり、軍のリクルーターに生徒の個人情報を渡さなければならない」。
 こうしてケータイ番号などの個人情報も学校が軍隊に渡さなければならなくなった。

 リクルーターの「大学へ進学させてくれる」「戦地へ行かなくてもいい」「なりたいものになれ!」という甘言にまどわされ、金と名誉と地位と保障とが与えられると勘違いして軍隊に入る。一度軍隊に入れてしまえば簡単には足抜け(除隊)できなくなる。

 軍隊に入れば徹底的に殺人マシーンとして訓練され、軍の都合で戦場へ駆り出される。やがて人を殺した罪過に生涯さいなまれ、帰国しても仕事に就けず国にも見捨てられてホームレスになる若者たちも多いという。使い捨ての駒なのだ。

 国防総省はJROTCという、落ちこぼれ生徒に対する特別プログラムも用意している。全米で2万校以上がこのプログラムを取り入れているというが、その内容は軍事訓練である。米国には銃禁止学校法という法律があって銃の持ち込みはできないというが、このJROTCは「治外法権」になっている。銃の所持を厳しく取り締まっている校内で、戦争の仕方、銃の撃ち方を授業している。

 2000年には軍と民間の優秀なゲームデザイナーが軍のリクルート予算をつかってプロジェクトチームをつくり、『アメリカンズ・アーミー』とよばれる戦争ゲームを開発した。実戦をコピーしたリアルなビデオゲームだ。いわゆるヴァーチャルな軍事訓練といってもいい。このオンラインゲームの登録者は全米で200万人を越えているという。ニューヨーク州にある軍の士官学校の2003年の新入生のうちの20%弱はこのゲームの熱心な愛好者だったという。

 これらすべての印象は「極端」。その上、イラクで戦死した息子の母親(シンディ・シーハン)が大統領に直接話をしたいとブッシュ家に押しかけて、家の前でテントを張って座り込みをしたり、別の母親で大統領夫人のスピーチの最中に「大統領が息子を殺した!」と叫んで逮捕されたりする母親が紹介されている。これらの印象も「極端」。

 ジャンク・フードの米国はまたヘルシーナッツ(健康フリーク)の米国。この本の中にはその極端から極端へ走る人々が記されている。

 (国内外の)「弱者を踏みつけて」強い国になった米国。世界の富の1/4を所有しながら、3000万人以上の飢餓人口をかかえる米国。そのなかには高い医療費が払えなくて自己破産するふつうの庶民がいる。350万人のホームレス。乳幼児死亡率は1日に77人でキューバを上回るらしい。

 にもかかわらず、その底辺から顔を上げ、苦悩を乗りこえて起ちあがっている人々がいて、この本ではそのなかの何人かに直接会ってその声を取りあげている。

──これから数え切れないほどの壊れた若者たちが帰ってきても、ここには受け皿がない。問題は、どうしてそうなったか?じゃないんだ。なぜ俺たちはベトナムから何も学ばなかったのか?なんだよ。(帰還兵ホームレスセンターのディレクター)
──知らせを聞いたとき、「勝った」と思いました。そしてそれは、僕たちみんなの自信になったんです。僕たちは子どもで、何もできないと思ってたけど、真実を手渡しあって、現状を変えてゆくほうを選び取った。自分たちの手で未来を選ぶ自由を勝ち取ったことが、この社会で弱者である僕らに小さな希望をくれたんです。(ニューヨークの高校生)

mojabieda * 読書 * 06:59 * comments(0) * trackbacks(0)

『白バラの祈り』資料集が出版される

 未来社から待望の『白バラの祈り』資料集が出ました。

■ 「白バラ」尋問調書──『白バラの祈り』資料集
 定価は3,200円(税を含まず)

◇ 第1章 「白バラ」のビラ
◇ 第2章 「自由!」──「白バラ」小史、その最期から遡る
◇ 第3章 バイオグラフィー・メモ
◇ 第4章 「白バラ」メンバーの尋問調書

 昨年、未来社が出版した『白バラの祈り』(映画『白バラの祈り』の、カットされていないオリジナル・シナリオ)の姉妹編です。映画は新発見のこの尋問調書が基になってつくられています。
 
 1945年にソビエト軍がドイツを開放するときに、ベルリンにあった裁判所に残っていた取り調べ調書や議事録を押収してモスクワへ持っていかれました。やがてこれらの資料はソビエトから旧東ドイツ政府へ送られ、旧東ドイツの秘密警察の書庫に奥深くしまわれていました。その後、東西ドイツが統一され、秘密警察のもとから連邦公文書館に移され、ようやく(奇跡的に)陽の目を見ることができた資料です。

 原書はFischerから出版されている『SOPHIE SCHOLL DIE LETZTEN TAGE』です。原書では第4章がシナリオになり、第5章が尋問調書になっています。
mojabieda * 白バラ * 20:16 * comments(1) * trackbacks(0)

現代人の自発的服従

 教員採用試験で死者が出た事件に対する世間の反応におどろいた。

 それで、ワンパターンながら、この教員採用試験で死者が出た事件をウル(ur)事件と呼んでおく。そしてその事件に対する世間の受け取り方をメタ事件と呼んでおく。このメタ事件におどろいたのだ。

 葉山嘉樹の小説に「セメント樽の中の手紙」という短編がある。セメント工場である一人の工員が石といっしょに破砕器(クラッシャー)へはまり込んでしまい、仲間が助けだそうとしたが、「赤い細かい石になって、ベルトの上へ落ち」、セメントになるという実際にあった事件を扱っている。

 高校の国語の教科書に載っていて、ある教師が授業でこのように質問したという。
――もし君たちの目の前で仲間がクラッシャーにはまったのを見たとする、さあ、どうやって助ける?
 するとたいていどこのクラスでも「すぐに機械のスイッチを止める」という答えが返ってきた。
 しかし、あるとき生徒からこのような答が返ってきたという、「先生、機械は止められるのですか?」

 ここで質疑は終わってしまったらしいが、その先を想定してみよう。

 「機械は止められるのですか?」「もちろん機械は止められる。しかし機械を止めるとどういうことが起こる?」「生産がストップします」「それは会社にとってどういうこと?」「一日の生産量がおちます」「そうだね。工場全体でベルトコンベアーを常に一定に動かことによって一定の生産量を確保するんだね。それをどこかでストップさせるということは工場全体の動きをストップさせることになって、大混乱になり工場に大きな損害を与えることになるんだろうな。だからストップさせられない」「つまり、労働者の一人の命よりも工場の生産量の確保の方が大事だということですか」「工場主にとってはね」「じゃあ、仲間の労働者は工場主でもないのに、どうしてスイッチを切らなかった(切らせなかった)のですか」「するどいねえ、仲間はとうぜん機械の運転を止めよう(止めさせよう)としただろう」「上司がそれを聞かなかったのですね」「そうだろうね」「でも、クラッシャーに落ちたのはその人が悪いんじゃないんですか?」「落ちた人の自己責任だということだね。しかし一日中ほとんど休みもなくクタクタに働かせるような苛酷な労働条件のもとで、安全装置もない危険な持ち場で働かせていたのだとしたら、その責任は工場にあるんじゃないのかな。だから、この人だけが偶然にクラッシャーにはまった、という偶発的な事故ではないんだろう。いつか、だれかが、必ずこのような目に合うというような事件だったんだろう。だから必ずしも労働者一個人の責任ではないんだよ」「しかし人が混ざったままのセメントなんて・・・品質にもんだいあるなあ」「(そういう問題じゃないんだが)そういうことはよくあったらしい。今も自動車工場などでは・・・」

 教員採用試験中の死亡「事件」も同じ。一受験者個人の責任・問題・トラブルではないはず。雷に打たれて亡くなったのなら「運の悪さ」が悔やまれる「事故」だろう。しかし教員採用試験は雷ではない。自然現象ではない。自然でも神さまでもない誰か人間が企画・運営して受験させていたのだ。これを雷に打たれた「不幸な事故」と同レベルに受け取るとすれば、これはゆゆしきメタ事件だろう。「不幸な事故」ではなく「不当な事件」だからだ。先の生徒の「機械は止められるんですか?」や「でも、その人が悪いんじゃないんですか?」と同レベルの受け取り方のままであったのなら、かならずいつか同じ事件が起きて同じことが繰り返されるだろう。

 「人ごとではない」のだ。

 しかし、このメタ事件の問題はさらに奥が深くおそろしい。そのおそろしさとはつまり、先のセメント事件に沿っていえば、「労働者一人のいのちよりも工場の生産量の確保を大事にする工場主の思考」が、いつのまにか一般大衆(同じ労働者)の脳裏に刷り込まれている(インプリンティングされている)ということなのだ。この刷り込みによってこそ、体制に順応する現代人の「自発的服従」(もともと服従と自発性とは相反する概念であったはずなのだが)が完成するのである。

 消費税の値上げという政府案に対して、道行く若者にインタビューしたニュース番組があって、「国の財政がたいへんだから、仕方ないでしょう」という答にわたしはショックを受けたことがある。
mojabieda * 時事 * 07:17 * comments(0) * trackbacks(0)

死者が出る教員採用試験

 去る8月4日の午後2時25分ころ、埼玉県教員採用試験を受験していた女性(38)が亡くなった。

 新聞などによると、プールで水泳実技の試験中、50メートルを泳いだ直後に意識を失い、心臓が停止してそのまま死亡したという。

 クロールと平泳ぎとを25メートルずつ泳ぎ切ったあと、プールサイドに片腕をかけ、顔を水面近くに横たえたまま動かなくなったという。試験員らがすぐに引き揚げ、AEDを使って心肺蘇生を試みたがだめだったらしい。

 この女性は大卒後臨時教員となり、一時家庭に入ったが、05年から復帰し、採用試験を受けていたという。

 この事故(事件か?)について、埼玉県のコメントはない。
 
 その日、何が起こったのか。さまざまな情報をとりよせて以下に再現してみる。

 8月4日。
 8時。会場の小学校(春日部市立立野小学校)に入る。エアコンのない教室で3時間待機。その後ピアノの試験。待機教室は小学校の教室なので子ども用の椅子に座った。
 12時ごろ昼食。
 1時。体育館に移動する。体育館は満員で40度近い蒸し風呂のような状態だったという。その体育館で鉄棒試験受ける。そのあとプールで水泳の実技がつづく。

 体育館を出てプールへ。簡単な準備体操をし、25メートルを1本練習、そのまま本番。25メートルクロール、25メートル平泳ぎ計50メートルを女性は60秒以内に泳がなければならない。

 以下は同じ試験を受けた人たちの証言。

 「私もほぼ同じ頃、他の学校で同じ試験を受けていました。本当に暑くて、待ち時間も長く、待合室の教室は本当に蒸し風呂のようで、実技試験の前に、体力を失ってしまう状態でした」

 「私はまさに立野小で試験を受けていました。体育館で鉄棒試験を待っている時に事故が起こって・・・。騒然とした状況で私たち他の受験生は蒸し風呂の体育館でずっと待っていました。心停止と聞いて怖くなり、また暑さで気分が悪くなり、モチベが下がっていつもより実力を発揮できませんでした。無理するなとか気分が悪かったら申し出ろとか言われても、試験だしみんな我慢して頑張っちゃいますよね・・・。その方も頑張りすぎちゃったのかな?」

 とうぜん試験だからだれもが頑張る。多少体調がわるくても一生懸命になって無理をする。受験する者にとっては人生がかかっているのだから。

 8時から2時すぎまで続いた極度の緊張状態と蒸し風呂のような教室・体育館での長い待機と試験。その直後に野外の冷たいプールでのきびしい実技。そうして心停止。
 
 だとすれば、これは事故ではない。偶然の事故ではなく必然的な事件だ。少なくとも、このような悲劇的な結果が起きることが予測できる未必の故意として県に責任が問われるはずだ。「想定外」だったという弁明さえもない。これが「お上」のやり方である。
mojabieda * 教育 * 22:57 * comments(2) * trackbacks(0)
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