mojabieda Blog
子育て・教育・高生研・読書・夢・世情・PowerBook・シュタイナー・神秘学などにかかわる身辺雑記の日記です
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胡蝶(こちょう)の夢
2007.09.29 Saturday
写真上は近所の彼岸花。下は稲刈り後のシラサギ。
ようやく、ようやくにして涼しくなってきたのだろうか。
朝晩は多少過ごしやすくなったが、日中はまだまだ暑い。
もう彼岸はすぎているのに。9月も終わろうとしているのに。
去年(06年)の9月26日の日記には、「外気温23〜25度。朝、床が冷たい、半袖も冷たい」とある。
昨年(05年)の9月26日の日記には、「外気温22度。いろんなところで彼岸花が咲いている。朝の窓から冷気が入ってきてエアコンは必要ない」とある。
今日の9月27日の朝の外気温は23度から25度。日中は30度以上あっただろうか。エアコンは今日も必要。
小池昌代の『屋上への誘惑』のなかの「『私』の領域」を読んで、荘子の胡蝶(こちょう)の夢を連想した。
「ある朝私は、一匹の蝿の、ぶーんという羽音で突然目が覚めた。そして不意に、「私がいる」ことに驚いた。まるで、天井から落ちてきたナイフのように、素早く身につきささった恐ろしい直観。あれは確かに、蝿が知らせてくれた、私というものの存在のようである。
普段の私は、どこという空間の衣、いつという時間の衣、誰という名前の衣、いくつという年齢の衣、どこで生まれ、何が好きか・・・というような、様様な経歴や記憶、嗜好の衣をはおっている。幾重にも、属性の衣を着込んでいるのである。だから、あの、蝿によって知らされた「私」は、私自身にも痛いと感じられるような、すべての衣をはぎとった丸裸の私。誰でもなく、どこでもない、いつでもない時間のなかにいた、『私』なのだ。」
『荘子』の胡蝶の夢にどこか通じるようだ。
『荘子』のなかの「胡蝶の夢」とは、荘周が夢のなかでひらひらと胡蝶になって飛んでいた、という話。じぶんが荘周だとは知らなかった。しかし急にハッと目が覚めると、じぶんが荘周であることに気づいた。夢で胡蝶となったのか、あるいはいま荘周であることが胡蝶の夢なのか、分からなくなったという。
荘周がふと目覚めたとき、小池さんのように、目の前を蝿ではなく胡蝶がひらひらと飛んでいたのかもしれない。そのとき荘周は胡蝶となっている夢を見ていたから、ぼんやりと「ああ、私がいる。庭を飛んでいる」と思ったのかもしれない。で、はっきりと目覚めると、じぶんは荘周という人間で、胡蝶となっていたのは夢であり、いま庭を飛んでいる胡蝶は現実の世界を飛んでいる胡蝶なのだと気づいた、ということか。
しかしそのとき、庭を飛んでいる胡蝶こそ「わたし」であって、それを眺めている荘周は「わたし」の「衣」にすぎない、という思いにとらわれた。人間荘周はセミの抜け殻のようなもの。
ひごろは「衣」を「わたし」だと思っている。しかし「わたし」は胡蝶でもあり、庭をわたる風でもある(あった)。こんな感覚なのだろうか。
庭をわたる風がちょっと涼しくなった。秋は対象とじぶんとが剥離して感じられる季節かもしれない。だから、なんとなくもの哀しいという感覚が生まれてくるのかもしれない。
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ヤカオランの春
2007.09.17 Monday
映画『ヤカオランの春〜あるアフガン難民の生涯』
アフガニスタンのバーミヤン州の夫婦の生涯を描くドキュメンタリー映画。
ヤカオランの人々は少数民族。アフガンで差別されつづけた。内戦で沈むアフガンの、さらに深い闇に沈んでいる難民。その矛盾のなかで主人公らは、よりよい未来を築くために教育にかける。平和を希求する人々へのアフガンからのメッセージ。
【企画・制作】 川崎けい子、中津義人
【監督】 川崎けい子、中津義人
【取材】 川崎けい子
【制作年】2004年
◆ 浜松上映会
○9月29日(土) 4回上映 上映時間83分(1時間23分)
午前10:30〜
午後 2:00〜
午後 4:00〜
午後 6:30〜
○浜松市地域情報センター・ホール
(浜松市中区中央1丁目12番7号・遠鉄電車遠州病院駅下車、東へ徒歩5分)
前売り券 1000円、当日1200円
小中学生 前売500円、当日600円
○主催:アフガン支擾NGOカレーズの会西部支部
○後援:浜松市
○連絡先:tel O53−584−1550 生協きたはま診療所
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ユーフェミズムというレトリック
2007.09.13 Thursday
ユーフェミズム(Euphemism)について加藤周一氏がむかし何かに書いていた。それでちょっとまとめてみた。
ユーフェミズムとは日本語にすれば婉曲表現というレトリック。
露骨な表現を、わざとあいまいな表現にする。直接的な表現では露骨・不快・不吉・下品など差し障りのある物事について当り障りのない表現をすることでもあるが、おぼろげなカーテンにつつみ「事実」を明確には見せないで隠す(意識化させない)という表現だ。
わざと意味がわかりにくいカタカナ語にする、アルファベットにする、外来語にする、難しい漢字にする、専門用語にするというのも同じ目くらましである。
かつてのナチスドイツのような全体主義国家や大日本帝国のような軍国主義国家、あるいは現在の独裁専制国家などでは、強大な政府の権力によって大衆をコントロールした。したがってマスメディアによる大衆操作も稚拙なものでも充分通用した(している)。「〜将軍、ばんざい!」などと喜ぶ大衆の姿を毎日テレビで放映させればいい。しかし「自由」と「民主主義」を看板にする民主主義国家では、そのような稚拙な操作では通用しない。主権を持つとされる国民をしらずしらずのうちに国家の思いどおりに動かすには政府やマスメディアによる高度なレトリックが必要だ。その一つがユーフェミズム。とりあげたらきりがないほどある。
○ テロ特措法──海上自衛隊派兵法
テロ特措法では内容がまったく国民に見えてこない。この延長を強引に押し通そうとしたが無理だと見切り、AB首相はさきごろ「自爆」した。
○ マスコミ──マスメディア
テレビ・ラジオ・新聞などは、みずからを「マスコミ」などと呼んでいるが、コミュニケーションならば、相互に情報のやりとり・交換がある。しかし実際は一方通行であって、つねに大衆へ情報が「流され」ている。そういう意味では、むしろ、テレビ・ラジオ・新聞などは大衆(マス)を操作する装置(メディア)としてとらえるべきだろう。
○ 不適切な関係──不倫関係
政治家の不倫スキャンダルに対して使われる「不適切な」マスメディア用語。中身を分からなくさせる。スキャンダルをうすめるにはもってこいの表現。不倫というのもユーフェミズムか。
○ 政治献金──わいろ
○ アメリカ合衆国──アメリカ合州国(USA)
州があつまってできた国を、あたかも民衆があつまってできた国のように思わせる表現。
○ 犠牲者──被害者
生きている者が、死んだ者をじぶん勝手に「犠牲者」と名づけて祭り上げる。死んだ者はだれも(生きている者のための)「犠牲」になろうなどと考えたこともないだろう。死者に口があれば「おれは犠牲者ではない。被害者だ」と叫ぶだろう。被害・加害の関係を見えなくさせる表現。
○ リストラ──首切り
使用者(経営者)による一方的な雇用者(従業員)解雇のことだが、経営者側の心理的うしろめたさを「リストラ」と言い換えることで軽減させるだけでなく、「経営者」側のものの見方・論理を無意識に大衆に押しつけ、「従業員」側の視点を見失わせることができる。
○ 日米協調──対米従属
日本国政府は国民にむけては「日米協調」という表現をしているものの、その本質は対米従属。なにせ大家が店子に家賃を払っている前代未聞の関係だ。つまり日本国の国土を米軍に貸しているのに、その米軍に日本国民の税金が支払われている。
○ 自衛隊──軍隊
これも「日米協調」と同じ。外国では自衛隊は「Force=軍隊」と訳される。自衛隊とは国内にだけ通用する国民むけの用語である。もちろん憲法9条によって日本では軍隊は認められていない。だから自衛隊。
○ 派遣──派兵
サラリーマンを海外へ出張させる場合は「派遣」。武器を所持した軍事組織を海外へ送り出す場合は派兵。同じ軍事組織でもまるでサラリーマンの出張のように「罪のない」非戦争イメージにさせたい場合は「派遣」ということばを使う。
◯ 侵攻──侵略
侵略には「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす」残虐で罪深いイメージがあり、国内外の非難を呼び起こす可能性がある。したがって侵略する側の政府(とメディア)は「侵攻」というあいまいな表現をすることで国内外の非難を少しでもかわそうとしてきた。「侵攻」以上に漂白したことばに進出がある。これだと企業進出と同レベルの「罪のなさ」になる。
○ 戦い──戦争
一般に「戦い」は規模の小さなものをいうのだろうが、戦争というべき大きな規模であっても「戦い」を使うことがある。なぜなら戦争では(女・子ども・老人などの非戦闘員をまきこむ)マイナスイメージがまとわりつくからだ。「戦い」なら目前の非道な敵に立ちむかう勇ましさがにじみ出てくる。だからいくら女・子どもなどの民間人を殺してもテロとの「戦い」と平然と使う。
◯ 武装勢力──抵抗組織[レジスタンス]
「武装勢力」とは侵略と抵抗の構図を見えなくさせる表現。第二次大戦のときのナチスドイツによって占領された国(たとえばフランスなど)ではナチに反抗する市民組織を抵抗組織[レジスタンス]と呼んだ。その土地に住む者たちが「不当に侵略・占領する外国軍」に対して抵抗する、という構図ならば抵抗組織[レジスタンス]と呼ぶべきだ。抵抗という語を使えば、そのむこうに侵略が見えてくる。
◯ 終戦──敗戦
戦争は「人為」であり、戦争を起こした責任者が存在する。台風のような「自然」現象ではない。しかし「終戦」だと、まるで台風が行き過ぎたかのように「戦争が終わって、よかった」という意味しかカバーしない。つまり、だれが起こし、だれが責任者なのか、という戦争の主体とその責任を見えなくさせる表現。
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ABの辞任
2007.09.13 Thursday
民意や周囲の空気が読めない人も、海のむこうの空気は読んでいたようだ。
「テロ特措法」(海上自衛隊派兵法)の延長が成立しないと見切ったAB首相は、その後に起こるべき日米間の混乱が起こる前に、その混乱に対する(海むこうの)非難・攻撃を浴びる前に、降りた。遠いむこうの顔色をあらかじめ読んでいたのだろうか。むこうもこんなに骨のないヤツとは思っていなかったんじゃないか。国会でたたかう前に降りたのだから。敵前逃亡。
しかしただの敵前逃亡ではない。町内会の会長が、町内の総会がはじまって、あいさつもすんで、さあ本題の討論に入ろうとしたとたん、「辞めます」と会長を降りてトンズラしまったら、まわりはどんなに大混乱に陥るだろう。どんなに顰蹙をかうことだろう。あなたが今まで「町内の役員」を集めてみんなをひっぱってきたんじゃないの?日本のどこの町内会長だって、そんな無責任で破廉恥なまねをする人はいないだろうよ。
これは町内会の話ではなく国政の話で。国家の行く末を左右する国会の最中の。かれには国民や国家よりも、おのれの身の保全の方が大事だったのだろうか。傷つく前に、傷つく機会そのものから逃げ出した。その代償が国会の、国家の混乱。
まわりの空気が読めない、などというレベルの話ではない。空気が読めないのは厚顔無恥ですむ。たとえは悪いがいくさの最中に負けいくさを覚悟した大将が「おれはいまから大将を降りる。だれかおれの代わりに泥まみれになって責任とってくれ(おれは後方で涼んでいたいから)」と宣言するようなものだ。
かれははじめから「やとわれマダム」だったのか?お坊ちゃんの無責任な好き放題を許していたのはだれか?だれに「雇われ」ていたのか(海むこうの藪一族か)?首相になったとたん真っ先に(行きたくもない)中国に(おそらく藪のご意向をうけて)「はじめてのお使い」に行かされたんだっけ?
辞めるときのことばにも「テロとの戦い」などという藪用語を使ってしまっていたところに藪とのつながりが問わず語りに語られていた。おそらくABは国民へ辞意を伝えるまえに、おかみ(藪)のご意向をうかがったことだろう。藪はABが辞任した後、「テロとの戦い」の友を失ったようなコメントを出していたが、ABの「ご意向うかがい」のときにも同じようなことをABに言ったのだろう。そのときの藪用語が脳裏に残っていて、辞任の会見でおもわず「テロとの戦い」などと口走ってしまったか。「テロとの戦い」など国民の関心とはほど遠い。
そのときの二人の会話を再現してみよう(辞める直前の電話会談。想像です)。
AB「テロ特措法の延長がとても国会を通りそうにもありません。どうしたらいいんでしょう?」
藪 「そりゃあお前、約束が違うぜ。ぜったいに通すと言ったろう?通さなかったら、ただでは済まさんぞ」
AB「はい、でも、たとえ衆院で可決しても、いまの参院では野党がひっくりかえしますです」
藪 「だったら、いますぐ民○党のOに党首会談を申し出ろ。なにか甘い蜜でもちらつかせて言うことをきかせるんだ」
AB「O氏との党首会談ですかぁ・・・やってはみますがねぇ・・・たぶんダメポ」
藪 「テロ特措法が通らなかったら、日本をふたたび『石器時代』にもどしてやるぞ!(これは藪政権が外国をおどすときの決まり文句)。がんばれ!お前は『テロとの戦い』の盟友じゃないか!(しかしこいつはもうダメかもしれない。はやいとこOとコンタクトをとろう)」
AB「・・・はぁ・・・(テロとの戦いの盟友ねえ・・・でもオレ、もう、やめたいのよ)」
こうしてABはやぶれかぶれでO氏との党首会談を申し出る。しかしすげなく断られる。これが辞任のひきがねになったとじぶんでも言っていた。正直な男だ。
あるいはまた、日本の政界の闇のドンから見放されたか。ABを見切ってO氏と取引したかも。
OもOだ。「テロ特措法の延長はありえないと思います」と言っていた。「思います」ってどういうこと?「延長しない」は政策としてかかげたんじゃないの?それとも裏取引かなにかによって「延長はありえない、みたいな?」とか、「ありえない、かもしれない」とか、「ありえない、という考え方も時と場合によるかな」とか、「ありうるかもしれないとも思います」などと、どんどん変わるのか?ありそうだなあ。
自○党といい、民○党といい、コカ・コーラとペプシ・コーラの違いにすぎないから。
テロ特措法もひどいユーフェミズム(ごまかし用語)だ。海上自衛隊派兵法と表現すべき。
ABが辞めたワケ。メディアは「お友だち内閣」とか「大臣の更迭」などと、いつもの目くらましを並べる。ABがたびかさなる破廉恥な強行採決によってひっぱってゆく日本の未来に、国民の広汎な危機感がうずまいていたのだ。それで参院選で惨敗した。戦後の平和国家を形成してきた教育基本法を改悪して戦前回帰をねらった張本人。年金問題ばかりではない、格差社会づくりばかりではない。憲法9条を抹殺して改憲をはかり、米国なみに中下層階級の若者をどんどん戦場へ送る未来図をつくりつつあったからだ。どうしてメディアはその実像をきちんと伝えないのだ。腹が立つのは犬HKをはじめとするすべてのマスメディア。
それにしても「美しい国」を唱えるほどには、おのれの身の進退は美しくなかったようだ。
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夏の読書
2007.09.08 Saturday
夏に風邪をひいてしまい、外出する機会があまりありませんでした。
──海へ行きたい!
そう思いつつ、布団の中で本を読む休日・・・。
で、何を読んでいたか。
そう、旅の本が多いです。しかも現実ばなれした外国の旅!
それがまだ尾を引いていて、いま読んでいるのはギッシングの『南イタリア周遊記』(岩波文庫)。
■ 『エスペラント』(田中克彦/岩波新書)
言語の本質を追究する言語学の歴史をたどりながらエスペラントを語る。
かつてことばは神がつくったものとして神聖にして不可侵であったらしい。それをやがて近代ヨーロッパでは神ではなく自然が創造したものだとし、19世紀の自然科学の時代に、自然科学として言語学が栄える。神が自然に代わっただけで、人間の意志にかかわりのない「不可侵」は同じだった。
やがてソシュールが現れてその考え方は変わってくる。ソシュールは言語は「制度だ」とみなしたらしい。すなわち人間社会の制度。ようやく言語を人間の世界に取り戻したのだ。また、「不完全な」言語を「完全な」論理を表すものに改造しようという動きも出てきた。その流れのなかで「自然」言語に対して「人工」言語(あるいは「計画」言語をつくろうという運動が出てきた。その一つがエスペラントであった。
エスペラント自体にはあまり興味はなかったが、石原吉郎などについて読んでいるときに、かれらがエスペラントを話した、ということで、多少興味を持ちはじめた。現在のエスペラント大国は中国らしい。ポッドキャストにもエスペラントの放送があり、中国のウェブサイトでもエスペラントを聞くことができる。
しかし、たとえば静岡の丸善に行く。外国語コーナーを見ると、エスペラント語に関する本は一冊もないみたい。もちろん辞書もないようだ。丸善には膨大な英語の本があり、外国語には古典ギリシア語の教本までありながら、エスペラント語は・・・。もし教本などを手に入れたければ注文するしかないようだ。
■ 『総員玉砕せよ!』(水木しげる/講談社文庫)
8月12日(日)の犬HK総合テレビの午後9時から1時間半放映した『鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜』のマンガ原作。というか、テレビのは戦後漫画家になってからの話をまじえたもの。一将校の無理な玉砕命令が全軍に伝わってしまった後、生き残っ(てしまっ)た部下たちは後方の味方から「刺客」を送られる。なるほど「玉砕」とはそういうことか、と思った。玉砕という美名によって、生き残った者は軍紀を保つために味方に殺される運命にあるということ。しかも、幹部や参謀などはそのような「玉砕」においてさえも、事後の処理のために生き残るものらしい。
■ 『プーリアへの旅』(木下やよい/小学館/1785円)
『南イタリアへ!』(陣内秀信/講談社現代新書)を読み、南イタリアに興味を持った。陣内が若いころに惹かれて、第二の研究対象にしようと思ったのはこの南イタリアのプーリア地方のチステルニーノだったらしい。真っ白い町のよう。
『プーリアへの旅』で知ったこと。
イタリアの「かかと」の半島がサレント地方といい、そのなかにグレチーア・サレンティーナと呼ばれる地域があり、そこでは「グリーコ」という(昔の)ギリシア語が今も話されているとのこと。昔って、あの古典古代の大ギリシアのころのギリシア語?プラトンやピタゴラスもこのあたりに縁があったらしいが、その人たちが話していたギリシア語?とはいえ、いまは漁師の親父さんたちが話しているだけのようだが。ちょっと想像がつかない。
アルベロベッロで有名な「トゥルッリ」はサレント地方やその上のムルジェ地方一帯に見られること。
ムルジァ・デイ・トゥルッリ地方のイトリアの谷の周囲に、アルベロベッロ、ロコロトンド(円い町)、マルティーナ・フランカ(レッチェに影響されたバロック様式の町)、チステルニーノなどのみどころのある町があること。
プーリア州にはマッセリーアと呼ばれる「農の館」がたくさんあること。なんだか西部劇に出てくるような地主の館。
ムルジェ地方にカステル・デル・モンテとよばれる不思議な八角形の城があること。ニーチェがダ・ヴィンチにたとえた神聖ローマ皇帝フェデリコ二世による建造の由。
ムルジェ地方のアルタムーラにはクラウストロと呼ばれる行き止まりの路地裏があること。ユダヤ人グループが住んでいたクラウストロ・ジュデッカなど。なんだか、スペインのコルドバのよう。
プーリア地方に接する内陸部にマテーラという奇観の町があること。そこのサッシとよばれる洞窟住宅・教会地帯は、いまでは世界遺産に登録されているが、かつてはその赤貧から「国の恥」とされていたという。カルロ・レーヴィが『キリストはエボリにとどまりぬ』という書物でその様子を描いた由。
マテーラを描いた映画は『奇跡の丘』(ピエール・パオロ・パゾリーニ/1964)、『イタリア式奇跡』(フランチェスコ・ロージ/1967)、『エボリ』(同左/1979)、『太陽は夜も輝く』(タヴィアーニ兄弟/1990)、『パッション』(メル・ギブソン)。
サレント地方伝統の大衆音楽と踊りに「ピッツィカ」というものがあること。ピッツィカ・タランタータはタランティズモという精神錯乱の現象の治癒にむすびつくもの。求愛のダンス「ピッツィカ・デ・コーレ」や決闘のダンス「ピッツィカ・スケルマ」というのもある。このピッツィカについてはエドアルド・ウィンスピアという監督が『ピッツィータ』(1996)、『血の記憶』(2000)に描いている。この監督はまた『トニオの奇跡』(2003)で有名。
オートランドにはビザンチン様式の教会がいまも残っていること。かつてはイタリア最東端の町としてギリシア文化が栄えていたが、1480年オスマン・トルコによって町が徹底的に破壊された由。
『南イタリアへ!』(陣内秀信/講談社現代新書)も読了。これと並べて読むとおもしろい。
■ 『風琴と魚の町・清貧の書』(林芙美子/新潮文庫)
「風琴と魚の町」以外でよかったのは「牡蠣」。主人公はきまじめで、うだつのあがらない、生き方のへたな職人。ハッピーエンドではない。「耳輪のついた馬」は「風琴・・・」のような小さなころからの自伝的な小説。初期の短編が多い。昔の旺文社文庫にあった『風琴と魚の町 他九編』の方が短編の内容は充実している。
■ 『プラハアート案内』(皆川明/エスクァイア マガジン ジャパン)
プラハの映画製作、アニメ製作情報、人形劇情報、アート情報が豊富。写真家ヨゼフ・スデクのアトリエなどへ行ってみたい。絵本作家ヨゼフ・パレチェクの絵本も見てみたい。邦語になっているのは『おやゆびひめ』(MKインターナショナル/1680円)など。
社会主義国時代に芸術・映画・演劇部門は国家が支えた反面、思想的な抑圧もあった。前身が国立の絵本出版社であったアルバトロス社。テレビで40年以上もつづくテレビ・アニメのヴェチェルニーチェク。「ヨーロッパのハリウッド」と呼ばれるチェコ映画随一のスタジオ「バランドフ撮影所」と隣接する映画スタジオ「クラートキー・フィルム・プラハ」でアニメーション化されたトミー・ウンゲラーの『すてきな三人ぐみ』は観たことがある。
それからチェコ・ビール。ひとりあたりのビール消費量が世界一。日本の4倍だという。世界の9割以上をしめるピルスナータイプのビールの発祥の地がチェコ。伝統的な材料と製法。いくら飲んでも二日酔いしないという。ジョッキ一杯が100円から130円。伝統を守っている市内のビアホールは『ウ・フレクー』(元修道院ビール)、『ストラホフ』修道院ビール。ピルスナー・ウルケルやブドヴァル、ベルナルド(特にスヴァーテチュニー(祝祭用というブランド))はプラハではなく他の地域のものだが、お薦めという。
チェコアニメに関するお店は東京・渋谷の『ano』。渋谷1─20─3 03─3407─6560。http://www.ano-web.com/(見たら、移転するためしばらくお休みの由)。
■ 『アテネ色の旅物語』(近藤まさたろ/東京書籍)
写真が豊富できれい。知らないことばかり。ナイキとはニケのこと。エルメスもヘルメス。グリコも「甘い」というギリシア語。自己主義・保守主義のギリシア人精神。ヒオス島の虐殺事件とマスティア(乳香)。観光地化されないエーゲ海の小さな島々をめぐる話などなど。
クレタ島のミノタウロスを倒したテーセウスの父アイゲウスが息子が死んだと勘違いし、絶望して海に身を投げたという。そこからその海を「アイゲウス」つまりエーゲ海と呼ばれるようになった由。
遺跡を巡るには春がいいという。夏はものすごく混むらしい。エーゲ海でいちばんの島はやはりサントリーニ島とミコノス島だという。しかし、彼はケア島、レロス島、ミロス島、リムノス島などのあまり人気(ひとけ・にんき)のないひなびた島を訪ねる。古代の遺跡にはあまり関心はないらしい。遺跡として関心があるのはパルテノンだけみたい。ギッシングの『南イタリア周遊記』とは対照的だ。ギッシングの方は古典古代の文化の残滓と遺跡にしか興味がないみたい。
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陳さんの講演と陳さんの製作したバイオリンのコンサートのご案内
2007.09.06 Thursday
「東洋のストラディバリウス」の陳昌鉉(ちん・しょうげん)さんは1929年に韓国で生まれ、若くして日本に渡り、昼に働き夜は大学に通いながらも、バイオリン製作に魅せられてバイオリン職人の道を独学で進んでゆくという数奇な人生をあゆむ。バイオリン製作のために山小屋に住んだりと、さまざまな辛苦や差別をのりこえて、やがて世界に5人だけの「無監査マスター・メーカー」の称号を授与され、世界的なバイオリン制作者となる。
自伝に『海峡を渡るバイオリン』(河出書房新社)がある。また、2004年にはフジテレビで草なぎ剛主演のドラマになった。
文科省の検定済み教科書に、はじめての在日韓国人として陳さんが載り、バイオリンに魅せられた波瀾万丈の人生が英文になった。来年度の高校二年生用の三友社の『COSMOS English CourseII』。
この陳さんの講演と、陳さんの製作したバイオリンのコンサートが開かれます。
● と き/2007年 11月11日(日) 14:00 開演
● ところ /静岡市 あざれあ 大ホール
● チケット/大人 1000円 高校生以下 500円
● 第1部 講 演/バイオリン制作者:陳昌鉉
● 第2部 コンサート/陳昌鉉製作のバイオリンによるコンサート
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静かな流れは底が深い
シュティフターの『森の小道』の中に出てくるドイツのことわざ
犀の角のごとくただ独り歩め
『スッタニパータ』(ブッダのことば)のなかで繰り返されることば
人はいつか夢の隣りにいる
高生研の池野眞氏のことば。夢そのものは実現しないかもしれないが、ふと気づくと、夢の隣りにいる。
いまだかつて不良少年が国をほろぼしたためしはない
かつて都教組の委員長が言ったことば
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