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2011.05.04 Wednesday
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上條隆志氏の講演
2007.11.27 Tuesday
上條隆志氏
講演を聴きいる人々
23日は都立小石川高校のスーパーサイエンス・ティーチャー上條隆志氏の講演を聴きました。
氏は慣性の法則から相対性原理への授業を、プリントをまじえて興味ぶかく説明してくれました。
どうして慣性の法則をガリガリ学習するのかというと、ガリレオの地動説への理解のためには、その前提に慣性の法則の理解が必須だからです。
地球が一日に一回回転しています。これを自転といいますが、その速さは時速1300キロから1400キロと言われています。音速は時速1224キロ。緯度によって自転速度は変わりますが、わたしたちは音速かそれ以上で西から東に動いているということになるわけです。以前からどのくらいのスピードで自転しているのか知りたかったのですが、ものすごいスピードなのだと知りました。
そんな速さで自転していて、どうして振りとばされないのか。それを理解するためのは慣性の法則を理解しなければなりません。
上條氏のプリントにはこう表現されています。
「『いつも同じ速さで動いているものの上では静止しているものの上と全く同じ力と運動の法則が成り立つ』ということ自体をこの世界の根本的な原理と見なすことも出来る。そこでこの原理のことをガリレイの相対性原理と呼ぶ」
わたしの勝手な、かなり乱暴なことばに変換すると、最終的には「静止系」と「等速運動系」とは相対的なものであり、区別できないということになります。
たしかにそうです。いま、椅子に座り、机のパソコンに向かってキーを打っていますが、そのわたしが音速で移動しているのだとしても、静止しているのだとしても、わたしには区別できません。
それにしても、緩いジェットコースターに乗ってさえ、すぐにめまいを起こして半日悪寒にさいなまれるわたしが、まさに音速で動いているというのは想像を絶します。
さらに自転よりも公転のスピードはもっとすさまじい限りです。素人のわたしがざっと計算しても音速の90倍近くあります。公転の速度は30km/sです。1秒間に30キロも走ります。光の速度は1秒間に30万キロですから、公転の速度は光速の1万分の1のスピードです。
そんな速さで移動していながら、静止しているように感じ、静止している時とまったく同じように物質が運動します。摩訶不思議です。
だれか「外」側にいる観察者でもいないかぎり、そしてその観察者の眼がないかぎり、静止と等速運動とは永久に区別できません。しかも、「外」にいるはずの観察者も、実は静止しているのではなく運動しているのだとすれば、さらに「外」の「外」からそれを観察できる人がいなければなりません。頭がクラクラしてきます。
さて、ダグラス・ラミスの本に『影の学問、窓の学問』という本があります。生まれてからずっと宇宙船の乗っている人が、じぶんが宇宙船の中にいることも知らずにいて、あるとき禁断の部屋の隠された窓から宇宙船の外の景色(宇宙)を見てしまったという話が載っています。ガリレオなどはそのような「見てしまった」人の一人でしょう。
外を見ることができることによって、はじめて内の世界のほんとうのありようが理解できます。科学はその「外を見る」方法を与えてくれます。「科学は歴史的社会的認識である」とは上條氏のことばです。
堤未果講演会
2007.11.27 Tuesday
味平「浜岡原発、だいじょうぶ?」学習会
2007.11.25 Sunday
右上から左下に、斜めに断層が入っている
岩盤?石?砂?
味平のめんめん
24日、浜岡原発学習会に参加した。毎年ひらかれる味な平和ゼミナール(略称「味平」)の今年のテーマは「浜岡原発、だいじょうぶ?」。
はじめ浜岡の原子力館を見学したあと、すぐ近くの道端で、地層が見える場所に行く。浜岡原発は断層が何本も走っているところに建てられているというが、その断層の一つだろう、地層がむき出しになっていて、斜めに線が入っているのを見た。さらにショックだったのは、そこの岩盤?らしい石を手に取ると、ポロポロと脆いこと。
40年近くまえに東海大地震の可能性をはじめて指摘した、前地震予知連絡会会長で東大名誉教授の、いわば地震学の権威・茂木清夫氏が、すでに3年前に「浜岡原発を即時停止せよ」と警告を発しているらしい(『サンデー毎日』2004年2月29日号)。
「これは、世界のどの国家も試みたことのない壮大な人体実験です。唯一の被爆国であり、原子力の恐ろしさを身に染みて知っているはずの日本人が、なぜそんな愚挙に手をそめねばならないのでしょうか・・・。 ・・・よりによって巨大地震の発生が最も懸念されているところに原発を設置するなんて、世界の常識からすれば異常と言うほかありません。」と述べているらしい。
2007年10月26日、静岡地裁の宮岡章裁判長は浜岡原発は大地震が起きても安全だと判断した。この判決は原発の立地審査指針を完全に黙殺している。
原子力委員会が作成した「原子炉立地審査指針」には次のようにある(昭和39年5月27日原子力委員会決定)。
「原子炉は、どこに設置されるにしても、事故を起こさないように設計、建設、運転及び保守を行わなければならないことは当然のことであるが、なお万一の事故に備え、公衆の安全を確保するためには、原則的に次のような立地条件が必要である。
1 大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また災害を拡大するような事象も少ないこと。
いろいろ重いテーマの話だったので、夜は「味」な交流会を焼津で開いて景気をつけた(というか、ただの飲んべえの集まり)。焼津の自慢の「磯自慢」、おでん、炊き込みご飯、豚汁、マグロの刺身、シラス、はんぺん、それから自宅の裏で獲れたというイノシシなどのご馳走。夜だけ来るヒトビトもいる。
宇宙戦艦ヤマト
2007.11.25 Sunday
宇宙戦艦ヤマトを最終回まで観た。
デスラー砲が最後に炸裂する。だったら、さいしょからデスラー砲でヤマトを葬っておけばよかったんじゃないかっていうのは、ストーリーを後からひっくり返す邪道の読みか。
古代進の兄、古代守の人物像がつかめない。あいつは軍命にそむき地球の裏切り者としての汚名を着てでも、豊かな星できれいな女性と2人きりで暮らすことを選んだのだ。まあいい、そういう生き方もあるだろう。地球ではいっしょに暮らせないだろうから。ちょうど人魚姫と地上ではいっしょに暮らせないのと同じに。この(性悪な)地上ではスターシャは見せ物になるばかりだから。結局イスカンダル星のスターシャは地球を救うために妹を死なせ、その代わりに恋人を手にいたことになる。そうして「エデンの園」のようなイスカンダルのアダムとイブが誕生した。それはそれでめでたい物語だが、じつは2人きりで暮らすことで果たして幸福に暮らせるかどうかは神さましか知らないことだ。古代守は、ギリシアのオデュセウスの話や日本の浦島太郎の話を知っているのだろうか。
それにしても解せないのは「死んだはずだよお富さん〜」ではないが、最後に死人が生き返るというストーリーの展開。なんともオカルトチックな話だ。死人が生き返る「説明」がなんにもない。説明すればするほどオカルトになってしまうからだろう。たぶん沖田艦長の命と引き換えってことなんだろうが、たとえ奇跡的に生き返るとしても、心肺停止からすでに数時間経っているとみられるのに普通に意識をとりもどしている。とはいえ、これは復活、あるいは再生の物語だ。地球の復活と再生の意味を込めているのだろう。それからもし第二部を製作するときには、彼女が生きていてもらわないと困るからだろうか。
宇宙戦艦ヤマト。懐かしい。テレビで放映していたのはわたしの青春のころ。すでにアニメを観る年齢ではなかったから観たことはほとんどなかったが、人から物語を聞いて「うらやましかった」。何がうらやましかったのだろう。それを語る青春がうらやましかったのだろうか。
夕暮れに泣く三歳児
2007.11.21 Wednesday
保育園から子どもを連れ帰るとき、いつもグズるので困る。わたしが顔を見せると走ってきて抱きつくこともあるが、たいていすぐに帰るのをいやがる。かといって保育園にずっといたいわけでもないらしい。
「どうしたいの?」と聞いてもただ床にひっくり返って手足をバタバタさせてわーわー泣くだけ。そうして友だちが持ってきてくれた鞄を拒否し、靴を遠くへ投げ・・・という暴挙に出ることもある。こういうときは仕方ない、お尻を2、3回叩く。
で、別の保育園に上の小僧を迎えにいくと、ちょうど下のと同じくらいの三歳児の女の子がお母さんのお迎えにグズっている。まったく同じ「症状」。
なるほど、うちの子どもだけではないらしい。
はじめは保育園へ一日押し込めた親を恨んであたりちらしているのかと思っていたが、そうでもないみたい。
夕方や夕暮れになると、みょうにいらつくのかもしれない。
これは中年過ぎの親父(わたし)などには日常茶飯事だ。その心境は以下の詩に似ている。
偶 成 ポオル・ヴヱルレエン
空は屋根のかなたに
かくも静(しづか)にかくも青し。
樹は屋根のかなたに
青き葉をゆする。
打仰(うちあふ)ぐ空高く御寺(みてら)の鐘は
やはらかに鳴る。
打仰ぐ樹の上に鳥は
かなしく歌ふ。
あゝ神よ。質朴なる人生は
かしこなりけり。
かの平和なる物のひゞきは
街より来(きた)る。
君、過ぎし日に何をかなせし。
君今こゝに唯だ嘆く、
語れや、君、そもわかき折
なにをかなせし。
一日の終わりに、いったい何をしてきたのだろうと振り返る。あたかも、人生のこれまでを振り返るように。そうしたときに、さまざまな思いがよぎってくる。そうして「いらつく」のだ。
むかし親父が夜酒を飲んで暴れたのも、それは酒のせいだけではなかったのだろうということを、今にして理解できる。酒はきっかけ、あるいは言い訳にすぎないのだろう。酒を飲まずにはいられない思いが先にある。
さて、では三歳児の夕泣きは何だったのだろう。まだ半分夢の世界に生きている子どもが、夢の世界から遠く離れて来てしまったことを、夕陽を見ながら思い出して嘆くのだろうか。どうしてこの世に生まれて来てしまったのか、その戸惑いと哀しみを、原初の心のうちに鋭く感じ取っているのだろうか。
『荒れ野の40年』のCD
2007.11.15 Thursday
岩波ブックレット『荒れ野の40年』
その演説CD
岩波ブックレットNO.55の『荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領演説全文』(永井清彦訳/440円)は発行されたのが86年だからもう20年以上になる。旧西ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの1985年5月8日の演説である。
原文と訳文は手に入るが、実際の演説を聴いてみたかった。カセットなどは昔あったようだが、CDがあるだろうかと永年探していたところ、アマゾンのUK(英国)で見つけた。ドイツをはじめ、米国、フランス、日本のアマゾンにもなかった。値段は送料込みで2000円ちょっと。CD2枚で、1989年5月24日の演説も付いている。「Die Reden」(演説)と銘打って、「1985年5月8日のドイツ降伏(Kapitulation)の40周年記念の大統領演説」と副題が(裏に)付いている。もちろんドイツでつくられたものだが、なぜかドイツのアマゾンでは見つからなかった(今日みたら見つかりました)。注文したのが10月9日だから、1ヶ月と1週間ぐらいかかった。
一度聴いてみたかった声は、思ったとおりの、柔らかく、穏やかで、芯の通った声だった。
見田宗介はこの演説について次のように言及している。
「1985年8月29日・・・ナチス・ドイツの降伏からちょうど40年目にあたる今年の5月8日に、西ドイツのヴァイツゼッカー大統領は・・・連邦議会で次のような記念演説をおこなっている。・・・この保守系の老政治家の追悼は、次のような人びとにまずささげられる。『ドイツの強制収容所で殺された600万のユダヤ人たち、戦争で苦しんだ諸国民、とくにソヴィエトやポーランドで生命を失なった無数の市民たち、ドイツ人としては・・・、(ナチスによって)殺害されたシンティやロマのジプシイたち、同じく殺害された同性愛者や精神病者たち、宗教的政治的信条のゆえに死ななければならなかった人たち、処刑された人質たち、我々によって占領されていたすべての国々で、レジスタンスの運動に参加したために犠牲となった人たち、ドイツ人でレジスタンスに参加して犠牲となった人たち、たとえば公務員や軍人や聖職者や労働者や労働組合員や、そして共産主義者たち・・・』
くりかえすが、これは保守系の大統領の演説である。
社会の中の弱い者、異質の者に向けられたあたたかいまなざしこそが、およそ自由と民主主義とを名のる政治家の最低限の感性であるということを、それは語っているようでもある。
そしてまた、謝罪すべき他民族への謝罪をきちんとおこなうことこそが、民族の誇りを国際社会の中で成り立たせてゆくための、最初の条件なのだという、国際感覚を示している。」(『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫/青い字は著者が原文で点を打って強調している箇所)
色川大吉は次のように言及している。
「ヴァイツゼッカー大統領は『5月8日は心に刻む日であります』として次の順序で追悼のことばを述べている。最初は『ドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人のことを思い浮かべます』と。
日本の首相が(敗戦記念日の)8月15日の追悼演説で最初に口にすることは・・・250万人の日本人戦没者、その「英霊」のことであって、断じて南京やマニラの犠牲者、あるいは中国の2000万人の死者のことではなかった。
西独大統領は驚くべきことに、強制収容所につづいて、『なかんずくソ連、ポーランドの無数の死者を思い浮かべます』と、『敵』であった人びとへの哀悼を述べ、とりわけロシア人への憎悪を強く戒めている。ドイツ人への犠牲者への言及はそのあとである。・・・ナチス・ドイツの兵士に抗して武器をとって戦った『すべての国のレジスタンスの犠牲者──ドイツ人のレジスタンス、共産主義者のレジスタンスにも敬意を表します』と述べているのである。」(『日本人の再発見』小学館/『わだつみの友へ』岩波書店・同時代ライブラリー164)
わたしが『荒れ野の40年』を読んでまずびっくりしたのは、「まえがき」で訳者の永井清彦が「(ナチス・ドイツによって)殺されたユダヤ人は420万から485万人とも600万人ともいわれている」と述べているとおり、つまり600万人という数字は当時みつもられていた最大の被害者数ということで、その数字を西ドイツの大統領が国会で述べているその誠実さに驚いたのだった。
というのは、加害者側に立つ国家権力者たちはたいてい、過去の自国の加害の誤魔化し、過小評価、無視、責任転嫁、居直りを決め込むからだ。そんなあざとい者たちがいる国は「カナダとメキシコに挟まれたある国」と「極東のある国」だけなのだろうか。
車社会と持続可能な社会
2007.11.14 Wednesday
本川達雄の『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)のなかに「車社会再考」という章がある。
「こう見てくると、車輪というものは、われわれヒトのような大きな生き物が、山を削り、谷を埋めて、硬い平坦でまっすぐな幅広の舗装道路を造って初めて使い物になる、ということがわかると思う。
舗装道路を帝国内にあまねく造り、車を走らせたのはローマ人である。しかし帝国が崩壊し、道路の維持補修がなされなくなった後には、その道をラクダやロバが背に荷物を積んで歩いていた。がたがたの道では、車は使えなくなったのである。
広く、まっすぐで、硬い道。階段のない、袋小路のない、道幅の広い町並み。これらは車に適した設計であり、戦前には、ほとんど見られなかったものである。」
この箇所を読んでいて、わたしが生まれ育った島田市の本通りの昔の姿を思い出した。プロレスの力道山が白黒テレビに登場したころだ。本通りを材木を積んだ馬車が通っていった。小栗康平の映画『泥の河』のような風景。自動車は三輪車のダイハツ・ミゼットとかマツダ・キャロル、スバル360などという車が走る。
島田市の駅前。通りには裏通りと表通りがあり、裏通りはときどきトラックなどが通ったが、駄菓子屋などがあって子どもたちの遊び場の延長だった。テレビでは十朱幸代(とあけ・ゆきよ)の『バス通り裏』が放送されていた。
近所の子どもたちで鬼ごっこをすると、夢中で逃げているうち、知らない家の土間へ走り込んで、そのまま裏口から裏通りへ出ていった。裏通りには「しもた屋」が並び、通りの奥へ入り込むと、蜘蛛の巣のように小路が縦横に通っていた。駅前でも畑があったり、大きな樹々があったり、板塀の向こうにはうっそうと樹々が生えた広々とした庭があったりした。迷路のような小路の奥には倉や小さな稲荷や社、お寺があった。子どもたちはその辺で遊びまわっていたし、自転車で走り回っていた。
路地裏には人間味があった。
今はどうか。縦横無尽に自動車が通る道が走る幾何学的な街。駅前は激変した。地元商店街は櫛の歯を欠くように消え、地元外の資本のビルやマンションが建ち、全国どこにでもあるサラ金、コンビニ、飲み屋ができた。これが車社会か。何か巨大な力によってローラーをかけられてしまったような社会。その車社会を維持するためには巨大な力を維持しなければならないだろう。持続可能な社会とは相容れないかもれしない。
古本の書き込み
2007.11.14 Wednesday
上はボールペンによる書き込み
下は鉛筆による書き込みとわたしのつけた付箋
古本を手に入れてがっかりするのは本に線が引いてあったり、書き込みがしてあったりするときだ。
しかも、ただ汚しているだけなのではないか?とさえ思われるような乱暴な線や書き込み。本を丁寧に扱っていない。
その本がじぶん以外のだれかに渡るかもしれないなどと想定して本を買ったり読んだりする人はそうはいないだろう。しかしじぶん以外のだれかの方が、じぶんよりもこの本の価値を充分に知っていて、それを引きだすことが出来るかもしれないと考える人はいるにちがいない。わたしは常々そう思いながら本を手に入れ、本を読んでいる。本は文化財なのだ(ただの書籍フェチかもしれないが)。
ある書物を手に入れると「あんたがその本を持っていること自体が、その本にとって不幸なんだよ」。そんな声がときどき聞こえる。豚に真珠、猫に小判、その本を持つ価値のない者としての自虐的な自覚をちょっと持っている。
ほとんど読んではいないんじゃないか、と思われる高い本に、乱暴な、子どもの落書きではないかとさえ思われるような無体なボールペンの線が引かれているのを見ると、怒りを通り越して絶望感におそわれる。線が引かれているというより、殴り書きして汚しているだけみたいだ。しかもそれらの線の箇所にはなんの脈絡もない。なんでこんなところにわざわざ線を引いたんだ?と思う。この本を最初に手にした人間の知性そのものが疑われるが、まさに、子どもがいたずら書きしてしまったので、しょうがない、古本屋へ売り飛ばしたのではないかとさえ思われるほどだ。
もう一つの本には、国語辞典で意味を調べたらしく、単語の意味をことごとしく記している。その本が学校の参考図書で、レポートでも書かされたのだろうか。たとえば「セレナード」には「小夜曲」と鉛筆書きで小さく注を記している。瞞着には「だますこと」と記している。しかしどうして本じたいに記すのだろう。調べた意味をいちいち本に記さなくてもよさそうなものだ。その本とともに墓場へ入っていく覚悟があるなら別だが。
わたしは付箋をつける。本を汚さなくてもいいし、付けた箇所がすぐに分かるからだ。
文句をつけるより新書を買えばいいだけの話かもしれないが、古本でしか見つからない本もあるだろう。本は文化財なんだ、知的共有財産なんだという書物観はとっくに時代おくれなのだろうか。本を手にする前に手を洗う人もいるかもしれない。わたしは昔、とろけるチーズ載せトーストを食べながら宝物のように大切していた本を読んでいたとき、夢中になっていたのか思わずトーストを本の上に落とし、しかもチーズが下になってしまい、大パニックに陥ったことがあった。「運の悪い男はパンを落としたときもバターを塗った面が下になる」というユダヤのことわざの通りだった。一生の不覚。
少なくとも書物に対する「畏れ」の感情は大事にしたい(とはいえ、トイレで本を読んでいるというのは「不敬罪」か?)。
見れども見えず
2007.11.12 Monday
週に一度、静岡市へ行く。先日、静岡駅から地下道をゆき、駿府公園に向かった。地下道から上の通りに出る。違和感があった。みょうに明るいのだ。何かがあったはずだと思った。たぶん街路樹があったのだ。なんども歩道を振り返る。たしかに何かがあった。歩道には覆い被さるような暗さがあったのだ。
同じ通りを歩いてきた同僚に後で訊く。「あの通り、街路樹があったんじゃない?」「さて、知らないよ」みたいなことを言う。
別の同僚に訊く。すると「アーケードがあったが、取り払ってしまった」という。ああ、そうか、アーケードがあったんだと思った。わたしも忘れていた。見れども見えずだ。
それにしても街路樹やアーケードを取り払えば青空が見えるのはいいが、何かものさびしいし、殺風景だ。街から商店が消えていくのだろう。静岡市は駿府公園のお堀ばたの街路樹を取り払って石(墓石みたい)を置いてしまったし、なにか変だなあと思う。
他者への、永遠のディスタンス
2007.11.09 Friday
もう30年ほど昔の話。ある先生の話を聞いた。授業だったか雑談だったか忘れてしまった。たぶんこんな話だった。
「宇宙人が宇宙からやってきて地上を見たとします。交差点で地球人がある機械の光を見て立ち止まったり歩いたりしていました。宇宙人にはその光の違いだけは分かりました。さて、この宇宙人が地球人にまぎれて侵入してきたとしたら、地球人と同じように行動できるでしょうか」という質問のような自問のような話。そしてすぐにじぶんで答えを言う、「同じように行動できますね。光の色の違いだけ分かればいい」。
なるほど、と思った。たとえまったく違った光の色に見えていたとしても光の色の違いだけ分かれば、進む・止まるの区別はその違いによって正しく判断できるはずだ。
「たとえばこう考えてみます。ひとりひとりそれぞれまったく違う色で信号の色が見えているとします。そしてそれをなにかによって証明したいとします。ここにいろいろな色のチョークがあります。たとえば『止まる』という意味の信号の色をこの中から選びなさい、とわたしが言ったら、皆さんはどのチョークを選びますか」
どのチョークって、ここに赤、青、白、黄、緑のチョークがあるけれど、「止まる」はこの赤いチョークだろ。他の色を選んだら、それこそ色盲かなにかだろう。とわたしは思う。
「皆さんはこのチョークを選びますよね」と先生は赤いチョークを取り出します。
ここでふと「はてな」とわたしは思う。みんなはどうして赤いチョークを選ぶのか。それはこの赤いチョークと、信号の赤(止まれ)の色とがいちばん近いと思うからだろう。万が一、信号の赤(止まれ)がたとえば人によってまったく違った色に見えていたとしたら・・・そうか!違った色に見えていたとしても、それは信号の赤(止まれ)を見てそう見えている以上、その赤に最も近い色はこのチョークの赤なんだ!
ということは・・・・・ということは、万が一、その信号の色が、人それぞれにまったく違った色として見えていたとしても、それを証明しようとして、いちばん近い色をこれらのチョークの中から選んだら、みんな同じこの赤いチョークを選んでしまうんだ!
わたしは悟った。
驚愕的な事実だった。ひとりひとりが玉手箱を持っていて、その中にじぶんだけの宝物を入れている。しかしそれを玉手箱の外へ出してみんなで見せ合おうとすると、たちまちその宝物は木の葉となって煙のように消えてしまう。そんな感じだった。
わたしが見ているこの世界、これを表象と呼んでおく。すくなくともわたしはじぶんの目で見ているこの表象ほどじぶんにも人にも確かなものはないと信じていた。その前提が崩れてしまい、奈落の底へ落ちるような感じがした。
換言すれば、この事実とは「わたしの(見ているこの)世界」が「他者の(見ているだろう)世界」と永遠につながらないという事実だ。いや、つながる・つながらないということさえ言えない。
個の内面世界とは永遠の絶海の孤島である。だからこそ、人はそれぞれの内面世界を絵画にしたり、詩にしたり芝居にしたり音楽にしたりして表現しようとする。そうして人に伝えようとする。「伝わるか・伝わらないか」永遠に分からないものを、おのれの存在をかけて伝えようとするからこそ、そこにコミュニケーションが生まれるのではないか。
「へだたりがあるからこそかかわりが生まれる」ということわざのとおり、ディスコミュニケーション世界から永遠に脱することができないからこそコミュニケーションしようとする意義があるのだろう。
映画でいえば、『パピヨン』の中の、絶海の孤島から奇跡的に脱出するパピヨンに用はない。その後のパピヨンほど魅力のない者はない。むしろ、実話には存在しないという、かれを見送る(ダスティン・ホフマンが演じた)友人ルイ・ドガに限りなく惹かれる。永遠に絶海の孤島から抜け出せぬ彼にこそ人生の隠された(=オカルト)意味があるのではないか。
個の内面のギアは自律・独立したギアであって、外世界のギアとつながるのか、つながらないのかは永遠に分からない。だからじぶんのギアと他者のギアとは二重の意味で分からない。それがかみあっているように感じるとすれば、それは(まったくの幻想かもしれないが)奇跡的なことだろう。その奇跡を信じる以外にない。
他者への、永遠のディスタンス。