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2011.05.04 Wednesday
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映画「母べえ」を深読みする
2008.01.29 Tuesday
映画「母べえ」は徹底的にささやかな日常を、そのなかに生きる庶民を描いている。思想や政治、あるいは戦争を大上段に直接的に描いているわけではない。しかし、人々のささやかな日常をこまやかに徹底的に描くことによって、日常に潜む非日常(正常に潜む異常)、平和に潜む戦争を、かえって印象深く浮かび上がらせているように思う。
映画「母べえ」を貫く徹底した庶民の眼。この眼が実は大きな時代の流れを捉えて放さない。
いま、映画「母べえ」が上映され、多くの人に観てもらうことは大きな意義を持つのではないか。
「父べえ」が治安維持法で逮捕される。父べえは「活動家」のようには描かれていない。むしろ家族四人をかかえる小さな平屋の一戸建てに住むしがない一学者だ。家庭でもごく普通のお父さん。彼の嫌疑は当時の中国への侵略戦争に反対していたということらしい。こういう人を弾圧して逮捕し、葬り去ってしまう権力や体制の悪をえぐり出し、あからさまに批判して描いてもいない。むしろその権力や体制を担う特高を、ごく普通の人(特別な人ではない)のように描き、母べえは捕らえられた父べえに娘を逢わせるため、特高にお茶まで出して徹底的に我慢する低姿勢だ。
検察官も父べえの教え子かつ権力の一端を担う官僚としての葛藤をほんの少しだけ見せていて、特別な人間としては描いてはいない。さらに父べえの師である(大きな屋敷に住む)たぶん帝国大学の偉い学者も、最終的には教え子から距離を置き、体制を支持するという葛藤をちょっとだけ描いている。あるいは警察署の署長である(であった)母べえの父の葛藤。この人たちを、体制を支える狂信的な権力の「手下」としては描いていない。庶民ではないがいずれも「さもありなん」と思わせる「中流」の人々だ。
だからこの映画に登場するすべての人々は現代の大多数の人々に通じるだろう。
義理の息子が治安維持法で捕らえられ、警察署長を辞めさせられた母べえの父親が、娘である母べえに父べえとの離婚を迫る。(署長として)「とんだ恥をかかされた」と言いながら、孫たちに当時はなかなか手に入らなかった牛肉を食べさせようとする。このときの母べえはしかし強かった。大人しい母べえが堪忍袋の緒を切って父親にあらがい、夫を信じ、夫が拘置所から帰るのを信じ、父親から離れて(父親から勘当されて)生きることを選択する。
母べえは時代に流されなかった。その時代をしたたかに受容しながらも、大切なものを守って生きた。権力や時代に流されない庶民としての生き方だ。
母べえは家族を愛し守るというささやかな庶民の生き方を貫く。ときには家族を愛し守るということが、体制や権力や時代に逆らうことになるかもしれない。
人々は、あるときは体制に巻き込まれ、あるときは体制を無意識に支持し、またあるときは時代の危機や矛盾に対して保身のために無関心を装い、反発し、判断を停止する。だから人々が「どちら」に転ぶのか、その境目は実はほんのわずかな距離しかないのかもしれない。父べえや母べえを悲惨な境遇に陥れる側に立つか、父べえや母べえを支え助ける側に立つか。その間は紙一重か、あるいは同時にその二つの側に立っているのではないか。それを象徴するのが母べえを助ける情の細やかな町内会長。かれは一方で国策を応援し戦争の時代に棹さす、よくありそうな庶民だ。
映画はこの「距離(のなさ)」を描いているのではないか。
日常のなかの非日常、正常のなかの異常、平和のなかの戦争、それら両者の渾然一体となった人々の生活。これは現在も同じだ。いや、現代ほどそれを強く意識しなければならない時代はないかもしれない。
だれが父べえを殺し、母べえとその周りの人々を不幸に陥れたのか。そしてだれが国家を敗戦に追い込み、滅ぼしたのか。この映画はその「だれか」を直接的には糾弾していない。が、この映画を視る者の心に強く焼き付けられるものがある。このアノニムな「だれか」とは、あるときにはわたしであり、またあるときにはあなたかもしれない。
堤未果(つつみ・みか)さんの講演会のお知らせです
2008.01.29 Tuesday
映画「母(かあ)べえ」
2008.01.27 Sunday
浦和市で映画「母べえ」を観た。主演は吉永小百合。
しみじみとしたいい映画だった。ノンフィクションを映画にしたらしい。家族の愛と慎ましくやさしく、しかし芯の強い母親の姿を描く。古い時代(戦前)の町や家や人々の暮らしも。ちょっとだけ映画「日本の青空」と「三丁目の夕陽」と「佐賀のがばいばあちゃん」を思い起こした。
家族四人がそれぞれを「〜べえ」と呼び合っている不思議な家族。それだけでどんな家族なのかふんいきが伝わる。父べえ(板東三津五郎)はドイツ文学者らしいが、反戦思想家だったらしい。
いろいろな人物が出てくる。なにげない言動がみんな無理なくリアル。「ああ、みんな、こんなふうだったんだな」という感じで、戦前の日常が描かれる。
上の娘が死にたいという悩みを拘置所にいる父親(治安維持法で永く捕まっていて、もう先がないふうに見えた)に手紙に書くのは「父べえ」を心配させるのではないかと母べえに相談する。すると母べえはちゃんと父べえに手紙で相談しなさいという。夫がどんなに娘たちを思い心配しているか。その思いを妻はよく理解している。
永遠に女性的なるもの、ということを言った文学者がいた。この映画には永遠に母なるものへの憧憬があるが、それだけではなくて、聖でも俗でもない古き良き時代のささやかな庶民的なもの(つつましくてたくましくてやさしい)への憧憬があるように思う。
脇役のような一人の教え子の若者(浅野忠信)。実はこの人がすべての人をつなぐこの映画の中心ではないかと思った。さらにトリックスターのようなおっちゃん(笑福亭鶴瓶)も出てきておもしろい。父べえの妹の画家志望の壇れいもいい。さらに倍賞千恵子や大滝秀治さえちょい役で出てくる。ちびまるこちゃん姉妹みたいな娘たちもいい。
考えてみると、とんでもなく悲惨で不幸でみじめな話なのだが、しみじみとしてその悲惨さを感じさせない。なぜなのだろう。
この世に(生きて)あることはすばらしい(Hiersein ist herrlich)と歌ったのはリルケの『ドゥイノの悲歌』(第七の悲歌)だった。
映画のさいご、天上からの声のように父べえの声が妻である母べえを歌う。しみじみとした詩の朗読。場面はかつて日々いそがしく立ち働き娘たちを育てていた母べえの姿を映し出す。
Macによる蔵書目録
2008.01.23 Wednesday
この前また同じ本を買ってしまった。以前買った本を書庫に埋もれさせたまま忘れていたのだ。そんな複数の本がもう何組もある。中には同じ本を3冊買ってしまったこともある。
いつか書庫の整理と蔵書目録をつくりたいと思いながら何もしてこなかった。以前ならハイパーカードで目録をつくろうと思っただろうが、もうそのような時代ではない。で、フリーソフトを探した。Booksというもの。
これはすぐれものだった。ISBNの番号だけ打ち込むと、たちどころにAmazonから書名・著者名その他の情報をひっぱってきてカードに自動的に貼り付けるのだ。しかも写真つきで。外国の本もOK。ドイツ語なども文字化けしないようだ。
すべての蔵書をデータベース化するのは一生無理。少なくともジャンル別で一部の目録ができればいい。しかし昔の本にはISBNなんて番号は付いていないから、これは手動で入れるしかない。英語版なのでわかりにくいというのも難点だが、それらを上回る便利さがありがたい。
高杉一郎『極光のかげに』
2008.01.14 Monday
『極光のかげに』(岩波文庫)の高杉一郎氏が亡くなった。1月9日。99歳。
苛酷なシベリア抑留記録を残している。しかしそのタッチはあくまで理性的で冷静だ。誠実さがにじみ出ている。極限状況下での体験を語るとき、人は「問わず語り」にじぶんの人間性を語ってしまうのだろう。文は人を表すのかもしれない。
シベリア抑留の体験を語る人たちは多いが玉石混淆だ。高杉一郎のほかには、石原吉郎の『望郷と海』(ちくま文庫)や長谷川四郎の『シベリヤ物語』(講談社文芸文庫)。高杉と石原にはエスペラントという共通項がある。それぞれに「血で」書かれた書物で、いわばわたしの人生の書。
上の写真の文庫本で現在、書店で手に入るのはいちばん右の高杉一郎『征きて還りし兵の記憶』(岩波現代文庫)だけのようだ。この『往き・・・』を読んで、戦後の51年から高杉が静岡大学の教員をしていたことを知った。映画『日本の青空』の主人公の憲法学者・鈴木安蔵も52年から静岡大学の教員となっている。同僚だったのだ。戦後の新制大学の息吹というか雰囲気が伝わってくる。二人には交流はあったのだろうか。
足るを知る──胡同の理髪師
2008.01.10 Thursday
足るを知る。
昨晩TVニュースを観ていたら、中国映画の『胡同の理髪師』に出てくる実在の93歳の現役理髪師がインタビューされていた。老人は今も北京の胡同(フートン)に生きている。
北京オリンピックが来ますね、北京もずいぶん変わったでしょう?オリンピックを見に行きますか?と質問されて、オリンピックが来るまで生きているとは思わなかった。オリンピックのお祭りを観ることができればありがたい。と、笑いながらたしかこんなふうなことを言っていた。この老人が好きなことばが「足るを知る」ということばだそうだ。
この映画は岩波ホールで2月9日から公開されるという。東京へ行く機会があればぜひ観たいと思った。
開けられます
2008.01.09 Wednesday
満員電車にゆられながら、ドア近くを見ていた。
目の前に「非常用」という赤い表示があった。その下には、
「この下のハンドルを手前に引けば/ドアは手で開けられます」とあった。
その下は英語で記されていて、
「PULL THE HANDLE
THE DOORS CAN THEN BE OPENED MANUALLY」
とあった。
「開けられます」は、「可能」の意味なのか「受動」の意味なのか、これだけ単独に取り出せば分からない。文脈から「可能」だと分かる。英語なら「CAN」という助動詞を使い「可能」という意味が明確だ。英語は「可能」と「受動」とはまったく違うことば(文法)で表現する。しかし日本語だと「可能」と「受動」が同じ「れる」「られる」いう助動詞で表現される。どうしてだろう?とふと思った。
日本語の環境下(つまり日本の社会)では「可能」は「受動」的なものだったのだろうか。「受動」によって「可能」になるということ。「じぶんが〜する」ことによって何かが可能になるのではなく、「だれかによって〜される」ことによって何かが可能になってきたという歴史を物語っているのだろうか。とふと思った。
さらに日本語では「れる」「られる」は「尊敬」をも意味する。つまり(◯◯様が)「〜られる」ことによって何かが受動的に「〜られる」ことになり、それによって何かが「〜られる」(「可能」)になってきた歴史があるということだろうか。とふと思った。
しかし現在では「ら」抜きことばがはやっている。つまり「開けられます」ではなく「開けれます」という。これは「可能」「受動」「尊敬」の渾然一体状態からの「可能」の差別化だ。「可能」がようやく「受動」と「尊敬」から離れることができた、ということなのかもしれない。とふと思った。
日本語は日本人の暮らしの歴史を物語るのかもしれない。と電車にゆられながら思った。
たのしみは日常のなかにあり
2008.01.09 Wednesday
たのしみは 三人の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みるとき
江戸末期の国学者・橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌。「三人」は「みたり」と読むのだろう。
このような「たのしみは・・・とき」という歌を五二首もつくっている。学者のくせに日常のなにげない生活の歌を詠んでいるのがいい。たのしみはたくさんあるといい。わたしには五二首はとてもつくれない。
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見るとき
この歌を前米国大統領のクリントン氏が日本からの貴賓の歓迎スピーチで引用したのだという(1994年6月)。米国大統領が知っていたとはおどろきだ。
たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時
「妻子」は「めこ」と読むのだろう。「物」だから「食事」とはかぎらない。果物などかもしれない。あるいは知人からいただいたお菓子かも。それを「妻子」どもにあげたのだろうか。「妻子」どもには「くふ」などという卑俗な語を使っている。しかしそうはいいながら家族の団欒のひととき、本人はその中に入らずに、端から家族の楽しむ様子を見て喜んでいる感じ。この歌の眼目は「頭ならべて」。「かしら」と読むのだろう。親父からすると、ほんとうは「雁首(がんくび)をそろえて」と言いたいのかもしれない。家族の仲のむつまじさ、安寧が具象化され、妻子どもへの愛情がにじみ出ている。子どもらへの愚痴を並べながら、愛情を述べる五柳先生(陶淵明)の「子を責む」を彷彿とさせる。
たのしみは 一日終えて 家帰り 家族そろって 飯を食うとき
これはわたしがマネて詠んだ歌。もちろんじぶんも食卓にまじってビールを飲んでいる。ほかにはたいして楽しみもないというのがちょっと切ない。
まったりお正月
2008.01.01 Tuesday
年末に例年になくかなり以前から正月飾りを買ってきたら、そういえば喪中だったことを思い出して飾るのをやめた。それでもいちおうお正月。家族そろって雑煮。静かなお正月だ。
大晦日にデジカメ写真をプリントアウトして小さな写真立てに飾った。透明なガラス二枚を重ねた、写真を挟む簡単なもの。南側に立てると陽が後ろから差して、ちょうどバックライトが付いたように少し明るくなって浮き出る。机の上にあるいちばん右側の写真立てがそれ。なかなかいい。
机の上にある本は『物語 イタリアの歴史』(藤沢道郎/中公新書)。はじめの章からおもしろい。
「390年といえばテッサロニケの暴動が起こった年だが、この暴動ほどローマ帝政末期の民心の荒廃を物語るものはない。長期にわたる皇帝独裁体制の間に、ローマ市民はかつての覇気も剛直の精神も失い、政治的権利を奪われた代償として与えられる『パンとサーカス』、すなわち社会保障とレジャー娯楽に満足して、理想も道義も忘れ、辛い労働は奴隷に任せて、安穏にその日その日を送るのを当然と考えていた」(7ページ)。
著者は暗に現在の極東のある国を脳裏に思い描きながらこれを記していたにちがいない。
「立派な競技場、劇場、闘技場が建てられたが、劇場では高尚な悲劇でなく、もっぱら猥雑な喜劇とストリップショーが演じられ、競技場では市民のスポーツではなく、高度の技を身につけたプロの騎手による凄まじいスピード・レースが展開し・・・」
「猥雑な喜劇とストリップショー」など、すぐに現在のTV番組を想起させる。プロ・スポーツが「見せ物」となり「市民のアイドル」となっていたというのもまったく同じ。
「独裁体制のもとで政治参加を封じられ、パンとサーカスによって腐敗させられた帝国市民大衆は、もはや国を守るためにも経済を立て直すためにも、何の力にもならなくなっていた」という。「だが、帝国市民の中には例外があった。すなわちキリスト教徒である」。つまり帝国は「キリスト教徒以外に依るべき基盤を見出せなかった」。「コンスタンティヌス大帝の断行したキリスト教の公認・国教化の政策は、まさしくこの政治的必要から発したのであって、大帝自身がキリスト教に帰依したからではない」。骨のある市民は、かつて帝国が弾圧したキリスト教徒しかいなくなってしまったらしい。しかし、ここからキリスト教ヨーロッパ文明が生まれてくる。
この辺りを読んで、明治維新のおり、大日本帝国建設のためにヨーロッパの大都を訪れていた伊藤博文が、政治権力だけでなく、もう一つの精神的支え(つまりキリスト教にかわる国教)の必要を身にしみて感じ取って帰国したことは想像に難くない、と思った。
そこで明治政府は市民が「皇帝」を信仰・崇拝する国教をつくりあげ、宗教と政治とを不可分に結託させる帝国憲法をつくりあげたのだろう。現在でもこの「手法」は有効なのだろう、権力はじわじわと宗教と政治とをにじり寄せつつあるようだ。新しい教育基本法にはそれが現れていて、なにやら宗教がかっているところがある。やがて改憲か・・・などということも新年そうそう考えてしまった。
それにしても、透明なガラス二枚に挟みこむ簡素な写真立てはいい。簡素で質実剛健、後光が差している。