mojabieda Blog
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『古代ギリシアの旅』を読む
2008.02.27 Wednesday
写真はマイアンドロス川の記述と写真
2月12日。高野善郎『古代ギリシアの旅』読了。おもしろかった。写真が豊富。冒頭にイオーニアーのミーレートスの港を守っていた伝説の?二頭のライオン像らしきものの写真がある。こういうのをきちんと写真として眺めると、古代が実証的に明らかになるとともに、さまざまな古代への想像が沸々と湧いてくる。発音もギリシア語の発音にのっとって長母音で記されているので、古代の「言霊」が蘇ってくるような感じがした。
筆者は女神へーラーに注視する。古代の母系制社会の地母神らしい。文明には時計回りの文明と反時計回りの文明とがあるという。現在の文明は反時計回り。古代オリンピックは時計回りだったらしい。ギリシアは時計回り、ローマは反時計回りだったのではないかという。
数ある写真はすべて廃墟だが、かつて建てられていた神殿の残存部分をきちんと収めて、神話の舞台と現実の土地とをむすびつけている。建築と神話と芸術と哲学を中心にギリシア各地を渡り歩いて、上記のようなユニークな説を唱える。さらに母市と植民市との地勢的な関係、神話の共有など、さらに風土から生まれてくるらしい哲学など。
古代ギリシアに触れるたびにいろいろ考えさせられる。現代の西洋文明は世界史の最先端をゆくように見えるが、むしろ最後尾を走っているにすぎないのではないか。
16世紀ころになってようやく古代ギリシアの文明に西洋が追いついた。しかし現代の西洋文明はかつて歴史上に存在したものをかき集めたものまねパッチワークのようなものにすぎないかもしれない。
古代ギリシアは他の文明のものまねではない。もちろん古代ギリシアにも先行する文明があった。エジプトとメソポタミアとミケーネ。しかしそこからまったく新しいもの、ことばの真の意味でユニークな文明を創造した。最初にして最高のものではなかったか。個としての人間の精神がここまで高められた時代はなかったかもしれない。そんなことを考えた。
その古代ギリシアの高い文明に古代ローマがしびれ、ものまねし、似て非なる文明を作りあげ、さらに西洋がその古代ローマにしびれ、ものまねし、似て非なる文明を作りあげた。のではなかったか。そうして近代になって世界中がこの西洋の文明にしびれ、ものまねをはじめたが、この先はいったいどうなるのだろう。たしか古代中国のことわざに「邯鄲の歩」というものがあった。そんなことまで考えてしまった。
イオニアとか南イタリアとかシチリアとかいう周辺部分の事情に詳しい。周辺(ギリシア植民市)から中心(ギリシア本土)の本質が見えてくるかもしれない。この書と加藤静雄の文庫『古代シチリア連想の旅―わたしの大ギリシア周遊記』(かなり昔の本)とをいっしょに読むとさらにおもしろい。こちらはマグナ・グラエキアの入門書のような文庫本。
つけたし。英語でメアンダー(meander)とは河が蛇行する様子を表しているが、これがイオーニアーのミーレートス付近を流れるマイアンドロス川から来ているという。この川の写真も載っていた。
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映画『母べえ』の告発は現在にむけられている
2008.02.23 Saturday
「父べえ」を投獄し(結果的に殺害し)た国家権力の罪は永久に問われないことになりそうだ。
映画『母べえ』には戦前・戦時下に治安維持法で捕らえられ、獄中で亡くなったあらゆる人の象徴として父べえを登場させている。獄中で殺された人々、たとえば小林多喜二という文学者、獄中で(戦後)病死した三木清という哲学者、そのほか大勢。
これら「国家権力の犯罪」は戦後きちんとした形で裁かれて来なかった。
戦後もこの国家権力を担う側の人員・人脈は基本的に維持・確保されてきた。軍人でさえ「◯◯隊」という形で復活している。本質的に国家権力による犯罪とその隠蔽とは戦前も戦後もなく一貫して続いているのではないか。その証拠は「横浜事件」に対する司法の扱いに象徴されている。
横浜事件とは戦時下の最大の言論弾圧事件。雑誌の編集者らが治安維持法によって捕らえられ、「戦後」にかけて有罪判決をうけ、獄中で拷問死した人も、戦後になっても長く解放されなかった人たちもいた。
この事件の元「被告」たちが起こした訴訟を、一審も二審も「免訴」とした。つまり裁判の打ち切りである。司法は元「被告」側の声を聞くことさえしない。そうして最高裁も「免訴」を確定するらしい。
戦後になっても「父べえ」たちの「不当逮捕」や「拷問」や「獄中死」や「でっちあげ」やらの事件の犯罪について、国家は永久に目をつぶり、闇に葬り去り、その罪を明らかにしないことが現在確定しつつある。
このようにして国家による犯罪と隠蔽は未来永劫につづくのだろう。今後さまざまな形で言論封殺・弾圧事件が起こっても、その真相が国家によって明らかにされることはないのかもしれない。マスメディアが時代に添い寝して国家権力の走狗となっている理屈がよく分かる。
「父べえ」の魂は永久に浮かばれない。映画『母べえ』の「告発」の照準ははからずも現在の日本に向けられている。映画は戦中ではなく「今」を映し出している。
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2008.02.11 Monday
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春の香
2008.02.10 Sunday
豊岡梅園に行く。大人500円。梅はまだまだ蕾だった。枝をたくさんもらった。梅干しも。
家の玄関に今朝また水仙を生けたが、別の花瓶にもらった梅の枝も生けた。香りがまざる。春の香りか。
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映画「母べえ」のピアノ曲?
2008.02.06 Wednesday
映画「母べえ」に流れているピアノ曲はバッハの『インベンションとシンフォニア(Invention und Sinfonien)』の中の「3声のためのシンフォニア第6番ホ長調 BWV792」かもしれない。テンポがあまりにゆっくりなのでよく分からないけれど。わたしはウェーバージンケでこのじんわりとした曲を聴いている。
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もう一つの人生
2008.02.04 Monday
「もう一つの人生があったのではないか」という思いにときどき駆られる。それはたんなる過去への回帰あるいは逃避なのだろうか。過去への回帰は甘いセンチメンタリズムが伴う。この「もう一つの人生」への思いは、むしろあきらめの感情と隣り合わせのようだ。「遠くへ行きたい」という30年以上もつづいているテレビの長寿番組があるが、あのメロディに浮かんでくる悲哀にも似た郷愁にも惹かれるけれど、それほど強い悲哀でも郷愁でもないようだ。なにか淡々とした思い。
長い間手に入らなくてずっと欲しかったもの。それがようやく手に入った。手に入ったら、なぜかきゅうに虚しくなった。いったいそれが何だったんだ?と自問する。むしろ手に入らなかったときのほうがよかったんじゃないか・・・そんな思いにも似ている。
逆境のなかでしゃかりきに生きているときにはそんな悠長な思いは生まれてこない。しかしマイナスが0になったとき、何を求めて生きているのか(きたのか)が問われてくる。たとえ0からプラスを望んでも、その望みが果たされたときまた0にもどる。
とりあえず人並みに食べてゆける暮らしになったとき、とりあえずやっかいな問題が解決したとき、とりあえず・・・その先に何を求めて生きるのだろう。むしろ、より強く人生の「限界」を感じて生きるのではないか。
高野善郎という自然科学者の著『古代ギリシアの旅──創造の源をたずねて』(岩波新書)を読んでいたらリルケの『ドゥイーノの悲歌』(第二の悲歌)が引用されていた。訳が柔らかくて、この詩の内容にぴったり合う。
おんみらはアッティカの墓碑に刻まれた
人間のたたづまいのつつましさに
息をひそめたことはなかったか
愛と別れとは私たちの場合とは別のものでできているかのように
そっとふたりの肩の上におかれているのではないか
想いたまえふたりの手を
からだには力が満ちているのに
その手には力がこもることなく触れ合っているのを
自らを抑えているこの人たちは知っていたのだ
これが私たちのなしうる限りであることを
そのようにそっと触れ合うことが
私たちのありようであることを (上原和訳 一部筆者の加筆)
「もう一つの人生」がもしかしたら「本来のわたしの人生」なのかもしれない。孟子ではないが、すっかり喪われてしまっていてじぶんでも探し方が分からない。だから世界に触れ、人に触れ、書物に触れて探す(想起する)しかない。「学問の道は他なし。その放心(喪われた本来の心)を求むるのみ」にあやかれば、人生とは「本来のわたしの人生」を探す(想起する)だけなのかもしれない。いわば「求道すでに道」なのだろう。
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いじめられる側を排除する
2008.02.01 Friday
2月1日の今日、明日開催予定の日◯組の教育研究の全国集会が会場使用拒否によって全体集会中止となった。このような事態は平和憲法となった戦後はじめてだという。これは戦前回帰の一現象だろうか。ともかく「世界的」で「画期的」なニュースだ。
一度受け容れておいて、あとで拒否する。裏からどのような圧力あるいは後押しがあったのだろうか。ホテルはプ◯ンスホテル。裁判所の仮処分で会場使用を認められたにもかかわらず、会場側が拒否することができるなら裁判所って何。
集会の自由とは「言論の自由と併せて自由民権運動の要求項目の一つであり、民主主義などの要件の一部と考えられている。日本国憲法第21条第1項で規定されている」という。
集会を妨害する側の取り締まりができなくて集会を取りやめさせることができるなら、これ以降さまざまな暴力手段を結集して集会を妨害すれば「集会の自由」など絵に描いた餅だ。はびこるのは暴力。
さすが「自由」と「民主主義」の放置(いや法治だったかな?)国家。さすが首都のトーキョー。これには有力政◯屋や◯庁(有名俳優の兄)や◯安や◯視庁も一枚かんでいるかもしれない。
いじめをなくすためにいじめられる側を排除する社会は、陰湿ないじめと暴力をますます深化・発展させるだろう。
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映画「母べえ」と原作の違いなど
2008.02.01 Friday
昨日、『母べえ』(野上照代/中央公論社)読了。原作と映画の違い、原作と現実の違いが少し分かる。原作は「母べえ」というよりむしろ「父べえ」とでもいうべき内容。家族の中心はつねに「父べえ」で、拘留中の父べえと家族との往復書簡が原作の柱となっている。
まず原作と映画のおもな違い。
1 秘かに母べえに惚れている山ちゃんは原作ではエミちゃん(映画では久子・壇れい)にほれている。
2 原作には時代がとつぜん現在にワープして母べえが危篤になる場面はなく、戦中の獄中の父べえの突然死で終わる。
3 母べえにやさしい町内会長は原作には出てこない。原作で家族を助けるのは父べえの同窓生の(高級?)官僚だ。
4 山ちゃんが徴兵にとられて戦死するというのは原作には出てこない。
5 エミちゃんが広島の原爆で亡くなるという話は原作にはない。
6 父べえと親しいはずなのに距離を置く大学教授らしい(父べえの)師や検察官である(父べえの)教え子は原作には出てこない。
7 映画の題名は「母べえ」だが原作のもともとの題名は「父へのレクイエム」(映画化のときに「母べえ」と改題)。
題名からしてもやはり「父べえ」中心の話が映画は「母べえ」中心になっている。また、背景にある戦争の時代をより鮮明に浮かび上がらせているようだ。
さらに原作と実際との違い。
1 現実の父べえ(野上巌/映画では野上滋)は治安維持法で捕まり1年未満で釈放されて、戦後を無事に生きる。57歳まで生きたというから、肝心なところが映画・原作と違う。
映画では悲惨なはずの戦争の話が妙にほのぼのとして明るいし、細かいところが妙にリアルだなあと思っていたが、それらは登場人物たちが戦争で直接亡くなるわけではないらしいことと、実際には父べえが戦後にも生きていて、家族との往復書簡をていねいにまとめていた経緯があることからくるのだと感じた。
どうして「父べえ」中心の話を映画は「母べえ」中心に変えたのだろう。原作者の野上照代さんの個性が「母べえ」構想に似つかわしかったのだろうか。あるいは山田監督がはじめから吉永小百合を「母べえ」に想定していたからだろうか。
もともとこの映画製作のきっかけは戦争への怒りをぶつけた夭折の天才詩人(フィリピンで戦死した)竹内浩三らしい。この詩人が原作者と映画監督を結びつけたらしい。ふしぎな機縁だ。
竹内と同じように、戦争と戦争の時代への怒りが山田監督の映画製作の動機としてあったのかもしれない。もちろんそんなことは一言も言ってはいない。「映画は編集を終えると時として焼物のように窯変(ようへん)をおこす」(『母べえ』のまえがき)と、はからずも時代を写し取ったのだと監督は述べているだけだ。
原作にはない、現代の病院で母べえが息をひきとる場面──「生きている父べえに会いたい」と最期のことばを残す場面は、あの戦争が現在もなお続いていることを意味しているのだろう。みずからを裁かなかった日本の戦後は同じ過去を繰り返すかもしれない。
神は細部にやどるといわれるが、ホームドラマを描きながら、その向こうに戦争の時代をしっかりと捉えている。
付け足しにもう一つ思ったのは、父べえ(野上巌・ペンネーム新島繁)は詩人でもあったらしいから、父べえの詩集を出版したらどうだろう?父べえは詩集を出すのが夢で、「知られざる星座」と詩集名もつけていたらしい。ぜひどこかで出版してほしいと思う。今ならきっと売れます。
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