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岡部伊都子さんが亡くなられた


 岡部伊都子さんが亡くなられた。

 岡部さんの本ではじめて買ったのは『観光バスの行かない・・・』という新潮文庫。77年。著者が誰なのかも知らずなんとなく買った本だった。岡部さんらしい(当時は)埋もれた古寺の巡礼記。

 それから『沖縄からの出発』(講談社現代新書)。92年に買った。これはじっくりじっくり読んだ。沖縄へ旅行したときには持参した。岡部さんと沖縄とのかかわりがよく分かった。靖◯とか集団自決をうんぬんする人はかならず読んでほしい本だ。わたしの貧弱な読書体験はこれだけ。

 岡部さんはいつも独りのようだったが、けっして独りではなかったと思う。しかしニライ・カナイへは一人静かに旅立った。ご冥福をお祈りします。



JUGEMテーマ:読書


mojabieda * 読書 * 20:08 * comments(0) * trackbacks(0)

忘れがたいシーン

 DVDに録画した『世界ふれあい街歩き』を観た。

 シチリア島のラグーサの街。

 カメラは街の中を徘徊する。

 真っ青な空とちょっとくすんだ白い壁の家。すてきな民家のベランダから見下ろす谷の斜面に寄り添う旧市街イブラ。全体が魚の形をしていて、頭の方がラグーサの街の発祥地だという。

 カメラは狭い坂道を時間を遡るように旧市街へ降りていく。

 街ができたのは5、6世紀のビザンチンの時代という。それからアラブの時代がつづく。

 とつぜん現れた犬を連れたきれいなお嬢さん。白い建物がつづく街路。3メートルほどの高さの重厚なドアの家の中にカメラも入る。通路をゆくとパティオが見える。広い庭にはオレンジが実る。祖先は千年前にスカンジナビア半島からやってきたのだという。ある貴族のホームシアターはまさに劇場。今は一般に「も」演劇などに開放されているという。ロイヤルボックスには一族しか入れないらしい。貴族という種族がまだ生き残っている街。

 さて、こんどは下町へゆく。庶民が暮らす新市街らしい。洗濯物を二階の窓辺に干すおばあさん。

 カメラはとある靴屋に入る。夕方近く。年季の入った道具を使う親父さん。1935年生まれ。「『老人』じゃない。年を取っているだけさ」という。いかにも叩き上げの職人。人生の風雪に耐え、ようやく和やかな日だまりの中でゆったり時間を送っている風だが、まだ現役バリバリ。

 「出来たかしら?」そこへ女性が入ってくる。逆光の玄関に立つシルエット。きちんとした身なりのご婦人。親父さんはだまって店の奥から刺繍入りの上履きを取ってきてテーブルに置く。「底のゴムがとれてしまったので直してもらったのよ」という。いかにも上品なおばあさん。よくいらっしゃるんですか?「ええ、とても腕がいいから、彼がいなかったらどうしましょう」。勘定をすませて「グラーチェ」ということばに親父さんは穏やかな似顔で答える。おばあさんはカメラにもあいさつして、ちょっとはずかしそうにそそくさと出口へ去る。玄関を出るとゆっくり歩いてわずかに振り返る。

 カメラはまた親父さんにパンする。エレガントな方ですね?「そうだね。エレガントというよりも良家の方なんだ」と親父さんはいう。靴屋の親父さんはじぶんに言い聞かせるような真面目な顔をする。カメラはゆっくり靴屋を後にする。親父さんはちょっと照れていたのかもしれない。やがて夕暮れが迫る店のなかで、仲の良い近所の親父さんたちとまた話し込むのだろう。

 カメラはある一瞬の場面に立ち会った。忘れがたいシーン。




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mojabieda * テレビ番組 * 18:00 * comments(0) * trackbacks(0)

ドイツ・ハルモニア・ムンディ設立50周年記念限定BOX



 『ドイツ・ハルモニア・ムンディ設立50周年記念限定BOX(50CD)』が発売されたという。知らなかった。50周年だからCD50枚か。

 タワーレコードだと、おどろくなかれ5390円。しかしすでに「取扱終了」になっていた。

 アマゾンを見ると8586円で「予約」扱いになっている。とはいえこの値段でもたまげる。

 「HMV」のページを見る。Disc1から50までの内容。これだけの古楽を集めてこの値段とは。



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mojabieda * 音楽 * 21:13 * comments(0) * trackbacks(0)

逆転勝訴

 きのうの4月24日にある判決が出た。東京高裁が尾崎善子教諭の自死は公務災害と認めた。

 2000年に尾崎さんは過重な仕事によってうつ病になり自死した。母親が公務災害と認めるよう訴訟を起こしたが1審の2007年3月の静岡地裁判決では公務災害とは認められなかった。

 逆転勝訴である。

 うつ病の発生と過重な仕事との関係を正しく判断するためには、つまり病気の発生を本人の性格のせいにしないで過重のしごとが原因であることを正しく判断するためには、本人や関係者の残した仕事や病気に関するさまざまな(膨大な?)公的・私的資料が証拠として必要だったろう。原告側はそれを丹念に拾い集められたのだろうということを想像する。

 この判決は教育界では画期的。全国にもっと知られていい。

 とはいえ、ここで思い浮かべてしまうのは『老子』の「大道廃れて仁義あり」。

 こういう痛ましい事件が起きて公務災害と認めざるをえないほど、現場に拡がっている日常的な学校の矛盾、多忙化、仕事の過重さ・・・。

 二度と起こしてはならないために必要なことは何か、ということを当局は遅まきながらも真剣に考えるべきだ。が、控訴を考えているかもしれない。つまり仁義さえないかも。


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mojabieda * 組合 * 21:58 * comments(0) * trackbacks(0)

『古代出雲への旅』を読む


 副題が「幕末の旅日記から原風景を読む」。

 昨年の11月に家族で静岡市の古着屋に行ったおり、暇つぶしに向かいの古本屋に入って買った本。値段は定価の半額。読了するまでに半年かかったのは、「読み終えるのが惜しい」本だったから。毎日ちょっとずつ「舐めるように」読んだ。

 出雲の国は平田の商人、小村和四郎(おむら・わしろう)という国学を学んだ55歳の幕末の篤志家が、『出雲風土記』を手に、地元の出雲の国の古き神社を巡る旅をはじめる。その『参詣記』という旅日記をぐうぜんに著者の関氏が発見する。そうしてその関氏がその『参詣記』をたどる旅をはじめた。

 ここで興味深いのは、『出雲風土記』においても、地元の役人が地元の港町や山村などを巡りながら風土記の記述をしている点。つまりこの『古代出雲への旅』はある意味で古代・近世・現代という「三重の旅の紀行文」でもある。

 古代と近世は時代的にかけ離れてはいるけれど、『風土記』の源泉にある古代の神社や天地山水への厚い信仰はあまり変わらないようだ。そうして近世と現代は、和四郎や和四郎が出逢った人たちの子孫が現代に生きている点でしっかりと現代に結びついている。こうして三つの時代が微妙に重なって、古代出雲がよみがえり浮かび上がってくる。

 旅も本も出逢いだ。

 いままで『出雲風土記』を読んだことはなかったし、一冊の本もなかった。

 このあいだ、たまたま買い物に出かけて出会った古本市をあさっていたら、岩波の古典文学大系の『風土記』を見つけた。すぐに買った。500円だった。

 別の日に見つけた『宇宙戦艦ヤマト』の三巻本が900円だった。子どもたちのためにヤマトを買った。店の人が「ネットで売れば高くなるよ」と言ったが、子どもたちの宝物になった。もちろん字はまだ読めないので、子どもたちはちょこんと体育座りをしながら間に閉じてあるカラー写真を眺めている。ついでに文字だらけの「ひみつ」のページもゆっくりゆっくりめくっているところがかわいい。





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mojabieda * 読書 * 06:06 * comments(1) * trackbacks(0)

わけの分からぬ不気味な者

 きのうのこと。なんであんなに怒ったのか。

 周は声が聞こえないようにつぶやいていた。だから日頃なにげなくつぶやいているはず。それが不気味だったのだろうか。わけの分からない不気味な者のように感じて、それを怖れたのだろうか。

 人の心の中までは支配できない。子どもの心の中を支配はできない。しかし支配しないと不安になるのかもしれない。子どもが何を考えているのか、何を思っているのかを知らないと不安なのかもしれない。

 何か得たいのしれないものに対する警戒と不安。子どもが自分のコントロールを離れてゆく不安と警戒。

 感情をむき出しにして怒ったわりには、わたしはどこか冷めていた。どうしてだろう。あきらめていた?

 周じしんはあまり自覚がないのかもしれない。しかし、あきらかに「幼児」から遊離しつつある。いいにつけ悪いにつけ自我を明確に持ち始めている。そういう目覚めは周は早いのかもしれない。

 雨降りの夕方の保育園の帰り、いつも混雑する、信号のない交差点を左折したときのこと。なかなか左折できないでいらいらしているところへ、はやく車を出さないので後部座席にいた周は「・・・バカ・・・」と、ほとんど聞こえない声でつぶやいた。わたしはその場で切れてしまった。

 ともかく怒ってはみたが、解決するわけではない。「じぶんの思いどおりに行かないからといって、人にむかって『馬鹿』なんて言うな」という諭し方しかできなかった。しかもコソコソとつぶやいて、聞こえなければいいみたいなゆがんだ、ひがんだ、いじけた行為がよくない、気持ち悪い。それをどう教えたらいいのか。

 文句があるならはっきり言いなさいと言うべきなのだろう。思っていることがあるなら、言いたいことがあるならきちんと相手に向かって主張すべき。とはいえ、じぶんの思ったとおりにすべてがなるわけではない。この矛盾。

 大人はこの矛盾の前に引き裂かれている自分をいつも感じている。「なるようにしかならない」くらいに半分人生から降りている。思っていることを言わないというのが世渡りの術としてたぶんすでに身に付いている。しかし思っていることを言わなければそのうち不満がたまるし、生き方が後ろ向きになるだろう。こうしていわゆる「大人」ができあがってゆく。「大人は子どものたそがれ」というが、なれの果てみたいなものか。少なくとも子どもなら、思っていることをはっきりと言うべきだろう。KYなんか関係ない。傍若無人であるべし。

 だとしたら何を教えなければならないのかははっきりとしている。人にむかって「ばか」ということもよくないが、はっきりと相手にものを言え、こそこそつぶやくなということだ。そうしてぶつかり合っても、あくまできちんとことばで分かり合おうとする努力をすること。

 なんとなく問題が明確になってきた。日頃、わたしが「言うことを聞きなさい」と強圧的に抑えつけているから、こそこそするのに違いない。抑えつけることの弊害だから、わたしの対処の仕方をなんとかしなければならない。つまりできるだけ抑えつけないで言いたいことをきちんと言わせる。感情も思考も身体もまっすぐに伸ばさせる。そういうことだろうか。

 もちろん、思ったとおりにならない現実とぶつかって子どもはさらに「あたける」かもしれない。それにどう対処するか。その「あたけ」以前に「あたけ」の原因を強圧的・暴力的に除去しようというのは、「安楽への全体主義」(藤田省三)にちがいない。こんなところで藤田省三をもちだすのは畏れおおいけれど。それだけの度量をこちらが持てるかどうかという問題。

 子どもはやがて親にとって「わけの分からない不気味な者」になってゆくに違いない。そういう現実に対して、きちんと向き合わなければならないのだろう。

 世の中や仕事だけでなく、家に帰っても、親にとって子どもは「なるようにしかならない」という覚悟(あきらめ?)をしておく必要があるらしい。



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mojabieda * 子育て * 07:25 * comments(0) * trackbacks(0)

「はやす」ということばについて

 西成彦の『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)を読んでいたら、「はやす」ということばが出てきた。万葉集の巻第十六(3885)の「乞食人(ほかひびと)が詠ふ歌二首」の中にたくさん「はやす」ということばが使われている。それについて西は「・・おまけに、この歌は、ことばのアクロバット的屈折がみごとである。『はやす』の変幻自在ぶりを見ておこう。まず「映やす」(=飾りたてる)の意味で用いられた『はやす』が、次には『切り刻む』の意味にずれ(『生やす』を『切る』の意味に用いるのは用いられた『切る』が忌詞(いみことば)であるからだ)、祝福の『栄やす』(=囃す)に転じたところで締めくくられる」と述べている。

 この「はやす」については、同時に読んでいる別の書物にもぐうぜん出てきた。こういうのをシンクロニシティというのだろうか。別の書物とは『古代出雲への旅 幕末の旅日記から原風景を読む』(関和彦/中公新書)。この両書の共通点を無理やりあげれば「出雲」くらいしかない。それと両書とも古本で買ったことかな。

 関の書の「はやす」は『出雲風土記』に出てくる「はやし」。関はこう述べている。

 「『旅立つ』大国主神の心は『波夜志(はやし)』の状態になったという。われわれは『はやし』といえばすぐに『はやさ』を思うであろう。しかし、古代びとの『はやさ』はもっと奥深いものがあったのである。・・・『はやし(波夜志)』とは『生やし』『林』に通じ、さらに祭りのお囃子(はやし)にも通じる言葉と考えられる。お祭りの「わっしょい・わっしょい」、また難儀なときに自然と発する『どっこいしょ』などは『はやし』言葉の典型である。出雲では現在も枝を切る(剪定)ことを「はやす」というらしい。これも木が新たな枝を出し、活き活きするということで『はやす』というのであろう。また野菜を切ることも『はやす』という。それは一つが二つになり、『数が増える』という意味で用いられていると考えられる。

 なるほど、「はやし」を物理的な速度という意味だけに限定して受け取るのは現代人の唯物論的な世界観や心性を表しているのだろう。

 西の書は博学でたいへんおもしろいし刺激的だ。いっぽう関の書は奥深い。「はやし」のことばの奥に潜むものをあぶり出している。

 もともと「はやし」はただのスピードではなく「勢い」や「エネルギー」や「生命力」の凄さにかかわることばだったのだろう。さらに、「はやす」は自然発生的な現象ではなく、どうも「いのち」あるもの、「こころざし」あるものが、何かのきっかけをある物に与えて、その物の中にある力を、内から外へと、その力を増強・増殖させるもののように思った。これはわたしの独断と偏見。

 武田信玄が孫子のことばを借りて「はやきこと風の如く」(風林火山)を軍旗に掲げたのは、軍団を奮起させ勢いづかせただろう。

 いまは「ヒゲを生やす」くらいにしか使わないことばだが、春のプチうつのときは、みずから「はやし立てる」しかない。



JUGEMテーマ:読書


mojabieda * 読書 * 21:30 * comments(2) * trackbacks(0)

ウルビーノのヴィーナス


 上野の国立西洋美術館







 ウルビーノのヴィーナス














 グリーンサロン









 用事で東京へ出かける。

 新幹線の中でずっとiPodのビデオを観ていた。これはよくなかった。というのは、あとで美術館に入ったとき、絵画の脇にある表題の文字などが二重にぼけてしまったから。あんまり小さな動画を長く観つづけていると目が悪くなるのだろうと思う。

 ほんとうは麹町に用事があったのだけれど、ちょっと上野へ立ち寄る。

 国立西洋美術館へ。ウルビーノのヴィーナスを観る。てっきりフェレンツェのウフィツィ美術館の絵画の展覧会だと思っていたら、古代からルネサンスまでのヴィーナスを集めた展覧会だった。観るべきものはこのティツィアーノのヴィーナスくらい。しかしこれが圧巻。

 ウルビーノ公が所有していた絵画だという。娘のヴィットリアが14歳でメディチ家の血をひく第五代トスカーナ公であるフェルディナンド二世と結婚するとき、持参金(嫁入り道具)の一部になったらしい。

 ヴィーナスという名目だが、キューピッドも連れていないし、なんとなく視線に官能的な艶めかしさがあって、これは神話上の女神ではなくて、ストレートな人間の女性のヌードだろうとしか思えない。若い嫁さんのための、閨房への心構えを教える道具だったのかも。

 不死の世界よりも現世へのかぎりない愛着を感じる。

 美術館を出たあと、昼食をとりに上野公園をうろうろしていたら、目の前に大きく立派な建物があってレストランらしい。グリーンサロンという。入るとカレーとうどんしかなかった。でもトッピングを乗せても千円未満なのはいい。


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mojabieda * 芸術 * 22:39 * comments(0) * trackbacks(1)

小川国夫さん亡くなる

 昨日の4月8日に小川国夫さんが亡くなった。80歳。

 しばらくショック状態がつづくだろう。

 ネットで流れている某ニュースを聞いた。明るい青空のした、自宅近くの小路を歩いている元気なころの姿を映していた。先月から体調を崩していたという。

 むかし藤枝の街角や蓮華寺池周辺をゆっくりと散歩している姿をよく見かけた。よく某高校のそばにある喫茶店「葦」に立ち寄っていたという。わたしもそこへ出入りしたことがあるが出逢ったことはなかった。

 20年以上もまえ、何かの縁で藤枝の大手にある「田毎(たごと)」という料亭でいっしょに飲んだ記憶がある。あんな料亭に行くことはもうないだろう。

 作品は光と影のコントラストが強い。というより闇が際立つ。ドロドロとした中上健次とは作風などがまったく違うが闇の深さは通底する。経歴も生き方も人柄もまったく違うがどこか同じ匂いがする。

 集英社文庫にむかしあった『流域』のなかの「夜の水泳」が好きだった。静岡新聞に連載された作品。ずいぶん前の筑摩書房の高校の教科書に載っていた。

 「ドリトル先生」からの帰り、白子通りに出ようとする道で、散歩している小川国夫の姿を見た。ねこ背だった。この人にも静かに老いが迫ってきたのだと思った。(1993/8/25)

 夕方の5時すぎ、藤枝東幼稚園前を車で走っていたら、通りを小川国夫氏が散歩していた。白髪の長身。顔が大きいのですぐに分かる。すっかり年を取ってしまい、その眼光の深さにひきつけられなかったら、黒のコートにすっぽりと身を包んでいるただのおじいさんに見えただろう(1994/02/23)。

 いつだったか小川国夫氏の講演を聴いた。「マイナスから0へ」の幸福観について。若いころ氏は大井川河口あたりでよく泳いだらしい。あるとき溺れそうになって、ようやく突堤のコンクリートの上に這い上がって寝ころんだ。仰向けになって荒い息をしながら、溺れるという「マイナス」から「生きている」という当たり前の「0」の状態にもどったとき、その「0」にもどることがどれほど幸福なことなのかを実体験したという。氏はまた今、別の「0」の状態にもどったのだろうか──ご冥福を祈ります。


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mojabieda * 時事 * 23:28 * comments(0) * trackbacks(0)

iPodで囲碁番組は観られるか



 さる◯◯◯杯の決勝戦の囲碁番組をトーストでiPod用の映像に変換した。かなり画面が小さくなった。しかし観られないこともない。デジカメで撮ると画面が荒くなるが、実際はもっと鮮明。語学番組などもiPodで観れば、毎日手元にあって繰り返し観ることができるから便利だろう。ただし変換がめんどう。

 この決勝戦はこんど新幹線に乗って東京へ行くときに観ようかと思う。




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mojabieda * デジタルライフ * 05:43 * comments(0) * trackbacks(0)
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