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2011.05.04 Wednesday
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今日にかぎって
2009.02.23 Monday
「よりによって、どうして◯◯にかぎって・・・」みたいな表現を古典で見かける。
◯ 「ただ今宵こそ新枕すれ(ちょうどよりによって今夜わたし、結婚するんです・・・)」(伊勢物語)
◯ 「今日しも端におはしましけるかな(ちょうど今日にかぎって端っこのほうにいらゃっしゃるんだもんねえ)」(源氏物語)
今日はものすごく日程が詰まり、すべきことが山積し、目が回るくらい忙しくなることがすでに予定されていた月曜日。座席を温める間もなくバタバタと動き回り、いっぺんにいくつもの仕事をこなしてきりきり舞いの、そういう日にかぎって、いつもはない、次のようなことが起きる。
1、思いがけず、とつぜん想定外の仕事が次々やってくる。
2、思いがけず、とつぜん来客が入れ替わり何人もやってくる。
3、思いがけず、とつぜん外線がやたらとかかってくる。
4、思いがけず、とつぜん上司(ボス)に呼ばれる。
5、思いがけず、とつぜんいろんな同僚にあれこれと声かけられる。
「なんで?」「なんで?」と思ってしまうことの連続だった。
はじめから「不幸はツアーを組んでやってくる」とか「パンを落とせばバターを塗った面が下になる」みたいなマイナス思考を身につけて、どんな不幸にも対処できるように身構えるのは、かえって「耐久性」がなさそう。はじめからめげてしまうから。
「不幸はツアーを組んでやってくる」ことなど「想定外」なら、思いがけないことが起こっても、そのつど一回ぽっきりのショックで済み、その一回をそのつど乗りこえていくだけ。今日はそんな感じだった。というか、仕舞いにはジギャク的になって、ちょっと楽しんでもいた。
せんだってのア◯ハタ新聞の五木寛之氏のことば(コリン・ウィルソンを引用したという)に「口笛を吹きながら夜を行け」というのがあった。判断は悲観的に、行動は楽観的に、という。そういうことが可能だろうか。
救いのイメージ
2009.02.18 Wednesday
泥沼のような現実生活から抜け出せぬまま、現実逃避的に、一幅の絵を観たりする。海岸と砂浜にうち上げられた小舟のスケッチ画。
昔は仕事に疲れるとひょいと近くの海を観に出かけたことがあった。ただ突堤に座って潮騒を聞き、しぶきを浴び、遙かな海原を観ているだけ。寄せては返す波に時間をわすれた。
わたしの心のなかに「救いのイメージ」がある。それは羽仁進の『自立と試行』のように、海の中からタンスを担いで(青い横縞のシャツを着た)二人の男たちが現れるイメージ。ふしぎで滑稽で爽やかで懐かしい、陽光あふれる浜辺のイメージ。なぜこれが「救いのイメージ」なのか、じぶんでもよく分からない。
早朝に夢を見た。一人の女性の夢。夢のなかに出てくるのは何年いや何十年ぶりだろう。懐かしい。もう不惑を過ぎていると思うが、その人が大学生の姿で出てくる(わたしの中ではいつまでもそのイメージなのだろう)。教室かどこかである者(教師?)がかの女の過去の咎をあばき立てようとするのをわたしは制してかの女をかばう。この夢がどんな意味をもつのかよく分からない。
昔から、その人のイメージに救われてきているように思う。その人を救おうとする夢を見るのはどんな意味があるのか。救いのイメージの力そのものが弱ってきているのかもしれない。
ランドセルを買う
2009.02.17 Tuesday
ランドセルは春の季語になっているのだろうか。
夢はるか空ゆく雲よランドセル
ランドセルというのはふしぎ。もともとは軍隊用のリュックだろうと見当をつけて調べたら、じっさいそうらしい。ドイツ語ではRanzen。もっと簡素みたい。
この前ランドセルを買いに行く。百貨店とか家具店でみると、5000円から50000円くらいまで値段はさまざま。その中間くらいのものを買うつもりでいたが・・・子どもに選ばせたのが間違いだった。値段の数字が分かるようになったのか。それとも背負ったときにいちばんフィットしたのだろうか。
ついで机や二段ベッドも見に行く。子どもたちは親といっしょの布団で寝ていたのが、いずれ別の部屋で寝るようになる。これが子離れの始めかもしれない。
子どもたち用の二段ベッドを見に行くつもりで、買ってきたのは、じぶん用の二段弁当。フロアーで木曽塗りの販売をしていたから。高価な塗り物ばかりの中、かなり安かったので。
下の子は「にだんべっど」と言えなくて「にだんべんとう」と言う。「にだんべんとうの下に寝る」と。25分の1スケールのコビトなら弁当箱にも住めるかもしれない。六畳に二段ベッドを置いたら部屋がむちゃくちゃ狭くなるなあと気が重い。子どもたちが25分の1スケールだったらいつまでもかわいいのにと思う。
親の方が子ばなれできないみたい。
『アンティゴネー』を観劇する
2009.02.14 Saturday
東京演劇アンサンブルの『アンティゴネー』を俳優座で観劇。おもしろかった。
舞台には斜めの柱が平行に立つ。なんとなく不安定な感じだ。コロスたちは一人一人個性があって、動きかつ歌いかつ踊る。コロスたちは長老というより庶民的な感じがした。もともとはたぶん饗宴の灯りだろうが、提灯行列のように提灯をぶら下げて、ふしぎなディオニソスの祭?(戦勝祝いの祭)の雰囲気を出している。音楽もそんな雰囲気をかもしだしている。
福岡現代劇場での台本のコピーをいただいてあったので前もって読んだけれど、よく分からなかった箇所が劇を観ると、ああ、そういう意味だったのかとよく分かった。ただし、台本を読んでも劇を観ても分からない部分はある。奥が深い。ソフォクレスのことばをヘルダーリンがラディカルに逐語訳?し、さらにブレヒトがそれを生かしながらつくっていると思うけれど、ことばの持つ喚起力のようなものを感じた。
劇を観ながらいろいろなことを思った。まず、アンティゴネーはナチス国家反逆罪として処刑されたゾフィー・ショルを想起させる。とくにクレオンがアンティゴネーをさいしょに懐柔しようとするところは、映画の『白バラ ゾフィー・ショル、最期の日々』の、ゾフィーとナチス審問官モーアとの「対決」部分を想起させた。福岡の台本にはなかった「縄を解かせる」恩情の場面がアンティゴネーとの「対決」の最初にあった。この恩情を強調することによって「志を奪われなかった」アンティゴネーが強調されているように感じた。
それにしても悲劇が悲劇を呼んで破滅の一途を辿るストーリーは救いようがないというか徹底的。観客ははじめからそのなりゆきを熟知していたであろうから、「対決する」当事者の頑固さ、周囲のものたちの優柔不断さを、もどかしく感じ、はらはらし、人生や社会や政治や、いろんなことを考えながら観劇していたことだろう。
劇を観ながら今日の政治状況などさまざまなことを連想してしまったけれど、かならずしも教訓的、政治的なメッセージだけを読まなくてもいいだろうと思う。専制的な国家の主宰者クレオンに妙にリアリティを感じてしまった。演技がかれの苦悩をくっきり描き出している。最終的に破滅にいたるオイディプスのような運命の皮肉はアンティゴネーにふりかかっている(かの女はそれをみずから選んだ)というより、そのアンティゴネーを反射してクレオンと長老たちとテーバイという国家に襲いかかるからだ。
以前の台本にあった「かたくなまでに誠をつらぬいたこの女性(アンティゴネー)が/結局は、奴隷のようにしいたげられた同胞がその犠牲となるのもかまわずに/この戦争を終わらせてしまうからです」というプロローグの台詞がカットされていたように思う(あるいは聞き落としたか)。ちょっと分かりにくいこの台詞が描き出すアンティゴネーの皮肉な役回りが後景にしりぞくことによって、相対的にクレオンの傍若無人なありようとそこから生じる悲劇がよりはっきりと浮き彫りになったように感じた。
もう一つ。春闘をめざして東京へはデモに動員されて行ったが、日比谷野外音楽堂では全員が入りきれず、入れ替え制をとっていた。その大勢が銀座をデモしているときのこと(今ではデモとよばず、パレードと称しているが)──
たくさんあるシュプレヒコールのことばの一つに、海外ハヘイをやめろというのがあった。それに通行人の若者が反応して大声をあげる。「カイゾクがいるんだ!集団的ジエイ権が必要なんだ!」とひとりで叫んで通り過ぎていく。おそらく万単位のデモ隊に一人で立ち向かうかのように・・・。その勇気はすごいと思うが、あとで恥ずかしく思うことだろう。デモ隊からは無視されていた。
クレオンが言い訳するのも同じ論理だった。しかし遠洋のカイゾクがクニを滅ぼしにくるわけではない。むしろジエイをいい、カイゾクを言い訳にして海外へハヘイするようなクニの政治が、「アンティゴネー」のテーバイのように最終的にクニを自滅に導く歴史的事実(数0年前のような悪夢)を、この若者は知らないのだろう。「アンティゴネー」はみごとに現代の日本に通じていると思った。
映画『アンティゴネー』
2009.02.13 Friday
この前、ストローブ=ユイレの映画のDVDを観た。ソフォクレスの「アンティゴネー」。場所はシチリアのセジェスタという古代ギリシアの遺跡。
円形劇場はさながら裁判所のよう。叔父の暴君クレオンとは裁判長のよう。ことばはドイツ語。古代ギリシア語をラディカルに翻訳したヘルダーリン訳をさらに劇場用にブレヒトが改作したもの。とはいえ、ラディカルなヘルダーリン訳を元にしているから、へんてこりんな台詞になっているらしいが、字幕はずいぶん分かりやすかった(それがいいかどうかは別)。
この強弱アクセントのドイツ語が、古代ギリシア悲劇を、古代ギリシアの遺跡の上で話されていることじたいがふしぎ。いわば土地も時代も文化も遠く離れた最果ての地のゲルマンのことばが、地中海の陽光あたたかな古典古代の故地で、古典古代の悲劇を語ることのふしぎ。時代は2000年以上のへだたりがあるけれど、それが上演できるというのは西洋文化が広く太く連綿と続いてきたことのあかし?
杜甫の唐詩に「静夜思」というのがあり、日本で古来教えられている詩のなかのことばと現在の中国本国の学校で教えられている詩のなかのことばとが違うという。果たしてどちらが正しいのかというと、日本らしい。遠い最果ての極東の小さな国に残っているものの方が正確に残されているという・・・。
『アマテラスの誕生』をよこ読みする
2009.02.08 Sunday
『アマテラスの誕生』(溝口睦子/岩波新書)を横読みする。斜め読みよりもっとひどい横読み。
国家神がアマテラスかタカミムスヒかにはあまり興味はないが、次の点に興味があった。
日本の歴史の中で、古代から現代にいたるまで、先進国との戦争と、その敗北から支配体制がゆらぎ、支配層が先進国の政治体制や政治思想などを新たに取り入れてきた歴史が繰り返されてきたこと。歴史というのは繰り返しなのかと思った。
まずは5世紀初頭の「先進国」高句麗との戦争と敗北によって、日本(当時は倭か?)の支配層が大きくゆらぎ、戦後は高句麗の政治思想(高句麗の天孫降臨神話)を取り入れ、統一王権体制を築いたらしいこと。じつに天降りはここから由来する。
さらに7世紀。先進国「唐・新羅」の連合軍と戦い白村江で大敗した倭の支配層は、やがて「敵」をみならって中央集権国家(律令国家)をめざす。
また幕末では先進的な西欧文明が海の向こうから黒船で押し寄せ、その圧力から明治維新を引き起こす。尊皇攘夷を唱えながら、やがて「夷敵」をみならって中央集権の統一国家体制を支配層がつくる。
そうしてこの前の敗戦。支配層のすることは古代からまったく同じだなと思った。今度は「ジユウ」と「ミンシュシュギ」という錦の御旗をかかげているから始末にわるいが、遠い他国のクニグニの人々の頭の上に爆弾・ミサイルを落とし、弾丸を撃ち続けている、かつての「キチク」をみならって、いまや遅しと遠い海のむこうの「カイゾク」征伐へ・・・かな。
山本敏晴氏講演会・写真展ひらかれる
2009.02.07 Saturday
準備をする実行委員たち
山本敏晴氏
サイン会
山本氏を囲んで
お茶とお弁当で打ち上げ
「宇宙船地球号」の山本敏晴氏の講演を聞いた。動員というか要員。「山本敏晴講演会・写真展」。
しずみゆく南洋の島「ツバル」と平均寿命34歳の国「シエラレオネ」と内戦つづく「アフガニスタン」の話。
行くまえは、せっかくの休みの日だし、朝から寒いし・・・と思っていたが、来てみて刺激が強かったし、活力が湧いたし、実行委員の高校生たちの若さに元気をもらった。
内容が濃いのは、国際協力のプロかつ医師として各地で活動してきたから、とうぜんそれぞれの国情に精通し、現地の人々とコミュニケーションし、政府とも折衝をかさね、社会生活を復興する活動を直接行ってきているからだ。さらに医師として人命に直接かかわる以上、深く深く現地の生活・文化へ溶け込まなければならない。
「炭坑のカナリア」のように、もし地球温暖化によって世界が沈むならば、その端緒となるのがおそらく「地上の楽園(だった?)」ツバルという島らしい。大昔から自給自足の共同体だったツバルは今では食料さえ外国から輸入せざるをえないという。その地球温暖化に日本も深くかかわっている。あすは我が身(というか、もう我が身か)。
もともと近現代(西洋)文明が嵐のように通り過ぎたあとも「持続可能な社会」でありつづける(つづけた)であろうツバルやシエラレオネ。アフリカのシエラレオネは高品質のダイヤモンドの産地。このダイヤをめぐって戦争・内戦がつづき血が流されている。5歳までに35%の子どもたちが亡くなるという。そうした血塗られたダイヤモンドによってつくられた高級ブランド品を日本人が買い求める。
三つめの話は、USAで「はじめてのアフリカ系大統領」が派兵を増強するアフガニスタン。以前から天然ガスをめぐって大国が干渉しつづけ、現在も内戦につぐ内戦に明け暮れている(が、ほとんど実情が伝わってこない)。世界一悲惨な国内難民(国外難民となるために必要な車、財産、体力のない人々)のあふれる国。そんな中で医療システムを立ち上げ、学校をつくっている話。イスラムの古い文化・因習とぶつかることもあるが、それに調和する支援体制を地道に築こうとしている。
ともかくインパクトが強かった。医師としてどんなに働いても一人では国際協力にはならない。現地の医師・看護師を育てる教育に重点を置いている。人を育てることこそが未来をひらくための、もっとも強力な力となるのだろう。
講演が終わってから実行委員の一人の高校生が質問をした、「(各国で子どもたちにいちばん大切なものは何かと一人一人たずね、絵を描かせている)山本さんにとって、いちばん大切なものは何ですか?」
すると「当たり前のことがいちばん大切です」。当たり前だと思っているなんでもない生活、なにげない暮らしが実はいちばん大切なものだということ。
お開きのあとで山本氏を囲んで実行委員の高校生たちが対話集会?を持つ。その中で3度ほど挫折した体験を聞く。プロの棋士、ジャーナリスト、遺伝子治療の研究開発の夢に挫折し、そうして活路を国際協力へとひらいた由。紆余曲折の人生。しかしそれにもめげずにより大きな(困難な)夢を追い続けているのはすごいと思う。
会場には中学生たちもたくさん参加してくれたが、山本敏晴氏の話は、ぜひ次代を担うたくさんの若い人たちに聞いてほしいと思った。いつもは買わない講演者の本を今日は2冊買い、2冊ともサインしてもらった。ダンボール4箱用意した著書が半分ほど売れた。
PowerBook G4の生還
2009.02.03 Tuesday
PowerBook G4(Intelになってからも発売された最後のモデル)の故障(ACアダプターからの電源供給が不可能になった)をアップルに出した。AppleCareピック&デリバリー修理サービス。保証期間はとっくに過ぎているので有償。4日でもどる。ン万円かかったが、料金は一律だという。
交換したのはロジックボード。高額なのは仕方がないか。
なぜこのような故障が起きたのか。その原因をさぐりたい。
以前から、充電完了しているはずなのに電源プラグのランプがオレンジ(充電中)に点灯していた。さらに、ときどき画面が落ちた。いま思うと、電源供給に何かトラブルがあったのだろう。プラグの差し込み口がやや緩くなっている。毎日持ち歩いて、抜き差しを繰り返していたからだろう。
修理がすんだPowerBook G4を家のACアダプターを接続した。70%の充電でとうぜんプラグの色はオレンジに点灯し充電していた。やがて100%になった。しかしメニューバーのマークはまだ雷マークで充電中。プラグの色もオレンジ。これはおかしい。プラグをはずしてバッテリだけで動かした。それで充電率を下げてからまた差し込む。オレンジ色。やがて充電が完了したら正常に緑色になった。よかった。
ところが、翌朝みたら充電完了しているはずなのに、プラグがオレンジ色をしている。これはきっと家のACアダプターに欠損があるにちがいない、と思って、職場で別のACアダプターを使う。ところが、ここでも100%充電しているはずなのにオレンジ色に点灯していた。
まずい。それで1度電源をはずしてバッテリを取り出した。すぐに入れて電源をつけた。すると緑色になった。よかった。なんのトラブルなのかよく分からないがバッテリ関係なのだろうか。ただし、家のアダプターはもう接続部分がゆるくなっているので使わないことにした。
電源供給のアダプターの接続部分が緩くなるだけで、アダプター本体やバッテリやパソコン本体に支障を来すようなことがあるのだろうか。しかし諸悪の原因はこのプラグの接続部分にあるように思えてしかたがない。
ここの接続が緩くなって脆弱になるから、MacBookでは接続部分を磁石にしているのではないか、と思った。かなり強力な磁力で、プラグを抜くのにも力がいる。このくらいきつくくっついて離れなければ大丈夫だろう。たしかずっと昔のPowerBook170のときも、この接続部分でトラブルがあったような気がする。微妙な機械だから、電源部分のちょっとした故障も命取りになるにちがいない。
さらにMacBookではトラックパッドの手元にあるボタン?がなくなった。これもトラックボールのPowerBook170のときも、G3のときも、そして今メインに使っているG4も、使い続けているうちに必ずガタが来る。ボタンの中心を押すのではなく、どうしても左右に偏って押すので、どこかひずみが出てきて、そのうちガタガタになってしまうのだ。だからMacBookでは取ってしまったのではないか。
それにしてもG4のキーボードとMacBookのキーボードの違い。単純にどちらが打ちやすいかといえば、もちろんG4だ。G3やG4のときは、いたずら小僧がキーの一つを取ってしまったことがあったが、MacBookでは取れそうもない?ボディが一つのアルミの型になっていて、黒いキーが電卓のキーのように一つ一つ独立して下から生えている感じ。
それからG3は知人のものもそうだったが、蝶番がガタガタになって、最終的に致命傷になった。これは初代のPowerBook170も同じ。G4も心配。MacBookはかなりその辺りも頑丈に改良されているのだろうか。
耐久性が問題。毎日毎日どっぷり使っている。頑丈でなければ生活できない。
もうじき立春
2009.02.02 Monday
立春が近い。しかし雨が降って暖かいと、雨水の季節かと思ってしまう。
耕耘機で耕された畑や田んぼが匂い立つように土をむき出しにして天空に向かっている。耕地のでこぼこに雨水がたまり、青天を映す、透明な風。
子どもたちの目が大地の命の芽吹きに、驚きを持って見開くとき、その子の心の中にも新しい命が芽ばえてくるに違いない。
ヘッセの『あらゆる始まりには魔法がやどっている(Jedem Anfang wohnt ein Zauber inne)』という詩文集をだれか訳してくれないだろうか。「新芽が太陽に、畑が雲に、草ぐさが空に向き合う」ようすが描かれている。
このヘッセの本のさいしょにこうある。「あらゆる人間は単に彼自身であるばかりではない、かれは、この世界のさまざまな現象がクロスする、ただ一回きりの、まったく特別な、いつでも重要で注目すべき結節点なのだ」。これは「デミアン」のなかのことばらしい。
さてもうじき立春。
あくび
2009.02.01 Sunday
会合が終わって知人と帰る車の中で、あくびが何度も出る。知人を家まで送ってからはあくびが出ない。ふしぎ。
なぜか考えた。安心感と閉塞感を打開できない無意識の「言い訳」、あるいは防衛機制か。
仲間内、という安心感が前提にある。その上で、閉塞した現状を打開できない自分のふがいなさを弁解するような心の機制が働いていたようだ。つまり「ふがいない」ように見える自分を「疲れているんだ」と無意識に自他にアピールし弁明していたのかもしれない。もちろん意識してあくびなど出ないから、潜在意識か何かがあくびを出している?あるいは「生体が悲鳴をあげている」(週刊金曜日736号の辺見庸氏)?
あるいは他者との交わりの中で疲れているじぶん自身に対して「おまえは疲れている。少し休め」と超自我が命令していたのかもしれない。