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2011.05.04 Wednesday
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「跡」は野となれ山となれ
2009.03.27 Friday
こんな「落書」を見つけました。以下、転載してみます。
──フジ山なんとか空港、いや島田滑走路跡(20年後)、いや牧之原ペンペン草荒蕪地(40年後)をつくった人のこと。
いったいだれがこの人をやめさせるのだろうか?
もちろんいわゆる一般県民でも一部の地権者でもない。いままでどれほどかれらを煙に巻いて来たことか。
今回は記者会見の席上、なにか立腹したような感じに居直って、「君子は豹変する」「嘘も方便」と述べていた。
本人はとっくに給料カットで「みそぎ」を済ませたつもりでいて、今まで辞職などおくびにも出して来なかった。
それがなぜいまさらこのタイミングに?とだれもがいぶかる。
きっと今やめさせないと、だれかにとってマイナスになるからだろうか。
もし、ニシマツがらみで検挙されても「前チジ」の肩書きですむということだろうか。
あるいは圧力か取引か。いま身を退けば、この件については不問に付す・・・みたいな。
駿府城の真相は闇から闇へ。ともかく城内の「君主」は豹変した。
表面上はもっともらしい理由をつけている。
そうして、じぶんの辞職に反対派地権者を「道連れ」にして「差し違え」て・・腹いせ、あるいは見せしめにして・・・混乱に対するメディアの(非難の)矛先を徹底的にかれへと向けさせる・・・という筋書きだろうか。
まあもらうものはもらったし、このさい政界からスッパリ足を洗って、あとは地元の大学の学長ぐらいに天下って悠々自適の余生が待っている・・・「(空港)跡は野となれ山となれ」ってか──
それにしてもとつぜんの辞任表明。寝耳に水でした。
カラオケ連句「春二番」
2009.03.24 Tuesday
昨晩は勉強会というかなんというか、ともかくカラオケへ。
連句?としゃれながらカラオケも歌うという趣向(逆かな)。お酒も入る。
句はそっちのけでカラオケにはまっている人も。酔っぱらってなんでもあり、本歌取りというにはあまりにも安直なパクリやらなにやら。中には今唄っているカラオケの曲名、唄い終わった歌詞をそのまま記している横着者も。月の座も花の座もそっちのけでカラオケとお酒にはまってしまいました。
「朋一の会」連句 「春二番」の巻(2009年3月23日)
◯ 春二番花はほころび我ころぶ 梅
◯ いたいのいたいの酒とともに飛んでゆけ 峰
◯ ウィンクは右目だけしかできないの 七
◯ 好きな君とは右腕くもう 清
◯ 空いた手にマイクを握り時を追う 梅
◯ たどり着いたらいつも雨降り 峰
◯ 菜の花の色よりも濃い月を恋う 七
◯ 帽子にいっぱいれんげを詰めて 梅
◯ マスクして心ははやる入道雲へ 清
◯ 灼けたトタンの上の猫かな 峰
◯ 禁断の恋は切なし屋根の上 梅
◯ せめて会えたらうたた寝の夢 七
◯ うらうらに照れる春日にウグイス揚がり 峰
◯ 心もしのに明日思ほゆ 清
◯ 下草を濡らす夜露に独り立つ 梅
◯ カラオケ帰りの有明の月 峰
◯ 次に会う時にはきっと有楽町 清
◯ カクテルバーで語り明かそう 七
◯ 翌朝はフラフラ頭で授業出る 峰
◯ 生徒はぐっすり命の洗濯 梅
◯ どうせなら月並みだけど子守唄 清
◯ 酔いどれ酒場の女と男 梅
◯ 心なき身にもあはれは知られけり 峰
◯ 無理にいい人ぶる必要もなし 七
◯ 色即是空つぶやく人を憐れみつ 梅
◯ 旅のころもに風をはらんで 清
◯ 童心にかえって遊ぶシャボン玉 七
◯ つむつくしんぼ流す笹舟 梅
◯ このこころ君に届くか霧の中 峰
◯ 日記の中に封じる思い 清
◯ 家族にはばれたら困る心配症 七
◯ 空を行く雲頬撫でる風 梅
◯ 風吹けば沖つ波風立つだろう 峰
◯ 何とかなるよ何とかするよ 七
◯ 黄砂舞う杉花粉舞う世ではあれど 梅
◯ さくら舞い散る道の上で 峰
『カムイ伝講義』を読む 1
2009.03.22 Sunday
『カムイ伝講義』(田中優子/小学館)を半分ちかく読む。おもしろい。読了していないが、印象的なところの一つは以下のとおり。
まず『カムイ伝講義』(『カムイ伝』は17世紀の日本を描く)のなかで印象ぶかかったのは「侍」という身分が生きる意味をなくしている人間に位置づけられること。
──「自分はいったい何なのか」「百姓が作り武士がうばう、武士はいったい何のためにあるのだ」・・・『カムイ伝』における武士は、常にアイデンティティーの危機にさらされている。武士とは、生き物として生きることを他人に任せてしまった人間たちである。現代の日本人ともっともよく似ているのが、彼らであろう。なぜそういう人間が世の中には存在するのか。読者は、自分で自分を問うことになる。(18)
なるほどと思った。農民などの生産者はものをつくりだし、人のために・この世のために役に立っている。しかも農村には自給自足かつ自治の生活があった。「侍」など存在する必要もない。江戸時代の武士とはいわば虚業の象徴だろうか。
著者は『カムイ伝』をとおして現代社会(人)をみている。
──『カムイ伝』の正助は、日本の農民とくに江戸時代の農民のありようを象徴している。・・・しかしそれは遠い漠然とした理想や夢や名誉心ゆえではなく、とくに暮らす村人たちの生活の充実のためである。・・・・毎日の生活に密着した夢の実現であり、自分自身と周囲の人々すべてのための行動だ。
ところで、現代の若者には何が要求されているだろうか?・・・しかしその夢の中身は、金儲けだったりスターになることだったり、資格を取ることだったり、いい会社に就職することなのだ。その金で何をしたいのか、その資格で誰を救うのか、それは何の役に立つのか、という足もとの想像力に欠けている。現代人(若者とは限らないが)には夢がないわけではない。夢の中身が大地を離れ、宙をただよっているのだ。(80)
──経済活性化とは、働く機会が増え、多くの人が職を得ている状態なのだ。輸入に頼れば国の支出ばかり増えるが、このように自分たちで働いて布を織り上げれば、国内で人を豊かにできる、と(大蔵)永常は考えたのである。この場合「豊かさ」とは、お金を払って外国人を働かせ、その安価な商品を買って自分は遊び暮らす、という豊かさではなかった。いつでも仕事があり、汗水流して働き、多くの人が収入を得られるという豊かさであった。(76)
反貧困ネットワークの湯浅誠は「貧困状態」とは「五重の排除」からなると述べる。「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家庭福祉からの排除」「公的福祉からの排除」、さいごに「自分自身からの排除」。
この「自分自身からの排除」というのか印象的だ。生きる意味を失ってしまっているということだろう。
「侍」とはこの「自分自身からの排除」にあたるいわば貧困状態の一種かもしれない。貧困を飾りに飾って「ショー」の「踊り子」にさせたとき、それが「侍〜」になるのだろうか。
昔、「侍ニッポン」という西條八十作詞の歌があった。三番の歌詞には次のようにある、「おれも生きたや 人間らしく」。
名前シール貼り
2009.03.15 Sunday
上の子どもの小学校の学用品に名前シールを貼った。
シールはすでに注文してあったもの。これがじつに細かい。「さんすうぼっくす」のなかの積み木・おはじき、計算カードの1個1個、1枚1枚に名前シールをはった。数百枚。休日の午後半日を使った。上の子どもの買ったばかりの机の上で。二階にあるその真新しい机が階段をとおして一階でもまだ香っている。
薬箱に入っているピンセットを使い、1枚1枚シールを貼りつけた。
それにしてもこの名前シールは隠れたベストセラーではないだろうか。名前シールがあってよかった。もしシールがなくて、いちいち名前を書いていたら、とんでもないことになっていた。とはいえ、こんな積み木やおはじきなど、わたしの小学校のころにあっただろうか。「さんすうぼっくす」のようなものを利用しているのは静岡県だけだろうか?あるいはこの地区だけかな?あるいは名前シールを計算カードの1枚1枚に貼る親なんてわたしだけだろうか?「若葉マーク」の親は初体験でとまどうばかり。
こんな根気のいる細かい仕事を、世の中の親たちは毎年この時期になるとやっているのだろうか。あと2年後に同じことをもう1度繰り返さねばならない。さいしょの子は丁寧に名前を貼るが、2番目の子になるとどうしても手を抜いてしまって雑になるのをおそれる。
高生研の東海ブロックゼミに参加
2009.03.13 Friday
ホテルグランヴェール岐山
先日、岐阜市で高生研の東海ブロックゼミが開かれました。
以下はその「道中記」です。
■ 3月7日(土)うすい晴れ、岐阜で東海ブロックゼミへ。9時30分ころ長房さんの車が来る。来るたびに車が違う。プレマシーとはうらやましい。カーナビ付きのゆったりした車内。乗り込んでいるのはしかし4年前と同じめんめん。絹村、塚本、長房さんとわたし。
12時すぎには岐阜に着いてしまう。街中をフィアットの(たぶん日本で発売したばかりの)新チンクエチェントが走っていた。うすい水色でかわいい。(50年くらい前の──その前の初代のものは古すぎて知らない)二代目のチンクエチェントと外観がほとんど変わっていない。日本でいうとスバル360みたいな体型。いまの車のデザインはつんけんつんけんしてかどかどしく、険しい体型や顔つきをしているものが多いので、チンクエチェントみたいな車をみるとほっとする。
岐阜の街中。4年前には路面電車が走っていたが、もう廃止されたらしい。繁華街の柳ケ瀬通りの西の端にホテルがある。ホテルグランヴェール岐山。きれいな11階建ての高層のホテル。今はなき静岡のたちばな会館みたいな教職員共済のホテルだがずいぶん豪華。とうぜん参加費はちょっと高めだが仕方がないと思う。岐阜の現地の高生研の中心は親分肌の石田さん。フォローするのは若園さん。現地岐阜の人々もたくさん集まってくれてうれしい。
静岡からは車三台。東部の鈴木車には小川、矢代、渡辺さん。西部の今田車には坂口さんがぞくぞく現地入り。計10名の参加。初参加は矢代さん。4年前には三好、江頭さんが参加。8年前は賢一さんのシトローエンで、12年前は高志さんのシビックシャトル4WDで来た。民間教育研究が下り坂の昨今、すでにそのころ10数名だった東海ブロックゼミ。しかし顔ぶれは変わっても現在もしぶとく続いている。むしろ12年前よりも参加人数が多い。高生研の全国会員は年々減少しても、高生研の意義はますます重要になってきているということだろうか。高生研をどこかでかならず必要に感じている人たちがいる。
長房組はホテルに車を停めて昼食のため西柳ケ瀬へ。昼間の西のアーケードは閑散としてさびれている。4年前には昼間から客引きがあったが今日はない。大通りを越してにぎやかな東の柳ケ瀬通りのセルフサービスの大衆食堂で昼食。
三重からは安藤、岡村、萩原さんたちが来る。愛知からはだれも見えなかったようだ。明日の講演者は茨城から磯山さん。
それから今年特徴的なことは、なんと熊本から藤川さんなど3名の参加者があったこと。熊本では正月あけに県大会がひらかれ、そこへ絹村さんが講師として招かれた。しかもその記事が地元の熊本日日新聞に載ったという(熊本高生研の『会員通信』192号から)。
2時からすぐに二つの分科会に入る。今年の東海ブロックゼミは変則的。静岡からは小川さんがレポーター。もう一つは岐阜のHR実践。鈴木さん。
分科会が終了した5時30分からは「愛知・岐阜文化祭見て歩き」という岐阜の田山地さんのDVDを上映しながらの各地の文化祭報告。さまざまな学校のおどろくべき文化祭の様子をDVDに録りためたもの。
岐阜の人々をバックアップしているのが三重の安藤さん。「主宰者」がいないときは、かれがどんどん進行役をつとめる。文化祭見てあるきの企画もかれがアレンジしたのだろうか。
大会は愛知の名古屋でひらくような「都市型」大会のほうが現地実行委員は楽だが、肝心の愛知の人々がいない。むしろ名古屋開催より、「長良川大会」のほうが人が来やすいのではないか、とは翌日、絹村さんが「なまず屋」で語っていた。長良川なら鵜飼いや花火も観れるからいいかもしれないなあと思った。
夜は7時から夕食。豪華な11階のラウンジはバイキング料理とお酒飲み放題。ここでは各自「悩み」や「ヘルプ」を自己紹介を兼ねて訴えるという趣向。翌日の講演「弱さで支え合ううんぬん」の主旨を踏まえているのだろうか。3月のこの時期なので、卒業式に号泣してしまった話とか、意に沿わない異動で悩んでいるとか、生々しいお話が多かった。
ところで岐阜の石田さんは今年は教頭になったという。しかしクラスを持ちたいということでクラスを持ちながらの教頭職を願い出た。しかし来年度からは教頭一本に、ということで、三年生を送った卒業式のあと自宅で焼酎を飲みながら号泣したという。
夜は、繁華街へ若い人、ベテランたちが繰り出して行った。一人では(こわくて)とても歩けないところだとか。わたしは10時には早々と寝てしまう。
岐阜の夜景
■ 3月8日(日)くもり
7時起床。ホテルの目覚ましが自然に鳴った。朝食はバイキングで洋食と和食の両方をいただく。9時から磯山さんの講演。これは今年の高生研の基調発題を兼ねるらしい。そのたたき台のようなレポート。かなり型破りな基調となるはず。題して『弱さで支え合う関係を学校に』。12時すぎに終了。
帰りは車で列をつくって4年前に行った西のほうにある「なまずや県庁前店」でひつまぶしを食べに。一杯めはそのまま。二杯めは薬味をいれて。三杯めはお茶漬けにして食べるうなぎめし。量は多い。ビルの2階の和室。2500円(昨日はこの日のことを考えて昼食をセルフサービス大衆食堂にした?)。10数人。静岡と三重の人々を石田さんが接待。4年前はビルの窓から風花が舞っているのが見えた。そのあと船橋さんといっしょに川原町という古い町並みが残っているところへ観光に行ったが、今年はそのまま帰る。鈴木車は金華山をやめてそちらへ観光に行くらしい。
帰りは岐阜駅で土産を買う。鮎の形の和菓子。5時ころ家につく。玄関近くまで送ってもらう。
ひつまぶし
プリズナーNo.6
2009.03.02 Monday
名前からしてアイルランド系の英国俳優パトリック・マッグーハン(Patric McGoohan)が1月13日に亡くなっていることを今日知った。80歳。
1967年に英国のTVで連続ドラマ『プリズナーNo.6(the Prisoner)』が放映された。今ではとても信じられないが、そのあと(69年というが)あのNHKが日曜日の夜だったかに放映した。わたしは夢中で観た。
『プリズナーNo.6』はシェークスピアを生んだいかにもイギリスらしい「劇」的なテレビ番組だった。スパイドラマだがきわめて哲学的、思弁的だった。決して一般受けはしないだろう。このドラマの個性がそのままマッグーハンの個性に繋がっているように感じた。
主人公のスパイ(マッグーハン)がつかまり、ある「村」へと拉致・「監禁」される(囚人となる)。主人公は何度も脱出しようと試みる。このあたり安部公房の『砂の女』を連想させる。
アノニムな「村」の「村人」たちはすべて番号で呼ばれ、アノニムな存在にされる。住居の内もどこか機械的で寒々とした感じだ。こぎれいな「村」とこざっばりした「村人」たち。土と汗の匂いのない無機質な世界。逃亡と反抗を企てなければ、なに不自由のない囚人生活。この透明な空気の重苦しさ。
その「村」では誰が敵なのか味方なのか、敵と味方の二分法が通用しない。一見開かれているように見える閉ざされた「村」。一見自由のように見える囚人(村人)たち。他者とわたしの対立、集団と個の対立が浮き彫りにされ、「村」のなかの政治と権力が錯綜し、管理する者と管理される者とが不分明だ。主人公「No,6」が直接対峙する最高権力者は「No.2」だが、その顔はすぐに別の顔にすげかえられる。権力の奥の奥にいるはずの最高権力者が見えない。不条理な世界。これらはまるで現代社会の本質をあぶり出しているようにも感じた。
海から浮かび上がるロボットのような・生き物のようなふしぎなプヨプヨした白い球体が逃亡者を暴力的に引きもどす。あからさまな暴力装置はこれだけ。あとの得体のしれないモノはニンゲンだけ。主人公の「わたし」も含めて?
第一話の、だまし・だまされるスリリングなどんでん返しからはまってしまった。
この『プリズナーNo.6』のDVDは日本語版も出ている。