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2011.05.04 Wednesday
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石が流れて木の葉が沈む
2009.04.24 Friday
夜中に泥酔し裸で公園で騒いだのはまずい。
それで逮捕。家宅捜索もされた。たぶん夜中の公園だからその裸を見た人はそう多くはあるまい。なのに全国津々浦々に逮捕の情報が流れ、バッシングに遭った。近所迷惑なのは確かだが。
さて毎回パンツ一丁でテレビに出演して騒ぐのはいい。
テレビは何百万という人々が同時に観ているかもしれない。何百万の家々の茶の間にパンツ一丁の男が飛び込んでいくる。公序良俗(舌をかみそうなことば)に多大な影響を与えるのはどちらだろう。
こういうのを「石が流れて木の葉が沈む」というのではなかったか。
時は過ぎていく
2009.04.23 Thursday
朝、下の子が「ここに『しんぢゃう』があるの?」と胸を指している。「心臓」という意味だろう。「そうだよ、ここに心臓があるんだよ。し・ん・ぞ・う・って言ってごらん」とわたしが言う。「しんぢゃう」と子どもが言う。おもわず笑ってしまう。
小学校へ行く上の子を玄関で見送ったあと、「行っちゃったね」と言って、下の子は庭へ出て遊ぶ。すでに園服も着、帽子もかぶっているから保育園へ行く準備はできている。庭に座り込んでひたすら黙々と一人で土をいじっている。その丸まった小さな背中には寂しさがにじみ出ていた。
それでわたしはサッカーをしてあげた。固いサッカーボールを蹴る。「もっと強く蹴って!」というので、ちょっと力んで蹴ったら、ボールが子どもの「しんぢゃう」を直撃した。すぐ嘘泣きをする「ウソナキング」の下の子だが、ほんとうにべそをかいた。ますますかわいそうなことになった。
もっと柔らかい黄色のビニールボールがあったはずなのに、どこへ行ってしまったのか。畑の草むらの中に分け入って探したが見つからない。きっとどこか風に乗って遠くへ転がって行ってしまったのだろう。
人生は子どもたちにとってやがて「固いボール」となるだろう。それを一人で受けて立たなければならない。桜道もすっかり葉桜になった。時がどんどん過ぎていくのを感じる。いつまでも同じ時とところに留まっていたいと思うのは年のせいか。
ネショキング
2009.04.21 Tuesday
小学校1年生。なのにおねしょばかり。寝るときには親指をしゃぶっている。こういう小学生なんているんだろうか。
この子のことを、わたしは「ワンピース」の「ソゲキング」をもじって「ネショキング」と命名した。
さすがのお調子者も恥ずかしいのか、「ちゃんと名前で呼んで」と言う。
どうしたらおねしょは直るのだろう。あまり無理強いさせてもよくないらしい。そのうち自然にしなくなるのを待つしかないのだろうか。
焼け石に水(あるいは焼け跡に水)
2009.04.19 Sunday
きのう預金通帳を見てびっくり。「絶対防衛線」が突破された。ここ数年みたこともない預金額になっていた。ショック。気落ちしてしまった。
おかしい。このまえ定額給付金と子育て支援手当という名目で、納めた税金がわずかに還付されたはずなのに(こういうのを焼け石に水、あるいは焼け「跡」に水というのかもしれない)。
今年に入ってから、さまざまな出費があったから仕方ないか。家計簿(100円ショップで買った)をつけているので、その詳細は把握している。特別支出が多かった。
長男の小学校入学にともなうさまざまな出費(机とかランドセル)。さらに突然のパソコンの故障、ダイレクトメールのように勝手に「電気紙芝居」を送ってくる上映機の故障がつづいた。さらにプッツンと突然電源が切れてしまうデジタルビデオカメラ(昔オークションで手に入れた)をあきらめて新しいカメラを買ってしまった。で、車の定期点検も。
しかしこれらは減価償却によるもの。この上に何か椿事でもあれば、家計は一気に破産へむかう。まさに「すべり台」(湯浅誠)のよう。
慌ただしい4月
2009.04.17 Friday
今年の4月はあまり桜を見に行く機会がなかった。しかし、生活のなかに桜があった。生活するすぐ脇に桜の花が咲いていた。それでいいのだと思う。
毎日3分だけ読んでいる本がある。ちょっとしか読めないし、読み通すというたぐいの本ではない。写真つきのギリシア観光案内だ。新書版。手にとったページを眺める。なんとか島、なんとか島、目に入れてはすぐに忘れてしまう。あと10回くらい同じ写真、文章を毎日3分ずつ読み続けていけば、そのうち自然に脳裏に刻まれていくかもしれない。無理に覚えようとは思わない。それでいいのだと思う。なぜ3分かは秘密。
ふと過去の手帳をさがしてみた。ここ10年分くらいがまとまって見つかる。見つかるということは意識して保存してきたということだろう。しかしチラっと中身を見たが、何が書かれているのか今ではもうよく分からない。手帳は「そのとき」を生きていたのだ。その前の手帳はすでに倉庫の中。過去の記憶はどんどん遠ざかる。これも、それでいいのだと思う。
今度の土曜日は休みだけれど、5つの「仕事」が重なってしまった。4月は桜の花のように慌ただしく過ぎていく──
『夜と霧』の一文
2009.04.16 Thursday
フランクルの『夜と霧』のなかに、次のような印象深い文がある。
「すなわち愛は結局人間の実存が高く翔けり得る最後のものであり、最高のものであるという真理である。」(霜山徳爾訳)
なんとなく分かるのだけれど、なんとなく分かりにくい。
原文は次の通り。
「; die Wahrheit, daß Liebe irgendwie das Letzte und das Höchste ist, zu dem sich menshliches Dasein aufzuschwingen vermag.」(すなわち愛はそこへと人間の現存在が己れを高め得るどうやら最後の、そして最高のものであるという真実である。)
「そこへと」とわざわざ翻訳調に訳してみた。そうしないと分かりにくいのだが、日本語らしくないし、くどいし堅苦しい。なかなかうまく日本語にできない。
石原吉郎は次のようにエスペラントに訳しているようだ(『シベリア抑留とは何だったのか』の写真から)。
「Amo estas la lasta kei la plej alta, al kiu la homa ekzistendo povas alflugi.」
エスペラントはよく分からないが、原文の「zu」(〜に)に当たる「al」を使っているようだ。構文的には原文(ドイツ語)と同じだと思う。まるで原文から訳したかのようだ。石原も和訳を読んで「心うたれる箇所なのだけれど、なんとなくわかりずらいな」と思って、試しにエスペラントにして書き込みをしたのだろうか。
池田香代子訳は「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。」とあっさりしている。「究極」ということばが文脈をうまくくみ取っている。
「愛」をフランクルは「人界」のものではなく「天界」のもの(形而上学的なもの)のように捉えているのではないだろうか。だからこそ霜山は(意識的に)「高く翔けり得る」と訳しているのだろう。
エスカレーターの「暴力」
2009.04.15 Wednesday
駅だったかどこだったか、エスカレーターに乗って下っていた。いつものようにゆっくり。
降りるところでちょっとトラブル。というのは前におばあちゃんがいて、エスカレーターの動きよりもさらにゆっくりと降りていたから。
おっとっと、と下でおばあちゃんにぶつかりそうになった。わたしがぶつかって立ち止まったら、わたしの後ろの人たちが後から後からぶつかってくるだろう。これはエスカレーターが「強制的」に人を押し出すことによって起こる必然的なトラブルだ。
人によってエスカレーターの動きが「おそい」人、「はやい」人がいるにちがいない。しかしエスカレーターは「無情」に一定のスピードで動くだけ。人がそれに合わせるしかない。それが機械の本質かもしれない。
機械はますます改良されて、人それぞれに合わせることができるようになると考えるか、機械の属性としてどうしても「無情」な一律なものとなってしまうと考えるか。さてどちらだろう。
どんなに精巧につくられた機械でも、人のように「人に合わせる」ことはできそうもない、とわたしは考える。
だれに対してもどんなときでもどこでも一定の動きが期待される「便利な」機械・エスカレーターは、だから「危険」である。
機械の力に抗して一人の人間がどうこうできるものではない。ベルトコンベアーの上の品物のように人々が運ばれるとき、それを「乗客」の一人の人間が停めることはできない。
車も同じ。車のスピードは歩行や自転車のスピードとは違う。「人間の通常の力をとっくに越えている」から事故になったら「乗客」はたいへんだ。さらには飛行機。飛行機にはぜったいに乗らないという人の理屈はよく分かる。
さいきんは「人にやさしい・・・」という標語をよくきく。しかし機械はその本質からしてほんとうに「人にやさしく」なれるのだろうかと思ってしまう。
もうひとつ。機械に人間が合わせて生きるようになるということは、機械がなければ生きられない人間になるということだ。なんとなく将来が不安になる。むしろ、逆説的に、やがて機械なしに人間が生きられるように、いま機械を働かせなければならないのではないだろうか。人類に新しい文明が可能だとすれば、そのように展望すべきではないかと思う。ちょうど元々野生動物だった生き物を人間が世話して、やがて野生にもどすように。
『シベリア抑留とは何だったのか』書評
2009.04.12 Sunday
『シベリア抑留とは何だったのか──詩人・石原吉郎のみちのり──』(畑谷史代/岩波ジュニア新書)読了。二回続けて隅から隅まで丹念に読んでしまった。いろいろなことを考えた。
石原の写真や香月泰男の絵、フランクルの『夜と霧』に書き込まれた石原のエスペラント翻訳文の写真などが収められていて親切で丁寧だ。ただある写真の説明にある「過激派の学生たち」の「過激派」はまずい。メディア操作の生臭い「血糊」が付着している。過激派というなら、石原など、ことばの真の意味でもっとも過激(ラジカル)派だ。
石原吉郎のシベリア抑留と「その後」の日本での生活について、石原にかかわる、あるいは石原に影響を受けた、あるいは抑留にかかわるさまざまな人々のことばを拾い集め、ジャーナリストの目で、かつ詩を通して、石原の「その後」の人生を浮かびあがらせている。
この書に取りあげられた印象深い石原のことばをあげてみる。
◯ 「人を押しのけなければ生きていけない世界から、まったく同じ世界へ帰って来た」
◯ 「私にとって人間と自由とは、ただシベリヤ(の強制収容所)にしか存在しない」
◯ 「『人間』はつねに加害者のなかから生まれる」(『確固たる加害者を自己に発見し』て踏みとどまる『単独者』として)
蛇足:高野悦子の『二十歳の原点』に石原が引用されているとは知らなかった。
まず石原は極限状態の強制収容所から「自由」で「民主的」な日本にもどって来たはずだったが、「人を押しのけなければ生きていけない世界」(つまり囚人の世界)へ再び戻ってきたことを知って愕然とする。
さらに石原たち「シベリア帰り」は、母国から「骨身にこたえるような迫害」を受ける。石原はいう、「私は、このような全く顛倒したあつかいを最後まで承認しようとは思いません。誰がどのように言いくるめようと、私がここにいる日本人──血族と知己の一切を含めた日本人に代わつて、戦争の責任を『具体的に』背負つて来たのだという事実は消し去ることのできないものであるからです」ときっぱりと述べている。
「誰かが背負わされる順番になっていた戦争の責任を」シベリア抑留という過酷な運命によって背負ってきた以上、「このことだけはかならず日本の人たちに理解してもらえるという一種の安心感」を生きるよすがとして帰国したはずが、母国日本から骨身にこたえるような迫害を受けるという理不尽きわまりない扱いを受けた。そうして生きるよすがとして恋い焦がれてきた故郷を捨てる。
結局石原は〈どこでもないあるところ〉に生きざるをえなくなる。かれは(敵も味方!も)「告発しない」という決意によって詩の世界にようやくたどりつくことができたらしいが、しかし詩文の世界によって彼自身は救われたのだろうか。(外に道はなかったのだろうけれど)。
ともかく著者は石原吉郎のシベリア抑留と「その後」の詩人としてのみちのりとのかかわりを、丁寧にわかりやすく著してくれた。謎にみちた非常にわかりにくい人生だけれど(わかりやすい人生などないか・・・)。
人は忘れている。日常のベールをぺろりと剥がせば、それぞれにギリギリの極限状態を人は生きざるをえないということを。石原のことばはつねにそのことを思い出させてくれる。
子どもがはじめて国家と出会うところ
2009.04.11 Saturday
「子どもがはじめて国家と出会うのは小学校だ」と言われていた。
入学式のときに「歌」と出会うからだ。
しかし上の子の小学校の入学式に出てみて、その認識を改めた。
というのは、入学式の時すでに歌う子どもたちがたくさんいたからだ。
つまり、子どもがはじめて国家と出会うのは幼稚園になった。家の子どもたちは保育園出身だから「歌」をまったく知らない。まだ国家と出会ってはいなかった。
歌うときには保護者もみんな立って厳粛だ。しかし座ったあと式が進行すると、隣りのご両親二人はガムをかみ、後ろのお母さんたちはおしゃべりをはじめた。そのおしゃべりは式の最後まで続いた。2年生がステージで一生懸命に新1年生のために学校生活を紹介する劇を演じてくれていても、まったく意に介さずにじぶんたちだけの世間話をしている。
何かがずれている。何か大切な「関節」がはずれてしまったような気味悪さを感じる。
下の子のことば 4
2009.04.09 Thursday
・「たまもやき」(卵焼き)
鼻音の「ご」が発音しにくいのか、直前の「ま」にひかれて「も」と発音してしまう。
・「ポンコポリン」(ポンポコリン)
たくさん食べたあと、「お腹がポンコポリンになった」と言う。どうしてこういう逆転が起こるのだろう。
お腹のことを「ぽんぽん」と言うのは、幼児がいっぱい食べてお腹がでっぱるので、太鼓に似せたその姿から「ぽんぽん」という音を連想し、かわいらしい擬音語で表したのだろうか。「ぽんぽこ」も同じ。でも「りん」は?「こりん」といえば、コリン星人で有名な「ゆうこりん」。「〜りん」はきっと愛称なのだろう。
・「またきのうあおうね」(また明日逢おうね)
お友だちに言うシュールな別れことば。「おととい来やがれ」の婉曲表現か(そんなわけない)。
4歳の子にとっても、いちばん確かなのは「今」だ。しかし意識できる対象にはならない。意識できる確実な対象は「過去」のみ。すなわち「きのう」。きのうは「今」の充溢のなかにしっかりと生きているのだろう。しかしあしたは「今」のなかではかげろうのようだ。
たんなるルーチンをこなすだけの日常を生きる、つまり「いま・ここ」を生きなくなると、ありえない未来(まだ来ぬあした)に期待したり、おびえたりすることで「いま・ここ」が侵食されるのではないか。
だとすれば柳田国男のいう「明朝の不安」は作り話だ。そうではなく、(清光館のあった村の人たちは)「いま・ここ」に生きているからこそ、「明朝の不安」などありえなかったのである。「明朝の不安」と「バルサム」こそ旅の文人の想像にすぎなかったのではないか。
柳田が清光館没落について尋ねても、村人たちがちゃんと記憶していなかったのは、村人たちがまさしく「いま・ここ」にしか生きていないことの証左ではないか。
盆踊り歌の意味を「一夜の旅の者=柳田たち」に(清光館の細君が)語らなかったのは、きらびやかな都のお偉いさんにとって、つまらない、はずかしい歌詞だろうと勝手に卑下していただけかもしれない。
そんなことをつらつら思ってしまった。
・「こがねむしはちからもち」(黄金虫は金持ちだ──という歌詞)
ただの誤解か。