<< May 2009 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
               Page: 1/2   >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク * - * * - * -

理不尽きわまりなさ

 5月29日の『週刊金曜日』(752号)に高遠菜穂子さんのリポート「破壊と希望のイラク」が掲載されている。

 『「日本はなぜイラクに軍隊を送ったのだ!?」というイラク市民の怒号と「自作自演だ、死んで当然の自己責任」という(日本の)激しいバッシングはいつでもワンセットだった』という。

 以前紹介した『シベリア抑留とは何だったのか──詩人・石原吉郎のみちのり──』と重なる。もう1度引用してみる。

──さらに石原たち「シベリア帰り」は、母国から「骨身にこたえるような迫害」を受ける。石原はいう、「私は、このような全く顛倒したあつかいを最後まで承認しようとは思いません。誰がどのように言いくるめようと、私がここにいる日本人──血族と知己の一切を含めた日本人に代わつて、戦争の責任を『具体的に』背負つて来たのだという事実は消し去ることのできないものであるからです」ときっぱりと述べている。/(石原は)「誰かが背負わされる順番になっていた戦争の責任を」シベリア抑留という過酷な運命によって背負ってきた以上、「このことだけはかならず日本の人たちに理解してもらえるという一種の安心感」を生きるよすがとして帰国したはずが、母国日本から骨身にこたえるような迫害を受けるという理不尽きわまりない扱いを受けた──

 この文章を記していたときに、わたしの脳裏には高遠さんのことがあった。石原の話は過去の話ではない。「日本はなぜイラクに軍隊を送ったのだ!?」というイラク市民の怒りと、戦争に日本が加担してしまった責任とを、すべての日本人に代わって背負わされた高遠さんが、当の日本人から「骨身にこたえるような迫害」を受け、バッシングされるという理不尽きわまりなさ。

 高遠さんは拘束から5年ぶりにイラクに戻った。地元部族長が結成した治安維持組織「覚醒評議会」に招待された。高遠さんの長年の人道支援の実績が地元に認められたのだ。イラクのラマディー滞在最終日の前日に記者会見をした。地元イラクのメディアやロイター、BBCまで駆けつけたという。ところで日本のメディアは報道したのだろうか。

 詳細は「週刊金曜日」か「森住 卓のフォトブログ」(http://mphoto.sblo.jp/article/29185313.html)を観てください。



JUGEMテーマ:ニュース


mojabieda * 時事 * 15:14 * comments(0) * trackbacks(0)

『コレリ大尉のマンドリン』

 第二次大戦中、ドイツとイタリアは同盟国だった。しかしドイツ軍とイタリア軍とが戦ったことを知った。

 テレビで放映した映画『コレリ大尉のマンドリン』をDVDに録画してあったのを観た。というのはギリシャのイオニア海に浮かぶ「ケファロニア島」を舞台とした映画だったから。ギリシャ関係はなんでも観てしまう。

 この映画じたいは戦争を背景にした恋愛ドラマで、ハッピーエンドで終わる。しかし戦争の実像をわたしは知らなかった。

 第二次大戦当時、ドイツとイタリアは同盟国だった。ところが、ギリシャのこの島ではイタリア降伏後、イタリア軍がドイツ軍によって千人ちかく殺されたという。なぜ?と思う。イタリア軍はギリシャのパルチザン軍に与したらしいが、ドイツ軍によるイタリア軍虐殺はその原因なのか結果なのか。

 ともかく、イオニア海の平和な島・ギリシャ正教の島・過去に外国による複雑な占領史の積み重なる島の様子がドラマの背景に描かれる。恋愛ドラマは情熱的できれい(きちんと片づく)?という感じ。コレリ大尉はイタリア軍の司令官。マンドリンを背負う、軍人らしからぬ仲間思いのイタリア青年。対するは島の医者の娘で才気煥発。島の娘の父親の、時代と恋愛とを観る温かく冷静な視点が映画を貫いている。それとギリシャの海。



JUGEMテーマ:映画


mojabieda * 映画 * 17:31 * comments(0) * trackbacks(0)

そのとき、どういう行動をとるか

 5月25日(月)うすい晴れ。子どもたちのお迎えのあと、庭で夕暮れサッカー(ボールの蹴り合い)をする。

 夕食はたらの西京漬けだったか。

 二階の書斎に居ると地震がきた。8時半ころ。直下型みたいだった。鋭い揺れ。震源は近くか。「(いよいよ東海大地震が)きたか」と思った。

 そのときの最初の動作は、パソコンのウェブブラウザを閉じなきゃ、パソコンをスリープさせなきゃ、などというパソコン操作だった。

 その直前に子どもたちが「おやすみ」と言って寝室へ行っていた。だから子どもたちが寝ている寝室へ走って行きそうなものだが、目の前のパソコンの操作に走った。へんな(エロい)ホームページを観ていたわけではない。

 子どもたちは起きだして「地震なの?」と不安げ。わたしは「もう大丈夫、寝なさい」と行ってすぐに下へ降りてテレビで地震速報のテロップを確認する。

 震度3。

 地震が「きた」時に、どういう行動を取ったらいいのか、取れるのか、まったく分からない。とつぜん「その時」が来ても、すぐ目の前の動作を続けること、あるいは完了することしかできそうにない。頭の中がまっしろになってしまうのだろう。

 ある朝、とつぜん巨大な毒虫に変身してしまったじぶんを発見したら、まずはじめの動作はたぶん、目覚まし時計をどれかの足?を使ってとめようとすることだろう。



JUGEMテーマ:日記・一般


mojabieda * 日記 * 21:25 * comments(0) * trackbacks(0)

おなじみの短い手紙

 『タカダワタル的ゼロ』のDVDの二枚目に入っているラングストン・ヒューズの「おなじみの短い手紙」の歌詞を調べてみた。手元の詩集(『ラングストン・ヒューズ詩集』[木島始訳・思潮社・1993年])には「短いおなじみの手紙」になっている。目次には「小さいなじみの手紙」と記されている──どうでもいいけれど。ワタルさんは木島始訳どおりには歌ってはいない。ちょっとアレンジしていた。

 1993年のある日の夕方、わたしは詩人の木島始の『群鳥の木』というエッセイ集を読んでいた。木島はラングストン・ヒューズの「助言」という詩を訳している。その訳詩が好きで、もし木島訳のヒューズ詩集があれば、ほしいなあと思っていた。そのあと行きつけの本屋に行く。すると目の前に木島始訳の『ラングストン・ヒューズ詩集』があった。探しても見つからないものが、むこうからやって来た、という感じだった。

■ 「短いおなじみの手紙」(終わりの部分──木島訳)

  ひっくり返してみた、
  裏には一語も書いてない。
  ぼくは黒人として生まれてから
  これほどわびしく感じたことはない。

  ただの鉛筆と紙だけで、
  ピストルやナイフは要らない──
  短いおなじみの手紙
  がひとの命をとれるんだ。

 この部分の原詩はつぎのとおり。

■ 「Little Old Letter」(終わりの部分)

  I turned it over,
  Not a word writ on the back.
  I never felt so lonesome
  Since I was born black.

  Just a pencil and paper,
  You don’t need no gun or knife―
  A little old letter
  Can take a person’s life.

 平易で、かつ心をえぐるような詩。黒人の「ぼく」に一通の「おなじみの短い」手紙がくる。その手紙がどういう内容かは歌われていないが、読んだ「ぼくを真青にした」。「ぼくに墓に入ったほうが、死んだほうがいいと思わせ」る手紙だった。黒人ということだけで、いやがらせの手紙が来る、「おなじみの短い手紙」が──

 この詩集の帯には「貧乏で孤独で、家庭は破滅し、絶望し、文なしになって、ブルースをつくったんだ。ブルースとジャズの代表的な詩人ラングストン・ヒューズ」と記されている。
 
 茨木のり子の名著『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)のなかにも、「助言」というヒューズの詩が出てくる。この詩もいい。リズムがある。もちろん木島始訳。

■ 「助言」(一部)

  生れるってな、つらいし
  死ぬってな、みすぼらしいよ──
  んだから、掴まえろよ
  ちっとばかし 愛するってのを
  その間にな。

 愛するってのを掴まえる、って、原詩ではどうなっているのだろう。何かの本のなかで、つらい仕事をしながら「50年50年」とつぶやいている女の子がいたという。「50年前にはわたしはいなかった、50年先にもわたしはいないだろう。人生はたかだかそのくらいなもの。我慢するにしても束の間にすぎない」という意味らしい。束の間にすぎない間だからこそ、愛をつかまえろとヒューズは歌った。ほんとうにそう思う。

 どうしたわけか、ヒューズの詩と、エルゼ・ラスカー・シューラーの詩とを、わたしはときどき取り違えてしまう。たとえば次のような詩の一節。わたしはヒューズの詩と勘違いしていた。USAのジャズとブルースの詩人とドイツの裕福なユダヤ女性と、どこでどうつながってくるのか分からないけれど。悲しみの深さという点で似ているのかもしれない。

■ 「ひとつの歌」(の冒頭部分)  エルゼ・ラスカー・シューラー

  わたしの目のうしろには海がある
  わたしはそれを全部泣いてしまわなければならない

■ 「Ein Lied」  Else Lasker-Schüler

  Hinter meinen Augen stehen Wasser,
  Die muß ich alle weinen.

 もとにもどって、さいしょのヒューズの詩「おなじみの短い手紙」。このヒューズの詩にだれかが曲をつけ、タカダワタルが木島始の訳で歌ったらしい。

 では、曲(メロディー)はだれがつくったのか。

 いろいろ調べてみると、ボリス・ヴィアン(Boris Vian)が歌った「Le Deserteur(脱走兵)」という歌のメロディーがまさにこのメロディーだった(高石友也が「大統領様」とか「拝啓大統領殿」とかいう題名で歌っているという)。作詞はボリス・ヴィアン、作曲はHarold Bernard Bergという人らしい。この歌「Le Deserteur(脱走兵)」は反戦シャンソン歌という。いつの、どこの戦争に対する反戦歌なのかよく分からない。

 反戦シャンソンのこのメロディーにのっけて、いったい誰がジャズのヒューズの詩を歌ったのだろう?きっと替え歌なのだろう。「下手人」はワタルさんだろうか。ワタルさんのすることは思いがけないから。

 そういえばワタルさんは先のDVDの付録映像で、「朝日楼」(朝日のあたる家 The house of the rising sun)をメジャーコードで歌っていた。ワタルさんの場合はマイナーコードではなくメジャーコードがよく似合う。「悲しすぎて笑う」みたいな。マイナーのメロディーを突き抜けた「うしろには」メジャーの「海」があるらしい。ワタルさんは「それを全部」歌い続けていたのかもしれない。それにしてもあの笑顔は福の神のようだった。



JUGEMテーマ:音楽


JUGEMテーマ:小説/詩


mojabieda * 詩歌 * 19:31 * comments(0) * trackbacks(0)

『タカダワタル的ゼロ プラス』を観る


 左が『タカダワタル的』、右が今度出た『タカダワタル的ゼロ』

 『タカダワタル的ゼロ プラス』をDVDで観た。2枚とも続けて観てしまった。感慨深い。よかった。まわりの人々の温かさ、和やかさが伝わる。これは本人の人徳?のいたすところか。

 わたしは昔の「高田渡」のほんのわずかな一部しか知らなかった。いまは「タカダワタル」として「世界遺産」!(泉谷しげるのことば)になっている。

 二枚目の特典DVDの息子さんとの共演は、どこか狭い部屋でのライブ。ここでの歌はあまり聞いたことのない歌が多かった。「おなじみの短い手紙」の歌詞はどこかで聞いたことがある。そうだ、ラングストン・ヒューズの詩を木島始が訳したものだ。さらにわたしには昔懐かしい「鉱夫(こうふ──いまは漢字変換もできない死語となった)の祈り」を歌う。わたしには懐かしいが、会場はたぶんしらけている(かもしれない)。そこでタカダは歌と楽器を変える。息子・漣との明るい曲。このデュエットもみごと。さらにツィターのようなオートハープを取り出す。はじめて見る楽器。その楽器のみの演奏もあった。「埴生の宿」。タカダはふざけて「ビルマの竪琴」みたいでしょ?という。「水島〜!帰ろう」とか言って。

 亡くなったあと、その死を悼んでライブを含めた映像が2回も映画化され、そのDVDが発売されるミュージシャンなど金輪際いないだろう。

 今回のDVDやポスターの写真など、ほとんど「教祖」のような風貌。亡くなったあとも、じわじわと人々の心に影響を与え続けている。

 タカダワタルには何かオーラのようなものを感じる。ひどく懐かしく、かつ心温まる。これは往年のフォークシンガー高田渡を知っている中高年ばかりでないだろう。そのライブも泉谷とは対照的だ。ギターを打楽器のように使って吠えるあの暴れん坊の泉谷しげるが、タカダの歌と演奏の横で、仏様のような穏やかな顔でだまって眼を閉じて座っていたが、やがてなんとなく涙目になっていたような──



JUGEMテーマ:映画


mojabieda * 映画 * 08:58 * comments(0) * trackbacks(0)

サムトの婆──日常からの逃走


──『死にたい』と冗談でも言う私たち 戦地の子どもは『生きたい』と泣く

 この歌は神戸のとある高校生の歌だという。そこからいろいろなことを考えた。

 衣食住ゆたかな暮らしのなかにありながら、どこか寒気にも似た「貧困」を感じているのは若者だけではないだろう。

 この世に生きる希望も夢もない、じぶんの生きる場がない、じぶんを見失っている、生きるに値しない、そういう世界および自己否定感からくる「世界と自分からの逃走」への秘かな願望、これが寒気の正体だろうか。

 『ヨーロッパをさすらう異形の物語 上』でつぎのような文章に出会ったとき、『遠野物語』の一節を思い出した。
 
──(さまよえるユダヤ人とむすびついて伝承される)幽霊猟師は嵐の象徴と言われている。おもしろいことに、フランスのある地域では、夜の突風が吹くと、さすらいのユダヤ人が通ったというらしい。(p38)

 ここはヨーロッパ中世から伝わる「永遠にさまよえるユダヤ人」の伝説について述べた部分である。

 それで思い出した『遠野物語』の一節はつぎのとおり。

──黄昏に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に集まりてありし処へ、きはめて老いさらぼひてその女還り来たれり。いかにして帰つて来たかと問へば人々に逢ひたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人々は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰つて来さうな日なりといふ。

 この両者の共通点は何か。風の鳴る音と夜と(永遠の)さすらい人。これらの話の背景には、古今東西の人の心の奥底に眠る「日常からの逃走──永遠のさすらい」への強い願望があるのではないだろうか。悲劇のベールをかぶせることで、わたしたちの心の奥底にある秘かな願望を眠らせているのである。

 だからこそ映画『パビヨン』は爽快なのだ。「牢獄」をみごとに脱出するから。そうして、「牢獄」に留まるダスティン・ホフマンにかぎりない愛惜の情を抱くのだ。

 ところで、通常ふつうの人が取り得る唯一の「道」は宝くじでも買うことだろうか。今度買ってこようと思う。しかしそこにも長い「行列」が出来ていることだろう。


JUGEMテーマ:日記・一般


mojabieda * 読書 * 21:02 * comments(0) * trackbacks(0)

「貧困」ウイルスの蔓延

 夜の水田、蛙の声

 9日に確認された国外感染。16日になって国内2次感染が確認された。

 国内感染は、関西・成田などの空港での検疫をGW前後にすりぬけた人たちによってもたらされたものだろうか。

 17日前後のネット記事を見ていると、大阪・兵庫の高校ごとに広がっているようだ。市町村などの地域ごとではない。ということは、感染の仕方が、高校や部活動などの集団的、密集的な(濃密接触が起こりうる)生活の場で広がっているということだろう。そこから現在のこのウイルスの感染力も想定できる。しかし感染経路はどうなっているのだろう。

 すでに(渡航経験のない人たちによる)国内2次感染がひろがって、感染経路が当局にもつかみにくくなっているかもしれない。あるいは、どこかで感染経路を正確に掌握しているのかもしれないが、たとえ掌握していても、メディアには出さないだろう。直接の感染源のはずもないのに、特定の人たちへのいわれなき非難が集中しているようだから。

 さらにこの新型ウイルスが、変異によって強い感染力のある「強毒性」のインフルエンザに将来変わる可能性はないのだろうか。変異が時間の問題なら世界的な対策が必要だろう(が、打つ手はないかも)。だれもこのウイルスに対する免疫がない。政府は「弱毒性」を強調している。なるほど健康な成人なら今のところ「弱毒性」かもしれないけれど、重症化する人たち(持病のある人や妊娠中の人、乳幼児)がいる以上、楽観はできない。

 わたしも5月10日(日)に東京へ日帰りした。(成田につながる)東京駅はいつものとおり混雑していた。ここでもし「強毒性」ウイルスの感染が広がれば怖ろしいことになるなあ、そうなったら、じぶんもすでに感染しているのだろうなあ、などと、あらためて思った。それにしても「強毒性」とか「弱毒性」って、考えてみるとふしぎなことば。(ねつ)造語だろうか?。

 ところで、強毒性の「貧乏神」ウイルスが巷(ちまた)に蔓延しているという。「貧困ウイルス」ともいう。わたしの家の貯蓄もどんどん目減りして一方的に右肩さがりだ(このままいくとローンの返済が・・・)。このウイルスに完全に感染しているらしい。こちらはすでにレベル6のパンデミックを起こしている可能性がある。こちらの直接の感染源・原因ははっきりしている。世界不況も原因だが、こんな明日の見えない・希望のない「貧困」大国をつくったKo、Ab、Asなどの特定個人に対する「いわれある非難」がもっと集中していい。



JUGEMテーマ:ニュース


mojabieda * 世情 * 20:28 * comments(0) * trackbacks(0)

映画『サラマンダー』



 この前の夜、テレビで映画の『サラマンダー』の後半だけ観てしまった。第一印象は、これは聖書でいう大天使ミカエルと龍との戦い。このような意味が、この映画の底に流れているのだろうか。

 一人の少年が青年になり、そうしてとうとう龍を退治する。そのようなビルドゥングス・ロマーンにもなっている。かれは一度龍との戦いを避けて皆とともに隠れる。かれには「隠れること」と「闘うこと」との選択の自由があった。そうしてやがて一人の人間として「闘うこと」を選び出して立ち上がる。まさに個人の自由を人の意識の中心に据えた大天使ミカエルに後押しされているかのようだった。静かな英雄は現代を切りひらく人間像を予感させた。

 しかし黙示録的な終末世界を描く映画がなんとたくさんあることか。映画は「病んでいる」現代を問わず語りに語っているのだろうか。

 また、なぜ映画の龍はドラゴンではなく「サラマンダー」という名前なのか。ここにもなにか意味があるのだろう。

 サラマンダーというのは神秘学でいうと火の精。火は現代文明の象徴。火と機械に対するものは水と生命。核攻撃でも滅びなかった不死身の龍が、弓矢で滅ぶというのはアイロニカルだが、火と機械の文明に対するアンチなのだろう。老子でいえば「故に堅強なる者は死の徒にして、柔弱なる者は生の徒なり。是を以て兵強ければ則ち勝たず、木強ければ則ち折る」「上善は水の如し」を想起させる。映画の中では「米軍」の生き残りの機甲師団みたいな最強軍団も龍によっていっしゅんにして滅ぶ。しかし静かな一人の男が立ち上がり、龍を斃す。

 シュタイナーの神秘学によれば、動物の群全体を管理する魂というものがあって、その個体が死ぬとそのアストラル体が「集合的な一つの魂」にもどる。しかし中には臨終のさいに一瞬個体が自我を持つことがあり、死後も自我を持ちつづけると、それがサラマンダーという火の精となるという。

 (呪われた)未熟な自我ばかりの突出──これが龍を「サラマンダー」と呼ぶ意味か。ただ火を噴いて破壊するだけの自我の暴力の横溢。きわめて現代的な話。

 あの火を噴く姿で連想したのは第二次大戦での、洞窟(ガマ)に隠れた者たちを焼き殺す一方的な火炎放射器。それにナパーム弾による大都会への一方的な皆殺しの空襲。あの龍(サラマンダー)は架空の話ではない。

 朝、明け方の水田を眺めるとなぜか心が鎮まる。




JUGEMテーマ:映画


mojabieda * 映画 * 08:40 * comments(0) * trackbacks(0)

卒論一覧表

 3年前、ふとしたことで見つけた大学時代の独文専攻の卒業論文一覧表(1956年から2003年まで──どなたか、ずいぶん丁寧に調べあげてくださった)のHP。じぶんの卒論もきちんと載っていた。06年の5月に「発見」したものの、その後は見なかった。

 もう1度みたいなと思ったが、もうネット上には存在しなかった。それで、もしかしたらダウンロードしたかもしれないと、Macのなかの日記を検索してみた。するときちんとページをダウンロードしてあった。

 で、そのウェブ書類をサファリで開いたら、すぐにノット・ファウンドとなって表が消えてしまう。それでエア・マックをオフにして(ネットに繋げずに)サファリを開き、ページをひらいてテキストにしてみた。懐かしい名前がたくさんあった。古代遺物を発掘したみたいな気分になった。

 かき消えてしまったものは多い。10年間住んでいたアパートはいつのまにか更地になってしまった。数十年も行きつけだった書店も、この前みたらすっかり更地になっていた。

 なくした記憶を取り戻すことはできない。ときおり狂おしいくらい取り戻したくなる。しかしぐうぜんに「古代遺物」を発掘してみたが、さて、それをどうしようか。

 今朝は20年ぶりに出会った人もいた。むこうは覚えていてくれたが、こちらはほとんど忘れてしまっていた。年をとると視野狭窄ならぬ記憶狭窄とでもいうのか、眼が悪くなるように記憶も悪くなる。だんだん記憶も「更地」になってしまうようだ。



JUGEMテーマ:日記・一般


mojabieda * 人生 * 20:10 * comments(0) * trackbacks(0)

「逃」源境のはなし

 この俗世をはるかに逃れた「桃源郷」が地上に存在するのだろうか。

 ギリシャ正教の「桃源郷」ともいうべき「聖山アトス」にも宗教紛争?があるらしい。ギリシャ正教「原理主義」集団ともいうべき突出した修道院があるという。Esphigmenou修道院。これについては『エーゲ海の修道士』に描かれている。

 ギリシャ正教も西方ローマ教会の影響を受け、ローマ教会との「関係改善」がなされつつあるらしい。たとえば正教伝来のユリウス暦もすでに聖山アトスにしか使われていないという。そのほか、教義上の根本的な違いがあるはずだが、だんだんと西方の影響を受けているらしい。この傾向に反旗を翻した修道院が先の修道院。

 先の書物によれば、徒歩でしか巡れなかった聖山アトス山中にもいまや「タクシー」が走り、ドクターヘリが飛来するという。いまにHPやブログも登場するのかもしれない(あるいはすでにあるのだろうか)。

 千年ものあいだ、ほとんど暮らしを変えて来なかった秘境のような聖域にも、現代文明が押し寄せているということだろうか。

 有為転変の世の中。



JUGEMテーマ:日記・一般


mojabieda * 世情 * 06:17 * comments(0) * trackbacks(0)
このページの先頭へ