左が『タカダワタル的』、右が今度出た『タカダワタル的ゼロ』
『タカダワタル的ゼロ プラス』をDVDで観た。2枚とも続けて観てしまった。感慨深い。よかった。まわりの人々の温かさ、和やかさが伝わる。これは本人の人徳?のいたすところか。
わたしは昔の「高田渡」のほんのわずかな一部しか知らなかった。いまは「タカダワタル」として「世界遺産」!(泉谷しげるのことば)になっている。
二枚目の特典DVDの息子さんとの共演は、どこか狭い部屋でのライブ。ここでの歌はあまり聞いたことのない歌が多かった。「おなじみの短い手紙」の歌詞はどこかで聞いたことがある。そうだ、ラングストン・ヒューズの詩を木島始が訳したものだ。さらにわたしには昔懐かしい「鉱夫(こうふ──いまは漢字変換もできない死語となった)の祈り」を歌う。わたしには懐かしいが、会場はたぶんしらけている(かもしれない)。そこでタカダは歌と楽器を変える。息子・漣との明るい曲。このデュエットもみごと。さらにツィターのようなオートハープを取り出す。はじめて見る楽器。その楽器のみの演奏もあった。「埴生の宿」。タカダはふざけて「ビルマの竪琴」みたいでしょ?という。「水島〜!帰ろう」とか言って。
亡くなったあと、その死を悼んでライブを含めた映像が2回も映画化され、そのDVDが発売されるミュージシャンなど金輪際いないだろう。
今回のDVDやポスターの写真など、ほとんど「教祖」のような風貌。亡くなったあとも、じわじわと人々の心に影響を与え続けている。
タカダワタルには何かオーラのようなものを感じる。ひどく懐かしく、かつ心温まる。これは往年のフォークシンガー高田渡を知っている中高年ばかりでないだろう。そのライブも泉谷とは対照的だ。ギターを打楽器のように使って吠えるあの暴れん坊の泉谷しげるが、タカダの歌と演奏の横で、仏様のような穏やかな顔でだまって眼を閉じて座っていたが、やがてなんとなく涙目になっていたような──