高校の日本史の授業で習う日米の不平等条約。たとえば「日米和親条約」「日米修好通商条約」などなど。江戸時代や明治時代のはなしだ。帝国主義の時代、列強に対してこれら不平等条約を撤廃させることが当時の極東政府にとってどれほどの悲願であり苦労であったか、という話をくどいほど習った。高校時代そんな大昔の「日米関係」など現在とはかかわりないものを、と思っていた。受験校だったから近代史はここまで。かんじんの現代史を習わなかった。
ところで、いまの「日米安保条約」はどうか。日米は対等か。
米軍のグアム島(米国領)基地建設に巨額の日本国民の税金が使われる。このグアムをふくめて在日米軍の再編・強化のために三兆円を日本国民が負担する由。それでなくても「思いやり予算」をふくめて毎年数千億円も在日米軍の「駐留」のために日本国民は税金を投じてきている。いわば大家が店子に「家賃」を支払い続けている驚天動地・前代未聞・空前絶後の「石が流れて木の葉が沈む」関係。この関係を日米修好やら日米同盟やら日米協調やらというのだろうか。どんな主権国家でも、日本国以外にこんな税金の使い方をする主権国家はこの地球上には存在しないだろう。日本の市民が日本国政府に「かつあげ」された上納金(税金ともいう)はどこへゆくのでしょう?
自民党の幹事長・内閣官房長官であった野中広務氏でさえ「日米平和友好条約」を結ぶべきだと述べている。そうでなければ日本はいつまでたっても米国と対等になれないと。
日米安保条約ではなく、対等な日米平和友好条約を、いつになったら日本政府は締結することができるのだろうか。
去年の秋、たまたま伊豆の下田の港を歩いていたら、記念碑のようなものがあり「日米交流150周年によせて」という米国のブッシュ大統領のメッセージが記されていた。2004年の3月31日とある。 1854年の日米和親条約調印からその年は150周年に当たっていた。この150数年のあいだに、さまざまな出来事があった。とくに第二次大戦など。
だが、長い目でみると、150年間「同じ関係」が続いてきたのではないか。そのことを問わず語りに語っているのが下田の記念碑だ。この関係はこの日米和親条約からはじまっている。急激に近代化した東洋の辺鄙な一小国と世界に冠たる米国との関係は、はじめから対等ではない。軍事力をもって鎖国を打ち破り、むりやり通商条約をむすばせた強国は、大陸の先住民を追い散らし西海岸まで到達した勢いで太平洋の彼方の下田へと進出した強国だった。その最前線の足跡を記念して下田に記念碑が建っている。
火が灯っている記念塔の碑文には「今日、日米両国はゆるぎない関係とパートナーシップを擁立し・・・」と記されている。原文は「Today, we are building on our strong relationship and partnership・・・」
ゆるぎない「対等な」「信頼」関係ではなく「ゆるぎない関係」と訳されている。いわば日本列島は米軍の「不沈空母」として「ストロングなリレーションシップ」が確立させられているということか。いざとなれば捨て石にされ、火中の栗を拾わされる「パートナーシップ」も。
イギリスでもっとも勇敢な連隊はウェールズやアイルランドやスコットランドのケルト系の連隊だという。アングロサクソン系のイングランドの連隊ではない。なぜならケルト系が、勇敢にならざるをえない最前線へ派兵させられてきたからだと南山大学のマイケル・シーゲル氏からきいたことがある。氏の父親はオーストラリア兵として「宗主国」のイギリス軍のために「捨て石」にされて戦死したという。
世界のさまざまな国がいま最強の軍事国家にひきずりまわされて火中の栗を拾わされている。アフガニスタンでは先日ドイツ兵が戦死した。英兵などなおひどい。さいわい日本には憲法九条というタガがはめられているものの、もしこれがなかったら、米国は英兵以上に海外のもっともひどい最前線へ日本のフォースを送り込んでいただろう。その代わりに「みかじめ料」を払わされているという仕組みだろうか──