このテキストは同学社の『Die freiheitliche Demokratie bedarf der Verantwortung und Solidariät ihrer Bürger』(大澤峯雄編)。ここに詳しい注釈があってたいへんに助かる。その注釈を利用させていただいた。
◯「すべての暴力に抗い立つこと(Allen Gewarten zum Trutz sich erhalten)」──ハンス・ショルは死刑執行人に身をゆだねる前に、このように独房の壁に書いた、とヴァイツゼッカー元大統領は演説する。
この引用はおそらくインゲ・ショルの『白バラは散らず』(『Die Weiße Rose』)からだろう。調べてみると──
◯ そのあと黙って壁にむかい、ちょろまかした鉛筆で何やら白い壁に書いた。監房のなかはなんとみいえないほど静かだった。彼が鉛筆を手ばなしたとたん、錠ががちゃがちゃして扉があいた。警吏たちが彼に手錠をはめて、裁判へつれて行った。
壁に書いてあった文句は、『なべての力にあらがい立ちて』(ゲーテ『リーラ』より)だった」『白バラは散らず』(インゲ・ショル著/内垣啓一訳/未来社)p104
Darauf drehtte er sich still der Wand zu und schrieb mit einem eingeschmuggelten Bleistift etwas an die weiße Gefängnismauer. Es war eine unbeschreibliche Stille in der Zelle. Kaum hatte er(Hans Scholl) den Bleistift aus der Hand gelegt. da rasseltm die Schlüssel und de Tür ging auf. Die Kommissare legten ihm Fesseln an und führten ihn zur Verhandlung. Die Worte, die er noch an die Wand geschrieben hatte. hießen: "Allen Gewalten zum Trotz sich erhalten."
さらに調べると──
◯「父親がよく口にしていたゲーテの一句を、勤労奉仕をしていた数ヶ月の間に、ゾフィーはよく思い出していた。「すべての権力に立ち向かうべし!」父親はよく大声で「すべての!」としか言わなかったが、家族の者にはこれで充分だった。ゾフィーの場合これは、自分自身に対する厳しさと、まわりの心地良さを捨て、良心の選択に従うということを意味していた。」『白バラが紅く散るとき』(ヘルマン・フィンケ著/若林ひとみ訳/講談社文庫)p87,88。
Eine Zeile von Goethe, die der Vater häufig zitierte, kam Sophie Scholl während der Monate beim Reichsarbeitsdienst oft in den Sinn : "Allen Gewalten zum Trutz sich erhalten!" wobei der Vater manchmal nur laut "Allen!" sagte, und dann wusste die Familie Bescheid. In ihrem Fall hieß das: Härte gegen sich selbst, Entscheidungen gegen sich treffen. Immer wieder musste sie sich diese Härte abverlangen.
◯「フランスと同じように、ときどき私も降参したくなっちゃうのね。でも、いかなる暴力にみまわれようとも!」『白バラの声 ショル兄妹の手紙』(1940年6月17日のゾフィーの手紙から)(インゲ・イェンス編/山下公子訳/新曜社)p161上。
Auch mir ist manchmal danach zu Mute, die Waffen zu strecken. Aber, allen Gewalten zum Trotz!
これらを読むと、「すべての暴力に抗い立つこと(Allen Gewarten zum Trutz sich erhalten)」は父親の教育方針(家訓?)だったらしい。
もともとはゲーテの「Lila」という歌劇の詩句らしい。ネットで調べてみると──
Feiger Gedanken (臆病な考えや)
Bängliches Schwanken, (不安な迷い)
Weibisches Zagen(女々しいためらいや),
Ängstliches Klagen (びくびくした訴えは)
Wendet kein Elend, (悲惨を変えられない)
Macht dich nicht frei. (おまえを自由にはしない)
Allen Gewalten (すべての暴力に)
Zum Trutz sich erhalten, (抗い立つこと)
Nimmer sich beugen, (屈服しないこと)
Kräftig sich zeigen, (雄々しさを示すこと)
Rufet die Arme (神々の力を)
Der Götter herbei!(こちらへ呼び寄せろ!)
訳はテーゲー(適当)。
ここでヴァイツゼッカー元大統領はいう──
「かれ(ハンス)とかれの仲間たちがまったき生の肯定をどこから確信していたのか?かれらがナチの不正の政治体制に従う義務はないという信念をどのようにして得たのか?悪の政治をなすがままに行わせることは臆病なことだという深い内面からの自信はどこから生まれたのか?ゾフィー・ショル(ハンスの妹)は手紙の中でこう書いている──「わたしたちは政治的に教育された」。この政治的教育というのは抵抗の教育を意味するのではない。精神の自由への教育、自立的判断への教育、意志への教育、必要とあらば抵抗へと自己決定する教育だ。」
ここを読むといろいろと考えてしまう。まずは政治教育ではなく政治的教育の必要性。ハンスやゾフィーはさいしょは父親が反対するのもかえりみず、ヒトラーユーゲントなどのナチスの活動に積極的にとび込んでいく。
ヴァイツゼッカーはさらにつづける──
「かれらには責任ある自由を本気で考えていた両親と精神的な教師がいたのである。両親たちは、若者たちがすべてを根底から新しく造り直そうとする一方で、古い世代が既成のものへ若者たちを順応させようとする世代間によこたわる根本的な矛盾を理解していた。その理解と精神と愛とをもって、両親たち古い世代は、若い人々がじぶん自身で経験を重ね、じぶんの目と感情と価値とに信頼を寄せてもよいのだという自信を持たせることに成功した。ここから「すべての暴力に抗い立つこと」という内的な力と確信とが育ったのである。
それにしても、それほどまでに若者たちを自由にさせ独立させ誠実にさせるために、どれほどの時間と、思いやりと、揺るぎない態度とを古い世代は必要としたことだろうか!今日の若者たちに、白バラの学生たちが指針として用いたような精神的な基準を求める者は、われわれの時代においてはまず両親たちや教育者たちの基準を問いたださなければならない。」(訳はテーゲー)
多感なハンスやゾフィーはやがてナチスの活動に幻滅し、みずからの判断と信念とを苦しみながら培っていった。そうして大学生となり、白バラというナチに対する抵抗組織をつくっていく。こういう道筋を父親たちも見とおしてはいなかっただろう。子どもたちが「英雄」とされることも望んではいなかっただろう。しかしかれらは自らの道を選んだ。それぞれの自立的判断と意志と信念とによって。子どもたちは親の足もとから羽ばたいて行く。逆縁だったが、それもまた運命として受け容れなければならなかったのだろうか。いろいろ考えさせられる。教育は政治よりも猛なるもの[激烈なるもの]かもしれない。
ヴァイツゼッカーは演説のはじめにこう述べる──
「『君たちの心にまとう無関心の外套を脱ぎ捨てよ。遅くなる前に決断せよ』。「白バラ」抵抗運動の人々が逮捕と死刑の直前に5番目のビラでこう呼びかけてから50年が過ぎた。いつの時代でも、とくにわれわれの時代でも、自分なりのやり方で、この呼びかけの受け取り人である自分を認めてきた。われわれはじぶんの内面に、白バラの合図に答えるこだまを、常に新しく感じ取っている。」