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奥の手

 兄弟で将棋をうつようになった。しかし下の子はまだ動きが分からない。角が前へ進んだりする。それでわたしが応援する。

 こちらには飛車角があるから相手にならないはず。ところが──

 ところが、どうしたわけか飛車を上の子に取られてしまった。ちょっとした油断をつかれてショック。ついでに銀も取られた。上の子もちょっと強くなってきたか。

 下の子が泣きはじめたので、

──いいよ、取り返してあげるから、とは言うものの、相手には飛車が2枚に銀もあるし、形勢は容易ではない・・・。逆転させるのはめんどくさいな、と思う。

 そこで奥の手を使う。

──さあ、風呂だ、とわたしは言う。

──風呂へ入る時間だぞ。

 こうして、子どもたちを風呂に入れてしまう。そのあと上の子が体をふきながら、

──将棋(のつづき)は?と訊くので、

──もう寝る時間だからここまで、今夜は引き分けだな、と言って片づけさせる。

 とはいえ、こんな大人の「奥の手」を、子どもはちゃんと見やぶっているようだ。

JUGEMテーマ:育児
mojabieda * 子育て * 07:15 * comments(0) * trackbacks(0)

足に合う靴

 「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。」(須賀敦子『ユルスナールの靴』の冒頭部)

 いま履いている靴は足にぴったり合う。だからいつでもどこでも履き続けてきた。このままではじきにぼろぼろになると思い、もう一つ似たような靴を買った。これもぴったり。しかし紐はきつめにした。

 そうして1ヶ月ぐらい交互に履いてきた。

 今朝、古い靴を履いたら、ゆるゆるに感じた。古い靴が一夜で「物理的」にゆるゆるに広がったのだろうか。それとも古い靴をゆるゆるに感じるほど、新しいきつめの靴に履き慣れてしまったのか。もしそうだとすれば、感じ方という「内面」が変わったのだろうか。

 たぶんこういうことだと思う。きっちり足に合っていたものが、物理的にやがてゆるゆるになる。しかし内面はそれを認めない(気づかない)。いつまでもきっちり足に合っていると思っている。そうして新たな(はじめのころのような)靴を履き出すと、対照的に古い靴が(ゆるゆるになって)足に合わなくなっていることに気づかされるのかもしれない。

 だとすれば「きっちり足に合った靴」そのものは常には存在しないのだろう。物理的に足に合うのは一時的なもので、そのうち足に合わなくなるからだ。

 ではさらに考える。それなら、じぶんの足の方を「きっちり靴に合う足」にすればよいではないか。もちろん足を変形させるのではなく、足が靴になじむように履き慣れるのだ。物理的にゆるゆるに古くなったときも、内面ではゆるゆるには感じない、いつまでもきっちり足に合っていると感じつづけられればいい。わたしの古い靴が、今まできっちり足に合っていると感じていたように。

 「進歩」派からすれば、これは「頽廃」かもしれない。しかし老子ならそれこそ上々というかもしれない。

 上記の須賀敦子の文章でいうと、足が「わたし」(内面)で、靴が「この世」(外界)か。

JUGEMテーマ:日記・一般
mojabieda * 人生 * 20:25 * comments(0) * trackbacks(0)

国1バイパスの怪

 今日は用事で静岡方面から浜松まで1号線バイパスをクルマで往来した、と思ってください。(浜松から)天竜川手前あたりは前から工事をしていて、ずいぶん道が拡張されました。

 で、帰りはその拡張された片側4レーンほどもある下りのバイパスを通って天竜川を越えようとした、と思ってください。

 で、橋へ向かう手前だったか、橋の上だったか、標識があるので見るといちばん右のレーンが「磐田」と記してあります。右から2番目が「静岡」。とうぜん「静岡」方面へ行くため右から2番目の車線を走っていた、と思ってください。

 で、天竜川を越えました。そのあとは渋滞。で、標識をみると、なんと、なんと一番右が「静岡」と記してあり、右から2番目が「磐田」です。つまり、橋を越える前に見た標識と逆転しています。いちばん右は静岡へ向かうバイパス、右から2番目はバイパスを降りて磐田市街へ行く車線でした。気づいた時にはすでに遅し、上へ下へと車線が分離して車線変更は物理的に不可能。

 これはいったい何!?とパニくってももう遅い。バイパスを降りて磐田市街へ突入し、あれこれ道をさまよいました。

 この逆転標識は「いやがらせ」か「冗談」か「悪夢」か「怪談」か?

 地元民なら「このイカレ標識が!ふふん」と鼻でせせら笑って前の標識を無視してやり過ごすでしょうが、勝手を知らないヨソ者がこの「浜松からの下り1号線バイパス」を静岡方面へ通ったときには、前の標識に絶対にだまされるでしょう。どうしてこんな標識になっているのでしょうか。

 それとも先に見た標識はわたしの白昼夢か誤解か、キツネにつままれたか。

 おそるべし「浜松下り国道1号線バイパス」。

JUGEMテーマ:地域/ローカル
mojabieda * 日記 * 23:23 * comments(0) * trackbacks(0)

偶成

 日常の茶飯事に追いまくられて、その日その日の課題のみしか目に入らず、それを乗りこえることだけに囚われる。

 そうして大きな目標も大きな課題も大きな希望も見えなくなってしまう。

 やがて日々の課題が雲散霧消したあかつきには、霧が晴れたように、目の前に大きな壁が立っている、切り立った崖になっている、あるいは無の空間になっている、ということに気づく。

 なんと視野が狭かったことか、なんとささいなことにこだわっていたことか。と、いまさら気づいても遅かった・・・。

 こういう体験は何度もあった。だからできるだけ広い視野を持ちたい、大きな展望を持ちたい、忘れていたはるかな目標を思い出したい、とは思ってみるものの、日々を振り返ることのできる休みの日になると、こんどは日々の仕事の反動に追いまくられる。

 つまらないテレビを観たり、娯楽の本を読んでみたり、ただショッピングのための買い物へ出たり。

 それにも飽きると、なんだか虚しくなって仕事に追いまくられることが恋しくなったりする。

 こうしていつの間にか年をとってしまう。

 ではどうしたらいいか。老子なら、こう答えるかもしれない。なんでもない日常茶飯事を楽しめと。しかしなんだか『砂の女』の主人公みたいだ。

 では、カフカの『掟の門前』風に考えてみる──

 「大きな展望」へ入る門には門番がいた。その門のところへ一人の旅人がやってきた。そうして門の中へ入りたいと門番に言う。門番は答える「日々の課題を済ませてからだ」。旅人はそう言われて、日々の課題をこなすことに追われる。ときどき疲れては門番のほうへ振り向いて尋ねる「いつになったら門の中へ入れるんだ?」。門番「そのうちな」。旅人はしだいに些末的な日々の課題だけしか目に入らなくなる。そこに門があることも、門番がいることも忘れて、ひたすら課題をこなしてゆく。やがて月日が経ち、旅人の目はかすみ、力は衰え、ある冬の朝はやくに倒れたまま動かなくなった。最後の息をひきとるとき、大きな門のむこうから光がさし込んで旅人を照らす。旅人は目の前に大きな門があったことに改めて気づく。そうして門番を呼んで尋ねる「この門はひらかれたままだ。それなのに、今までどうして私以外の者がこの門を通らなかったんだ?」すると門番は答える「この門はおまえさんだけの門だから・・・さて、それでは閉めてくるか」。

 カフカの『掟の門前』を読んで思うのは、どうして強行突破しなかったの?日々の課題なと放り投げて、いきなり門の中へ入ればよかったものを、ということ。

 そこでまた老子「そう、それを楽しみつつ、それを放り投げて捨てればよい。」そんなことを言うかもしれない。

 
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mojabieda * 人生 * 06:23 * comments(0) * trackbacks(0)

十字架上の七つの言葉

 この前チューリップの球根を50個買ってきた。それに以前掘り出しておいた水仙の球根100個ぐらいをまとめて花壇に植えた。下の子が手伝ってくれた。金木犀は全盛を過ぎて花が散る。掃き出しの窓に露がかかってきた。どうも秋はもの悲しくなる。

 『クレスコ』の10月号の「音楽と出会う」第30回はハインリッヒ・シュッツの「十字架上のイエス・キリストの七つの言葉」を紹介していた。

 めったに、めったにCDなど買うことはないが、ここの文章を読んで注文してしまった。

 というのは7つの言葉ってなんだろう?と思ったから。

 紹介されていたCDのジャケットはルドルフ・マウエルスベルガー演奏のドレスデン聖十字架合唱団の演奏のジャケット。これはアマゾンにもタワー・レコードにもなかった。しょうがない、送料は高いがアマゾン・ドイツで買った。CDの表題は"Musikalische Exequien / 7 Worte"。Exequienって何?なんだかなあ〜と思うけれど。

 四つの福音書から、イエスキリストの十字架上の7つの言葉をとりあげた宗教音楽らしい。キリスト教にもクラシック音楽にも縁無き衆生だけれど、なぜか買ってしまった。

 秋の空を見ていると、ちょっとぐらいは魂を浄化してみたい気になるようだ。

JUGEMテーマ:音楽
mojabieda * 音楽 * 06:54 * comments(0) * trackbacks(0)

下の子のことば 7

◯ 「テットボトル」 ペットボトルのこと。ペットボトルのことをわたしは言い間違えて「ポテトチップス」と言ってしまう。こちらの方が問題か。

◯ 「4じ2ふん3ふん」 4時23分のこと。10の桁の理解がないため、数字を横に読んでいる。ファーストフードの店で紙でできた時計をおまけにもらったので、そのデジタルの数字を見て時間を言うようになった。上の子はさいきんようやく繰り上げの足し算ができるようになったから「23ぷん」が理解できているようだ。

◯ 「おさるのジョルジ」 お猿のジョージのこと。テレビのアニメらしい。ジョージのことをジョルジと呼ぶ。フランス語みたい。

◯ 「バカムッソー」 ののしるときに使う。ムッソーがどういう意味か不明。外国語?

◯ 「バカメンタン」 ののしるときに使う。メンタンがどういう意味か不明。保育園で使うのだろうか。

◯ 「やきいもパーピー」 焼き芋パーティーのこと。この前保育園で芋掘りをして焼き芋をした。

◯ 「クソババア」 母親に対しても父親に対しても「クソババア」とののしる。言いやすいのかな。それとも「ババア」の意味が分からないのか。やがて「クソジジイ」と正確に言えるようになるはず。

◯ 「かめさま」 神様のこと。かめさまじゃあ、罰が当たりそう。

◯ 「くくした」 靴下のこと。夏は靴下をはかずに靴をはいていたので、足の臭いがすごかった。

◯ 「じぇんじぇん重たくね〜」 ぜんぜん重たくないという意味。スーパーで大きな買い物袋を肩から担いでくれるので助かる。小さいながら侠気があるが、体が小さいのでアンバランス。

◯ 「くうしゃ」 風車のこと。夏に御前崎へドライブしたときに、大きな風車と出会った。

◯ 「しってる!」 口答えするときに、さいきんしきりに言うようになった。「〜しなさい」と言うと「しっている!」とか。何かを教えたときも(知らなくても)「しってる!」といきまくこともある。上の子が小学校へあがってからいろいろと知識をため込んでくるので、下の子も対抗意識を持つのだろうか。

◯ 「わかればなし」 はなればなれの意味。一人前の布団で寝るようになり、お母さんと離ればなれに寝ることになったのを「別れ話だね」と言う。

JUGEMテーマ:育児
mojabieda * 子育て * 06:49 * comments(0) * trackbacks(0)

色のはなし

 東京へ行ってきた。駅で見かけたのは就活の黒いスーツ(襟は白)の若い女性たちの群れ。この黒ってどうよ、と思う。さいきんの車の色もワンボックスや軽だけでなく普通車にも黒が多くなったように思う。車を運転していて前後を黒い車に挟まれると、なんだか不吉な感じがしてくる。車も人も、もっと彩りがあってもいいと思うのだが。

 雨の四ッ谷でびっくりしたことがある。交差点あたりから市民らしきヒトビトのデモと拡声器のがなりたてる声が聞こえてきた。大都会でよく見かける光景。デモといえばふつう政権与党の自民党政治に対するプロテストのデモだった。ところが今日見たのはいつもの労働団体などの赤い旗(最近はさまざまな色になったが)ではなく、すべて白地に赤いマルのある旗ばかりで、政権与党の民主党政治にプロテストするデモだった。時代は変わるものだ。

 新幹線の中で読んでいた本は『ヨーロッパ中世美術』(浅野和生/中公新書)。ビザンティン美術の専門家によるヨーロッパ中世美術の案内書。ヨーロッパの中世美術というと、キリスト教美術といってもカトリック教会・修道院のそれしか思い浮かばなかったが、それだと古代ギリシャ・ローマの美術とのつながりが見えなくなってしまう。この書はビザンティン美術によってその未知の隙間を埋めてくれるように思った。さらにラヴェンナのテオドリクスなど歴史の書物に出てくる人物たちが、聖堂やモザイク壁画の制作とかかわって記されると人間味というか彩りをもってくるのがおもしろい。

 「しっくいに埋め込まれたモザイクの画面は平坦ではありません。またテッセラはガラスや鉱物ですから、光を反射します。そのため、アプシス全体が見る角度によってきらきらと表情を変え、またドームシアターに映写された映画のように、こちらに向かって浮かびだしてくるような効果を持ちます(p55)。」というところなどを読んで、大聖堂のアプシスとよばれる半円形の天井に描かれる金色のモザイクの典雅さというか優美さが、なんとなく分かるような気がした。

 生活に彩りは必要だろう。中世のモザイクのような微妙な色合いでいい。茶色の朝や黒シャツ隊はごめんこうむりたい。

mojabieda * 世情 * 21:45 * comments(0) * trackbacks(0)

いまだ覚めやらぬ

 政治体制が変わってしまうと、それまで合法的なものが非合法になったり、非合法的なものが合法になったりするようだ。

 善悪の基準もこの社会では政治体制が決めるみたい。そういう政治体制が人に「道徳」を説くのだから困る。盗人の説教。

 井上ひさしの新作音楽劇『組曲虐殺』は小林多喜二を描く。そのパンフには小林多喜二を虐殺した当時の特高がその後どうなったかが記されているという。

 特高部長は警視総監に出世し、敗戦時には内務大臣にまでのぼりつめる。

 特高課長は敗戦時には県警察部長になる。

 取調主任は署長を経て敗戦時には区長、戦後は教育委員になる。

 警察署内での虐殺80人、拷問による獄死114人にのぼるという。

 200人近い殺人を、犯罪を取り締まる者たちが犯す。その者たちは殺人が「勲章」となって出世する。戦後社会へ変わっても、教育委員などをしていたという。

JUGEMテーマ:ニュース
mojabieda * 世情 * 08:58 * comments(0) * trackbacks(0)

天下の愚法──「教員免許更新制度」

 なんだって?

 「文部科学省は14日、4月にスタートした教員免許更新制を廃止する方針を決めた」って?

 4月にスタートしたばかりの制度を同じ年の秋にはもう廃止にする方針だと?

 これをこれ「朝令暮改」という。

 首がかかっているから、4月からしゃかりきになって(昨年からの人もいる)自費3万円を出して講習を受けて来た人たちはどうなる!

 遠くまで高い旅費をかけて、夏休みをつぶして講習を受けて来た人たちはどうなる!

 神経をすり減らして書類を集め、講習修了の証明書を大学からもらい、さらに3300円の県の収入証紙を県庁まで行って手に入れて「貼り付け」て書類を提出した人たちはどうなる!

 へへんっと高をくくって講習を受けなかった横着者たちが利益を得て、正直者がバカを見るのか!

 こんなアホらしい法案を作って通した者たちは「はりつけ」だ!

 もうだれも信じないぞ!  

 と、現在の受講者たちの怒髪は天を衝くにちがいない。

 しずかに落ち着いて考えてみると、廃止そのものは結構。こんな制度は教員の教育力の向上に役立つはずがない。研修ならもっとやりようがある。大学の教員が講壇で書巻の知識を教えるより、現場のベテランの教育実践家から学ぶもののほうがはるかに有益なはず。教員はもともと学ぶことが仕事だ。免許取りあげを条件に研修させるという発想そのものが人をばかにしている。

 中には免許更新を売り物にする「商売っ気」たっぷりの大学もあったはず。さまざま科目を選択できる「ショッピング・モール」は一見きらびやかだが、中身のうすい「おかゆ科目」でお茶を濁す、みたいな。なかにはそれに乗っかってトコロテン式に講習を済ませ、ハードルのもっとも低いところを越えようとした教員もいたはず。これが教員免許更新の実態ではなかったか。初年度にしてこの制度はハナから破綻してはいなかったか。

  「33300円+旅費+雑費+無意味な時間+すりへった神経+怒り=貴重な経験(社会勉強)」という方程式が成り立つための条件は、法案成立の責任者全員の磔・獄門・さらし首くらいしかない、ほどの怒りをおぼえるっていう人たちも多いだろう。全国10数万人の受講者のこの怨恨をだれが晴らしてくれるのか。尾崎豊じゃあないが「俺達の怒りどこへ向かうべきなのか」。

mojabieda * 政治 * 18:51 * comments(0) * trackbacks(0)

ゆっくり食べ競争

 さいきんの家庭サービスはほぼ0状態。涼しくなったら旅行へでも出かけたいと思いながら、土日もあれこれと秋はいそがしい。せめて・・・とこのまえの連休に近所の「お好み焼き屋」へ家族を連れていく。

 はじめての「お好み焼き屋」さん。子どもたちは鉄板を前にはしゃぐ。「おいしいおいしい」と、はじめガツガツ食べていたが、次第にゆっくりになり、やがてちょっとずつしか食べない。おかしなやつらだと思う。

 どうやら兄弟で「ゆっくり食べ競争」をしているらしい。先に食べ終わってしまった相手を尻目に、勝ち誇った顔で優越感にひたりながら一人ゆうぜんとじぶんのお好み焼きを食べたいみたい。いやしい根性のやつらだと思う。

 そういうわたしは一番はじめに食べ終わって、だれか残りをくれないかな〜みたいな顔をしていたようだ。さては、わたしの物欲しそうな顔が子どもたちの「ゆっくり食べ競争」の誘因だったかもしれない。

JUGEMテーマ:育児
mojabieda * 子育て * 06:45 * comments(0) * trackbacks(0)
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