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囲碁をはじめる

 紅葉を見に行こうよう、という話になり、川の上流へドライブに。220メートルほどもあるという吊り橋を渡る。ふつうに歩いても振動が半端ではない。子どもたちはおもしろがっていた。河原の土手へのぼり、山と空と川と電車を見ながらみんなで座っておむすびを食べる。帰り道はお茶の実やどんぐり、栗などを拾う。真っ赤なもみじを1枚いただいて家の額縁に飾る。

 さいきん子どもたちが囲碁を教えてくれとうるさい。家に碁盤があって奥に仕舞い込んであったのを見つけたらしい。もちろん保育園と小学校1年生で何も知らないから、九目置かせてからはじめる。わたしが言うことは簡単。「陣地を広くつくった方が勝ち」「じぶんの石をつなげて、相手の石を切る」「碁盤を広く使う」「まわりぜんぶを囲んだら相手の石が取れる」・・・。これ以上の説明はめんどくさいなあと思う。あとは適当に打って、という感じ。ときどきいい手を打つとほめる。しかしどうしてその手がいいのか、ということは説明しない。めんどうだから。

 しかしやがてだんだんと説明しなくてはならなくなる。「あと一手で相手の石を取るよ、というとき『アタリ』という」「目を二つつくれば生きる」・・・などと。そのうち「これは欠け目といって、欠けているからほんとうの目じゃない」「これはコウといってキリがないから、1回休んでからまた打つ」などと説明などしている。

 やがて子どもたち同士でも打つようになった。

 そのうち、どこでどう勘違いしたのか、「死んでいる」というのを「骨折している」と言っている。ちょうどいま近所の友だちが腕を骨折して家の中に籠もっているらしいので、相手に囲まれて動けない石を「骨折している」と表現するのだろうか。

 それにしても小学生と保育園児が碁を打って楽しいのだろうか。保育園児は「しょうぎよりおもしろい」という。碁は白と黒しかないから分かりやすいだけだろう。角をまっすぐに進める保育園児は、碁ではアタリでもないのに勝手に相手の石を取りあげている。

 二人とも「分からないもの」かつ「なんだかおもしろそうなもの」に興味を持つようだ。知らないことを知りたいという思い、世の中にはおもしろそうなことがいっぱいあって、いっぱい知りたいという思い。こういう好奇心はいいなあと思う。そうして分からないながら楽しみつつ、敵愾心があって勝負にこだわっている。こだわるからゲームになるのだろうが、負けるとすぐに泣いて放り投げたりするのはどんなものか。

JUGEMテーマ:育児
mojabieda * 子育て * 21:55 * comments(0) * trackbacks(0)

秋晴れの朝に

 秋晴れの朝だった。子どもを保育園に送ったあと、車を街に走らせる。

 ふと、じぶんが幼稚園に送られて、送ってくれた叔母がしばらくいっしょにいてくれたが、知らぬ間にいなくなって置いてけぼりにされていることに気づいたときの、あのなんともいえないもの寂しさを思い浮かべていた。

 思い浮かべていた、というより懐かしんでいた。車のなかはバッハのリュートが聞こえていた。

 (幼稚園の人と人とのあいだで=社会のなかで)孤独であることが強く感じられるほど、安心していられる家や家族に愛着を感じていたのだろうか。そうして純粋なじぶんのままでいられたことに。

 いまは孤独であることも感じられないほど「鈍感」になっているのかもしれない。純粋なじぶんなどどこにもなくて、感受性のにぶく濁ったじぶんしか感じないのかもしれない。孤独を感じ、感覚がとぎすまされるとき、純粋なじぶんに立ち返るのかもしれない。

 置き去りにされたときのもの寂しさは──。神社でみんなで隠れん坊をする。じぶんが鬼になって数をかぞえ、ふと振り返えると、神社の境内には誰もいない。今までみんな騒いでいたのに・・・。その空虚な空間を見渡したときに感じる、なんともいえないもの寂しさに似ている。

 あるいは、幼稚園の電車の遠足の帰りに、じぶん一人だけ静岡の駅前の松坂屋の屋上にあった「遊園地」へ母親と立ち寄ったときのもの寂しさにも似ている。楽しみだったはずなのに、みんなから離れてじぶん一人だけ楽しもうとしていたとき、春のうららかな「遊園地」にいて、ふと、じぶん一人ということを強く感じて急にもの寂しさがこみ上げてきた。

 当時のじぶんにとって家庭や家族(や仲間)はまだ自我の延長線上にあったのだろう。そのなかにいたときには自我を、孤独を強く感じることはなかったのかもしれない。あるいは自我の世界しか存在しなかったのかもしれない。その自我が外の世界へ放り出されたときに、自我の外に世界があることに気づき、つよく自我を感じ、孤独を感じたのかもしれない。しかも幼いころの自我は無防備で純粋だった。傷つきやすかったし、その時にその場で生きていた。そのことが懐かしかったのかもしれない。いまは・・・どうなのだろう。

 

 そんなことを思い浮かべた。

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mojabieda * 人生 * 07:17 * comments(0) * trackbacks(0)

わたし──とは

 『人類が生まれるための12の偶然』(岩波ジュニア新書)読了。

 さまざまな偶然によって、宇宙が、物質が、地球が、生命が、人類が、そしてわたしが生まれたことを知る。

 その偶然について、いろいろ考えさせられた。

 とはいえ、以下の点に疑問を持った。

 あとがきにあった「私たちが誕生する際にあった偶然」については、「私たち」(=ひとりひとり)を主語とする場合には当てはまると思う。父親の精子と母親の卵細胞が受精して生まれてきた以上、1億以上の精子のなかからたった一つの精子が受精するのであるから、確率は1億分の1などという数字になるだろう。しかし、それが「あなた」だと呼びかけられると、「?」と疑問がわいてくる。たとえその1億分の1のレースに勝ったのがたまたま一つの精子で、そこから生まれた個体をAと称して他から識別すると、そのAが生まれる確率は1億分の1だが、その個体Aがわたしである確率は無限分の1だ。

 無限分の1というのは、たとえば手作りの作品がこの世にたった一つしかない、という意味ではない。わたしは比較されえないもの、確率では表せないもの、天上天下唯我独「存」のもの、ということ。たとえこの世に一つしかない手作りの作品があっても、広いひろい宇宙の、長いながい時間のなかでは(あるいはパラレルワールドのなかでは)、いつかどこかで同じものが創り出される(創り出された)ことがあるかもしれない。しかしわたしはそうではない。もし、別の時代に、あるいはパラレルワールドにわたしに姿形、性格、境遇、細胞の一つ一つ、DNA、すべてがぴったり同じ別の「わたし」がいたとしても、それはわたしではない。なぜなら、その人はわたしではないから。わたしは「いま・ここ」のこのわたししかいないから。そのことをどのように説明したらいいのだろう。

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mojabieda * 読書 * 21:53 * comments(0) * trackbacks(0)

1日に三つのことで時代の流れを感じる

◯神社の駐車場

 前の晩までは天候不順だったが、その日は天気のいい秋晴れになったので七五三まいりに出かける。車で静岡市の神社へ。たぶん七五三まいりで混雑するだろうから、近くの有料駐車場へ停め、門前町を歩いてお参りに。境内に入るとお店が出ているのはいいけれど、なんと参道を車が出入りしている。参道の回りが駐車場になっていた。七五三だから小さな子どもがいっぱい来ることが分かっていて、車は危険だなと思う。しかしそういう参拝客が増えているということなのだろうか。500円の「千歳飴」を7歳と5歳の子どもに買ってあげる。家で中身を見ると、縁起ものだから(文句などつけては罰があたる)とは思うが、その紅白の長い飴が、昔とくらべてなんだかずいぶん短くなったような気がした。袋もボール紙みたいだし。

◯古本屋の閉店

 門前町を歩いた。ここには昔からの古本屋さんがあって、よく参詣帰りに立ち寄ったものだった。で、見ると閉店になるということですべて半額だという。昔かたぎ風の、この辺りで唯一残っている古本屋さん。岩波の本などもたくさん並んでいる。時間もなくてちらっと店内をのぞいただけだった。子どもたちは外で写真集などを立ち読みしている。よく本屋や図書館にいっしょに連れていくので子どもたちは飽きることはなかったようだが、ゆっくり見ていく余裕もなく、後ろ髪をひかれる思いで去る。

◯桜並木消える

 いったん家にもどり、着替えてから遅い昼食へ出かける。隣の市のラーメン屋さん。道を隔てたその向かいには長くつづく川沿いの歩道があって、きれいな桜並木と菜の花がずっと続き、みごとだった。春になるとラーメンを食べたあと家族で桜を鑑賞したものだった。で、来てみてびっくり。その桜並木がない。根もとからことごとく切られているようす。河岸工事のためだろうか、この市の「名所」が一つなくなってしまったように感じた。春になると食後にこの川沿いの歩道の桜ふぶきを子どもたちと楽しんだものだったが。

 下の写真は昔、ラーメン屋さんの窓から見えた桜並木。
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mojabieda * 世情 * 18:28 * comments(0) * trackbacks(0)

なくしたものが偶然すぐに見つかる

 早朝に起きて、仕事のためにパソコンを開く。

 何かの用事で急に必要になって、いつもはあまり使わないUSBメモリを筆箱から取り出す。「あっ」とびっくりする。蓋がなかった。筆箱を逆さにして中身を全部出してみたが、蓋がない。まいったな、と思った。この前買ったばかりの2ギガのメモリだった。

 ついさいきん静岡市で使ったから、探し出すのはたいへんだ、絶望的だなと思った。

 そのあと、下の子が起きておしっこもらしたと申告してくる。そこで寝床の布団を確認しに行く。さいわい布団は湿っていなかったが、その布団の脇の畳の上にUSBメモリの蓋を見つけた。どうしてここにあるのか。子どもたちがいたずらしたとしたら手が込んでいる。

 いろいろ考えてみた。たぶん仕事中にわたしのウインドブレーカーのポケットに入れたまま忘れていたメモリを、蓋をしっかりしめないままポケットから取り出して筆箱にしまった、そのとき蓋がないことに気づかなかった、外れていた蓋はそのままポケットに残って忘れられていた、その上着を夜寝るときに布団の脇に置いた、そうして今朝起きたときにウインドブレーカーを着ようとしてポケットの中の蓋が外へ出された、そうして布団の脇の畳の上に置き去りにされた、それを下の子がおねしょしたと申告したので寝床へ確認に来てたまたま見つけた、これが真相だろうか。

 それにしても、蓋がないことに気づかずに筆箱にそのまま入れたことが信じられない。そんな不注意なことをするだろうか。だとしたら、そうとうあわてていたに違いない。さいごに使ったのを確認したら、11日の水曜日の朝だった。その日は静岡市へ大量のデータを持っていかなければならなかった。だから、いつも使うUSBではなく、この2ギガのメモリにデータを入れて持って行ったのだ。そのときあわてていて、蓋もせずにそのまま筆箱に入れてしまった、としか考えられない。たしかにあの朝は時間がなくてあわてていた。静岡市へはウインドブレーカーを着て行かなかったから、その日の朝メモリを使ったとき蓋を無意識にウインドブレーカーのポケットに仕舞ったままだったのかもしれない。他のパターンも一つ一つ検証したが、いちおうこれで結論とした。

 たかがメモリの蓋だが、ここでさまざまな偶然が重なったように思う。

1 今朝、メモリを筆入れから取り出して使おうとして、蓋がないことを確認したこと。 
2 今朝、下の子がおしっこもらしたと申告したこと(下の子はおねしょなどほとんどしたことがない)。 
3 布団を確認しにわざわざ寝床へ見に行ったこと。 
4 昨晩は下の子がわたしの布団の脇まで転がって来て寝ていたこと(をわたしが覚えていたこと)。 
5 昨晩は上着をそこへおいて寝たこと。 
6 その辺りの布団がおねしょで濡れていると推測して、かがんで辺りを触って確認したこと。 
7 今朝起きてすぐ上着を着たが、上着のポケットに入れたままの蓋が上着からひょっこりこぼれ出ていて、まるで「あとで見つけてね」とでも言うかように布団の脇の畳の上にちょこんと落ちていたこと。

 1から7までの偶然が重なった。そうして蓋がすぐに見つかった。こんなにうまい具合になくしたものがすぐに見つかる確率はどのくらいだろうと思った。

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mojabieda * 日記 * 20:47 * comments(0) * trackbacks(0)

川越し街道

 「島田髷」の女性たちの踊り。

  蓮台越しの行列。

  鹿島踊りの行列。向こうは大井川。

  鹿島踊りを踊る少年少女たち。

  地元三高校生による路上劇。

  路上劇を観る人々。  

 縁あって川越街道フェスティバルというのへ出かけました。

 まず見たのは島田髷というきれいどころの踊り。美容師さんだとか。

 それから蓮台越しの行列(乗っている女性は「さわやかしまだ」さんたち)。 人足姿は地元の保存会らしき人々と高校生らしい若者たちなど。 

 鹿島踊りは県の指定重要文化財のようです。11月だというのに暑い日差しになって、踊り手たちもたいへんそうでした。みんな真剣な顔。 

 それから地元の三つの高校の演劇部員による川越しを紹介する路上劇。川越しの歴史は400年にもなり、旅の途中の芭蕉や地元の俳諧人なども登場しました。

 子どもたちの踊る昔の踊りなどを観ていると、こういう風景はいいなあと思いました。大人になってからもきっと忘れないだろうと思います。そうしてじぶんの子どもや孫にも伝えていきたい・・・と思うようになるのでしょう。

 昔の東海道の川越しの風景やにぎわいを彷彿とさせた1日でした。





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mojabieda * 日記 * 19:56 * comments(0) * trackbacks(0)

演技を強いるまなざしの力

 上の子がこちらを見る。そのまなざしによってわたしはたぶん表情が硬くなっているのかもしれない。そうして無意識にも「父親」を演じる役にはまり込む、ような気がする。上の子にはなんとなく厳しくなるし、上の子の方も「父親」のわたしを意識しているようだ。

 そのまなざしから離れる(こちらを見なくなる、意識しなくなる)と、わたしはふだんのわたしに戻るのだろう。

 これは逆もいえるはず。わたしが上の子を見る。するとそのまなざしによって上の子の表情が硬くなり、無意識にもじぶんが「言うことをきかない長男」(あるいは「言うことをきく長男」)を演じる役にはまり込む、のかもしれない。

 そのわたしのまなざしから離れると、上の子はふだんの上の子に戻るのではないか。

 まなざしが相手に「はまり役」を与え、たがいの「演技」がますます相手の「役」を固定させる。このような、相手に演技することを強いるまなざしには、なにか怖ろしげな魔力を秘められているのだろう。

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mojabieda * 子育て * 06:42 * comments(0) * trackbacks(0)

地表の歩き方

 ペタペタと上履きの音を鳴らして歩く人、影法師のようにスーッと音もなく通り過ぎる人、職場の椅子に座っていると、人それぞれにさまざまな「音」や「気配」があって、その「発信源」がだれなのかを見なくても分かるような気がする。人それぞれにそれぞれの人生を負っているような歩き方だ。

 ちょうど頭のうしろが本人には直接見えないように、おのれの「歩き方」が醸し出す音や雰囲気についても、それがどのようなものなのか(人がどのように聞き、どのように感じているのか)をフィードバックして認識する方法を人は持たない。はたしてわたしはどのような歩き方をしているのだろうか。

 地表の歩き方。いつごろ人類は地表を歩くようになったのか。5歳くらいの子どもの立ち方を見ていると、すくっと姿勢がいいし、じつにバランスがよくて美しい歩き方をするように思う。やがて「自我」の意識が強くなり、社会と己との軋轢がますます強くなると、そのバランスが崩れるようだ。

 地表の上の歩き方を見、聞いていると、その人のこの世(地表)での生き方(歩き方)まで映し出されてくるような気がする。

 いや、それどころか、太古の昔に海中で生まれた生命がやがて地表に現れ、立ち、やがて地表を離れて宇宙空間へと向かうだろう遙かな未来までの時間の流れのなかで、人類の、現地点でのありようの一端が浮かんで来るような気がする。5歳くらいがいちばん「進化した生命体」であっては困る。

 風のように涼やかに、林のようにしっとりと、火のように果敢に、山のようにどっしりと、それでいて舞うように軽やかでしなやかな地表の歩き方(つまりは生き方)はできないものかと思う。そうして足元も星座も、地平線の向こうまでも見ながら、人は歩いてゆかなければならない。

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mojabieda * 人生 * 06:39 * comments(0) * trackbacks(0)

無事を事とす



 旧街道のお祭りに行く。商店街の人々が夜店を出している。子どもたちは射的を3回もやった。下の子はなかなか当たらない。それでさいごにわたしが代わりに撃つ。一発でお菓子の箱が2つ倒れる。「お父ちゃん、すごいね」と言われる。宝くじもこのくらい当たればいいのにと思う。

 わたしは商店街のお店の灯りを見るのがすきだ。屋台よりも店内の灯りを眺めて歩く。寒い秋の夜の薄ぐらい灯りもなんとなく温かい。ここの商店街の灯りもいつまでも続いてほしいと思う。

 お寺さんに入る。毘沙門天ののぼり。太鼓を叩く人々がいる。熱気がある。樹齢750年というみごとな松もみられる。子どもたちが手を合わせているが、何を祈っているのだろう。そのあと好奇心で賽銭箱の中に手をつっこもうとするので叱る、「こら!罰が当たるぞ」──射的も宝くじもなかなか当たらないが、まあ無事なことがいちばんかと思う。老子でいうと「無事を事とす」。

 きのうは例年になく寒い晩で月もきれいだった。



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mojabieda * 子育て * 07:44 * comments(0) * trackbacks(0)

国1バイパスの怪のつづき

 上の夜の写真は浜松市街から天竜川を渡る手前か、橋の上の標識。

 4本ぐらいの車線があり、いちばん右は「磐田」とある。右から2番目は「静岡」である。ところが3番目、4番目も同じものがある。ということは、この4本の車線は1本1本の車線の標識ではなく、どこの4本の車線を走っても「だいたい静岡・磐田方面だよ〜」という、非常におおざっぱな標識なのだろうか。

 しかし、磐田バイパスを通って静岡まで行くためには、いちばん右の車線にはり付いていなければならない。(ちらっと見ただけでは「静岡」方面を指しているように見える)右から2番めの車線にいたら、静岡へ向かう磐田バイパスには入れず、一方的に磐田の街なかへ向かわされてしまう(3番目、4番目はそれ以前に別の方面へ向かうようだが不明──旧1号線へ向かうのだろうか?)。

 天竜川の橋を渡って2車線になってから、いちばん右のバイパス方面へ向かう車線はかなり手前で渋滞になるため、右から2番目の車線を走るドライバーが「バイパスを通るには、いちばん右側の車線にはり付いていなければならなかったのだ!」と気づいたときにはもう遅い。

 下の昼間の写真は、「気づいたときにはもう遅い」バイパス手前の2車線になってからの標識。この標識が見えるかなり手前でバイパスへ通じる右端車線はずっと渋滞になる。ここに至って、その右端車線が「静岡」方面へ向かう磐田バイパスであったという「真の姿」が現れる。それまではおおざっぱな「オブラート標識」につつんで隠しておいたのにちがいない(んなばかな)。

 そうしていつも渋滞するおそれのあるバイパスは「カスタマー」のためにとっておき、その他の「いちげんさん」はバイパスの渋滞を緩和させるため、バイパスには入れさせず旧国道を走らせて迷わせようという魂胆か(んなばかな)。しかし結果的にはそうなる。吉田兼好の「先達はあらまほしきことなり」をもじれば、「正確な標識はあらまほしきことなり」。

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mojabieda * 日記 * 07:40 * comments(0) * trackbacks(0)
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