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2月20日(土)は終日、静岡市で「組織労働者」の集会があって、それが5時に終了してすぐに三重の津市の高田へ、高生研東海ブロックゼミナールに行く。着いたのは夜の交流会のまっさい中の8時51分ころ。
高田の青少年会館に泊まった翌朝、食事後に高田の「一身田(いっしんでん)」という町を歩く。昔懐かしいような町並。真宗の町。寺内町(じないまち)の典型といわれる。わたしはただの縁無き衆生。ここへは数年前も泊まったことがある。いや、正確に言うと、この「高田青少年会館」という名の宿舎に泊まって勉強会をしたが、そのときの建物とちょっと違っていたような気がした。同行のN氏もそう言っていた。
で、後でいろいろ調べていたら、91年に同じ(高生研)東海ブロックゼミとして泊まった(らしい)。19年前になる。そのときはわたしは静岡のレポーターだった。建物は80年に建てられ、01年に改築したようだ。
2月21日の講演は熊沢誠氏。三重の人。主催者のAさんのご近所らしい。
熊沢誠氏がどういう「お人」か、ということについて、講演後、家にかえってからはじめて知って驚いた。書庫にはなんと──
◯『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫/1996/翻訳・熊沢誠)
◯『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫/1993/著・熊沢誠)
があった。まえまえから読もうと思って積んだままだった。しっかり著書を読んで著者の名前くらい覚えておけばよかったといまさらながら後悔した。
『民主主義は・・・』はたしか佐高信氏がよく言及していたような気がする。『ハマータウン・・・』は竹内常一氏が言及していた。
あいにく以下に記した3冊の岩波新書の著書は目に触れたこともなく、熊沢さんがどのような「お人」なのか、まったく知らないまま講演に望んだことがくやまれる。あとで三重のAさんに「上の2冊の本」についてあらかじめ紹介されていたら、おそらく参加者は100名をとっくに越えていたであろう(というのは大げさか)というメールを送った。
風貌と声がわたしの家の近所に住む元校長先生にそっくりなので親しみがあった。司会は三重のAさん、参加者は中学の先生から大学の先生まで。地元三重・静岡・岐阜の先生方ほか、滋賀のFさん、京都のHさんもみえた。
熊沢さんは現在は甲南大学名誉教授。岩波新書の著書は、
◯『女性労働と企業社会』 (2000)
◯『能力主義と企業社会』(1997)
◯『リストラとワークシェアリング』 (2003)
また最近の著書は『働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史』 (岩波書店、 2010、3360円)など、著書は多数にわたる。
以下は熊沢講演のだいたいの内容の紹介だが、わたしの勝手な解釈がまじっている。( )内はわたしの勝手な補足である。
前半を一言でいえば「教師は働きすぎの労働者である」ということ。さらに印象に残ったのは「いま教師は未組織労働者である。みずから組織労働者的な職業生活の守り方を示すことが、労働に赴く若者にとって大きな示唆となる」こと(未組織労働者の生き方と末路とは『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』の冒頭に描かれている)。このあたりからどんどん引き込まれる。正規労働者の働き過ぎと非正規の劣悪条件は相互補完の関係にある、両方をともに問題にしなければならないこと、などなど。
後半は職業教育の重視をせよという話。本田由紀さんの話とつながるが、これまでの民主主義教育の理念は「単線コース延長論」(ゼネラリスト〔総合職〕育成論?)であったという。過労死するメンタリティの人を会社は望んでいるが、これは学校で成績がよい人であり、戦後民主主義教育に対応していたという。いまは幸か不幸か、企業のほうで複線コースを分け始めた。ゼネラリスト以外は非正規でまかなおうとしている。そういう流れのなかで、まず職業教育の総論を教えるべきである。という。
「一定の職業、一定の職場で生きてゆける力を」と熊沢さんは主張する。たいていの労働者は地味な仕事につく。きちんとじぶんたちの生活を守り、(逃げないで)発言権をもって状況を変える、そういう考え方を身につけてほしいというのが職業教育の眼目だという。社会の職業構成をまず若者に教えるべきであり、好きなことではなく、他人が喜んでくれることを仕事にすべきだ。という。さいきんの若い(ベンチャー企業などの)経営者は(きちんとした)労使関係も知らず「なんでもあり」で働かせる経営者だ。そこへ仕事や労働について何も学んでいない若者が働かされるから、まるで赤子の手をひねるようなものだ。「単線コース延長論」では労働者は無力であって、抵抗力・発言力を持たせられない。という。
職業教育とは総論として3つの柱を持つ。1「仕事の意義を教える」──仕事の歴史を教える、仕事の誇りや文化を教える。2「仕事の実態を教える」──楽しさと同時にしんどさもきちんと教える。3(しんどさを緩和できるための)「生活と権利を守るすべを教える」。
ここで、架空の「平等主義」にまどわされてはならない(つまり、仕事はしんどい、ということか)。職業には貴賎はないが、恵まれない仕事・恵まれた仕事はある。世の中の多くの仕事は地味だ。そのなかで、「使い捨てられもせず燃え尽きもせず」その場でやってゆけるようにその場を変えよ。「ゆとり」と「仲間」と「仕事の中身(仕方や手順など)の決定権」という3つを獲得せよ。余暇を充実させるすべも教えるべきだ。黒澤明の映画を観て感動した人で「七人の侍」を知らない人がいるとしたら不幸だ。かつての公害反対闘争で立ち上がった人たちは老人ばかり目だった。この人たちはいわば「その土地で死のう」という人たちだったのだろう。若い人たちは別の土地へいって住む。その場に立って「逃げないでいる」人たちこそ発言することが可能だ。という。
それから印象に残ったことは、大学では教員と事務員の比率が6:4だという話(小中高校では教員と事務員の比率は10:1くらいではないだろうか)。どれだけ小中高では教員が教育以外の仕事を強いられているかという文脈での話。小学校の先生は学級の生徒の給食費まで集めている(これがなかなか大変で大きな心労の1つらしい)。しかし現在の新しい大学では事務員が小中高校なみに少なくなっていて、教員が多忙に陥っているらしい。
(さいきんの教員の仕事のたいへんさについて。文科省の資料によると、病気休職者が95年では0.38%だったのが、06年では0.83%に上がり、その中の精神性疾患による比率が34%だったのが、61%に跳ね上がっている。10年間で在職者総数は減っているのに、病気休職者は2倍以上、精神性疾患による休職者は約4倍近くまではね上がっている)。
教師が職業教育を自信を持って教えることができるためには、じぶんたちも仕事に生きる労働者だという自信と自覚なしには不可能だろう。若者がしんどいから、若者に力を与えねばならないというだけではだめだろう。そういう意味で、教員の労働条件を語るのは教育にとっても大切であり、いい教育が語れない、という。
また教師の「孤立」についての話。いま、教師相互の助け合いが衰退し、管理体制が強化されているのは査定昇給・評価制度によるもの。自己申告の評価だ。民間の評価の面談では上司が部下をほめちぎってノルマをひきあげるというマインドコントロールを行う(目の前のニンジンに跳びつくために、みずから意欲を生み出さなければならない)。
学校では、査定による20万円の年収差はさすがに労働組合が(さいしょは)反発した。成績主義は教育になじまないと。大阪では06年に1年先送りということで組合と折り合いをつけた。導入は団塊世代の大量退職後となった。学生運動などで民主主義にうるさい人たちが大量退職したあとは従順な批判精神のない人たちが続く(から導入できると踏んだらしい)。という。
(ざんねんながらその通りに導入された。さらにそういう査定に馴れた先生たちが、競争によってそれぞれ賃金が違って当然と受け取る労働者を再生産することになるのだろうか?つまり自己責任論を教師みずからが体現し学校で再生産している?しかも自己評価というマインドコントロールに後押しされて?)
繰り返しになるが、この文脈のなかで「いま教師は(孤立させられ)未組織労働者となっている。みずから組織労働者的な職業生活の守り方を示すことが、労働に赴く若者にとって大きな示唆となる」いうことばが印象に残ったのだった。
さらに家で『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』を読む。労働者の人生を左右するのは賃金ばかりではなく、A「労働そのもの」とB「仲間相互の関係のあり方」であり、ここに組合の存在意義があるという。だから、(査定昇給によって生まれる)仲間同士の競争関係はABの双方を破壊するものだろう。だから労働組合の原点は、仲間と「けっして競争するな、競争することは奴らに利用されることだ」(イギリスの労働者の好みの言葉)ということらしい。「労働者は助け合う、苦楽(の生活)をともにする」、これが原点だろう。
この講演のあと、静岡の高生研の一行は組織労働者としての「仲間づくり」と「余暇の使い方」の模範をしめすために?みんなでそろって真宗・高田派の総本山のお参りにでかけた。ただの物見遊山の縁無き衆生だったが。またK氏が地元名物のおたふくまんじゅうを買ったので、それをお土産に買っていくものが続出するという付和雷同の一行でもあった。
さいきんの◯HKはおもしろい。高田渡の伝記のシリーズを放送したり(現在つづいている)、岡林信康を紹介したり、『東京漂流』の藤原新也が出てきたり。それにしても高田渡の「◯◯隊に入ろう」をまさか◯HK(日本国政府放送協会)から聞くことができたとは。
そういえば井上陽水の特集みたいなのも◯HKで放送していたし。
いま放送するということは、(すでに「転向?」したり亡くなったりして)それなりに「毒気」が抜けてしまったからなのか、それとも時代が彼らの「毒気」を欲しているからなのか。時代そのものに元気がないから、そのカンフル剤にでも、ということなのか。
歌唄いの岡林、井上、高田の3人の、それぞれの人生の軌跡の、なんと違ってしまったことだろう。この中でメジャーではなかったのは高田だが、庶民としての感覚や生き方を貫いたのは高田ではなかったか。生涯草の根の民の歌を唄いつづけた。
3人は、その人生の出発地点から違っている。教会、町の歯医者、地方の没落?篤志家。親や家から受けた影響もずいぶん違うだろう。3人とも100年のちまで残るかもしれないが、フォークとか演歌とかニューミュージックとか、そのような呼び名が失われた遙かな未来にも残る名はタカダワタルではないかとかってに思っている。だって老若男女の草の根のファンがいるでしょ。歌は世に連れ、世は歌に連れて流行り廃りがあるけれど、グラスソング(民草の歌)はしたたかに生きていくのでは?
それにしても高田は谷川俊太郎をはじめ有名・無名の人々の詩を、なんでもかんでもかってに?唄っているのはすごい。高田の名は、山之口 貘、菅原克己、黒田三郎、ラングストン・ヒューズ、永山則夫の名とともに後世に残るか・・・な?少なくとも、これらの人々の詩を親しみやすく紹介してくれただけでもえらい。それと添田唖蝉坊。もっとも、わたしは「ヴァーボン・ストリート・ブルース」みたいなハイカラで明るい曲が好きだけれど。